光がもたらしたもの
ここで質問したい。
個人の自由は、結局の所、誰が保証する?
こう訊ねられたら、何と答えるか?
人権や法律?
“法律では禁止されてますよ?”
そう言えば、強盗に殺されないとでも言うのか?
詐欺師に騙されないのか?
事故に遭わないのか?
そんな紙の上に書かれたことが、言葉だけで全てを守ってくれるなら、この世界は天国だ。
もし、その通りだというなら、我々は“年収1千万。休暇は週七日を義務づける。法律でそう決まっています”なんて生活が送れる(随分、極論だが)。
ありえるはずがない。
では?
法律を保証してくれる存在、国家や集団だ。
個人の自由を主張する人権活動家なる者を考えて欲しい。
彼等が要求し、その保証を求めるのは個人か?
否。
その多くは行政機関。
つまり、政府、究極は国家だ。
国家を敵視する彼等でさえ、その行動をもって結局の所、国家に権利の保障を求めているのだ。
国家が個人の集団であり、個人を管理し、国家の主権の及ぶ範囲における地域社会を管理・運営していることを忘れてはならない。
話はそれでいいだろう。
とにかく。
国家なくして社会はない。
社会なくして自由はない
それが、この世界の考え方だ。
それを理解してもらった上で、次に記した、ある法律の要約を読んで欲しい。
この法律が発動された場合―――
・対象者は国家防衛の義務履行の義務を負う。
・対象者は、年齢、性別を問わない全国民。
・国外居住者も対象となる。
・対象者は、動員・徴兵・工作等、全ての政府命令に忠実に従う義務を負う。
・個人や組織が持つ物資や生産設備は、本法発動と共に政府管理下におかれる。
・交通、金融、マスコミ、医療機関は政府及び軍の管理下におかれる。
・国内に進出している外資系企業及び、滞在する外国人もその対象となる。
・国防の義務を履行せず、また拒否する者は、原則として死刑に処す。
とどのつまり、“国内で問題があったら、国家は国民全てを動員させる。国民はそれに従え。さもなくば死刑だ”。
それで済む―――そんな法律だ。
世界は、既にアフリカと南米という、二つの大陸規模で数十ヶ国にわたる国家の滅亡と、その後の血まみれの混乱を目の当たりにしている。
国家が消えることは、つまり、自分達の存在が消えることだと、人類は現実に味わい、そして骨身に染みているのだ。
無論、例えこの世界において、国家が有事の際に国民を動員する法律が一般的とはいえ、上に書かれた法律は、その中でも随分と過激な方だ。
一体、どこの国の法律か?
中華帝国。
国防義務法という。
その中華帝国の経済基盤を支える大工業地帯では、場所の大小を問わず、人が集まる所には、
「北米討伐は目前だ!」
「祖国の勝利に貢献しよう!」
そんな横断幕や看板がびっちりと並んでいた。
その前では、小中学生を動員した音楽隊が軽快な音楽を何時間も演奏している。
通りを通る人々はせわしなく足を運び、工場にはひっきりなしにトラックが出入りする。
誰が聞いているか?
そんなことは彼らの知ったことではない。
演奏しろ。
そう、命じられているからやっているだけだ。
通りを歩く人々の顔は、決して明るくない。
音楽に足を止める者などいない。
皆、下を向いたまま、重い足取りで歩き続ける。
何故か?
労働者の賃金が国家管理されたことが大きい。
この国において10時間労働を政府に命じられたとしよう。
労働の内訳は、
8時間が“国民の義務”。
残り6時間が“国家への奉仕”となる。
……計算が合わない?
これでも合っているというか、かなり適切に見積もっている方だ。
何時間働こうが、賃金は8時間労働分のみ。
それ以上の労働の結果は、国家と経営者のもの。
これに労働者が異議を唱えれば、国家は彼を公然と死刑に出来る。
これでは異議を唱えることが出来ない。
死を賭して時間分の賃金を要求するか?
黙って生き延びるか?
