アラベスシティ解放戦
グガンッ!
鈍い音がして、グレイファントムが真っ二つに叩き斬られ、残骸が宙を舞った。
「―――えっ?」
唖然とする騎士は、いつの間にか、自分の前に立ちはだかっていた、巨大なメサイアに初めて気付いた。
漆黒の甲冑に包まれた騎体は、彼が知るどんなメサイアとも合致しなかった。
同型の騎体が、別なグレイファントムをたった一撃でなぎ倒したのを、彼は確かに見た。
「そこの騎士」
部隊の誰でもない、野太い声が通信装置に響いた。
「ここは引き受けた。生存者を確保して後退しろ」
「だ、誰だ!?所属は!?」
「所属は証せないが、少なくとも敵ではない」
「……っ!」
彼は息を飲むと、怒鳴るように言った。
「とにかく、感謝する!」
「戦線は圧倒的に米軍有利です」
そりゃそうだろう。
美奈代は思った。
中華帝国軍は撤退中。つまり、戦闘より後退を優先している。これで米軍が不利といったら、一体、米軍は使い物になるんだろうか?
「それで?」
美奈代は訊ねた。
「ドイツ軍と合流して、アラベスシティの解放に参加するんですけど、アラベスシティって、ご存じですか?」
「いえ」
「ヒューストン郊外の閑静な農村です。古いヨーロッパ調の町並みに、広大な綿花畑が楽しめますよ?」
「そんな所に中華帝国軍が?」
「東海岸向けの大規模物資集積基地がありました。また、メサイア部隊がここを合流ポイントに指定している模様。ここを叩く意義は大きいですよ?」
「……成る程?」
「陥落したばかりとはいえ、ヒューストンを通過します。市内見物は楽しめますよ」
「……そういえば」
美奈代がポツリと呟いた。
「月城大尉が、楽しみにしてたんですよね。ヒューストン、行けたらいいなって」
「へぇ?」
「全国葬儀史博物館が見たかったらしくて」
「……は?」
「葬儀業界の博物館、だそうで……月城大尉曰く、“聖地”なんだそうですけど」
「よく分からない人ですね。あの人も」
「ホントに」
「……ルート上でミニッツ・メイド・パーク上空を通過します。空からの見物くらいは許されますよ?」
「楽しみにしていいんですか?」
「ドイツ軍の新型と一緒にご堪能下さい♪」
ドイツ軍の新型。
それが、フォイルナー少佐達の乗騎だと知ったのは、ドイツ軍とヒューストン郊外でドイツ軍と合流してからだった。
すでに西海岸方面の部隊は撤退を開始しており、敵とみなす程の脅威はないというのが、ドイツ軍の判断だった。
“ヴィーグリーズ”
そう呼ばれる純白と漆黒の2騎は、デュミナス達に囲まれていると、まるで司祭に囲まれた王侯のような気品さえ感じてしまう。
「不思議な騎ですね」
ドイツ軍の後方で編隊を組んだ美奈代は、合流時点で見たヴィーグリーズをそう評した。
「何だか、初めて“D-SEED”を見た時を思い出します」
「元はマラネリの国王専用騎をベースにしたらしいですよ?」
「王侯専用騎ってことですか?それであの気品ですか」
「それにしても、ヴィーグリーズとは随分派手な名前を付けたものです」
「何ですか?それ」
「北欧神話で、神々と巨人との最終決戦が行われる場所とされているのがヴィーグリーズです」
「日本で言ったら関ヶ原?」
「神様同士の戦いですから、そういう表現もちょっと……」
「うーん。そういうものではないのですか?」
「随分、違う気がしますけど」
牧野中尉は言った。
「“死乃天使”や“白雷改”程じゃないにしても、ヨーロッパ初の精霊体搭載型、しかもデュアルエンジンが生み出すハイパワーは侮れませんよ?扱う騎士はあの二人ですし」
「戦場で敵にならないよう、気をつけましょう」
ヒューストン上空を飛行する美奈代達は、市街地が思ったより破壊されていないことに少なからず驚いていた。
観光雑誌などで見た通りの、下手すれば東京なんてくらべ者にならない位、整然とした美しい町並みが目を楽しませてくれる。
「中華帝国軍に占領されていたっていうから」
涼はポツリと言った。
「どんだけ略奪されたんだろうと心配だったんですけど、安心しました」
「トヨタセンターからミニッツ・メイド・パーク上空に出ます。現在、高度350」
「低すぎませんか?」
「これ位でいいんです。ドイツ軍なんて200ですよ?」
「何でそんなに低く飛ぶんですか?」
「今、スタジアムはオールスターゲームの最中ですからね。観客へのサービスでしょう」
「……ピースサインでも出してあげましょうか?」
世界で3番目の開閉式屋根付き天然芝野球専用球場上空を通過した時、
信じられない。
それが美奈代の感想だった。
戦争の真っ直中で野球を見物している連中の神経がわからない。
観客がこちらを眺めて大はしゃぎしている姿は、モニターで手に取るようにわかった。
つい昨日まで敵の占領下にあった反動とでも言うんだろうか?
