トラック軍港
大日本帝国南洋県トラック海軍停泊地
トラック諸島。
かつてドイツ植民地であったが、今では日本領となり、南洋県に属している。
米国の植民地であるフィリピンと太平洋艦隊母港のハワイ真珠湾を結ぶライン上に位置する地理的条件と、太平洋の荒波から環礁によって隔離された広大な内海という泊地能力の高さから、海軍によって基地化が進められ、巡り巡って現在では本国に迫る海軍一大拠点として機能している。
とはいえ、それはあくまで艦艇の話。
航空機となれば話は別だ。
赤色戦争までは艦艇同様に規模の拡充も図られたが、それ以降の著しい航空機の大型化・ジェット化が進むにつれ、トラックの限られた長さしかない滑走路はすぐに利用限界を迎えた。
さらに、時代の流れの中で環境破壊や騒音問題など、基地での航空機運用には問題や制限が増えたこともあって、かつてトラック航空隊と軍歌にも歌われた航空戦力も今はない。
零式艦上戦闘機や烈風などが幅を利かせていた滑走路は、官民共用のトラック簡易空港と名を変え、その名残を残すだけ。
海軍の海鷲達を支えた滑走路を飛び立つのは、おんぼろの民間機か、緊急時の事故機受け入れがいいところ。
基地の航空戦力はほとんどが水上艇。
偵察兼救難艇として開発されたUS-2とその対潜哨戒機バージョンのPS-2、南方県の連絡用にと開発された、さらに巨大な6発のエンジンを持つ八式大艇達が海鳥さながらに穏やかなトラック環礁の中に翼を休めている。
その日、大尉参謀の穂積碧大尉は“中華帝国軍見ユ”の報告電文を手に司令部を飛び出すと、司令部の横に止めてあったホンダ・ズーマーに飛び乗った。
陸戦隊から銀蠅したヘルメットを被ると、エンジンをスタートさせる。
ナンバーの所には「碧専用」と書かれたステッカーが貼り付けられているが、その下の「超重量物輸送用」と書かれた落書きは碧の手でかき消されていた。
南方特有の日差しの下、椰子の木並木を抜け、ホンダ・ズーマーで2分。
自然石を用いた堤防の上に腰を下ろしている海軍将校を見つけた。
彼女の上官だ。
背丈は低く、貧相な体型をしていることは、その後ろ姿から明らか。
軍服を着ているのに全くさえないオヤジ。
それが碧の印象だし、本国に戻って繁華街の夜道を歩かせればオヤジ狩りに会うことは保証出来ると思っている。
碧はズーマーのエンジンを止め、その人物に駆け寄った。
「有馬中将!」
「ん?ああ、穂積君か」
釣り竿を手にした貧相な男が振り向いた。
やや細い目をした穏和な顔立ちがそこにあった。
トラックの海軍トップ、有馬貞文中将だ。
「今日は当たりが悪くて、河岸を変える所だったよ」
ゆったりとした手で竿を揺らす中将に、碧が言った。
「大変ですっ!」
「中華帝国軍はどこまで来た?」
中将は再び海に視線を向けたまま、そう言った。
「えっ?」
電文を読み上げようとした碧はそれで固まった。
「Su-30かね?それとも空警1号かい?」
「―――両方です」
さすがだ。
碧は内心、舌を巻いた。
貧相な外見からは想像も出来ないが、人徳と戦略家としての才能を併せ持った海軍きっての逸材に数えられているのが、今、碧の目の前で釣り竿をいじるさえないオヤジだ。
―――全てを先読み出来る男
その異名はダテではない。
碧は電文を元に報告した。
「―――の、南南西沖合150キロ地点にて近衛の飛行艦が空警1号と接触。同地点南西190キロ地点にて、近衛の飛行艦がSu-30部隊からの攻撃を受けました」
「被害は」
「損傷は軽微」
「……ふむ」
ピッ
竿を引くが、当たりはない。
「昨日は大きいのがとれたんだが」
「ごちそうさまでした」
「……この近海まで連中が進出していたと見るべきだな」
浮きの調子を慎重に見極めながら有馬は呟いた。
「米軍の進出を警戒しての哨戒任務だろう……それにしても、何故攻撃した?」
「それと」
碧は報告を続けた。
「―――というわけで、豪州軍からの攻撃を受け、艦の一部を損傷。敵飛行艦隊の全滅を確認」
「……さすがは近衛だな」
喉の奥で有馬は笑った。
「一々、無駄な敵を造るとは」
「提督?」
「中華帝国軍の南太平洋進出は豪州の黙認あっての事だ。近衛との交戦により、豪州世論は一層対日開戦へと転ぶ。厄介なことをしてくれたよ」
「しかし」
碧は驚いた様子で言った。
「近衛は撃たれたんですよ?」
「そのまま沈んでくれれば良かった」
「なっ!?」
「すまない……言いすぎだとは思うが、それが本音だ」
有馬は竿を仕舞いにかかった。
「一方的に沈められれば国際世論を対豪州戦へとリードしやすくなる。だが、逆襲で全滅させたとあれば、どう動くか想像がしにくい」
「我々軍人が」
碧は訊ねた。
「そこまで考える必要があるんですか?」
「戦争はね」
竿を片づけ終えた有馬はゆっくりとした動作で立ち上がった。
「外交の延長線上にあるのさ」
有馬は碧のズーマーを見てぽつりと言った。
「車で来てくれると嬉しかったな」
「す、すみませんっ!」
「まぁいいさ。ゆっくり歩いていく時間くらいはある―――敵を警戒するのは、艦隊到達の後さ。近衛の入港は明日だろう?」
その翌日。
“鈴谷”がトラック入港を控えていた。
美奈代は昨晩、ミーティングで渡された物資補給手順の書面を手に食堂に入った。
