米本土空爆
突如、北米大陸に出現した妖魔達の群れが大地を闊歩している。
その上空。
「ストラトフォートレスなら今頃終わってますよ」
B-29の副操縦席でマイク・ショーン少尉がぼやく。
「たかが9トンの爆弾抱えてるだけなんて。クソッ!あのチンク共め!忌々しいクソったれの何とか粒子なんてバラ撒きやがって!」
「愚痴るなショーン」
機長席に座るテニスン中尉が酸素マスクを気にしながら言った。
「俺達は与えられた機で戦うしかないんだ」
「そりゃそうですけどね」
マイクは下を見た。
空中を飛来する妖魔がいないという情報を受け、マイクが所属する爆撃編隊は、高度を高くとっていない。
「爆撃誘導機からの通信は?」
「まだです」
答えつつ、マイクは、上空に黒い影を見た。
「爆撃コースは―――機長、2時方向に敵!」
「違う……と思う」
テニスン中尉が上を見上げながら言った。
「あれは多分、友軍機だ……くそっ。レーダーがあれば」
「それこそ泣き言ですよ。護衛機が離れます」
「地獄のワルツの始まりだ。畜生……祖国の空で戦死なんてシャレにもならねぇ」
「爆撃誘導機から通信。爆撃航程開始地点まであと15分」
敵なんてどこにいるんだよ。
志願兵ばかりで、戦争経験がまるでない乗組員達に出来ることは訓練通りに兵隊を演じることだけだ。
実は、皆がこの爆撃任務が人生で初めての戦争だった。
対空砲は装備されているが、まともに敵めがけて撃った経験のある者は、この機には一人もいない。
実戦で爆弾を落としたことのある者もいない。
彼等全員にとって、戦場は未知の世界だ。
そこに踏み入った以上、出来ることは一つ。
訓練通りにやる。
それだけだ。
「敵機がいないことが幸いだぜ」
テニスン中尉が呟いたその時だ。
パッ
右斜め前を飛行していた機にいくつもの光が走った。
“バニー・メイ”という名が与えられた爆撃機。
機長はテニスンと同期だった。
彼が何か声をあげる前に、その機は炎に包まれた。
機体からオレンジ色の炎と煙を上げながら、“バニー・メイ”の機体が高度を落としていく。
「何だ!?」
「敵機、3時方向!」
その怒鳴り声に始まった乗組員達の報告が機内通信をパニックに陥らせる。
「5時方向に敵機!」
「落ち着け!」
テニスンは喉が破れるかと思うほどの声で怒鳴った。
「みんなで怒鳴るな!敵って何だ!?何が見えた!」
「恐らく中型妖魔!」
「あのドラゴンか!?」
「違う!」
乗組員の誰かが叫んだ。
「小さい!それにトカゲじゃねぇ!鳥だ!でも素早いっ!」
「クソッ!とにかく撃ち落とせ!」
「了解っ!」
「さぁきやがれ!俺様が相手だ!」
テニスンの耳に、乗組員達の極度に興奮した、殺気だった声が入る。
爆撃編隊を襲った敵は、レーダーに映らない。
狩野粒子影響下でレーダーが死んでいること。
そして、彼等がレーダーを反射しない肌を持つ生命体であること。
原因はこの二つだ。
その形状から“エイ”と呼ばれる飛行系妖魔。
主に肉食で口からMLを発射することが出来る。
群れで行動するが、縄張り意識が強く、縄張りを犯す“大型の飛行物体”の存在を極端に嫌う特性がある。
テニスン達は“エイ”達にとって、縄張りに入り込んだ“飛行物体”に過ぎない。
つまり―――エサだ。
MLがテニスン達の機の真横を飛行する2機に突き刺さった。
機内の爆弾が誘爆した2機は、空中でバラバラになって落下していく。
「編隊を詰めろ!密集隊形維持!」
編隊長機から殺気だった怒鳴り声が耳に届く。
テニスンは何度もシミュレーターで経験した場所に機体を動かした。
頭上の対空砲を操作するトミーが何かを見つけたらしい。12.7ミリ機銃が火を噴く音がコクピットに響き渡る。
この前の夏。
子供を連れて行った水族館で見た海洋生物のエイとそっくりな物体が機体の真横を突き抜けていった。
でも、あれは水の中の生き物のはずだ。
少なくとも、あんなジェット戦闘機並の突っ込み速度で空中を駆け回る生き物じゃなかった。
もし、そんな生き物なら俺は父親として子供達に見せはしなかった。
敬虔なカソリック教徒である自分が子供に見せるには、アレは教育上悪すぎる!