……耐えて生きる。
この国の労働者の現実は、そんなものだ。
「お腹すいたなぁ」
ある工場の一角。
朝早く、小学校から重いチェロを担ぎ、何キロもの道のりを徒歩で来た“小学奉仕隊”の一人、呉少年は、演奏の合間の休憩時間、そっと自分の腹を撫でた。
父親の収入が激減したせいで、毎日のおやつどころか、食事まで減った。
肉を食べたのはいつのことだったか、すぐには思い出せない。
家のローンを巡って、母親と父親が口論になるのは毎日のことだ。
しかも、最近は母親の浮気で口論が激化している。
相手の男が政府の役人だと知った父は、妻の不道徳をなじるどころか、浮気相手のコネを活かせないか本気で考えている。
おかげで家庭生活は滅茶苦茶だ。
そのとばっちりを一番喰らっているのが、一人息子の呉少年。
着ている制服も、最近はアイロンさえかけてもらえず、シワだらけ。
朝飯は、夕飯の残飯に白湯をかけたのを茶碗一杯だけ。
文句を言うと殴られるが、殴られようが何されようが、育ち盛りに茶碗一杯は厳しい。
チェロの音が胃袋から出ているんじゃないかと錯覚することさえしばしばだ。
勉強しなくていいし、家で出るモノよりマシな食べ物が与えられるから、この仕事に文句はないとはいえ、やっぱり腹は減る。
先生にお願いしたら、朝ご飯も出してもらえないかな。
呉少年が、チェロにもたれかかるようにして、そんなことを考えた時だ。
「さぁ」
指揮をとる音楽教師が椅子から立ち上がった。
「工場長様のご厚意で、工場内を見学するぞ!」
指揮が繊細な割に、巌のような体格を誇る大男の先生の声が呉少年の耳に届いた。
“岩石先生”とあだ名されるゴツい顔の先生は、教え方は下手だが、生徒思いの優しさにあふれた人物で、生徒達からはとても好かれている。
呉少年も、この先生が最近赴任してきた女教師に一目惚れして、何とか会話だけでもと、生来の不器用さを上乗せしていることは、生徒達の話題として知っている。
“岩が鶴に惚れた”とか、呉少年は、引率する先生の体格の良い後ろ姿を眺めながら、この大男があの美人先生と夫婦になることを想像して、少し笑ってしまった。
だいたい、あんな先生のどこがいいんだろう。
呉少年は、ちらりと斜め前を歩く女子生徒を見た。
盗み見る。
そう言う方が正しいような見方だ。
でも、見るだけで、呉少年は満足だったし、頬が赤くなる。
長い髪が歩くたびに揺れるのを見るだけで、股間が大きくなりそうになる。
バレると恥ずかしいので、少年はそっと意識を脳裏の楽譜に移した。
先生は、おかしい。
世界で一番綺麗なのは、この子なのに―――
呉少年が送り込まれたのは、大きな軍需工場。
ヘリコプターの組み立て工場だ。
濃緑色に塗られたヘリコプターが最終テストのため、激しい爆音を轟かせている。
「大きいな!」
年長の男子達はさかんに興奮した声をあげるが、ヘリの音がそれを全てかき消してしまう。
音楽以外に興味のない呉少年にとっては、ヘリは爆音をあげる迷惑な存在でしかない。
何より爆音が空きっ腹に響いて倒れそうだ。
―――あーあ。
呉少年はヘリのローターから生じる激しい風を感じながら内心で呟いた。
―――こんなことなら、食料工場にでも送ってくれればいいのに。
そう思う。
こんな音がする所で演奏しても、誰が聞いているんだろう。
誰も聞いてなくても、食料工場なら食べ物だってたくさんもらえるだろうし、どうせ行くなら、そっちの方がいいなぁ。
ぼんやりとそんなことを考える呉少年の前でヘリが次々と離陸を開始していく。
青い空に次々と舞い上がるヘリを前に、興奮した生徒達は必死に手を振る。
呉少年も、それにつられるようにして手を振った。
パイロットの一人が、それに答えてくれたのを、呉少年は確かに見た。
岩石先生は、こんなヘリを次々と生産できる我が国は、やはり世界に誇る大国だと、大声で怒鳴るように言った。
その背後に政治指導将校がいることはいつものことだし、この工場がアメリカ資本の工場を動員法で接収したことなんて、呉少年は知ったことではない。
子供である呉少年にとって、目の前が全てだ。
青い空。
暖かな日差し。
舞い上がるヘリ。
あの子も喜んでいる。
それだけで、悪くない光景だな。と、呉少年が、そんなことを思った次の瞬間―――
「えっ?」
呉少年は確かに見た。
空が、大きな白い光の塊が生まれた。
「何!?今の!」
「何か光った!」
生徒達が次々と騒ぎ出す。
見たのは僕だけじゃなかったんだ。
呉少年が、そう思った時、
―――え?
