建国祭(1)
解放王オルティス一世がこの地にオルティス王国を建国した当初から続いている建国祭は、三百年の歴史ある行事だ。貴族家の全ての当主たちが出席を義務付けられており、王城の壮麗なホールに多くの貴族たちが一堂に揃う。オルティス王国で最も規模の大きな祭典と言えた。
「聞きまして?陛下のご容態が回復されたとか……」
「臥せっていたという王族派の当主たちも今回の祝典に出席すると言うのは本当なのか?」
集う貴族たちの様子は、例年とは違った。今まで貴族派の天下であった社交界に、大きな波が訪れようとしている。それを感じとっている貴族たちが、少しでも情報を得ようと派閥同士で固まりさざめき合っていた。
「……そう言えば、カスティオン侯爵家のリリティア嬢が見つかったそうですわね」
「まあ、私も聞きましたわ。ブランザ公爵が保護されたんですって。再びジェイコブ様と婚姻を結ばれるとか……」
「まあ、それは……公爵様もずいぶんと慈悲深いこと。だって、ねえ……?怪盗に攫われて1年も……果たして侯爵令嬢は純潔を保たれているのかしら?」
「ですがほら、侯爵令嬢はブランザ公爵様のお気に入りでしたから、ジェイコブ様が何を言っても決定は覆さないのでは?」
貴族たちの噂話が耳に入ったジェイコブは、苛立たしげな表情で歯を食いしばる。
(クソッ、あの女はもうカスティオン侯爵から絶縁されて貴族ですらなくなったというのに、なぜまた俺が婚姻を結ばねばならないのだ!結婚式であんな屈辱を受けたというのに……!父上は何故、嫡男である俺でなくリリティアを優先するんだ!)
ジェイコブはがりがりと爪を噛む。
今日の朝、父であるブランザ公爵から突然リリティアを保護したことと再び婚姻を行う事を告げられた。父から自分に告げられる言葉は全て決定事項の命令であり、ジェイコブが何を言ったところで覆ることはなかった。
(だいたい、父上もリリティアもどこにいる……?)
別々の馬車で登城したため周りを見回し探しているが、広い会場で目的の二人を見つけることが出来ないでいた。
そして聞こえてくる、いたるところで囁かれる噂話にジェイコブは怒りで地団太を踏みそうになるのを懸命にこらえる。
(クソッ、皆勝手な事を言いやがって!)
「ジェイコブ様、そうお怒りにならないで。いいじゃありませんか、元からリリティア様をお飾りの妻にしてすべての仕事を押し付ける予定だったんですから。計画がもとに戻っただけですわ」
「それは、そうだが……」
ジェイコブは腕を絡めるビアンカの言葉に頷きながらも、父のゴミを見るような瞳に何故か嫌な予感が拭えない。ちなみにビアンカは、贅をこらしたドレスや宝石を見せびらかすように身に着け楽しげに歩いていた。ビアンカにとっては、大変な仕事をすることもなくブランザ公爵家の金で贅沢ができる公爵家嫡男の恋人としての地位があれば良いのだ。リリティアが醜聞付きで戻って来たのはむしろ朗報であり、これからリリティアをいたぶれるのは気分が良いとさえ考えておりご機嫌だった。
その時、伝令が王太子の入場を告げた。
「王太子殿下のご入場です!」
王族の入り口から白い正装姿のジョルジュと、彼にエスコートされるマリアンヌが姿を現す。ホールを見渡せる上段の舞台に立ったジョルジュは、王の登壇はないのかと視線を動かす貴族たちに向かい言葉を発する。
「皆、今日はオルティス王国建国の祝いによく集まってくれた。王に代わり礼を言う。
長らく心配をかけてしまっていたが、皆も知っての通り王は病状も回復している。ただまだ体調は万全ではないため、今日の挨拶は私が代役を務める事となった」
ジョルジュの言葉に、集まった貴族たちが波が広がる様に頭を下げる。
通常はこの後王族の祝典の開始の宣言と共に楽団の演奏が始まり祭典が開始されるのだが、しかし音楽の開始を視線で止めたジョルジュは真っすぐにホールの貴族たちに向かい口を開いた。
「祝典の前に、私からこの場を借りて重大な発表を行わせてもらいたい。
――私は本日、ブランザ公爵および貴族派の不正についてこの場で告発を行う!」
ジョルジュの突然の言葉に、会場が大きくザワリと揺れた。
「まずはこの者を皆に紹介しよう」
