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ブランザ公爵邸(1)


ズキリとした首筋の痛みに、リリティアはベッドの上で意識を戻す。

重い瞼を開けてぼんやりとした視界に映る窓を見遣れば、そこからは夜の帳の下りた藍色の空を見ることができた。そして、その窓についている格子も――。


「ここ、は……?」


意識を失う直前の状況を思い出し、リリティアはハッと目を見開いた。薬のせいかいまだ怠い体を寝かされていたベッドから起こし、自身の置かれている状況を確認するため周りを見回す。


(鉄格子のはめられた窓に、形状から見て外から鍵のかかる扉。家具の品質からして、まるで貴族向けの監獄のよう……)


血塗れになっていた服はいつの間にか白いネグリジェのような服に着替えさせられていた。靴は見回しても見つからなかったため、リリティアは裸足で絨毯の敷かれた床に足をつける。

扉の取っ手を音を立てないように動かしてみるが、当然のように鍵がかけられていた。鍵を開けることは出来るかもしれないが、外には確実に衛兵や使用人がいるだろう。靴もない状態で、外まで逃げ出すことは恐らく不可能だ。


ナイフが取り上げられているのに気が付き、リリティアは部屋を見渡す。そして窓際にあった花瓶を見つけ手にとると、シーツに包んで音を出さないようにした上で床に叩きつけて割った。その破片のひとつを服の袖に隠し、他の破片はシーツごとベッドの下に隠す。

不安に飲み込まれそうな思考を、ウィルが話してくれた言葉を思い出しながら必死で奮い立たせる。


(常に冷静に、状況を把握すること。自分に出来る事を考え続ける事。……大丈夫。相手の目的を明らかにして、時機を待って逃げてみせる。絶対に諦めたりしない。何があっても、絶対にウィルの隣に戻るって、約束したから)


リリティアは幸運にも奪われなかったガラス玉のお守りを胸元でぎゅっと握りしめた。

その時、廊下から物音が聞こえてきてリリティアは身構える。


ガチャリと鍵の開く音と共に扉が開けられ、入って来た人物にリリティアは思わず後ずさった。


――分かっていた。暗部の男を見た時に、この男のもとに連れてこられるであろうことは。

それでも、間近でその冷徹な瞳に対面すると恐怖に血の気がひいてくる。


「ブランザ公爵……」


リリティアは震える声で名を告げる。その男は、嬉しそうにニヤリと口角を上げた。


「やっと戻ってきたな、リリティア」


ゆったりと黒いマントを翻し歩み寄ってくるブランザ公爵に、リリティアは声を上げる。


「それ以上、近づかないでください」


今までブランザ公爵やカスティオン侯爵に口答えなどした事がなかったリリティアの強い言葉に、歩みを止めた公爵は可笑しそうに嗤った。


「怪盗から救い出してやった私に感謝の言葉もないのか?」


ブランザ公爵の言葉に、リリティアは悔しげに唇を噛む。


(暗部から私の言動を報告されているはず。私が望んで逃げていたことを知っていながら――)


もしも私を生かすつもりなら、恐らくウィルたちを悪役にして、連れ去られた私を助け出して醜聞持ちとなった私を再び公爵家に迎え入れる慈悲深いエピソードとして社交界に流すつもりだろう。

 

「っ……どうして、私が王城にいることが分かったのですか?」


震える手を抑え込み、少しでも情報を得ようとするリリティアに公爵は上機嫌に口を開く。


「確証なんてなかったさ。王城であの医者の助手の女がお前でなかった時は当てが外れたと思ったのだが……。だが、王の闇魔法が解かれた時、お前の魔力を感じた気がしたのでな。念のため罠を仕掛けておいたのだ」

「私の魔力を、感じた……?」


公爵の言葉に、リリティアの頭に恐ろしい予想が浮かび上がる。そして王の精神を蝕んでいた悍ましいあの声と目の前にいる男の声が唐突に一致する。


「……まさか、貴方が闇魔法の使い手なのですか……?」


震える声で問うリリティアに、よくできましたとでも言うように公爵は嗤った。


「そうだ。私は相手の体に触れ、目を合わせることで相手に闇の種を植え付ける事ができる。そして必要な時にその芽を芽吹かせれば、その精神に干渉できるのだ」


リリティアは聞かされた闇魔法の発動条件にグッと唇をかみしめた。

闇魔法の術師がただの雇われ者だったならばその条件は大きな障害となっただろう。王族や高位貴族に触れることなど、そうそう許される事ではない。しかし、自らが高位貴族であるブランザ公爵ならば王や王族派の当主たちに術をかけるのは容易だったはずだ。友好のためと言って出会い頭に握手を求めれば、それで事足りてしまうのだから。

現時点で、どれだけの人間に闇の種を植え付けているのか――。

リリティアは恐ろしい予想に拳を握りしめた。


(もっと早く気がついていれば良かった。ブランザ公爵はジェイコブ様と同じ火の魔力持ちと言われていたから公爵自身が闇魔法の使い手だと考えが及ばなかった……)