呉少年は、目の前で起きたことが理解できなかった。
次々と空から何かが墜ちてきた。
さっき、空に舞い上がったヘリ達だ。
ローターを回しながら、手から落ちた玩具のように落下してくるヘリが、工場の屋根に突っ込んだ。
滑走路に落下したヘリが、爆発して炎上を始める。
ポカン。とした呉少年は、身動きさえ出来ない。
その目の前。
岩石先生が覆い被さるように迫ってくる。
その先生の後ろには、コクピット。
岩石先生が自分を抱きしめた感触が、体全体に伝わってくる。
そして―――
呉少年の体は、ヘリの航空燃料によって焼き尽くされた。
●ワシントンD.C
「成功か?」
「―――ああ」
あるビルの最上階。
アメリカ北方陸軍参謀長のオーウェル少将は、空のグラスを手に窓から外の景色を眺めていた。
ようやく電気の灯りが復活し始めたばかりだ。
軍事系施設であるこのビルでさえ、灯りは昔ながらのカンテラだ。
電灯の明かりで育った目には、無いに等しい灯りだが、慣れればどうということはない。
「華北平原―――徐州市街地高度3万メートルで“プレゼント”の信管は正常に作動」
「チンク共に与えた被害は?」
「東海岸の受けた被害を思えばわかるだろう?」
「具体的に」
ソファーに座ったマーカス海軍大佐は、持ってきたバーボンの封を切りながら言った。
「あの国の設備は、我が国資本だろうが、コスト削減で切りつめられた代物だ。電磁シールドなどないから、EMPに耐えられるはずはない」
「具体的にと言ったろう?抽象概念では祝杯は出せん」
「工場群は機能を停止。通信網のかなりは破壊されたはずだ。各地で航空機の墜落も確認されている。人的被害もかなりだ」
「それでいい」
ソファーから立ち上がったマーカスは、オーウェルのグラスにバーボンを注ぎ込んだ。
「新開発のEMP爆弾の試験としては、十分だったろう」
「ああ」
オーウェルは、グラスを目線の位置まで持ち上げると一息でグラスを開けた。
「軍は本格的な生産に入る。X-51とセットで配備されることになる。一定数が整えば、次は北京だ」
「―――そうか」
「無駄な犠牲を払うことなく、あのサル共をあるべきレベルにたたき落としてやれる」
「ここまで来るには、犠牲が大きすぎたな」
マーカスはグラスを呷った。
「この北米だけで、一体、何人が死んだんだ?」
「神のみぞ知る―――それに、犠牲の支払いはまだ終わっていない」
「……ああ」
無言でマーカスは頷いた。
「日本への増派は避けられない」
「世論が許すと思うか?」
「許すもなにもない。やるだけだ。地理的にも、あの大陸に星条旗を立てる橋頭堡として、あの列島は必要だ。何より、あのサル共に無駄知恵をつけてくれた魔族は、我が国にとっても、あの戦争以来の本当の敵だと言って文句はこないはずだ」
「真の敵を倒し、新たな領土を得る。白人による世界支配を維持するため。それは神より与えられた当然の秩序。薔薇十字はその秩序維持のために動いている」
「都合のいい物言いにも聞こえるが」
マーカスは苦笑しながら、再びグラスにバーボンを注ぎ込んだ。
「祖国の永久の発展に必要なことだ」
「その通り」
「“聖ゲオルク”の成功と祖国に」
「―――乾杯」
●鈴谷
「アメさんは」
後藤はぼやくような口調で言った。
「致死性の被害を及ぼすことなく、中華帝国中央部の基盤を破壊した。そう言ってるけどね」
米軍が、中華帝国に対して、“何か”をした。
それは美奈代達も乗組員の話題として聞いてはいた。
後藤の口から語られるのは、その話だ。
米軍が極秘に開発していたEMP爆弾が投入され、中華帝国上空で爆発。
この影響で、中華帝国中央部の社会基盤は壊滅的な打撃を受けた。
米軍は、人一人殺すことなく、中華帝国に大打撃を与えたと喧伝している。
後藤は、それを半ばからかっているのだ。
「送電網、通信網等は軒並み寸断された。