ジョルジュの言葉で舞台袖から現れたのは、艶やかな漆黒の髪を靡かせた端正な容姿の青年。正装を着こなす立派な立ち姿の青年に、会場の女性はほうと熱いため息をもらした。
「彼は前ルーベンス公爵家の嫡男だったウィリアム・ルーベンス。彼は前ルーベンス公爵の冤罪を晴らすため、ずっと貴族派の調査を行ってくれていた。そして長年の調査の末、貴族派の不正の証拠を押さえたのだ」
ざわめく貴族たちに目もくれず、ウルティオの堂々とした声が会場を支配する。
「ブランザ公爵家、現ルーベンス公爵家およびその他貴族派に属する家門の不正の証拠がここに揃っています。国家予算の横領からはじまり冤罪でいくつもの王族派の家門を陥れてきた手口……。あまりにも大量でとても読み上げる事ができないほどですよ。これまで、ずいぶんと好き勝手に搾取をされてきたようだ」
美貌の青年の登場に固まっていたジェイコブは、やっと言われている事の内容が頭に入ってきたのか顔を真っ赤にして怒声を発した。
「我が公爵家に対して、何を勝手な事を言っている!」
そしてズカズカと舞台に上がると、ウルティオの手から書類を奪い取る。
「ふん、こんなの偽物に決まって……」
そうして書類に目を通していったジェイコブは、次第に顔色が青くなってくる。
「ど、どうやってこんな詳細な証拠を……」
その書類は、ウルティオ達が組織で長年に渡り集めてきた貴族派の罪の証だった。言い逃れできないほどの詳細な情報の数々にジェイコブは手が震えてくる。
しかしそこに、コツコツと高い靴音が響いた。舞台に歩み寄る人物に、さあッと潮が引くように道ができる。堂々とその道を歩む男に、ジェイコブは声を上げた。
「ち、父上……!」
しかし公爵はジェイコブの顔など見もせずに、その書類を奪い取る。そしてふっと笑いを漏らすと肩をすくめて見せた。
「ふむ、この横領に関してはカスティオン侯爵によって行われたものだろう。我がブランザ公爵家は関与していない。他の件に関しても、我が家は関与していないことをここに宣言しよう。これらの証拠では、私の関りは証明できないはずだ」
「そんな!それは貴方の指示で……!」
カスティオン侯爵は罪を擦り付けられたことに顔を青くする。
ウルティオは激しい怒りの炎を瞳の奥に潜め、冷静にブランザ公爵に対峙した。
「ええ、ブランザ公爵。貴方のやり口はとても巧妙でした。すべての不正行為に関して実行は配下の家を使い、いざという時はトカゲのしっぽ切りができるようにしていた」
「つまり、この件で私の罪を問うことはできない。そういう事だ」
唇の端を吊り上げるブランザ公爵に、ウルティオは鋭い目を向ける。
「誰が貴方の罪がこれだけだと言いましたか?」
ウルティオの言葉に、ブランザ公爵はピクリと眉を動かした。ウルティオは脇に控えていたコナーから新たな書類を受け取る。
「ブランザ公爵、あなたは10年以上前からこの国の政治の覇権を握るため、裏組織と通じ政敵を闇に葬ってきたことも分かっています。12年前、司法長である私の父にその動きを調査されているのを知り、ルーベンス公爵家の乗っ取りを狙う叔父と結託して父を冤罪で処刑させましたね」
「は、そんな大昔の証拠がどこにあるというんだ」
「あなたは証拠をすべて葬ったと思っているでしょうが、裏組織の連中も馬鹿じゃない。常に裏切りの横行する世界で生きている奴らはいつだって命を守るために相手の弱みを握っているものなんですよ。あなたが処分したと思ったものは精巧に作られた偽物だった。本物は、今ここにある」
ウルティオの手にする書類を見て、にやりと余裕の表情を浮かべるブランザ公爵。
「それも私を陥れるための偽物ではないのか?鑑定士に印章を確認させたのか?」
「……ええ、これもまた精巧に作られた偽物の家紋の印章だったのでしょう?あなたが後ろ暗い工作をする時のために作ったものだ」
「私を陥れるために誰かが作った偽物なのだろう。言いがかりはやめてもらおうか」
「あなたは無関係であると?あなたの屋敷を捜索すれば、これと一致する偽の印章が出てくるのではないですか?」
この印章をブランザ公爵が所持していることが分かれば、芋づる式に数々の悪事との関連を証明することができる。しかし、ブランザ公爵は馬鹿にしたように鼻で笑う。
