24.売られた聖女は夜会に向かう2
夜会は騎士達の出席も多く、立食形式のようだ。
私はもう壇上を下りても良いだろうか。
確認をしようと陛下を見上げたところで、いかにも高い身分の壮年の男性がやってきた。
「陛下とロセアン様におかれましては、ご機嫌うるしく存じます」
「ああ、ベイロン公か。変わりはないか?」
「年に一度しかお会いしない私のことまでお気にかけて頂いていたなど、もったいないことです」
そういって相好を崩す姿は人当たりがよいのだが、どこか油断ならない気配もする。
陛下の『ベイロン公』という呼びかけで、このフェ―グレーン国でも比較的広く恵まれた土地の領主だとわかった。
この国では領地持ちを一律貴族として扱っているようで、エヴァンデル王国のように爵位を定めてはいないらしい。
領主間の力関係は土地の広さや生産力の高さで序列が決まるようだ。
「先日、興味深い風の噂を拾いましたが、陛下におかれましてはご健勝のようで安心いたしました」
「その件か。さすが、貴公は耳が早いな。そのような時期もあったが、彼女のお陰でこうしていられる」
陛下とベイロン公の視線に、礼を取る。
「セシーリア・ロセアンです」
「これはご丁寧に。ニコラス・ベイロンだ」
「彼女の浄化の力は、闇の神モルケの御手に手を伸ばしていた私を引き戻すほどのものだ。何かあれば、彼女も相談に乗ってくれるだろう」
「もちろんでございます」
「それは心強いことですな。そうならないよう気を付けたいところですが、万一の際は頼りにしております。
それでは、後がつかえておるようですな。私はこれで失礼します」
ベイロン公が立ち去ると、また次の領主がやってくる。
同じようなやりとりが続いて、ようやく途切れたと思った時だった。
私よりは年上に見えるが、若い女性を連れたふくよかな体格の中年の男性がやってきた。
「――レンネゴード大臣か」
フェリクス陛下は女性を見ると一瞬だけ、不快げに目を細めた。
次の瞬間にはすぐにその表情は消え、見慣れた笑みを浮かべている。
陛下がここまであからさまに不快とする人を見たことはない。
気を付けようと引き締める。
だが、レンネゴード大臣も女性も陛下の変化には気がついていないようだ。
「陛下におかれましては、ご機嫌うるわしく存じます」
まるっと無視された私の存在に、フェリクス陛下は、片眉を上げてみせる。
「そう見えるのなら何よりだ。貴公らにも紹介しておこう。こちら、セシーリア・ロセアン殿だ」
「セシーリア・ロセアンと申します」
「お話はかねがね伺っておりますとも。お会いできて光栄です、聖女様。わしはこの国の大臣のバッティル・レンネゴードです」
「わたくしは、マルティダ・レンネゴードよ。陛下の婚約者候補でいずれは婚約者となり、そして結婚するの。
今後お会いする機会も多くなると思うわ。よろしくね」
『婚約者候補』という言葉に、以前睡蓮の庭で伺った話を思い出す。
この方がそうなのか。だが、陛下は『婚約者候補がいた』といっていた。どういうことだろうか。
彼女は私とは違い、マルティダ嬢は波打つ金髪の、華やかな美女という感じだ。
「レンネゴード大臣。その話は、何年も前にこちらから断りを申し渡したはずだ。
申し訳ないが、その勘違いを吹聴しないでくれるか」
言葉は柔らかいが、フェリクス陛下の声は背筋が凍りそうなほど厳しい。
「おやおや、陛下はまだそのようなことをおっしゃっていらっしゃるのですか。
陛下には御世継を早くもうけてくださいませんと、陛下がお倒れになれば、この国の血統は絶えてしまうのですぞ」
「貴公に心配されるいわれはない」
レンネゴード大臣の視線が、私に向かう。
笑顔なのに、目の奥には鋭い光があり、本当には笑ってはいない。
隣でマルティダ嬢も私を値踏みするように見ている。
「そちらの聖女様に、陛下のお心も骨抜きにされましたかな?」
「彼女を聖女と呼ばぬようにという、私の簡単な指示にも従えぬ貴公には、何を言っても同じであろうな」
「話には聞いておりましたが、見事なご寵愛ですな。
親子二代、私の領地から取れる金を散々しぼり取っておいて、よくもそのようにおっしゃられるものです」
「税はどの土地にも公平に課している。不満なら領地替えも検討するが?」
「私の土地を、取り上げると?」
「撤回の言葉が欲しいのなら、セシーリア嬢を侮辱する言葉は撤回してもらおう」
「はて。わしの言葉のどこにそのようなことがありましたかな?」
言いあう陛下と大臣の言葉は平行線だ。
フェリクス陛下の言葉は、悲しいほどにこの大臣には届いていない。
声を張っていないが、会場の視線がちらほらとこちらに向いている。
「わからぬのか。どれほど言葉を重ねても、貴公には無駄なようだな。私たちの方が失礼するとしよう」
そういうと、フェリクス陛下は私の手を取ると、壇上を降り、会場へと向かった。
そのまま、広間をすすむと、早々にトルンブロム宰相がエーリク事務官と共にやってきた。
宰相はどこか諦めたような顔だ。
「私のいるところにまでレンネゴード大臣とのお声が届いておりましたよ」
フェリクス陛下は、若干言葉をにごす。
「……少々頭に血が上っていたかもしれん」
「ご自覚がおありならばよろしいでしょう」
「だが、ああも言われる筋合いはない」
きっぱりと言い切るフェリクス陛下に、宰相はふうと息を吐いたものの、それ以上陛下を咎める言葉は出なかった。
