女はずる賢い生き物です
●“鈴谷”ハンガーデッキ
“鈴谷”を発艦したTACは、イギリス領“エジプト州”の州都カイロに向けて針路をとった。
搭乗するのは“伊吹”の生存者達。
その大半を占める候補生達の半数以上が“伊吹”戦没の恐怖から抜け出せず、帰国後の任官を辞退する意向を表明している。
―――選別する手間が省けた。
生き残った教官達はそう怒鳴っていたが、その肩を落とした様子を見る限り、かなり落胆しているのは確かだ。
「国境線まであと3分」
護衛として横を飛ぶ宗像騎から警告が入る。
漆黒の闇の中、TACの航行灯だけがはっきりと見える。
“鈴谷”はカイロには入らない。
イギリスへの入国許可をとりつけたのは、TACだけ。
しかも、遭難者の帰国支援という、訳ありでだ。
そんなことは美奈代達にとってはどうでもいい。
日本に帰れる。
美奈代達にあるのは、それだけだ。
同じ候補生なのに、皆、日本に帰る事が出来る。
任官を拒む事も出来る。
なら、私達は?
同じ地獄を味わった。
彼等は乗っていた船が沈んだだけ。
彼等はそこから生きて帰っただけ。
私達は?
妖魔とも戦った。
魔族軍とも戦った。
私達だって命がけで戦ったはずだ!
何故、私達は帰ることが出来ないんだ!?
……
美奈代達は、誰も口に出さないが内心では激しく苛立っていた。
生きて日本に帰れる。
任官も拒否出来る。
44期生をこれほど羨ましいと思ったことはなかった。
美奈代達が染谷達の離艦式に誰一人として参加しなかったのはそんな心境の現れだ。
二宮達、教官があえて参加を強制せず、自由参加としたのも、それがわかっていたからだろう。
強制的に参加させられ、44期生に日本に帰ることが出来るなんて騒がれたら、何をしでかしたか、美奈代だって考えたくもない。
何より、美奈代は染谷の横にいる女の子と関わりたくなかった。
女の子―――フィアだ。
調査のため、日本へ移送する。
その際の護衛を染谷が命じられたのだ。
当然、フィアと染谷は一緒に行動することになる。
妹程度の感情しかない。
染谷はそう言うが、美奈代は、それに納得はしていない。
フィアは、はっきり染谷に好意を寄せている。
あれほどの美少女に言い寄られて、男がどれ程耐えられるか。
美奈代は自分が嫌になるくらい、冷静にその辺りを分析してしまう。
TACの護衛に志願したのは、メサイアのコクピットに入っていれば二人を見ずに済むという、自他に対する言い逃れの口実が欲しかったからだ。
「“ウィスキー4”から“ツグミ”へ」
「こちら“ツグミ”」
「国境線が近い。我々はこの辺で離脱する。また迎えに来る」
「“ツグミ”より“ウィスキー4”。感謝する。帰還の際はよろしく頼む」
指定ポイントに達した宗像騎と美奈代騎は、速度を落とした。
目の前、10キロほど行けば国境線だ。
別に、本当に線が引かれているわけではない。
だが、遠ざかってくTACを見ると、そこに引かれているのは、44期と自分達の決定的な境界―――そんな気分になる。
「染谷はいいのか?」
「何が」
「愛してますとでも言っておけばよいものを」
「バカ」
美奈代は言った。
「人の甘い時間をぶっ潰しておいて、そのセリフか?」
「私はその場にいなかった。やったのは美晴達だろうが」
「ちっ」
「明後日には日本……か」
「帰りたいか?」
「和泉は?」
「……帰りたい」
「帰ったら何をしたい?」
「死ぬほど辛い盛岡冷麺を食べに行く」
「染谷の名前が出ないあたりが、お前の欠点だ」
宗像は喉の奥で笑った。
「宗像はどこの愛人のところへ行くつもりだ?」
「さぁな……国境警備隊と接触するといろいろうるさいことになる。反転して帰艦するぞ」
「了解」
この日。
“鈴谷”に、ようやく新たな指令が下った。
曰く―――
「インド洋を突破し、本国へ帰還せよ」
遠回しな自決命令下る。
美夜が艦長日記にそう書き残したのも無理はない。
中東のゲートがこの混乱で使えないのはわかる。
なら、せめてヨーロッパのゲートを使わせてくれてもいいじゃないか。
“鈴谷”の抱えているメサイア部隊は、まだ正規部隊に配属前の候補生が中心で、しかも、その数たるや両手の指でも余るんだぞ!?
