第二十三話 不自然な撤退
「狂戦士……ジュリアンナ・カーター……」
あたしは眉をひそめ、声の主である男を肩越しに見る。
その視線を受け、男はさっと顔を伏せた。
狂戦士、ねぇ?
ここ最近聞くようになったその二つ名。どうやらあたしはこいつらの目には戦闘狂に見えているらしい。
息を吐いて頬についた血を拭い、報告のため魔道具を起動して息を吸う。
それと同時にバタバタと複数の足音が聞こえてきた。そちらに視線をやると、部下を引き連れこちらへ走ってくる黒髪の人物が見えて。
驚いた様子で周囲を見渡すヘンリーに、あたしは僅かに口角をあげる。
「思ったより遅かったな。まあ、区画が遠いから当然か」
「……素晴らしい戦果ですね。先程の報告からは10分も経っていないはずですが」
後ろに控えたヘンリーの副官は、驚いた様子で中級モンスターの亡骸を見下ろしていた。
「しかも一撃……流石ですね」
「当然だ。あれから1ヶ月たってんのに成長してねぇ方が問題だろ」
「この様な速度で成長する兵士など、私は存じませんが……」
苦笑するそいつに、あたしは眉をひそめる。
「お前の方がやべぇだろ、ルーバン」
聞いた話だとこいつはここにきてまだ一年も経っていねぇらしい。ぽっと出の平民なのに圧倒的な実力と実務能力をかわれ、たった半年で中隊長であるヘンリーの副官になったバケモノみてぇな男。それが周囲からこいつへの評価だった。見たとこ年も20ぐらいだろうし、あたしよりよっぽどシンデレラしてると思う。
ルーバンは困った様に眉根を寄せ曖昧に微笑む。こいつも食えねぇやつだよな。無害だからいいが。
「とりあえず次だな。3班は大丈夫なのか?」
「ここにくる途中で3班の補助を行った。そちらも討伐は終了している」
息も切らさず淡々とそう答えるヘンリー。
「……それで時間がかかったわけか」
なんかドヤ顔してた自分が恥ずかしくなってくる。ここにはバケモノしかいねぇのか。
「じゃあこの街もクリアだな。予定おしてんだ、さっさと次行こうぜ。近くにある小せえ村なら今晩中には掃討できるはずだ」
ヘンリーはあたしの言葉にぴくりとこめかみを動かす。
「……いや、今日はここまでだ」
「はぁ? まだ14時ぐらいだろ? 村は小規模だしボスモンスターもいねぇ。行かねぇ理由はねぇだろ」
例え3班が壊滅していたとしても休憩と移動含めて5時間もあれば十分だ。普段なら即座にゴーサインをだすところ。なのにヘンリーは険しい顔をして首を横に振った。
「消耗も激しい。今晩は退却する。これは上官命令だ」
上官命令ーーー滅多に聞かないその言葉に、あたしは眉間に皺を寄せた。そこまで言うほどの状態とはとても思えねぇ。
「……わかった、先生がそう言うなら仕方ねぇな」
だがあたしは部下だ。納得できなくても多少のことは飲み込みねぇといけねぇ。理由は帰りの馬車で聞けばいい。
ヘンリーは僅かに表情を和らげて、兵士達に指示を出し始める。その様子が喉に刺さった小骨のようにあたしの中で引っかかり続けた。
* *
一通り退却作業を終えたあたし達は順番に馬車に乗り込んで行く。
あたしの乗っている馬車のメンバーはいつもと変わらない。ヘンリーとルーバンにそれぞれ視線を這わせてから、短く息を吐ぬ。
「……で、なんで帰るなんて話になったんだ?」
半目でヘンリーを見ると、隣のルーバンが困った様子で口を開いた。
「連日の戦闘で兵も消耗していますし、あまり無理はしない方が良いと判断されたのでは?」
「それでも、今のペースじゃ予定通りとはいかねぇだろ。何か策でもあんのか?」
訝しむ様な視線を向けると、ルーバンは肩をひそめて目を伏せる。
「大変申し上げにくいのですが……ガブリエル様が近衛兵団長と国王に直訴し、近衛兵の出兵が2週間後に決定したそうです」
「はぁ!? 間に合わねぇからなしって話になったはずだろ!?」
「ガブリエル様がほぼ不眠不休で数多の問題を解決し、余力を作った上で国防の重要性を説いた、とのことでして……」
尻すぼみになるルーバンの声に、あたしは頭を抱えて下を向く。
「マジで無駄に能力たけぇな……!」
仕事ならついていけるのかとか、姉さんのそばにいることが最優先とか散々いってた。だから何か考えてるとは思ってたがここまでするか普通!?
「それによって防衛魔法の設置予定距離が展延される可能性があるそうです」
「あいつマジで何してくれてんだ……! せっかく先生の屋敷にいる期間減らそうとしてんのに台無しじゃねぇか!」
「ちなみにガブリエル様はジュリアンナ様と同じ屋敷への滞在を嘆願されたそうですが、お父上に却下されたと聞き及んでいます」
「しかもあいつがやりたかったこと1ミリも叶ってねぇじゃん!」
何自分で地獄延長してんだよあのバカ。爪があめぇんだよそりゃそうなるだろ。
「ガブリエル様は大層ご傷心で、ジュリアンナ様のお部屋に籠もられているとか」
「待て、今あたしの部屋って言ったか? あの部屋鍵かかってんだけど」
とんでもない発言に頬が引きつる。
あいつ、そんなやべぇところまで足を踏み込んだのか……? てかなんでそんな話出回ってんだよカーター家の防音設備段ボール並みか??
隣にいるヘンリーも流石に引いているのか、彫刻の様な深い皺を眉間に刻んでいて。
「ふふっ……冗談ですよ」
ルーバンは口元を手で抑え、くすくすと笑った。
「おっまえマジ心臓に悪りぃんだよ! びっくりしたわ!」
パァンと椅子を強く叩き、きっとルーバンを睨みつける。
こいつそんな冗談言うのかよ!!
心臓バックバクだぞどうしてくれんだ……!
ルーバンは涼しい顔をして、困った様に肩を寄せた。
「申し訳ございません、まさか信じていただけるとは思わず」
「リアリティしかねぇよ! あいつならやりかねねぇ!」
あたしは大きく息を吐いて、ガシガシと頭を掻く。
「んじゃ、ガブリエルはこねぇんだな。それ自体はいいけどマジでどうすんだよこの戦況」
ルーバンはパチパチと何度か瞬きをしてから眉根を寄せる。
「安心してらっしゃるところ誠に申し訳ございませんが……冗談はジュリアンナ様の部屋に篭られていた、という部分だけでして。他は全て実際にあった事柄になります」
その言葉に、あたしはピシリと固まった。
あいつ……マジで来んのかよ……。
胸の中がザワザワと騒がしくなったが、それはきっと気のせいじゃない。あたしはズキズキと痛むこめかみを抑え、低い馬車の天井を仰いだ。




