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伊吹の最後 第一話

●飛行艦“伊吹”艦内。


 魔族軍主力部隊の撤退。

 その後のアフリカでの任務は、それまでが信じられない程、簡単だった。

 掃討すべき妖魔がいない。

 それを確認するだけでよかった。

 どこへでも飛べた。

 どこへでも行けた。


 安心して空を飛ぶことが、これほど楽しいものかと、偵察任務に出た候補生達は天にも昇るような気分だった。


 その気のゆるみこそが、悲劇の元凶となった。


 魔族軍は―――完全には撤退していなかったのだ。


「ご苦労だった」

 偵察任務が終了した。

 その日の午後、TACタクティカル・エア・カーゴに乗せられ、伊吹に送られた美奈代達は、久しぶりに他分隊の面々と再会、艦隊内で実施された作戦会議に参加した。

 会議はブリーフィングルームではなく、空いていた倉庫で行われた。

 美奈代達は全員、床に直に座っている。そして、平たい木箱を演壇代わりに、壁に貼り付けられた地図の前に教官達が立っている。

 その殺風景さが、むしろ戦場の近さを美奈代に教えてくれている。


「数度にわたる偵察の結果、敵の撤退が確認された」

 実戦部隊指揮官の西川少佐が壇上で地図を背に口を開いた。

 ひげ面の厳めしい、まるで昔の侍みたいだというのが、美奈代の印象だ。

「敵の意図は不明だが、我々の任務は果たしたと判断された。ご苦労だった」


 これで終わった。

 日本に帰れる。

 皆が、そう思った。


「本艦隊は明日早朝の定期訓練をもって作戦を終了、司令部の指示を待って日本に戻る。本日はその前祝いだ」


 その後はどんちゃん騒ぎとなった。

 とはいえ、戦闘艦艇で出来ることは限られている。

 参加者の大半が未成年ならなおさらだ。

 やっとのことで関係を修復したばかりの教官達は、候補生達をせめて楽しませたいという親心と、気を引き締めておきたい指揮官としての心理に板挟み。無礼講だと言いつつ、一人一人に声をかけ、激励する程度しか何も出来ない。

 候補生達も、思い思いの相手と話をするか、手拍子で軍歌の大合唱する程度。


 そんな建前は時間と共に吹き飛ぶ。


 せめて酒の味を知ってくれ。


 それが教官達の親心だ。

 とはいえ、全員が全員、その中で楽しんでいる訳ではない。

 特に男子候補生に知り合いがいるわけでもない美奈代は、壁際でジュースを片手にぼんやりと騒ぎが終わるのを待つだけだ。

 気がつけば、女子候補生の姿が見えない。

 その美奈代の視線の向こうには、酒の入った教官達の説教を受ける染谷の姿があった。

 逃げだそうとする度に別の教官に絡まれ、また逃げだそうとして―――。

 

 染谷候補生は人間関係で苦労するタイプかもしれない。


 美奈代はふと、そんなことを思った。

 自分が染谷と二人っきりになることを最初は心待ちにしていたが、どうも無理のようだ。せめて顔だけでも心に焼き付けておこう。そんなことを考え、自分の心に浮かんだ意外ないじらしさに、美奈代自身が驚いていた。


「まいったぁ」

 しばらくして、首のあたりをコキコキ鳴らしながらやってきたのはさつきだ。

「10人から告られた」

「ほう?」

「全部、それとなく断ったけど……」

 さつきは怪訝そうな顔をして、美奈代にそっと尋ねた。

「何人から告られた?」

「一人も」

「……さっすが」

 なにがさすがなのかわからないが、素直には喜べない。

「―――で?誰にOKを出したんだ?」

「誰が出すもんですか!」

「……もったいない」

「日本へ帰る前にヤらせてくれなんて、真顔で言われて断らないわけにいかないでしょう?」

「それ、告白か?」

「らしいよ?美晴もすごかったよ?ムネもませてくれとか何とか、本人大まじめなだけに笑うことも出来ず……交際宣言して逃げたけど」

 交際宣言。

 つまり、柏美晴が誰かとの交際を自分から宣言したことになる。

「か、柏が!?」

「そ。山崎君。前々から噂はあったんだけどさ?彼、性格いいからお似合いじゃない?」

「そ、そうか」

「宗像はオペレーターの女の子の用意した別室でハーレム状態だし」

 ふと、思い出したようにさつきは手を叩いた。

「皆……いろいろスゴいな」

「なに言ってるのよ!」

 さつきは美奈代の小脇を肘でついた。

「ちょっと待ってな」

 なぜか腕まくりしたさつきが談笑の輪の中に入っていく。

 絡まれるのはわかっているのに、さつきは足を止めずに入り込む。

 その先には染谷がいた。

 何を言っているかはわからない。

 たぶん、教官達から輪に入れ。とか、酌をしろと言われているに違いない。

 だが、軽く悪戯っぽい敬礼をしたさつきが何かを口にした途端―――



 おおっ!