「美奈代、美奈代っ!」
長旅により、インド洋からこっち、麺類はカップラーメンだけになった。
さすがに朝からどうかと思うので、ハム定食と鯖缶定食のどっちを食べようか迷っていた美奈代を興奮気味の声が招いた。
窓際に立ったさつき達だ。
何人か、乗組員達も興味深げに外を眺めていた。
「どうした?」
「ほらほらっ!」
美奈代が窓をのぞくと、そこには“鈴谷”と平行して飛行する緑色のバケモノがいた。
ずんぐりとした機体にプロペラが6つ回っている。
機体のサイズはメサイアよりはるかに大きい、空を飛ぶ様はまさに“バケモノ”だ。
「何だ、随分と大きいな」
「八式飛行艇ですよ」
美晴が私物の一眼レフのデジカメを構えながら言った。
「八式?」
「往年の名機、二式飛行艇の後継機です。半世紀かかって、すべての性能でようやく二式を越えることが出来た、現代の名機です」
「ふぅん?」
美晴は熱心にそう言うが、美奈代はピンとこない。
ただ“大きいのが飛んでいる”程度にしか思えない。
翼幅48メートル、最高速度550キロ、偵察時の航続距離は9500キロに達する飛行艇だ。
「それで」
美奈代は窓から顔を離した。
「連中、何でこんな所飛んでいるんだ?」
「くそっ!」
受話器をアームレストに戻した美夜の口から舌打ちが漏れた。
「艦長?基地司令部は何と?」
「警戒任務にメサイアを回せ。その一点張りだ」
美夜は苦々しげに言った。
「基地司令はかなりの頑固者だ」
「哨戒ですか?」
「ミサイルの迎撃任務込みだ」
「ああ、それならメサイアは適任ですが―――」
副長はそこまで言ってようやく言葉の意味が理解出来た。
「つまり!」
「トラックに反応弾が撃ち込まれる公算大。近衛も協力願いたし」
「どうします?」
「明日には米艦隊も入る。敵の狙いはそこだろう―――水と食料、任務終了後の休養、その辺が交換条件かな」
「“鈴谷”からの条件は以上です」
「まぁ、妥当なところだろう」
碧の報告に有馬はお茶をすすりながら頷いた。
長期間の航海の後だ。
食料も限界だろうし、兵員を休養させたいというのは、艦長ならば当然の願いだ。
同じ船乗りという言葉は、海の男として飛行艦乗りには使いたくないにしても、思うところは一緒だなと、有馬はしみじみと思った。
「委細は承知したと伝えてほしい」
「はっ」
「海軍の下で近衛が動くなんてそうはないから、見物だろうなぁ」
司令部の窓の向こうには、接近する“鈴谷”がはっきりと見えていた。
「南国だぁ……」
目の前に広がるエメラルドグリーンの海。
抜けるような紺碧の空。
白い砂浜。
かなり見慣れてきた光景とはいえ、空で見るのと海で見るのでは少しは違う。
美奈代達は“鈴谷”の甲板で、そんな景色を珍しげに眺めていた。
陸上を行き交う人の姿まではっきりと見える所に停泊する船に乗っていながら……。
メサイア部隊に上陸許可は出ない。
二宮のその一言で、上陸の希望を破壊された彼女たちには、何も出来ないのだ。
「トラック産のパパイヤって美味しいんですよねぇ」
「私、椰子の実ジュース飲みたかった……」
皆、遊ぶより食べる方に気が向いている。
そんな彼女たちの目の前、“鈴谷”を発艦したTACが島に向かって移動していく。
中には半舷上陸を許可された乗組員達が詰まっている。
「船は行く行く煙は残る。残る煙がシャクの種……か」
美奈代はふと、そんな一節を口にした。
「何それ」
「昔の歌さ」
詳しくは知らない。と、美奈代は肩をすくめた。
「こんな所にいたのかっ!?」
振り向くと二宮がいた。
「ミーティングを行う!」
「は……反応弾、ですか?」
「そうだ」
甲板に海図を広げ、その周囲に美奈代達を座らせた二宮は頷いた。
「このトラックに明日、米艦隊が入港する」
「米軍が?」
美奈代は眉をひそめた。
「トラックに米艦隊が入った所を狙って反応弾で一網打尽……」
「その通りだ。中華帝国軍はその戦術をとるだろう」
「戦術っていうんですか?そんなの」
「勝てば正義だ」
「……で」
都築が訊ねた。
「俺達ゃどうするんです?黙って殺されろと?」
「部隊はトラック島の主要島に配置する。
東京の防空監視センターに加え、米国の軍事衛星も警戒には加わってくれる。
弾道ミサイルならすぐに落とせるが、問題は潜水艦発射型の巡航ミサイルだ。おそらく、敵はそっちで来る」
「有効射程は?」
「約1000キロ」
「ここからなら、グアムまでが捜索範囲ですよ?」
「そのために帝国軍が血眼になって潜水艦狩りをやってるんだ。トラック入港の対価は、そんな厄介ごとへの我々の参加だ。乗組員の、ひいては自分たちの飯を働いて確保する仕事。そう心得ろ」
数時間後
「まぁ、要するに、脅しに来たんですよ」
征龍改の操縦をオートに切り替えた牧野中尉が美奈代に言った。
「いい加減にしろ。さもないと怒るぞって」
「それって、中華帝国軍相手にですか?」
「当然。アメリカも危惧しているんですよ?」
「そうでしょうねぇ……あそこまで暴れたら」
「違いますよ。アメリカが危惧しているのは、インド洋方面をイギリスの独占状態に置くことなんです」
「イギリス?」
「そう。英国はこの状況下、かつての宗主国としてインド政府や周辺国の残党に武器や食料を供与するなど深くコミットしています。
わかります?