「そんな憶測で我が公爵家に騎士を派遣できると思うなよ」
高位貴族の捜索は、決定的な証拠でもなければ許可されない。家宅捜索など決して許さないであろう威圧のあるブランザ公爵の声が響く。
「それに勝手に10年以上前の話を進めているが、実行犯にまず真相を聞いてみたらどうかね?」
そうして振り向いたブランザ公爵は、観衆の中からある人物を呼び出した。その人物は公爵に対しておどおどとした態度で前に出てくる。
すうっと目を細めてウルティオはその男を見つめた。
「……お久しぶりですね、叔父上」
現ルーベンス公爵であり、ウルティオと姉を公爵家から追放しすべてを奪ったローグ・ルーベンスだ。
恰幅の良い体に贅を凝らした派手な正装を纏い、見せつけるように高価な装身具をつけているが、この場に呼ばれたことに居心地の悪そうな表情をしていた。しかしウルティオに話しかけられたローグは、彼を見下すような態度で怒鳴りつける。
「お前はもうルーベンス公爵家とは関係のない人間だ!気安く呼ぶでない!……え~、それでブランザ公爵様、私になにか……?先ほどの話も、私にはとんと理解の及ばない事でございます。私はただ、兄が不正を行い処刑されたために、公爵家を守ろうと尽力しましただけで……」
ウルティオに対して高圧的な半面、もみ手をせんばかりにブランザ公爵に媚びてみせるが、ブランザ公爵の氷のような視線にローグは顔色を悪くする。
「ルーベンス公爵、君の兄君が冤罪だったというのは本当かな?」
「え?それは貴方が……」
慌てたように顔を上げたローグと公爵の瞳が交わる。すると、ローグは突如頭を抱えはじめた。人々が訝しげに見ていると、やがてぼうっとした瞳で顔を上げた。
「う、あァ、……そう、です……。私が、兄の罪を捏造しました……」
うつろな視線で罪を認めたローグに、ザワリと会場の空気が変わる。
「裏組織との取引に使った印章は?誰が私になりすまし罪を擦り付けようとした?」
「……カスティオン侯爵から借りました」
「なっ!そんな訳っ」
ローグの供述に、流れ弾を食らったカスティオン侯爵は泡を食ったように否定しようとする。しかし目の前に近づいたブランザ公爵の目をみた途端に、カスティオン侯爵はビクリと体の動きを止めたと思うと、焦点が結ばれていない目でダラリと腕を下げて口を開いた。
「ァ……は、い……。私が、捏造しました……」
二人の大貴族の罪を認める証言に、ホールは嘘のように静まり返った。厳罰に処されるであろう罪を簡単に認めるなど異例な事だ。通常であれば貴族の特権として、司法院での裁判を申請し時間を稼ぎ、金で事実を捻じ曲げ減刑を図るのが常なのだ。しかし、このように大勢の貴族たちの前で罪を認めてしまえばもはや取り返しがつかない。まるで悪魔に操られているかの様な異様な状況に薄ら寒さを感じる貴族たちに対し、ブランザ公爵だけが普段通りの様子で立っている。
「彼らの自白は何よりの証拠だろう。12年前の件も、すべてカスティオン侯爵とルーベンス公爵の犯行だった訳だ」
流れる様に配下を切り捨て自らの潔白を証明してみせたブランザ公爵に、ウルティオは鋭い目を向ける。
「……そうやって、あなたは闇魔法を使い自らの罪を擦り付けるのですね」
「何のことかね?」
「ブランザ公爵、あなたが闇魔法の使い手であることは分かっています」
ウルティオの言葉に、驚きの声がそこかしこから響く。闇魔法は100年以上も使い手のいないお伽噺のようなものなのだ。しかも公爵は火の魔力持ちだと言われていた。
「闇魔法は人の精神を侵食し、その意志を奪い操る事ができる。その発動条件は、体の一部に触れながら目を合わせる事。それによって相手に闇の種を植え付け、必要な時に闇の芽を芽吹かせ意志を奪う」
ウルティオの静かな言葉に、小さな悲鳴がいくつも漏れる。心当たりのある貴族たちは思わずといったように公爵から後ずさった。
「あなたは闇魔法を使い王族派当主たちを操った。そして、王までもその魔の手にかけようとしましたね」
「私が仮に闇魔法の使い手だったとして……、そんな事を行った証拠がどこにある?」