 輪の中から歓声があがり、その視線が一斉にこちらを向いた。


「?」

 小首を傾げる美奈代は、なんだかイヤな予感がした。

「よしっ!行って来い染谷っ!」

「男になってこぉいっ!」

「くそぉっ!TACタクティカル・エア・カーゴ発艦は2時間後だ!さっさと済ませてこいよっ!?」

 染谷が輪から追い出されるようにしてこちらに歩いてくる。

 その背後からは冷やかしじみた口笛が一斉に響く。

 皆が何を冷やかしているのかはわかる。

 染谷と視線が合った途端―――


 美奈代はその場から逃げ出した。


 一体、どうやって“鈴谷すずや”に帰ったか覚えていない。

 何で逃げ出したのか。

 何が怖かったのか。

 なにもわからない。

 ただひたすら、とにかく眠ること。ひたすら眠ることだけを考えて、布団に潜り込んだことだけは覚えている。

 夜明け前の午前4時、起床を命じるサイレンにたたき起こされた美奈代は、身支度を整え、食堂に向かった。

 すでに宗像達が食事にかかっていた。

 元来狭い食堂だ。空いている席を見つけるだけでいつもながら苦労する。

 やっと見つけた席に座る。

 食事は消化のいい、軽めのものを選んだ。

「いい選択だ。新兵」

 斜め前に座って食事をとっていた老軍医が言った。

はらわたがやられた時、メシが残っていると大変なことになる。出撃前は軽く抑えておくもんだ」

「ありがとうございます」と礼を述べると、食べるというより飲み込むといった方が正しいような食事を済ませ、さっさと席を立った。

 最後のメシがこれじゃぁね。

 食堂から出た所で苦笑してしまう。



 まぁ、いい。


 日本に戻れば盛岡冷麺も食べられるだろう。

 それだけが希望だ。

 女の子としてはどうかと思うけど、でもそれでいいと、美奈代は自分に言い聞かせた。


 その針路に悪夢が潜んでいることを、知るすべもないまま、美奈代は眠りについた。



 ●アフリカ上空 魔族軍飛行艦“メルストロム”

 あと少しで夜が明ける時間。

 アフリカ大陸の闇の中を航行する一隻の飛行艦があった。

 航行灯をつけずに飛行する以上、単なる商船の類いではない。

「タイミングが悪すぎるな」

 その艦、“メルストロム”の艦長、カーナボンは、苦虫をかみ殺したような顔で外を眺めていた。

 激しい砂嵐のせいで視界が十分にとれない。

 だが、この砂嵐のおかげで、人類の目から逃れているのもまた事実だ。


 人類同士が戦争状態になったおかげで、国境線の警戒が恐ろしく厳重になったせいで、それまでなら遊び半分で出来た、飛行艦でのヨーロッパ大陸侵入自体が困難になってしまった。

 しかし、ヨーロッパ大陸から外に“鍵”を持ち出すためにも、カーナボンの艦はどうしても必要だった。

 提示された高額な報奨金がリスクに見合うだけの額でなければ、カーナボンは仕事を引き受けなかったろう。

 “鍵”がなんだろうと知ったことか。

 俺は報償が欲しいだけだ。

 それが、カーナボンの言い分だ。

 伝説になるだろう。

 そう、彼自身が自負する程の綿密な計画の結果、“鍵”は無事にヨーロッパ大陸から持ち出すことが出来た。

 アフリカに入り込めば、後は楽だ。

 そのはずだったのに、アフリカに入った途端、目的地が指定と変わった。


 アフリカの拠点は全て放棄。


 目的地は極東、弓状列島。


 詐欺だ。


 そう思った。

 