情報網が消滅したおかげで、外部から被害がどの程度か知る術がないのに、人殺してないってのはどうかと思うけどね。俺は」
こういう話をする時、後藤は楽しそうだな。と思うのは自分だけではないはずだ。
美奈代はそう思った。
「それでもさ?レーダーが、次々に墜落していく航空機を捉えているんだわ。1機2百人も乗ってたとしてご覧?10機も墜落したら2千人だ。しかも、大都市のど真ん中上空で消えた機体だけで10機以上だ」
「あの」
美奈代が訊ねた。
「これから……どうなるんですか?」
「面白いこと教えてやろうか」
後藤は、本当に嬉しそうだな。と、美奈代は思った。
「中華帝国の情報網の一部が消えた。これはつまり」
こういう笑いを浮かべる時、ロクなことはないことは間違いない。
「……」
美奈代は、何だか暗然とした気分で言葉を待った。
「国家全体の機能がマヒするってことなんだよ」
「えっ?」
「機能回復のために国家が持つ全ての力が費やされる。特に、中国のような力で民衆を抑えているような所で、中央の命令を届けることが出来ない事態は、民衆による国家に対する反乱を招きかねない危険事態だ」
「ですけど」
芳が首を傾げながら訊ねた。
「北米でいろいろあるのに」
「北米の軍隊は勝手に何とかしろ。政府にとっちゃ、そんなこと構ってるヒマはない」
後藤は、黒板に張り付けた世界地図の一部、中国大陸を指示棒で突いた。
「ここにいるよい子の大半は、ここに来たことがあるだろう?」
そこは北京から大分離れた場所。
チベットだ。
「ここに頑張っている、あの西姫達がこの機会を逃すとは思えない。南京やあの辺は最前線に近い分、兵士も多いが、こういう最前線に送られる兵士達の中には、現在の簒奪政権に嫌われて、“死んでこい”ってわけで送られているヤツも多い。
噂だが、西姫達はこういう連中の抱き込みにかなり成功しているそうだ。
何より、東南アジア戦線で政府の無能が原因で地獄を見た兵士達がごまんといるんだ」
「まさか―――内乱が」
「起きる」
後藤は真顔で言った。
「欧米は、西姫を正統な皇帝と認めている。支援も約束している。この作戦が、その“支援”の一環だとしたら?お前が西姫達ならどう動く?和泉」
「―――っ!」
「まぁ、これで」
後藤は天井をぼんやりとながめるように、背筋を逸らせた。
「痛たっ……トシかな……中華帝国軍はしばらく考えなくていいよ。連中が相当なバカでない限り」
「連中もヒマなしですか」
「そういうこった。北米に送り込まれた連中だって、新しい敵相手にするので精一杯だろうし」
「新しい敵?」
涼がえっ?という顔になった。
「ドイツ軍ですか?」
「もうお会いしたでしょ?」
後藤はちょっと呆れた。という顔で言った。
「ドイツ軍の間近。炎でブワァッ!って派手なことされたはずだ」
「―――あっ」
「これは俺の推測だが」
後藤は、ちらりと美奈代を見た。
―――言っちゃうよ?
その眼はそう語っていた。
美奈代は無言で頷いた。
「ニューメキシコ州のどこかに、日村のような仕組みがあったんだろう。つまり、妖魔達を封印していた―――それを、誰かが開けちまった」
「それって、中華帝国軍ですよね」
「だと思うだろう?」
後藤はニヤリと笑った。
「ところが、連中は先に手を打った。昨日、中国のマスコミは、北米戦線で、米軍が妖魔を兵器として投入してきたと報道した」
「……は?」
「連中も、かなりの辛酸を舐めたらしいね。“人類の敵と手を結んだ米帝の卑劣な攻撃”と口汚く罵っていたそうさ」
「それで?」
宗像は訊ねた。
「まさか、私達がそいつらを始末に行け―――なんて言いませんよね?」
「ご明察」
目を見張り、絶句する宗像に、後藤は続けた。
「俺達は、ドイツ軍とマラネリ軍と共に、こいつ等の始末に動く。作戦は追って知らせるけど、除隊も脱走も認めないからね?宗像?」