輸送艦を改造しただけの飛行艦に、単独で敵が制海権と制空権を持つ空域を、そんな戦力だけで数週間かかって帰ってこいなど、命じる方がどうかしている!
美夜が激怒しようが、内容について問い合わせをかけようが、本国からの命令は変更されることはなかった。
その頃、日本本国でさえ、たかが軍艦一隻に関わっていられる状況ではなくなっていたのだ。
●鈴谷
「本当になんてことだろうな」
インド洋に侵入して既に数日が経過した“鈴谷”は、かなり低高度で航行を続けていた。
季節的な悪天候に覆われたことも幸いして、中華帝国軍に襲われるような不運はない。
その日は非番扱いされた美奈代に、昼飯の席、食堂で一緒になった二宮がハンバーグにかぶりつきながら言った。
その驚くべき健啖ぶりには、毎度感心させられる。
「本当ですね」
美奈代は、ニンジンをフォークで突きながら頷いた。
甘味が貴重な艦内生活。
甘く煮付けたニンジンは貴重な甘味にして、美奈代の隠れた楽しみだ。
「ん?いらないならもらうぞ」
「へっ?」
返事より先に、ひょいと伸びた二宮のフォークが、手の付けられていない美奈代のハンバーグを突き刺した。
「あ……あの」
「この戦いでメサイアがどう使われたか、興味深いな」
「は……はぁ」
上官に文句を言うことも出来ず、美奈代は災難だと割り切って、小さく切ったニンジンを口に運んだ。
「インド方面は、インド軍と英国軍が死に物狂いで防戦に務めているが、ニューデリーは昨日陥落した。
インドシナからインドネシア方面は完全に中華帝国の勢力下。奴らの暴虐を止めるには戦力が質、量共に足りん。
こうなったら、最後にはオーストラリアが英国と中華帝国とどっちに味方するか―――すべてはそこにかかっている」
「え?オーストラリアって英国連邦ですよね?」
「奴らの連邦加盟は有名無実も良いところだ。和泉はオーストラリアに行ったことはあるか?」
「いえ?」
美奈代は首を横に振った。
「自分はパスポートさえ持っていません」
「行かない方が良い」
二宮は頷いた。
「あからさまな対日民族差別が待っているぞ?人種差別に根ざした差別意識を持つ白人達と、民族意識に根ざした中華系双方のな」
「何ですか、それ。何で中国人が?」
二宮は何故か苦笑した。
「あの国は、英国連邦の中で、最も中華帝国の経済的“侵攻”を受け続けた国だ。
バカのように中華系移民を受け入れた挙げ句が、経済も政治も乗っ取られ、国内では英語より中国語の方が遙に通じる。
町を歩けば白人を捜すのに苦労する程だし、都市部にあるのは薄汚い中華街だけ。ああなれば実質的に中華帝国と呼んでも差し支えない」
「……はぁ」
「まあ、あの国がどうなろうが、日本にはそれ程の影響はない。地下資源から牛や羊まで、対日禁輸が元で日本との交易は観光以外、ほとんどないからな」
「対日禁輸政策、でしたっけ?」
「そうだ。オーストラリアの資源は日本ではなく中華帝国に売るべきだとなる」
「差別じゃないですか」
「差別だよ。オーストラリアの学校じゃ、日本人は人間じゃないと教えているし、国策として、はっきり教科書にもそう書かれている。
曰く、日本人とクジラはどっちが生命体として価値がありますか?
和泉なら、なんと答える?」
「そりゃ……」
唐突な質問に、美奈代は面食らった様子で答えた。
「日本人でしょう?我々は人間です」
「答えはクジラだ」
「はぁっ?」
「日本人はクジラより格下の存在。
生命体として格上の存在を食べる日本人は、生命体として異常だ。
そんな異常生命体が人間であるはずがない。
そんな所か」
「価値観云々より……なんですかそれは」
「去年、日本人の観光客が殺害された事件があった。食事の席で済まないが、知っておけ」
二宮はナイフを一度置いた。
「“日本人か?”そう確認した後、ツアー客めがけて散弾銃をぶっ放した。死者は確か30人程。バス一台分のツアー客全員が殺されるか、重傷を負った。中には幼児も多数含まれていた」
「……」
「重傷者は、搬送された病院で死亡―――死因は?」
「う、撃たれたから?」
「日本人と知った医者が施術を拒んだからさ」
「はぁっ?」
「私は人間専門の医者だ。そういう理由だ」
「……」
「逮捕された犯人と、医師は共に裁判にかけられた。
そして、二人は同じ事を言った。
“あいつら日本人は人間ではない。人間でない存在を殺しても、殺人になるのか?”