 だが、目的地まで運ぶ。

 それが、どこだろうと。

 それが、彼の仕事だ。

 ビジネスパーソンらしく、ユギオは納期をしっかりと指定している。

 納期に遅れることは彼の社会的信頼にかかわる。

「―――まぁ、いい」

 そう、自らを慰めるしかない。

「“鍵”はあるのだ。これで―――人類は終わりだ」

「艦長」

 観測要員が報告したのは、エチオピア高原を抜けるかどうかの頃だった。

「前方に人類の飛行艦らしき反応。数3」

「何?」

「電波を感知。向こうはメースを発艦させようとしています!」

 探知されても逃げようと思えば出来る。

 カーナボンは、魔族同士の艦隊戦を想定して事態の把握と対処にかかった。

 問題は、メースだ。

 メース相手に飛行艦は沈むしかない。

 なら、どうする?

「メースは何騎出た?」

「やや小型の艦から7騎。大型艦はまだ、甲板上と思われます」

「よしっ!」

 知らずにガッツポーズをとった。

「艦隊戦用意っ!主砲っ!すぐにそいつを仕留めろっ!」

 夜明けが刻一刻と近づく中、“メルストロム”の艦内に警報が鳴り響いた。




 美奈代がハンガーデッキに入ったのは4時30分。

 “メルストロム”が“鈴谷すずや”達を発見する30分前。

 デッキ脇の黒板前に集合した皆は、昨晩のことは一切口にしない。

 神妙な顔つきのまま、恐ろしく無言で、ただ、二宮の言葉を懸命に覚え、メモをとることに集中する。

 そこで聞かされたのは、予定の変更。

 第七分隊が先に発艦を済ませ、“伊吹”からの他部隊の発艦完了までの直援任務につくというものだ。

 何でも、伊吹の第一カタパルトの電圧が上がらず、発艦がいつ止まるかわからないという。


 アフリカを横断してヨーロッパ大陸に入るための、警戒任務。


 ただ飛んでいるだけで済むようなものだと、皆が聞かされていた。


 その最初で“伊吹”が故障したことは、後々になって考えても、災厄の“前触れ”だった。


 美奈代達はそのおかげで1時間近く早く発艦を開始。


 全騎が艦隊の全周囲警戒ポジションについた。


 美奈代がついた警戒位置は、艦の右斜め後ろ方の上。

 艦隊全部が俯瞰出来る場所だった。

 左上には二宮騎。そして、艦を挟んで真下に長野騎が見える。


「二宮騎より第七分隊全騎―――さらに悪い知らせだ」


 ランプが点灯する“伊吹”のカタパルトから発艦するメサイアがいないことを怪訝に思っていた美奈代達に、二宮から知らせが入った。


「“伊吹”カタパルトが完全に故障。復旧のめどは立たない。繰り返す」

「……何それ」

 美奈代は思わず顔をしかめてしまった。

 これから大仕事だというのに、その初っぱなで大きなケチがついた。

 縁起が悪いにも程がある。


 すでにソマリアの海岸が近づきつつある。


 沿岸の様子がはっきりとわかる。


 何故、アデン湾を通らないのだろう。

 美奈代がそう思った。

 その耳には通信がひっきりなしに入ってくる。


「15分後に自律発艦が開始される。第七分隊全騎は―――」


 ブンッ!!


「えっ?」

 幾重にも保護されているメサイアの目を通じてさえ、世界が真っ白になった程、強い光が走ったのはその時だ。


 美奈代は最初、それが艦砲射撃の光だと思った。

 “沖波”や“鈴谷すずや”が艦砲射撃を開始したのだと、本気でそう思った。


 だが―――。


「た、隊長っ!?」

「な、何が!?」

「どこだ!?どこからの攻撃だ!?」

「“鈴谷すずや”、“鈴谷すずや”応答しろ!」

 思わず目を腕で覆った美奈代の耳に届くのは、悲鳴に近い仲間の声。

 そして、連続する鈍く粘っこい音。


 開かれた目に映し出されたのは、美奈代が見たことのない光景だった。


 美奈代はそれが最初、何かさえわからなかった。

 何が起きているのかわからなかった。


 巨大な松明か、子供の時見た火事の現場。


 一番近いのはそんな光景だ。


 まさか、飛行艦が撃沈された光景だなんて、理解さえ出来なかった。

 そんな美奈代の目の前で、紅蓮の炎と黒煙を吐き出しながらゆっくりと高度を落としていくのは、“伊吹”だ。


「……えっ?」

 艦のあちこちで連続した爆発を引き起こしながら、ゆっくりと高度を落としていく。

「……」

 耳には、爆発音に混じって仲間達や上官達の命令や交信がひっきりなしに響いているはずなのに、何一つ耳に入らない。

 美奈代はバカのようにぼんやりと飛行を続けた。


 ガクンッ!


