第二六話 大切なものを守る嘘
ヘンリーはバッと勢いよく右腕を前に出し、顔の左側を覆い隠した。
「見るなっ……!」
初めて聞く消え入りそうな声。ぎゅっと目を瞑ったその表情は、まるで殴られる前の子供の様で。
その姿にあたしは息を呑みバッと頭上を見上げる。
「そうか、今日は満月か……!」
満月の夜は魔力が不安定になり、抑えきれなくなった魔族の血が暴れ出す。
なんでこんな大事なこと忘れてたんだよあたしは……!
「何故、それを……」
「っ……!」
ヘンリーの指摘にあたしは思わず手で口を覆う。
やべ、口に出てた……!
どうする、何て言って誤魔化す!?
ぐるぐると思考を巡らせ瞳を揺らす。
だめだ、良い案が思いつかねぇ……!
「最近ーーー」
「ーーーたしかに……」
それに追い打ちをかけるように聞こえてくる男たちの話し声。バッと視線をそちらにむけると、僅かに開いた扉から入ってくる淡い光が見えた。
まずい、扉閉め忘れてんじゃねぇか。
急に発生した複数の問題。悲鳴を上げる脳みそ。その間にも、声は少しずつ近づいてきて。
「ん? あいてる……?」
その一言に、どきりと鼓動と身体が跳ねた。
「はっ……」
目の前のヘンリーの荒い息が鼓膜を揺らす。チラリと見た顔は、青く感じるほど血の気が引いていて。
「ここで隠れてろ!」
小さな声でヘンリーにそう告げ、急いで扉の方へと歩き出す。
「祈りの最中にうるせぇな、なんか用か?」
声が揺れそうになる。それをぐっと堪える様に喉に力をいれ、鋭い視線で扉を見やる。こちらを覗き込んだ兵は、あたしの視線にぴくりと体を揺らした。
「こっ、これはジュリアンナ様。失礼いたしました。しかし、この様な時間に礼拝ですか……?」
「わりぃかよ。それとも、あたしがそんな信心深いタイプには見えねぇとでも?」
圧をかける様にあえて声を低くする。最初に口を開いた新兵は一歩引いて目を逸らした。
「ここは辺境伯邸になります。カーター家のご令嬢とはいえ、夜中に歩き回るのはいかがなものかと。……そもそも、この時間ここは鍵がかかっているはず。どのように入られたのですか?」
しかし、隣にいるもう1人はそうはいかなかった。詰める様なその態度に、あたしはぴくりと目尻を震わせる。
「鍵……?」
身に覚えがねぇ。んなもんかかってたか……?
いや、そんなのどうでもいい。とりあえずこの場を切り抜けるしかねぇんだ。
「かけ忘れたんじゃねぇか? 鍵なんてしらねぇよ」
老兵はすっと目を細め、あたしの後ろに視線を這わせる。
「それならば賊が入り鍵を開けた可能性も0ではありませんな。中を調べさせていただきたい」
「はぁ!? さっきまであたしがいたんだぞ? んなもんいねぇよ!」
道を塞ぐ様に腕を広げる。しかし老兵は引く様子を見せない。
「それならば尚のことです。この後も祈りを捧げると言うなら、不届きものがいないか確認するのも衛兵である我々の仕事かと」
「それは……」
隙のないその理論に、あたしは視線を彷徨わせた。
なんて答えりゃいい? どうすればこいつらをひかせることが出来る……!
その瞬間だった。ガタリと、講壇から音がしたのは。
「っ……!」
さぁっと頭から血の気が引く。眩暈がしそうな程の冷たさが全身を駆け巡った。
「……やはり何かいるようですね。失礼します」
固まったあたしの腕の下を、老兵はひょいと抜けていく。
「おい待てっ……!」
あたしは思わず老兵の肩を掴んだ。老兵は呆れた表情で、首から上だけをこちらに向ける。
「何か、隠したい事柄でもおありで?」
冷たいその目があたしを射抜く。生半可な答えではこいつは引かない。本能的に、あたしはそれを理解した。
どうすりゃいい? どうすりゃあこの場を切り抜けられる……!
脳裏をよぎる、不安そうなヘンリーの顔。消え入りそうな声と、震える指先。
あたしはぎゅっと目をつぶってからーーーまっすぐに老兵を見据え、にやりと口の端をあげた。
「……おいおい、この家の兵士は無粋なんだな。鍵を持ってないと入れない夜中の教会、部屋着の若い女、誰かの気配。ここまでいえば、あとはわかるだろ?」
強がる様な震えた声に、老兵は目をむく。
あたしは世話になった人間を見捨てるような真似はしねぇ。……例えそれで、あたしが不利になろうとも。
老兵はしばし目を見開いたまま立ち尽くしてから、気まずそうにこほんと一つ咳をした。
「……なるほど、承知いたしました」
老兵は目を泳がせながら静々と扉の外に出る。あたしは扉に手をかけて、冷たい視線で2人の兵士を見やった。
「他言は無用だ。いいな?」
地を這う様なその声に新兵は涙を浮かべ、老兵は静かに頷く。
あたしはその様子をみてからばたりと乱暴に扉を閉めた。それから間も無く、ガチャリという無機質な音が教会に響く。
「……終わったぞ。大丈夫か?」
大きく呼吸をしてうるせぇ心臓を落ち着かせる。だがゆっくりと歩いても、全く良くなるきざしは見られなかった。
この程度の事で何焦ってんだよあたしは……。もっと他に言い訳あったろ。何で何も思い浮かばねぇんだよ。
普段ならもっと、上手くやれんのに。
そんな考えが、ぐるぐると胸の中を埋めていく。
そんな風に考えながら待っていても、教壇からは返事がない。あたしは肩を上下させ息を吐いてから、ここにきた時の様にガッと教壇の裏を覗く。
「聞いてんのかよ、先生」
そこにいたヘンリーは、先ほどと変わらず大きく目を見開いていて。
しかし今度は様子が違った。目だけではなく顔全体に、不自然なほどの赤が広がっていて。
「っ……!」
潤んだ赤い瞳に、あたしは思わず息を呑んだ。