「……それで、闇魔法に対抗できる光の魔力を持つ私を殺すためにここまで連れてきたのですか?」

「ははは!それならお前が子供のうちにとっくに殺しているだろう?私はお前が必要なのだよ」

「……私を確保するためだけに、確証もないのにマリアンヌ様の馬車を襲ったのですか?」

「そうさ。お前を手に入れるためなら、間違いでリーデルハイト家の女が死のうが構わんからな」


ほの暗いその目に、リリティアは寒気を感じた。公爵の瞳から、本気でそう思っていることが分かってしまった。本気で、リリティアがいるかもしれないという不確かな勘だけで王族に次ぐ公爵家の、しかも王太子の婚約者の馬車を襲わせたのだ。


「私に、何をさせるつもりなのですか?」


ずっと疑問だった。公爵はリリティアを探すため、莫大な人件費を投じて隣国まで捜索網を伸ばしていた。ウィルの保護と組織を使った攪乱がなければ、決して逃げ続けることなどできなかっただろう。それは、ただジェイコブの代わりに領政ができ、言いなりになる都合の良い嫁を確保するためだけにしては異常なことだった。光魔法を取り込むためだとしても、常軌を逸している。


(何か、他にも理由があるはず)


リリティアが見つめるその先で、公爵はジェイコブと同じ金髪を手でかき上げる。露わになったその瞳に、煮詰めたような執着の色が映るのをリリティアはゾッとしながら見つめた。



「難しいことではない。お前に、私の子を産ませるためだ」



――考えもよらなかった言葉に、リリティアは頭が真っ白になって反応が遅れる。


「な……にを、おっしゃっているのですか?私を、ジェイコブ様に嫁がせるおつもりだったのですよね?」

「あの出来損ないの嫁ということにしておけば、お前から生まれる子は正式に我が公爵家の跡継ぎとして受け入れられやすいだろう」


公爵が冗談で言っている訳ではないことが分かり、リリティアは顔を青くさせる。無意識に、縋るようにお守りを握りしめる。


「なぜ……」

「分からんのか?私は、選ばれた存在なのだ。百年以上使い手の現れなかった闇魔法は、人の精神を操る王にふさわしい能力!……だというのに我が父は闇魔法は外聞が悪いと言って私に闇魔法の使用を禁じ、常に火魔法の使える従者を傍らに置かせて私を火魔法の使い手と偽った。この至高の能力の素晴らしさも分からん愚鈍な男だったよ……。だから、父もこの力で操ってやったのだ」


公爵は思い出し笑いをするように、クツクツと笑いを零す。


「父を操り当主の座も奪い、王の権力も削った。すべてが私の思い通りとなった。私は確信したのだ。私は選ばれた存在なのだと。下等な存在を、能力のある者が支配するのは当然の理。私こそが、この国を支配すべき存在なのだ」


演説をするように広げていた腕を、しかし公爵はぱたりと下ろす。


「……しかし、私にはあとひとつ、手に入れられていないものがある。私の優秀な能力を継ぐ後継者だ。魔力量の多さをかって迎え入れた妻の生んだ息子は、ただの火の魔力しか持っていなかった。落胆したよ。私の後を継ぐ者は、選ばれた私と同じ闇魔法を継ぐ者でなければいけないのに」


だが――と、公爵は口元を笑みの形にしてリリティアに濁った瞳を向けた。


「カスティオン侯爵からお前の事を聞いたとき、天啓だと思ったのだ。光魔法を扱う者もまた、大変希少な存在だ。光と闇、その希少な二属性が同時代に揃うなど奇跡的な確率と言えるだろう。平凡な火魔法の女の腹ではだめだった。だが、お前とならば闇魔法を継ぐ子供が出来るはず。神が私のために光魔法の使い手を遣わしてくださったに違いないのだ」


正気とは思えない発言に、リリティアは恐れを抱き後ずさる。


「……ジェイコブ様は、どうするつもりなのですか」

「あんな出来損ない、闇魔法を継ぐ子が出来ればさっさと始末すればよい」


人を、それも自分の子を書き損じた屑ゴミのように処分するという思考が信じられなかった。こちらに近づいて来る公爵は、まるで人の理を外れた魔物のように思えた。

恐ろしさに震える足を必死で奮い立たせ、リリティアは隠し持っていた花瓶の鋭利な破片を首に当てる。


「近づかないでください!近づけば、首を切ります」


歩みを止めた公爵は、必死で立つリリティアを可笑しそうに嗤う。


「随分とお転婆になってしまったものだ。我がブランザ公爵家の嫁として相応しいように、時間をかけて調教してやったのに」


震えるリリティアの様子を楽しむかのような嗜虐的な笑みに、過去の体罰が思い出されて血の気が引く。


「安心しろ、ジェイコブとの婚姻の手続きが済むまでは手は出さんさ。まあ、そのあとは時間をかけて再び躾けてやるがな」


リリティアの全身を上から下へと舐めるように見つめる視線に、リリティアは今までとは違う恐ろしさを感じた。

公爵はリリティアの左腕の奴隷紋に愛おしそうな視線を向けると、ゾクリとする笑みを浮かべた。


「この奴隷紋がある限り、お前は私のものだ」





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