「畜生!」
クラウツは呻いた。
「狙いは、左を飛び続ける“メイ・ウェスト”と“スノー・ホワイト”だ」
機体から白い煙を上げる2機は、“エイ”達の格好のマトだ。
“メイ・ウェスト”の速度と高度が落ち始めた。
「機長、“メイ・ウェスト”が編隊離脱を宣言」
「了解した!」
チラリと足下のキャノピー越しに見た空。
数匹の“エイ”達が下を突き抜けていった。
狙いは“メイ・ウェスト”のはずだ。
あんなのに取り付かれたら―――
「……あいつら、もう終わりだ」
そう、判断するしかない。
「機長、“スノー・ホワイト”が第一グループを誘導するそうです」
テニスンが気付いた時には、所属する爆撃編隊第一グループ隊長機の姿が無くなっていた。
先頭をとる以上、敵に最も狙われやすい。
速度を上げた“スノー・ホワイト”はそこに付こうとしている。
それはつまり―――
「やられるぞ。気の毒に……」
そんなポジションに付こうとしているのだ。
機銃が不意に火を噴くのを止めた。
エンジン音だけがごうごうと響き渡る。
初めての頃は五月蝿いと感じたものだが、今となっては静寂そのものだ。
「爆撃航程開始地点まであと7分」
「機長……あいつらがいなくなった」
「……縄張りを抜けたか?」
テニスンには、あの“エイ”達に縄張り意識があることなんてわからない。
ただ、そう思っただけだ。
もしかしたら、脱落した連中だけで満足したのかもしれない。
「機長!」
マイクが悲鳴に近い声で怒鳴った。
「前方、花火があがってる!」
マイクの指さした方角―――真っ正面にいくつもの光と黒煙が上がっている。
すでに先行した爆撃部隊が魔族軍の対空砲の餌食になっている光景だ。
長く伸びる煙が、一体、何なのか説明を求める必要もない。
「畜生!」
テニスンは呻いた。
「敵機はいない!対空砲もない!そう言って司令部は俺達を騙しやがった!あの詐欺師野郎共め!」
歯ぎしりするほど呻いた後、テニスンは胸に下げた十字架を握りしめた。
「神よ。少なくとも本機だけでも守りたまえ―――機長より全乗組員へ。本機はこれからあの炎の壁に突っ込むぞ!」
ぐんぐんと“壁”が近づいてくる。
否。
“壁”の方が近づいてくるのだ。
ポンポンと面白いように上がる黒い煙が、機体の間近で次々と花開く。
不意に、前方を飛行する“スノー・ホワイト”の速度が落ち始めた。
左の第一エンジンが半分吹き飛ばされていた。
速度の低下が急すぎて編隊を組むテニスンの眼から見れば、突っ込んでくるような錯覚さえ覚えさせる。
その“スノー・ホワイト”の土手っ腹に対空砲火が命中。
派手な爆発を見せた。
「“スノー・ホワイト”がやられた!ぶつかるっ!つかまれっ!」
機体を捻り、空中で一回転しようとしている“スノー・ホワイト”をギリギリでかわしたが、
「“ペニー・ジョイ”が!」
尾部銃座のクリスの叫び声があがった。
「畜生!“ペニー・ジョイ”が巻き込まれた!」
「機長だ、クリス、何が起きた!」
「“ペニー・ジョイ”が“スノー・ホワイト”をかわし損ねた!主翼を真っ二つにされて墜ちていった!」
「脱出したのを見たか!?」
「だめだ。2機ともコマみたいに回転しながら墜ちていった。あれじゃ、機体から脱出なんて出来ねぇ……遠心力で洗濯機の中みたいになってたはずだ」
“スノー・ホワイト”の喪失により、テニスンにとって、祈るべきは死んでいった連中ではなくなった。
自らになったのだ。
「通信。通信を第一グループ全機へつなげ」
通信手にテニスンは命じた。
「第一グループ全機へ。これより“スーパー・バニー”が先導する。幸運を祈ってくれ。以上だ―――ハインツ!」
テニスンはすぐに爆撃手席に怒鳴った。
「俺達が先導だぞ!」
「り、了解……」
初陣の恐怖ですっかり萎縮している様子の爆撃手は、震える声で返答した。
「畜生……畜生……爆撃航程開始地点まであと2分」
「―――頼むぞ」
そう言うと、テニスンはすべてを爆撃手に託した。
魔族軍が、一体、どんな対空砲を用いているのかは知らないが、とにかく対空砲をここまで命中させるなんて並の腕じゃない。
ただ、配置が甘いらしく、決して濃密でないのが唯一の救いだ。
テニスンは、いつの間にかそんなことをぼんやりと考えていた。
頭の中が、妙に沈着になってくる。