陪審員は全員が無罪判決―――二人は一躍国家的英雄に祭り上げられた。
それでも、外交問題を恐れる今の政権は、抗議すらしなかった」
「何故」
美奈代は怒りを覚えて訊ねた。
「国民が殺されたんですよ?しかも国家ぐるみの差別のせいで」
「もめ事が大嫌いなのよ。あのクソ共」
「……敵と判断したい気がしますね」
「同感だ。あいつらが英国につくか、中華につくか。それで戦局は大きく変わるのよね。中立なら、私達もインド洋からアラフラ海を経由して太平洋に出られるんだけど」
「横から殴られますよ」
「……となれば」
二宮は窓の外を見た。
窓の外のどんよりとした鉛色の空が自分たちの未来を暗示しているような、そんな気がした。
「マラッカの強行突破しかない」
「他にないんですか?こう、もっと穏便なヤツ」
「この荒天を避けて太平洋を目指したら、どっちにしても見つかるわよ。南極経由って意見もあったけど、食料や水の備蓄が足りないのよ。日本に戻るにしても、二週間は飲まず食わずになるわ」
「まるで」
美奈代はあきらめ顔で言った。
「死出の旅路につきあえと言われているとしか思えません」
「嫌か?」
「……」
美奈代は、一瞬、躊躇した後に答えた。
「私は軍人の端くれです。死ねと命じられれば死にますが」
「ん?」
「意義のある死を与えてくださるよう、お願いします」
「自らの死に意味があるかは自分次第。命令はきっかけに過ぎない―――違うか?」
「教官がそう仰るなら、そうと思います」
「話を戻す」
二宮は再び食事を始めた。
「お前が平野艦長の立場ならどうする?マラッカを通るか、別ルートを通るか」
「目的地は?」
「トラックだ。海軍の拠点がある太平洋上の島。現在の鈴谷がたどり着くことの出来る唯一にして最も近い受け入れ施設はそこにしかない」
「……インドネシアを抜ける事が出来れば、とりあえずは大丈夫だと」
「そうだ……な。そうなるかな?どっちにしても、一度見つかったら終わり。それだけは確かだ。輸送艦を改造しただけのオンボロ艦一つ、満足な装備も弾薬もない、半分壊れたメサイア部隊でマラッカを強行突破すればそれこそ、鴨がネギどころか、鍋にコンロまで背負っていくようなものだから」
「むしろ鉄火場にガソリン被って行くようなモノです。平野艦長はそんな状況で、“鈴谷”を、刃の上でダンスさせようとしているんですね……心中を察すると文句言うことも出来ない」
美奈代は、ため息一つ、窓の外を見た。
「……ん?」
「どうした?」
「……いえ」
美奈代は、そう答えながらも、窓から視線を外さない。
「天気が悪いなって……」
「サイクロンの季節だからな」
「……仮面ライダーの?」
「サイクロン号じゃない……お前、今、いくつだ本当に」
「二十歳前です」
「そっちの方がムカつくわね……マイフェアレディと聞いて、日産のZしか連想できなかったと聞いたが?」
「聞かないで下さい」
「染谷も苦労するだろうな」
「どうせ」
美奈代はふてくされた様子でそっぽを向いた。
「あの……何でしたっけ」
美奈代は、しばらく考えた後、ぼやくように言った。
「あのキャロライン洋子みたいな子」
「おま……だから、いくつだ」
「二十歳前です」
「フィアだ。フィア・ツヴォルフ」
「聞くだけで殺意を覚えさせるなんて、スゴい名前ですね」
「帰国してからでいい。耳鼻科に行け。それで?」
「はっ?」
「脱線しまくりだが、何か案はあるか?」
「……ああ」
美奈代は頷いた。
「忘れかけてましたけど……ちょっと失礼します」
美奈代はもう一度窓の外を見ると、席を立った。
「?」
怪訝そうにその動きを見守る二宮の前で、美奈代が歩いていったのは、新聞記事などが張り付けられている掲示板。
美奈代は、そこから一枚の紙を剥がすと、席に戻ってきた。