そうしていると、グルストラ騎士団長が近寄ってきた。
「挨拶が終わったんなら、こっちで隊長たちにも顔見せてやってくれねーか?」
見ると、各騎士隊長と騎士たちがフェリクス陛下を遠巻きに見ている。
「グルストラ騎士団長、その言葉遣いは――」
「あー、わりぃ。ついいつもの癖でな。ま、でも、今日は無礼講だろ」
宰相に注意をされながらも、騎士団長は直すつもりはないようだ。そのままの口調で答えている。
その横で、陛下は私に尋ねる。
「しばらくは、宰相たちと居てもらうことになるが大丈夫か?」
「はい。皆さまいらっしゃるのです。それに、陛下の開かれた夜会で何かあるはずもありません」
答えると、フェリクス陛下は目元を和らげた。
「嬉しいことを言ってくれる。では、二人ともセシーリア嬢をくれぐれも頼む」
「かしこまりました」
フェリクス陛下は宰相の返事を聞くと、グルストラ騎士団長と共に騎士たちのもとへと向かわれた。
エーリク事務官が通りかかった給仕を呼び止め、三人分、飲み物をもらってくれる。
お礼を言い、飲み物を受け取ってのどを潤すと、宰相が口を開いた。
「ロセアン殿は、夜会を楽しまれていますか?」
「はい。祖国とは大分趣向が違いますが、たくさんの方にお会いできて、楽しいです」
「この夜会は、騎士団の活躍を讃えるとともに、陛下が地方に住む領主たちとの交流を図るものでもあります」
「そうなのですね」
頷きつつも、あのレンネゴード大臣との言い合いは大丈夫だったのか心配がよぎる。
宰相はその件に関しては気にしていないようだった。
さらりと次の話題をその口に乗せた。
「もう一つ、普段異性と出会う機会の少ない騎士達は、この機会に花嫁を見つけるそうなのです」
確かに、会場に目を向けると、着飾った女性と話をしている騎士たちの姿をところどころで見ることができた。
「私は、陛下の婚姻に関しては口をはさむつもりはありません。
ですが、ロセアン殿に一つ伺っておきたいのです。ロセアン殿には、どのくらい覚悟がおありでしょうか」
トルンブロム宰相は、まっすぐに私を見つめて問うていた。
まるで私の中の迷いを見抜いているかのような質問に、背筋にひやりとしたものが走る。
宰相はどこまで事態を把握しているのだろうか。
知っていての、問いかけだろうか。
私は結局まだ陛下からの気持ちにお返事することができていない。
手紙で知らせて貰ったエヴァンデル王国の状況や、家族のことを考えれば、陛下のお気持ちを受け入れることはできないとはっきりと断り、帰国した方が良いのかもしれない。
けれど、それは自覚してしまった陛下への好意を捨てることと同義だ
その覚悟をしなければいけないと思いながらも、私は決断できずにいた。
何もかもを取っ払ってしまえば、好意を告げられたことは嬉しいのだ。
私の能力だけではなく、私の性格や気質も含めて、私自身を見てくれようとしているフェリクス陛下に、同じ気持ちを返せたらどれだけよいだろうと、つい考えてしまう。
何も考えないならば、陛下に私の気持ちを伝えてしまいたかった。
きっとフェリクス陛下は私の好意を喜んで受け止めてくださるはずだ。
そこに疑いはない。
けれど、もし、フェリクス陛下と家族が同時に私の力を必要とした時――どちらかを助けることができないという選択にされされた時、私にフェリクス陛下を選ぶという決断をくだすことはできるのだろうか。
その決意もなく、フェリクス陛下に自分の気持ちを伝えてよいとは思えなかった。
定まらない私の心を、宰相はどこまで見通しているのか。
即答できない私にトルンブロム宰相は底の見えない微笑みを浮かべた。
「ご存じかもしれませんが、私は幼い頃、陛下の家庭教師をしていました。
なので、どうしても過保護になってしまうのでしょうね。
あなたはまだお若い。今なら傷は浅いでしょう。どうか、後悔のないようによくお考え下さい」
婉曲にフェリクス陛下を諦めろと言っているようにも聞こえる宰相の言葉に、私は『よく考えます』と返事をすることしかできなかった。
そうしていると、近くで別の騒ぎが起こったようだ。
派手な音が響き、会場にいる騎士達が場を仕切る声が聞こえる。
どうしたのだろうと思っていると、文官がこちらに向かってくる。
「ご歓談中、申し訳ありません。あちらで、ステンホルム公とトーレソン公が言い合いを始めまして、乱闘が起きました。
お二人は『陛下に裁定をしていただこう』と言い合っていますが、このようなことで陛下に声を掛けて良いかわからず宰相閣下のご判断を仰ぎに参りました」
会場を見回しても陛下の姿は見えない。
庭も開放されているので、そちらにいるのかもしれない。
宰相は思案げな顔をしている。
おそらくは、陛下に言われていることもあり、私のことが気にかかるのだろう。
「私は大人しくしておりますので、どうぞお話をされてきてください」
「そういうわけには――」
「エーリク事務官がいてくだされば、大丈夫ですから」
「……そうですね。ありがとうございます。すぐに戻ります。エーリク事務官、ロセアン殿をたのみましたよ」
そう伝えると、宰相は迷う様子を見せずにエーリク事務官に指示を出し、文官について現場へと向かった。
私はエーリク事務官と共に、目立たない位置へと移動した。