大騒ぎだ。
別に、彼等が悪いとは言わない。
ただ、美奈代にとって戦場であるこの世界で、コーラ片手に、出撃していく自分達へ手を振ってくる観客に対して沸き上がった感情は、うれしさではなく、何かドス黒くて表現に困るようなものだった。
平和な都市を飛ぶより、郊外に抜けて敵を見つけた時、ほっとしている自分に、美奈代は最後まで気付けなかった。
アラベスシティ解放戦において、ドイツ軍が右翼から。美奈代達が左翼から攻める手はずになっていた。
ドイツ軍が右翼を攻めることに、別に意味があったとは思えない。
フォイルナー少佐が、この事を知った上で、美奈代達に押しつけたとは考えたくない。
でも、こうなると、どうしてもそれを疑いたくなる。
「敵騎、30以上!」
「どうしてこんなに!?しかもっ!」
祷子と共に上空から敵陣深くに斬り込んだ美奈代は“死乃天使”を急速後退させるしかなかった。
敵騎は群になって自分達を追いかけてくる。
膨れあがった蛭のような頭部は、一度対峙したら、二度と忘れられない相手であることを示していた。
中華帝国軍の無人メサイア―――飛鼠だ。
「ドイツ軍の方は?」
「反応からして赤兎部隊―――多分、こいつらのお守りをしていた部隊かと」
「こんなの詐欺だぁ!」
「言ってる場合ですか?」
ブースターを全開にして追いすがってきた飛鼠の胴体に風穴が開いた。
「お姉さまっ!」
「涼っ!?助かった!」
「お礼はベッドで!」
涼は怒鳴った。
「敵をそのまま誘ってください。こいつら、空中機動性が悪すぎ!」
「空中機動性?……わかった!」
美奈代はブースター推力を落として地上へと降りた。
飛鼠達は、上空から草刈鎌のような武器を振りかざしながら“死乃天使”めがけて襲いかかってくる。
「―――そこっ!」
一番最初の敵の鎌が振り下ろされる直前、美奈代は“死乃天使”のブースターを開き、再び空に舞い上がった。
爆発音が響き渡り、それまで死の天使がいた辺りは火の海と化した。
数騎の飛鼠が、海の中へ飛び込んで、そのまま消えていった。
「何っ!?」
下から襲ってきた熱風に驚いた美奈代が目を見開いた。
「何が!?」
「狙撃隊からの投擲爆弾攻撃です」
牧野中尉が答えた。
「ハイパーナパームのカクテル弾の爆発―――巻き込まれたらアウトでした」
「涼のヤツ、タイミングずれたらどうするつもりだったんだ?」
「本人に聞いて下さい。今晩、お楽しみでしょう?」
「っていうか!」
美奈代は、小型化した斬艦刀である“太刀”を抜刀。
居合い抜きの一撃で追いすがってきた飛鼠を真っ二つに切り裂いた。
ブースターによるジャンプが限界高度に達し、“死乃天使”が重力に捕まる。
自由落下のGを体に感じつつ、左手に構えたビームライフルで上空から襲い来る2騎を仕留めた。
その爆発を突き抜けるように、美奈代は“死乃天使”を着地寸前で再上昇に入れた。
「バッタじゃないんだから!」
急上昇と急降下を続ける“死乃天使”は、普通の戦場なら格好のマトだ。
こんなことをもうこれ以上続けるつもりは、美奈代にはなかった。
「涼、狙えるヤツは片っ端からつぶせ!天儀、敵の後方に出るぞ!柏、山崎達と前に出られるか?」
「後方に出て引きつけてください。そのタイミングで前進、掃射します」
「……そうだな」
美奈代は顔をしかめるしかなかった。
宗像と月城大尉。
二人が抜けた穴が大きすぎる。
柏達の技量はあなどれないものがあるが、たった3騎では危険すぎる。
下手に前に出すと孤立して全滅する恐れさえある。
5騎でワンセットというべき白雷隊が機能不全に陥っていることは、こういう時に痛感するどころではない。
2騎分の負担が全員に通常の数倍の負担となってのしかかってくる。
斬り込み隊が敵陣を攪乱する間に、前衛が突撃。狙撃隊が撃ち漏らしを始末するという、部隊が得意としていた戦法が、もう使えなくなりつつあることを、美奈代は痛感していた。
美奈代は太刀を鞘に戻すと、太股にマウントしてあった散弾砲を引き抜いた。