これを続けたら、もうインドは英国に大きな顔は出来ません。
英国にとってインド支援はいずれ来る「新たな時代の植民地争奪戦」に備えたインド洋側拠点確保の絶好のチャンスなんです。
地元への配慮を理由に今までしてなかったセイシェルやモーリシャスへの派兵に英国が踏み切って、その辺を制圧下においているのはそのせいですし」
「英国による人道的な意味でのインド支援ってワケじゃないんですね」
「残念ながら、国際社会はそんなに甘くありません。
人道なんて戦争の口実です。
崩壊状態のインドを再び植民地化するって方が納得出来ます。
とにかく、この方針に従った英国軍の増援がマダガスカル島に到達していますし、メサイアが加われば、あっちの戦況は一変するでしょう」
「そんな状況、中華帝国軍は意地でも避けたいでしょうね」
「ですね。反応弾を使用してでも阻止に動きたいでしょうけど、そんなことすれば、ラムリアース帝国とロシア帝国を刺激しかねません」
「連中が動けば」
「そうです」
牧野は頷いた。
「中華帝国軍は北側と西側両面から横腹を刺されます。そりゃもうグリグリと」
「なりませんかね」
「なって欲しいですけど―――中華帝国は我が国政府と比べ、外交、経済、すべての面でオツムがはるかに上です。そう簡単にボロは出さないでしょう」
「……」
「言っても仕方ないことですけどね。英国軍のインド派遣はいわば出来レースみたいなものですから、米国にとっても心配の種なんです。インド方面で英国が利権を伸ばせば、待っているのは米国の利権の喪失ですから」
「米国の利権をイギリスに奪われる?」
美奈代はようやくわかった気がした。
「その通り♪」
牧野はニコリと微笑んで答えた。
「無様に米国がオロオロしてる間に、ヨーロッパは利権欲しさに動きだしています。
彼等が中華帝国とぶつかって、東南アジア植民地化に成功すれば、中東から東南アジア一帯はヨーロッパ経済圏に組み込まれることになりますから、当然ですけど、アメリカは追い出されます。
それを阻止するためにアメリカは意地でも東南アジアで一定の地域を確保しておく必要がある。
特に、そこが戦略の要衝であればあるほど、確保する意味が増す。
そのためにはどうしても太平洋からインド洋に入るルートであるマラッカ辺りは避けて通れない選択肢になる」
「なら米国も」
美奈代は海図を見直した。
「マラッカを確保するためには、意地でもスマトラ島とマレー半島は押さえたい算段でしょうね」
「当然、中華帝国軍もそれは知っています。だからこそ、米軍とそれを支援する日本には、意地でも消えて欲しいんです。そのために反応弾を使うかも……そんな想定の元で動かされているんですよ。私達」
「イヤな話ですね……」
美奈代は自分の立場に立ち戻った。
せいぜいの救いは補給作業につきあわされなかった程度。
物資をバケツリレーの要領で運ぶのは、かなりキツい仕事だ。
太平洋上空1000メートル
もうすぐグアム島の防空圏内に入る。
「巡航ミサイルの有効射程が1000キロなら、そろそろ射程限界ですね」
すでに飛行を開始してから6時間近く。
全く何も変化がない。
「ええ。他の誰かが見つけてくれていれば良いんですが……」
牧野中尉がシートの下からコーヒーの缶を取り出した時だ。
ピピッ……ピピッ
「通信?」
牧野中尉はコーヒーのプルにかけた手を離し、通信を開いた。
「……え?」
「どうしました?」
「針路を変更してください」
「どうしたんです?」
「潜水艦が」
「はい?」
「沈んだみたいです」