 思わず舌をかみそうになったのは、一体、どれほどの時間が経過した後だったろう。

 首が痛くなったほどの衝撃を受け、美奈代は我に返った。

「ぼっとしているな!」

 いつの間にか、長野騎がびっくりするほど間近に現れていた。

 艦の真下にいた彼が美奈代騎を発見、高度を上げたのだ。

「何をしているか!」

「す、すみませ―――」

 その時、全身を炎にまかれ、まるで踊り狂うかのように甲板に現れた乗組員達が、次々と舷側を乗り越え、そして“不可視の海”へと落ちていくのを、美奈代は目の当たりにした。

 炎に包まれた人間の体が、体をバラバラにされた次の瞬間、塵になって消えた。

 艦の構造物も、人間も、何もかもが“不可視の海”で原始単位に分解されているのだ。

 何が目の前で起きたか理解した美奈代は、胃袋の中身が逆流してくるのを必死になって抑えた。

「伊吹が……沈む」

 長野が感情の少ない声で言った。

「今の進路だと、艦を海岸にでも座礁させるつもりだろう」

「“沖波”はどうしたんです!何で支援砲撃が!」

 美奈代は目の前の光景から逃れるように怒鳴った。

「これじゃあ作戦は!」

「さっき、真っ二つに折れて沈んだよ」

「他の分隊は!?第一分隊は!」

「“伊吹”から発艦出来た騎を確認したか!?」

「うっ」

 燃えさかる“伊吹”が、よろめきながら海岸線に向かって進む。

 短く呼吸を整えた後、美奈代は死に逝く艦に、小さく敬礼した。

 やっと、通信機の言葉に耳を傾ける余裕が生まれたのは、その時からだ。

「こちら“鈴谷すずや”。艦隊司令部権限、我にあり」

「“鈴谷すずや”司令部より残存メサイア部隊。残存するメサイア部隊は海岸へ向かい、海岸線を確保せよ。繰り返す」

「む、無茶よ!」

 さつきが悲鳴に近い声を上げた。

「たったこんだけの頭数で何が出来るって!?」

「文句を言うなっ!」

 二宮が怒鳴った。

「これ以上ぶーたれたら、敵前逃亡罪で銃殺だぞ!」

「そ、そんな無茶なっ!」

「無茶をやるのが軍隊だ!」

 二宮騎が大きくシールドを前後に振った。

 前進の合図だ。

「高度を下げろっ!さっきの攻撃がまた来るぞ!」

「“鈴谷すずや”からの艦砲支援は!?」

「“鈴谷すずや”は高度を下げて後退する!全騎、敵艦を仕留めるっ!続けっ!」




「飛行艦2隻撃沈を確認!」

 ワッ!

 “メルストロム”司令部に歓声が上がる。

「よしっ!最大戦闘速度準備っ!このまま逃げるぞ!」

「メサイアからの電波、本艦を照射!」

「見つかった!?早すぎるぞ!」


「いたっ!」

 超音速突撃をかけた美奈代達の前に、見たことのないデザインの飛行艦が現れた。

 空を飛ぶ流線型のボディは、かなり美しい部類に入ると思う。

「教官、攻撃許可を!」

「無礼講だ!嬲り殺せっ!」

 二宮が殺気だった声を張り上げた。

「教官の弔い合戦だ!」

 その声と共に、二宮騎から120ミリ砲弾が放たれた。


 ズンッ!