狙撃隊や美晴達に狙いを定めた飛鼠達の背後に降り立った美奈代達は、散弾砲を容赦なく発砲。
元来、装甲が皆無に等しい飛鼠は、散弾に騎体を引きちぎられて宙を舞った。
12発のドラムマガジン一本を、背中を向けたままの飛鼠達めがけて発射し終えた2騎は、反撃が来る前にその場を離脱。
前の敵を始末するべきか、後ろに出現した敵に対処すべきか。
その判断に躊躇した飛鼠達を次に襲いかかってきたのは、前進してきた美晴達の広域火焔掃射装置から放たれた炎の嵐だった。
「一方的な戦い―――そう呼ぶべきだな」
中華帝国軍の補給基地に米陸軍の歩兵隊が入った時点で勝敗は決した。
損害皆無。
中華帝国軍メサイア隊は全滅。
フォイルナー少佐は、集結した日独の騎士達の前で言った。
「満足すべき戦果だ。特に和泉大尉以下、日本側の協力には感謝する」
「恐縮です」
美奈代は極めて平静を保って敬礼した。
「―――地元住民が歓迎の準備をしてくれているが、どうする?」
「……」
その唐突な申し出に、美奈代は一瞬だけ躊躇した。
そんなこと、後藤からは何も聞いていない。
チラリと部下を見る。
芳や有珠達は、目をランランとさせている。
出されるだろうご馳走に期待しているのだろうが、
「やめておきましょう」
美奈代は答えた。
「……何故?」
「私達はアジア人です」
いぶかるフォイルナー少佐に、美奈代は自分の肌に触れて見せた。
「黄色い猿に助けられたなんて、地元住民の自尊心が許さないでしょう」
「……」
「この期に及んでもめ事は御免被ります。我々の分まで歓待をお楽しみ下さい」
●“鈴谷”食堂
「ぶぅぅぅぅっっ」
食堂の一角で、そんな声が響いた。
「和泉大尉はやっぱり鬼だぁ」
頬を膨らませた有珠と芳だ。
「今頃、ドイツの人達、おいしいもの食べてるはずなのにぃ」
「文句言わないの」
美晴が窘めるように言った。
「あんたね。人種差別のマトにされて殺されたい?」
「私達、中国人じゃないですよぉ?」
「じゃ、あんた。ドイツ人とアメリカ人の区別がつく?」
「つきますよ」
「へえ?どうやって?」
「相手が黒人だったらアメリカ人」
「ドイツにも黒人はいるわよ」
「そうなんですか?じゃあ、ドイツ語喋れたら」
「アメリカにドイツ系が何千万いると思ってるの?あんた、すっごい問題発言してるって気付いてる?」
「さっすが、柏中尉は頭いいですねぇ」
「どんな理由でも、おいしいものが食べたかったですよぉ。ステーキとかぁ」
「アメリカ人の作った料理なんて、ロクなものないですよ?私、カリフォルニアに中学時代留学して、一週間で味覚壊れましたから」
「……そんなにヒドいんですか?」
「少なくとも、高カロリーで太るのは確かです」
●“鈴谷”艦長室
「報告は受けている」
美奈代を前に美夜は言った。
「地元住民からの歓迎を謝辞したそうだな」
「はい」
「人種差別を懸念したとも聞くが?」
「その通りです」
「よい判断だ」
美夜は、満足そうに頷いた。
「二宮大佐が聞いたら喜ぶだろうな。よく育った」
「恐縮です」
「……で?」
美奈代は、美夜の横に立つ後藤の顔をチラリと見た。
「後藤隊長から話は聞いているが、頼み事というのは、このことか?」
美夜がデスクに置いたのは、一枚の書類だった。
「騎士補充の要請……しかも、都築と早瀬を指名で?」
「この頭数では限界です」
「わかっている。しかし、何故、あいつらなんだ?」
「部隊のクセがわかっています」
「悪癖の間違いだろう」
「プラス・マイナスを問わずに分かっている方が、連携が取りやすいんです。今から一々、部隊のクセを分からせていたら、命がいくつあっても足りません」
「命とは、新入りのことか?」
「私達のです」
美奈代は言った。
「正直、鵜来少尉でさえもてあましているのが現実です。技量は悪くないんですが、いまいち、美晴……じゃない、柏中尉達と連携が取りづらくて」
「部下に関して泣き言が出るとは……成長したな」
クックッと、美夜は喉で笑った。
その眼が嬉しそうに見えたのは、勘違いだろうかと美奈代はふと思った。
