封印、解除 第三話
カッコ悪い。
紅葉が普段、観測等に用いるTACは、研究員達も数多く搭乗することを前提に設計されたタイプのため、トイレや仮眠施設などの装備は充実している。
紅葉は、そっと赤く腫れた目を鏡で見た。
年下の男の子にあそこまで言われるなんて、自分が嫌になる。
でも、一番悪いのはお師匠様だ。
―――私はこの島でやりたいことがある。
―――後はお前達に任せよう。
あんな申し出は無茶苦茶だ。
―――科学者は常にエゴイストだ。
―――エゴの塊のようなお前達が言うか?
それでも、私達にとって貴方は親だ。
親として身勝手すぎる。
―――それをエゴイストというのだ。
なら、私達も自分のエゴを貫く!
それが貴方の子供だという証拠のようなものだ!
―――なら、課題を与えよう。
―――この島を取り巻く、龍の巣を乗り越える方法を考え、そして突破してここに来い。
―――その間に、私も研究成果をまとめておこう。
―――お前達のご褒美は、私の命だ。
これほど身勝手すぎる人だと思わなかった!
どこの世界に、自分の命をご褒美扱いできる人がいるんだ!
しかも―――
「っ!」
紅葉は手にしたハンカチを握りしめた。
あなたは、自分の体のことを知っているはずだ!
今度の航海が終わったら、最先端の医療施設が充実したマラネリの病院に入ると約束してくれたじゃないか!
子供と約束したんだ!
それを反故にするなんて、あんまりだ!
ヒック!
喉から声が漏れ、涙があふれてくる。
私達は、あなたが心配なんだと、どうしてわかってくれないんだ!
こぼれ落ちる涙をどうしようもない。
声を上げて泣き出したいのを堪えるのがやっとだ。
普通の娘なら、それでいいだろう。
でも、私は、泣き声を誰にも聞かれたくない。
六本線を持つ軍中佐として、そんなのはイヤだ!
自分でもつまらない理由だと思う。
簡単に泣ける和泉大尉あたりが羨ましい。
誰かにすがりついて、子供みたいにワンワン声を上げて泣いてみたい。
でも―――どうしても出来ない。
はぁっ。
殿下が大きくなったら、そんなこともさせてもらえるかな。
深く深呼吸した紅葉は、ふと、そんなコトを考えて、自分の考えに驚いた。
冗談!
あんな子供に!?
4つも年下だよ?
あり得ない!
そう!
あり得ないんだからっ!
パンパンッ!
紅葉は自分の頬を両手で叩いて気合いを入れた。
殿下なんて―――別に好きじゃない!
まだ、好きってレベルじゃない!
まだまだ!
殿下が私を好きになるのは別だけど、今は、そんなこと考えている場合じゃない!
とにかく、魔族軍に制圧された中でしか出来ないことがあるはずだ!
「……そうだ」
紅葉はハッ。となった。
今、TACは魔族軍の軍艦へと向かっている。
なら、軍艦の中にあるメースの情報が手に入る絶好のチャンスだ。
上手くいけば、部品をちょろまかすことも出来るかも知れない。
いや。
メースの部品なら、戦場でいくらでも回収できる。
問題は―――
「……整備用品」
そう。
メースを分析する上で、各国の研究者達を悩ませているのは、その分解方法がわからないこと。
大抵は、大型のバーナーで何時間もかけて装甲を焼き切るしかない。しかもこの場合、中の機材が大体、バーナーの熱で使い物にならなくなるおまけ付きだ
電気を知っていても、ネジを知らない世界に、家電製品を持ち込んだようなもの。
どこかの科学者がマスコミに言っていたが、名言だと紅葉でさえ思う。
もし、艦内でメースが分解整備を受けていたら、その方法を知る絶好のチャンスだ。
こうしちゃいられない!
機材揃えて、必要なら翻訳装置を借りて!