脳みそがアドレナリンを分泌出来なくなっているのかもしれないなと、そんなことを考えた。
「あと30秒!」
ハインツの声に、テニスンは我に返った。
現実離れしたことを考えていたことが、奇妙に恥ずかしい。
「イニシャル・ポイント爆撃航程に入った!」
「よし。後は手順通りだ。さっさと終わらせて帰るぞ!」
テニスンはマイクに命じた。
「ハインツ。自動操縦に切り替える。目標までの時間、任せたぞ!」
テニスンは、ハインツを励ますように言った。
「神を信じろ。君の指令で、後続機が千トンの爆弾をばらまくことになる」
「り、了解……」
責任の重さのせいで、胃袋に穴が開きそうな錯覚を覚えたハインツは、酸素マスクの中でゲロを吐いた。
慌ててマスクを外す。与圧されたコクピットだから助かるようなものだが、それは彼の生命上の問題であり、社会的、もしくは精神的な救いにはなっていない。
爆撃手席一杯に酸っぱい匂いが立ちこめる。
ハインツは歯を食いしばると、血走った目で爆撃照準器にかじりついた。
「爆撃要点まで―――後3分!」
「爆弾倉開け!」
「了解、爆弾倉開く!」
空気抵抗が増えたことで、機体速度が落ちる。
「すげぇ」
下部対空砲担当のジェリーが、カメラ越しに下を見て叫んだ。
平原を埋め尽くさんばかりに移動している黒い点。
それが皆、妖魔だと気付いたのだ。
「一体、何匹いるってんだ!?」
「数十万匹だそうだ」
誰かの言葉に、ジェリーはうんざりとした声で言った。
「聞かなきゃよかったぜ……」
ジェリーが肩をすくめた時だ。
バンッ!
何かが破裂したような音がして、機体が激しく揺れた。
その瞬間、機体が、まるで弾かれたように動いたのが、操縦桿越しにわかった。
「何だ!?」
「やられたのか!?」
「神様っ!」
乗組員達が口々に勝手なことを叫ぶ。
「黙れっ!」
テニスンはそれを一喝で黙らせた。
「こちら機長だ!何があった!?点呼をとるぞ!」
次々と被害なしの報告が入るが―――
「クリス」
尾部銃座からの応答がない。
テニスンは、背筋が寒くなるのを確かに感じた。
「クリス!」
何度呼んでも返事はない。
「機長!」
ハインツが叫ぶ。
「今ので目標がズレた。中止しますか?」
「もう一度だ!こちら“スーパー・バニー”。第一グループ全機、目標を見失った。再度爆撃航程を実施する。標準旋回で航程に入れ。以上!」
「機長、尾部銃座がそっくり消えてる!」
「クリスは!」
「死体も残っていない!与圧がやばい!隔壁を閉鎖するっ!」
「―――了解した」
小さく部下の死を悼んだテニスンは、機体の旋回を終えた。
第一グループ所属機が次々と続くのを確認する。
その時、1機が真っ二つに機体を砕かれたのを確かに見た。
「―――くそっ。ハインツ。どうだ!?」
「コース再び乗った。機長、いい腕です。あと1分」
「世辞はいい。くそっ。これだから先導機なんてイヤなんだ」
機体が激しく揺れはじめる。
「こちら側面銃手、火災が起きた!畜生!誰か消化器を貸せっ!」
さっきとは比較にならないほど、敵の攻撃が濃密になり始めている。
一体、何が起きているのか考えたくないが、とにかく、敵も慌てているのか、命中精度がかなり落ちている。
それだけが唯一の救いだ。
「見えたっ!」
ハインツが歓声をあげた。
「投下!投下っ!」
ハインツの指が、爆撃ボタンに触れた。
爆弾倉から次々と爆弾が産み落とされ、機体が軽くなる。
「キャッホォォォォッッッ!くたばれモンスター共っ!」
操縦桿で機体を押さえつけながら、知らずにテニスンまでも歓声をあげていた。
下から粘っこい爆発音が次々と聞こえてくる。
命中だ!
空中炸裂型のサーモバリック爆弾とハイパーナパームのカクテル攻撃だ。
いくら妖魔といえど、広範囲で無事に済むはずがない。
忌々しい妖魔共が、どれ程苦しんで死んでいくのかじっくり見物してやりたいところだが、テニスンにはそんな余裕はない。
部隊を安全に基地まで帰還させなければならないのだ。
「こちら“スーパー・バニー”。左旋回15度。再集結地点で編隊を組み直す」
テニスンは、そう命じると機長席を立った。
「マイク。あと頼む」
「どちらへ?」
「俺自身の爆撃を済ませたいのさ」
テニスンは、そう言うと自分の尻を叩いて見せた。