「検討しておこう。今はそうとしか言えない」
「……前線指揮官として、現状戦力でのこれ以上の戦線投入は」
「その泣き言は聞かない」
美夜はぴしゃりと言い切った。
美奈代としては補足のつもりだったが、美夜には泣き言とみなされてしまったのが、美奈代には少し悔しかった。
「米中の戦闘の趨勢が決したことから、我々は明日の日付変更をもって北米から撤退を開始する。それは事実として認めよう」
「……」
戦場から撤退。
これは兵士からすれば嬉しいことだ。
何しろ、少なくとも戦わずに済むのだから。
だが、それを語る美夜の口調は決して楽しげではない。
美奈代は、そこが気になった。
「全ては……戻ってからが問題だ」
ふうっ。
美夜の口から漏れたため息の原因は、美奈代には容易に察しが付いた。
「月城大尉達のことですか?」
「戦場で騎士が脱走。しかも二名が同時に―――前代未聞の大失態だ。指揮官として処分は避けられないぞ?私も、後藤さんも、そしてお前も」
「私は……別に」
美奈代は言った。
「指揮官資格剥奪されても」
「他部隊への左遷の可能性だってあるんだぞ?」
「うっ」
「辞表が通じると思うな?部隊がバラバラになって、挙げ句がお気に入りの“死乃天使”専属騎士の地位まで追われる原因になるかもしれない。今更、“幻龍”に耐えられるか?それでいいのか?」
「それは―――困ります」
「だろうが……」
美夜は頷くと、席から立ち上がった。
「責任者は責任をとるために存在する。少なくとも、私達、中堅以下の責任者とはそういうものだ」
「で、では?」
「本来なら、現有戦力で目立つ戦果があと一押し欲しい所だ。戦争の趨勢を変えるくらいのな」
「そんな無茶な」
美奈代はあきれ顔で言った。
「戦争はすでに中華帝国軍の撤退が決しています。そこで何をしろと?」
「無茶で非常識だとわかってはいる」
美夜は、やや苛立った声で答えた。
「だが、二人が脱走した事の処理が難しい。二人が抜けた後の交戦はわずか二回……ドイツ軍と共同というのが痛い」
「……」
何を言っているんだ?この人は。
美奈代はそう思った。
私達は命がけで戦ったんだ。それを、そんな風に評価するなんて!
「二人が抜けて苦労していますという説得材料には十分だろうが……」
「……」
美奈代は、考え込む美夜の横顔を見つめているうちに、美夜が何を考えているのかを悟った。
「艦長は」
「ん?」
「脱走者を出した失態を、戦果で帳消しにしたいとお考えなのでは?」
「そうだ」
美夜はあくびれもせずに答えた。
「私は、仲間を見殺しにした裏切り者のために跳ねられる首なぞ持っていない」
「っ!」
「いいか?ここは仲良し学級じゃない。官僚組織が前提の社会だ。軍法会議は、友達を庇って褒められる学級会とはワケが違う。宗像を庇って、銃殺台に立ちたいか?ヤツが、それで喜ぶと思うか?」
「そ、それは」
「もう少し、中華帝国軍には粘って欲しかったな」
美奈代の横に立った美夜は、まるで耳元に囁くように言った。
「ドイツ軍の精鋭部隊さえ出し抜いて、崩壊の危機を迎えた戦局をお前達だけ支えててくれた。そんな戦果が」
ポンッ
美夜は、美奈代の肩に手を置いた。
「実は、米軍の情報が入っている」
「はっ?」
美奈代は、心底イヤな予感がした。
背筋が寒くなったなんてものじゃない。
美夜に触れられただけで総毛立ったのだ。
「未だ、メサイア部隊が健在な所がいくつかある。米軍司令部に、手に余るところがあれば呼び出してくれ。そう伝えてある」
「……終わったんです」
美奈代は言った。
「北米での戦いは」
「まだ終わっていない。私が認めていない」
「……そんな」
ピピッ
美奈代の反論を遮るように、デスクの上のインターフォンが呼び出し音を立てた。
「……私だ」
美夜が受話器を取った。
「……そうか。わかった」
ハァッ。
美奈代は深いため息をついた。
「メサイア隊の発艦準備。メサイア搭乗要員はブリーフィングルームへ」
冷たくそう告げる美夜の顔が、何だか悪魔より悪魔らしくさえ、美奈代には見えて仕方なかった。