紅葉はトイレから出ようとして、トイレの壁に一枚の張り紙があることに気付いた。
「10分間でいいです。ここから出ないでください。静かにしていてください。お願いします」
そう、書かれていた。
トイレに入った時には気付かなかった。
達筆な割にどこか幼い感じのする文字は、マジックかなにかで太く書かれていた。
「……何よこれ」
紅葉は張り紙を剥がしてノブに手を回した。
ガチャ
「……えっ?」
鍵はかかっていないのに、何故かトイレのドアが開かない。
「な、何よこれっ!?」
そのトイレの外。
正確にはカーゴブロックは現在、魔族軍兵士―――正確には獄族の兵士によって厳重な警備が敷かれていた。
兵士達も、積荷が何かは聞かされていない。
ただ、兵士である以上、“これを守れ”と言われれば忠実に守るだけだ。
「―――ん?」
カーゴブロックに入り込んできたのは、白い服装をした小さな女の子だった。
警備の関係上、乗り込み時に行った乗組員の面通しの時、ツシマ・モミジと名乗っていた女の子だと、兵士の一人は思った。
紅葉は、お盆に乗った容器を持って近づいてくると、笑顔で言った。
「お茶の時間ですよ?」
「……いや」
兵士は困った顔で言った。
「すまん。勤務中だ」
「せっかく、淹れてきたんですよぉ?」
兵士は、目の前で女の子に泣かれそうになって、思わず仲間に助けを求めた。
「みなさんのためにって」
「おいおい」
兵士の中でも乱暴なことで知られる大柄な兵士が、さっきの兵士を押しのけるようにして、紅葉の前に立つと、紅葉を値踏みするかのように睨み付けた。
「俺達ゃ仕事中だ。わかるか?」
「休憩は必要ですよね?」
紅葉は、お盆の上に置かれた小さなビンを視線で示した。
「お茶に淹れるとおいしいお酒もありますよ?」
「―――おい、これ」
兵士の目の色が変わった。
「グラスティアじゃないか?しかも、天界の最上級グレード!」
「何っ!?」
別な兵士達の間からも関心を持った声が挙がる。
「ぐ、グラスティアだと!?」
「本物か!?」
「待て待て!」
ヒョイッ
お盆からビンを掴んだ兵士がラベルをしげしげと眺めると、キャップを開き、匂いを嗅いだ挙げ句が、その中身を一舐めした。
「この味は間違いねぇ!本物のグラスティアだ!」
「お茶に合うって、もらったんです。よかったら」
「よしよし」
兵士はグラスティアのビンを手放すことなく頷いた。
「グラスティアはほんの一滴でもまがい物を混ぜれば味が変わる。俺にはわかる。コイツにゃ何も入れてねぇ。混ざりけがねぇから、お前が何か悪さしに来たワケじゃねぇってこともな」
「ありがとうございます」
紅葉はニコリと微笑んだが、
「だけどお嬢ちゃん?」
シュンッ。
突然、突き出された剣の切っ先が、紅葉の喉元に突きつけられた。
「細工が過ぎるってのは、考え物だぜ?」
「……えっ?」
自分の身に何が起きたか、初めてわかった。
剣を見る紅葉の目は、そんな感じだった。
「あ……あの?」
「一つ。お前、翻訳装置もなしでどうやって言葉を覚えた?二つ。人間がどうして天界でも入手困難なグラスティアを持っている?」
「……あの」
「何故だ?」
「信じてもらえないかも知れませんが」
「なら言うな」
「……ぷぅ」
「つまんねぇな。冗談だよ。言いな」
「……神族の人がいまして」
「死ぬか?」
「本当ですよぉ。本人、そう言っていたもん!」
「……それで」
「その人から、私達の言葉だって、教えてもらったんです。このお酒は、大きくなったら飲んでいいってもらったけど、私、お酒なんて飲む人嫌いだし。もったいないから、みなさんは、男の人達だし、だから飲んでもらえるかなって」
「……成る程?」
兵士は剣をひっこめた。
「俺も、神族や魔族に、個人として人間界に移り住んでいる物好きがいるって話は知っている。それに、お前さんの話は、作り話にしちゃ、出来すぎている」
「本当ですよぉ」
「まぁいい。すぐに任務は終わる。そしたら、グラスティア入りの人間界の茶で乾杯だ」
「お茶、どこ置いておきます?冷めちゃいますよ?」
「ティーポットに淹れてあるな?よし。そこのテーブルの上に置いておけ」
「はぁい」
紅葉は、顎で示されたテーブルの上にお盆を置いた。
「……所で」
「ん?」
「これ、何ですか?」
「こら、触るな!」
「あ、危ないんですか?」
「梱包材の上だからいいだろうが、俺達も中身は知らん。厳重扱いを受けている」
「ふぅん?」
手を引っ込めた紅葉は、珍しいそうに目の前にワイヤーで固定されたモノを見上げた。
「危ないから、私、何もしないで引っ込みますけど、お茶、飲んでくださいね?おいししいんですから」
紅葉はペコリと頭を下げると、ブロックから出ていった。
TACが魔族軍飛行艦“エーラスティア”のデッキに降り立ったのは、それからすぐのことだった。
人類側と魔族側で規格が異なるため、ビーコン誘導による着艦は出来ない。