闇魔法を認めるような公爵の発言に、観衆はまさか……本当に、と顔色を悪くさせる。しかし公爵はもはや闇魔法について隠すつもりはないようであった。闇魔法で誰かを操ったとして、その証明は誰にもできないのだから。
「あなたが精神支配を行っていた王と王族派の当主たちが、光魔法によって治癒されました」
「光魔法!ほう、それは息子の婚約者であるカスティオン侯爵令嬢のことか?彼女は傷ましくも救出後に心を病んでいて、我が公爵家で療養しているが?可哀そうに、怪盗に攫われ心身ともに傷つけられたのだろう」
肩をすくめる公爵の言葉に、ウルティオは怒りを噛み殺して低い声を上げる。
「彼女を侮辱するな」
「侮辱?」
「リリティア嬢は私たちの協力者です。彼女はカスティオン侯爵家とブランザ公爵家の不正の証拠を内部から調査してくれていたのです。しかしあなたにそれを気づかれれば命を狙われる危険があった。だから怪盗の名を騙り私が彼女を保護したのです。彼女の名誉が傷つくようなことはなかったと私が証人となりましょう」
「あ!お、お前、あの時の……!」
「私の顔に見覚えがあるようですね」
引きつった声を上げるジェイコブにウルティオは顔を向けて口角を上げる。ジェイコブが認めたことで、リリティアを誘拐したのが目の前の男であること、そしてそれが保護の目的であったと言うことが信憑性を増す。
「……ほう、神聖な公爵家の結婚式で誘拐を行ったと自ら認めるのか?」
「いいえ、先ほども言ったように、彼女を保護するためです。実際、彼女はその後も私たちに協力し、その稀有な能力で王と王族派の当主たちの治療に尽力してくれました」
「リリティアを我らから奪い、脅して協力させていたのではないか?」
「彼女を脅し利用していたのは、あなたでしょう!」
怒りを込めたウルティオの発言の直後に、横合いから新たな声が上がる。
「リリティア嬢が私たちの治療を行ってくれたことは事実だ」
そこには、王族派の当主たちが王を支えるように揃い入場してきた。いまだ長年の衰弱で立ち上がるまでは回復できておらず車椅子に座ってはいるが、瞳に光を灯している王の登場に、皆が慌てたように頭を下げた。
「……陛下、もうそこまで回復されたのですか。……喜ばしいことです」
ただ一人頭を下げることなく対峙するブランザ公爵に、王は口を開く。
「リリティア嬢は、私たちの闇魔法による暗示を光魔法で治療してくれた。彼女が私の命の恩人であることを、ここに宣言しよう」
王の宣言に、貴族たちは風向きが変わったのを知る。
しかし、ブランザ公爵は未だ不敵な笑みを浮かべたままだった。
「ふ、王よ、あなたはご自身の病が闇魔法によるものだと確証はあるのですか?」
「なんだと?」
「ただの病だったのか闇魔法だったのか……。判断できるのはリリティアだけだということです」
そう言った公爵は、背後に手を上げる。すると後方から、両脇を騎士に掴まれたリリティアが姿を現した。濃い臙脂色のドレスを着せられているが、足取りは覚束なく顔は伏せられている。それでも、ウルティオが彼女を見誤るはずがなかった。
「リリィ!」
駆け寄ろうとしたウルティオの前に、ブランザ公爵が立ち塞がる。
「リリティアは囚われ脅されていたショックで療養が必要な状態だ。しかし建国祭に連れてくるようにとの王命があったため、無理を押して来ているのだ。誘拐犯は近づかせられんな」
すぐ側での二人のやり取りにも、リリティアは顔を上げることさえしない。ウルティオはギッと拳を握りしめた。怒りで、声が震える。
「……彼女に、何をした?」
「さて、何の事だ?それより、本人に聞いてみようではないか。王たちは、闇魔法に囚われていたのかどうか?」
勝ち誇った笑みを浮かべ、公爵はリリティアに問いかける。すると、微動だにしていなかったリリティアの肩がぴくりと揺れ、小さく口を開いた。
「……いいえ、……闇魔法では、……ありませんでした……」
「っ!」
無機質な声音の返答の後、ゆっくりと顔を上げたリリティアの瞳を見てウルティオは苦しげに息をのんだ。いつもは宝石のように輝くラベンダー色のその瞳は、今はガラス玉のように無機質で、そして正面のウルティオさえ映していなかったのだ。