「失礼しました」
「掲示板のものを勝手にはがすな」
「すぐに戻しますよ―――これです」
美奈代がテーブルに広げたのは、天気予報の記事。
航行科の乗組員が作る艦内新聞の一つだ。
「天気がどうした?」
「サイクロン……要するに、台風が発生したんですよね?すぐ近くで」
「ええ。美夜―――平野艦長は、“鈴谷”を台風を避けるルートに乗せている」
「サイクロンは観測史上でも珍しい程、大きいって記事に書いてあったんで覚えていたんです」
「そうね。航行科長が言っていたけど、発生時点で並の台風を凌ぐっていうから、かなりじゃないの?」
「針路はインド洋からマラッカ方面へ」
「正確にはマレー半島を突っ切る動き」
二宮は記事を読みながら生返事をした。
「マラッカ方面の防空網は、台風で目つぶしが出来るんじゃないかって、平野艦長は期待している」
「……私の意見なんて必要ないじゃないですか」
「何が?」
「サイクロンを目つぶしにすれば防空網をかわせる。そこまで考えていらっしゃるなら、私の意見は不要だと思います」
「?」
二宮は訊ねた。
「ちょっと待って。サイクロンは確かにマレー半島を通過する。
でも、私達はマラッカ海峡を通過する。
ルートが違うでしょ?」
「……」
きょとん。とした顔になった美奈代は、それで自分と二宮の意見の違いを自覚した。
「……あの」
美奈代は怪訝そうに言った。
「どうして、マラッカ海峡を通過しなくちゃいけないんですか?」
「どうしてって。わかる?海峡通らなければ―――あっ」
「そう。“鈴谷”は、空を飛んでいるんですよ?」
「……で?」
「サイクロンの中に入るんです。サイクロンの激しい風雨が中華帝国の防空網を黙らせてくれます。我々の脅威は、その雨風だけ。操舵の腕前は、ハリケーンに負けるほどヤワじゃないでしょう?」
美奈代は、サイクロンの予想針路を指でなぞった。
「防空網がサイクロンで沈黙している間に、我々はマレー半島を悠々と通過。一気に南シナ海へ進行出来る」
「……成る程?」
二宮は楽しそうに頷いた。
「理論上は被害はなく、しかも直進する以上は最短コースだな」
「そうなります。南シナ海上の中華帝国の防空網という新しい脅威はありますが」
「その時はその時だ」
二宮は言った。
「インドシナ情勢はまだ混沌としている。警戒意識は内陸にこそ向いているはずだ。警戒機のレーダー監視は、メサイアの電波妨害で潰せばいい」
「……はぁ」
「よし。これは平野艦長に進言しよう。採用されたら、礼は後でする」
「頼みます」
「うん」
二宮は席を立った。
「ただ、もう少し」
「はい?」
「もう少し―――奇抜な意見が出るかと期待したのだが……意外と平凡な所に落ちたな」
「は?あの……意味がわかりませんが」
「そうか?」
二宮は楽しそうに笑った。
その顔を見た美奈代は、内心で二宮が何を考えているのかを悟った。
「まさかと思いますが」
「……何だ?」
「すでに平野艦長は、台風を利用した敵陣突破を想定されていたのでは」
「どうしてそう思う?」
「……リスクが高い作戦です。作戦を立案し、万一、失敗した場合、無謀な作戦を強制されたと、立案責任が問われ」
そこまで言いかけた美奈代は、ハッとなった。
「まさか!」
「ん?」
その時の二宮は、まるで、悪戯がバレるのを心待ちにする子供のようにさえ、美奈代には見えた。
「立案者が誰か別な者ならば、責任を他人になすりつけることが出来る―――それで!」
「悪く思うな?だが」
クックッ……。
二宮は喉で笑いながら言った。
「お前は本当に、楽しいヤツだ」
「ず……ズルイ!」
「こういうのが、大人のやり方だ。文句言われたくなければ、神様にでも祈っていてくれ。成功したら、メシ位はおごってやるわよ」