 

 加速を開始したのがまずかった。

 “メルストロム”はそういう意味では不幸な艦だった。

 最初に命中した120ミリ砲弾の破孔に加速による合成風力が加わり、船体の火災による被害を悪化させた。

 そこに接近するメース達から容赦なく放たれる砲弾が次々と命中。

 一瞬にして“メルストロム”は炎に包まれ、そして、落下していった。


「敵艦、沈みますっ!」

 美晴は、煙を上げて敵艦が大地へと落下していくのを確かに見た。

 大きな狼煙をゆっくりと地面に下ろしているような、そんな錯覚さえ覚えた。

「……墜落地点、タナ湖湖畔っ!」

 その報告と同時に、地面に墜落した“メルストロム”は最後の断末魔と共に、船体を爆発させた。



「撃沈を確認っ!」

 あまりのあっけなさに驚きながら、美奈代は声を挙げた。

「教官!?指示を!」


「全騎、続け」

 二宮騎が降下を開始した。

「せめて、どこの国籍か。それだけでも調べるぞ」



 「部隊を分ける。和泉と宗像は私と残れ。長野大尉は残りを連れて“鈴谷すずや”へ。帰る所が沈んだら洒落にもならん」


「了解」


「まず、生存者を捜せ。それが最初だ。それから、国籍の判断につながりそうな物資を。火災がひどい。急げ」


 あちこちに散らばった破片で、地面が見えない。

 何が何だか破片一つ見てもわからない。


 それはまさに、地獄のような光景だった。


 こんな所にいたくない。


 美奈代は本気でそう思う。



「被害は甚大どころではないが……な」


 そうだ。


「墜落現場ってのは……こういうものか」


「山の向こうでは」

 牧野中尉が言った。

「“伊吹”が似たような光景を曝しているでしょうね。でも」


「どうしました?」


「これ……この艦はヘンです」


「え?」


「こんなレーダーを通さない物質が山ほど使われた艦なんて、見たことありません」


「レーダーを通さない?」


「ええ。こんな特殊素材で作る理由は?どうして、この艦が“伊吹”を?」



「……」


 “伊吹”は沈んだ。


 一体、どれだけの人が死んだのか想像さえ出来ない。

 山の向こうに消えた伊吹の中で、あの燃えさかる艦の中で、一体、何人死んだのだろう。

 美奈代は、伊吹のデータを開こうとして指を止めた。

 そんなことして、何の意味がある?

 死者の数を数えることに、何の意味がある?

 その問いかけに、答えられない。


 ただ、美奈代にとって、一生この戦いがついて回ることだけは、心のどこかでわかっているのだ。


 これは、美奈代達にとって初陣だ。 


 美奈代達第七分隊は、初陣で任務を達成した。


 任務が戦いなら、勝利したのだ。


 ただ、それはあくまで建前にすぎない。


 肝心の美奈代にあるのは虚無感だけだ。


 これが初陣で、しかも初勝利だと言われても、何の実感も沸かない。


 ぽっかりと、心に穴でも空いたような、言いようのない感覚だけが心を支配する。


「マスター、どうしたの?」

 精霊体の“さくら”が、心配そうな視線を向けてくる。

 こんな小さい子にまで心配させたくないと、無理に笑ってみたが、うまく笑えた自信はない。


「二宮より部隊宛伝達」

 二宮から通信が入った。

「現在、総司令部に対し事後の指示を仰いでいる所だ。それまで、我々はこの場を動けない」

「宗像です。洋上への待避は?」

「選択肢ではあるが、宗像。忘れるな?敵が水中型メサイアを保有していることを」

「―――っ」

「洋上も必ずしも安全ではないということさ。“鈴谷すずや”のセンサーなら感知は出来るが、逃げられることまで保証しない。いいか?全騎。言いたいことはあるだろう。やりたいこともあるだろう。だが、今は動くなと命令が出ている。軍隊での命令の意味を一々口にさせるな」


「……くっ」

 美奈代は目をつむった。

 皆、補給が終わり次第、何がしたいのかと聞かれれば、やりたいことは一つしかないのだ。

 一瞬でも早く。

 一歩でも先に。

 “伊吹”に救援へ!

 そうすれば―――

 そうでなければ、

 助かる命も助からない!


 なにより、助けにいけない自分が悔しい。


 ガンッ!


 それは、そんな美奈代の焦りが生み出したミスだった。


 半ば砕けた艦の構造物の端に、脚部装甲をぶつけた。

 しまった。

 そう思った時には、構造物は蹴り上げられたように宙を舞った。

 そして、派手なバウンドを見せて大地を転がった。


 教官に怒られるな。


 美奈代が言い訳を考え出した途端だ。


「生存者っ!」

 牧野中尉が緊張した声をあげた。

「人間の反応1―――生きてますっ!」



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