第二十七話 恋愛未満の特別な何か
「先生……?」
暗闇の中でもわかるほど赤く染まった頬。ヘンリーはそれを隠すように右手で口元を覆ったまま細く息を吐く。
「……あんなことを言って、良かったのか?」
揺れる声と伏せられた目元。何処と無く儚さすら感じさせる弱々しい雰囲気に、あたしは思わず喉を鳴らした。
……何だよ、その顔と声。
まるで乙女の様なその反応に、あたしの心臓は早鐘を打つ。その可愛らしい姿は、どことなくノア様を彷彿とさせて。
いや、こいつはノア様じゃない、ヘンリーだ。何考えてんだあたしは。
迫り上がる熱を振り払うようにガシガシと頭を掻く。
「あんな事って……さっき追い返した時のセリフか? 自分でもあの返答はねぇとは思うけどさ」
「違う。鍵をかけ忘れたのは俺の失態だ。俺を庇う必要などない」
「先生には世話になってるからな。恩人のピンチに背ぇ向けるほど薄情じゃねぇよ」
ヘンリーは赤く染まった瞳を揺らし、僅かに俯く。
「俺は……魔族の血が入ってるんだぞ……? この姿を見て、それでもお前は……」
不安げなその様子にざわりと胸が騒ぐ。自分自身を受け入れてもらえない恐怖に震えるその姿が、いつかの自分と重なって見えて。
「んなの、関係ねぇだろ」
あたしはヘンリーの目の前で屈み、左側の頬にそっと指を置く。それに合わせて揺れるヘンリーの体。しかし、逃げる様子は見受けられない。
そのままそっとヘンリーの頬を手のひらで包む。肌を伝ってジワリと広がる体温が、ほてった体をさらに熱くした。
「どんな姿でも先生は先生だ。本質はかわらねぇ。そうだろ?」
ヘンリーは大きく目を見開いて、そのままゆっくりと瞬いた。微かに開いた唇が、そっと閉じられる。
「あたしは守られるだけの関係なんてごめんだ。これで少しでも恩を返せたなら……あたしは、それでいい」
あたしの言葉にヘンリーはしばし視線を彷徨わせてから、観念した様にこちらを見た。
「……そうか。助かった」
その声には先ほどまでの震えはなかった。いつも通りの落ち着いたそれに、あたしはふっと表情を緩める。
「なら良かった。いつも世話になってばっかだからな」
「そんなことは無い。俺も、お前に助けられている」
「助けられてる……? んなことあったか?」
小首を傾げると、ヘンリーは微かに口元を綻ばせる。
「ジュリが来てから兵士の負傷率が下がった。討伐の遂行速度も比べ物にならない」
「まあ……そりゃ任務だからな」
こんな状況でもこいつ仕事のこと考えてんのかよ。ブレねぇなこのワーカーホリック。
その様子に、あたしは小さく息を吐く。
なんか1人で焦ってたあたしがバカみたいだな。ヘンリーがあたしの事好きとかねぇわ。仕事とプライベートの境界線溶けてるだけだろ。
あたしの視線を受け続けていたヘンリーは、ふいにうつむき視線を逸らす。
「それに……お前と居ると、楽だ。少し、話すぎてしまうくらいには」
あたしの鼓膜を揺らす甘い声。
想像していなかったそれに、私は目を見開く。
いや、流石にそれは……気のせい、じゃ、ねぇのか……?
そう思い込もうとした。しかし再び手のひらに伝わってくる熱さが何よりも雄弁にヘンリーの気持ちを物語っていて。
「……そうか」
あたしはただ一言、そう言葉にすることしか出来なかった。喉が、胸がギュッと締め付けられる様な感覚。それが、あたしの言葉を奪っていく。
『少し、話しすぎてしまう』
頭の中をぐるぐる巡る、その言葉。魔族である事を隠すために、人と距離を取るヘンリー。彼にとってそれがどれだけ"特別"な事か。
……何喜んでんだよ、バカ
緩む頬の内側を噛み締め、ヘンリーから目を逸らす。
どこまでも静かな教会。言葉一つないその空間で、心臓が脈打つ音だけが、うるさいぐらいに鼓膜を揺らしていた。