“エーラスティア”による強制誘導ビームという、人類にとって得体の知れない技術によって無理矢理着艦をコントロールされたTAC側の操縦席では、乗組員達が生きた心地さえしなかった。
とにかく、全員がその場で一歩も動くなと命じられ、開かれたカーゴブロックのハッチから搬出された梱包物が、“エーラスティア”の床に置かれた。
それを確認した途端、TACの艇長は、
ハッチを閉めてさっさと艦から離れろ。
そう、命じられた。
―――人使いの荒さは、ウチの艦隊司令部以上だぜ。
艇長は毒づきながも、“エーラスティア”側のデッキクルーの手旗信号に誘導され、艦を発進した。
紅葉がトイレから飛び出してくるなり、殿下を締め上げよう飛びかかったのは、そのタイミングだった。
「やっと……ですね」
「ええ」
紅葉達のTACと入れ替えになる形で、魔族軍側のTACが“エーラスティア”に着艦。
艦の応接室に移ったダユー達は、互いにグラスを掲げてみせた。
すでに、“鈴谷”の監視に出ていた部隊の乗ったTACやメースの回収も進んでいる。
全ては驚く程順調だ。
「これで、ヴォルトモード卿は復活する。我々の一分も成り立つ」
「そう願いますわ」
「本当に」
ユギオはグラスを一息で空けてみせた。
「後は―――」
「用済みを消すだけですね」
「命は保証すると言ったのに」
「用が済むまでですよ」
ダユーもまた、グラスを空けた。
「人間界のワインも悪くないですね」
「フランス製の最高級です」
「へぇ?」
ダユーは、グラスを軽く弄ぶとテーブルの上に置かれていた受話器をとった。
「私です。メース部隊に通達―――例の手順通りに。刃向かうなら始末なさい」
「敵、動きましたっ!」
「なっ!?」
反撃の体勢をとろうとした美奈代は、自分達がどこにいるかをとっさに思い出した。
後ろには集落がある。
こんなところで戦闘になったら、集落の住民はどうなる?
「全騎、後退っ!柏達と合流するっ!戦域から集落を外せっ!」
「はいっ!」
「了解」
「……」
何故か、宗像の返事がない。
美奈代は、それに構っているヒマはなかった。
聞き取れなかった。
勝手にそう判断した。
とにかく、全騎がブースターを開き、集落から離れ、柏美晴達のいるポイントまで一気に後退した。
機動性に勝るメース達は、美奈代達が着地したタイミングとほぼ同時に、戦斧を美奈代達めがけて振り下ろしていた。
ドンッ!
振り下ろされた戦斧を器用にシールドで捌いた美奈代の目の前で、メースの胴体に風穴が開いた。
「誰だ!?」
「平野騎!」
「平野、感謝だ!」
「いえいえ」
芳は自信満々で言った。
「その代わりに助けてくださいね」
「善処しよう。全騎、単騎で渡り合うな!向こうの方がいろいろ上だ!フォーメーションを組めっ!」
「敵、増援多数接近中!―――“鈴谷”にも何騎か!」
「こちら宗像。和泉、“鈴谷”の防御に回れ」
「しかし!」
「ここは私と美晴達で何とかする。機動性と狙撃性に優れたお前達しか“鈴谷”は守れない」
「―――っ!」
今、目の前にいるメースは3騎。
3対3の勝負。
それならば―――
「頼むぞ」
「わ、わかった」
美奈代は頷いた。
「天儀、狙撃隊全騎、“鈴谷”の防衛に回る」
「はいっ!」
「宗像、無茶だけはするな?不利なら逃げろ。無駄な損害は」
「わかっている」
宗像騎がメースと激しく鎬を削る。
突然、宗像騎がメースに蹴りを食らわせた。
これなら大丈夫だ。
美奈代はそう思った。
「……なぁ。和泉」
不意に、宗像が言った。
「私達は―――どんな関係だ?」
「戦友だ」
美奈代は即答した。
「候補生時代から苦労を共にした、かけがえのない、大切な戦友だと思っている」
「―――そうか」
「不満か?」
「いや?」
宗像は言った。
「私を友だと思ってくれている。それを聞いて安心した」
「ん?」
「―――すまない。許してくれ」
「何を?」
「柏!山崎をフォーメーションを組めっ!私が囮になるっ!」
宗像のいつも通りの凛とした声が、美奈代の問いかけに対する答えとなった。
やっぱり、指揮官としての威厳は、宗像の方があるんだな。
美奈代はちょっとだけ悔しく思いながら、“鈴谷”へと“死乃天使”の翼を広げた。
「ち、ちょっと理沙さんっ!?」
「宗像さん、何を!」
「お、お姉さまっ、止めてくださいっ!」
その耳に、美晴達の困惑した声が届いたのは、美奈代が“鈴谷”へ向かうメース達に襲いかかった時だ。
何が起きたかわからない。
ただ、宗像がドジをしたとは思えない。
きっと、周りが何か驚くほどの活躍でもしたんだろう。
美奈代はそう思った。
いや、そう思うのがやっとだった。
目の前で剣火を交える直前だ。
余計な神経なんて回している余裕は美奈代にもなかった。
だが―――
「えっ?」
美奈代が驚いたのも無理はない。
敵騎は、こちらの攻撃に迎撃することもなく、すぐに騎体をバンクさせて進路を変更した。
まるで、攻撃を受けたら逃げろ。そう、予め命じられていた者の動きだった。
そんな馬鹿な。
美奈代には、敵の動きが理解できない。
“鈴谷”を攻撃しに来たんじゃないのか?
それだけじゃない。
“鈴谷”はどうして、敵艦を攻撃しないんだ?
本来なら、“鈴谷”から対空砲火警報が発令されている状況だ。
それが、どうして?
美奈代は、何もわからず、ただ、呆然として、遠ざかっていくメースを見送るしかなかった。
「……」
その目が見開かれ、そして、メース達が戦闘を放棄した理由を悟った。
理由なんてたった一つ。
そう。
本当に簡単なことだった。
我々は、ここにどうやって来た?
答えは簡単。
あの空間のゆがみを通った。
確か、誰かが言っていた。
あのゆがみは、いずれ消える。
そう。
もし、その時間をあいつらが知っていたら?
その時間が、もうすぐそこに来ていたら?
「……チェックメイト」
美奈代は、呆然とするしかなかった。
人類の誰もが外から入ることが出来なかった異空間―――龍の巣。
自分達は、そこに閉じこめられたことになる。
自分達がたどるのはどんな末路か。
そんなことは考えたくさえなかった。
とにかく、敵は撤退した。
なら、戦闘態勢をとる意味はない。
少なくとも、美奈代は指揮官という職責にすがりつくことで、自分の未来から目を背けようとした。
「中隊全騎へ通達。状況緑。戦闘態勢解除を宣言。“鈴谷”に近い騎は順次、帰艦しろ―――宗像、そっちの状況は?」
「……」
「宗像?」
美奈代は、レシーバーの不調を疑い、そして通信モニターに映し出された表示に絶句した。
「通信不能」
普通なら、モニターには騎士の顔が映し出される。
それが、文字だけとなっている。
さっきのこともある。
美奈代の背筋に嫌な汗が流れた。
「おい、宗像っ!?」
「……柏です」
宗像の代わりに回線を開いたのは、美晴だった。
「状況を報告します」
その声は、感情を完全に殺していた。
「一人の目撃者として」
「……参ったわ」
収容される宗像騎を、美奈代は信じられない。という顔で見つめていた。
宗像騎のコクピットハッチは大きく開かれたまま。
MCによるコントロールでここまで戻ってきた。
ハッチの開閉システムは騎士側の権限に属することだ。
宗像が、自らハッチを開いたことは、それではっきりしている。
爆破ボルトを使用していない辺りが、宗像に生命の危機が生じたワケではないことを示していた。
つまり、宗像が、ハッチを自らの意志で開いた。
そういうことだ。
いつの間にか、後藤がその横に立っていた。
「帰ってこない月城大尉に加えて、あげくが宗像までか」
「……」
「フィアちゃんに、大尉に宗像……」
「……」
「俺は」
後藤は言った。
「一度に5人殉職させたことがあるよ」
シュボッ
ジッポの音がして、タバコの匂いが美奈代の鼻腔に届く。
「イヤなもんさ。だけど、指揮官ってのは、そんなものだ」
「……私に」
「お前に非はない」
後藤は厳しい口調で言った。
「いいか?フィアはともかく、あの二人は自分の馬鹿げた発想で、勝手なことをしたんだ。お前に止められたなんて、誰も思っていない」
「……」
「ほら」
“練馬農協”と染め抜かれたタオルが美奈代の頭に載せられた。
「トイレに行って顔洗ってこい。中隊長命令だ」
「……」
「泣くだけ泣いてこい。お前さんにゃ、今日は最悪の日だったな。ご苦労さん」
数時間後。
“鈴谷”艦長平野美夜中佐権限で、下記の事態が認定された。
下記の者を敵前逃亡の容疑者と断定し、その階級及び軍籍を剥奪するものとする。
月城真菜
宗像理沙




