聖ゲオルク作戦、発動
美夜に無能呼ばわりされた連中。
近衛軍司令部は、実はこの時点では北米に関わっているヒマは全くなかった。
美夜が聞いたら信じないだろうが、司令部はここ一週間、たった一つの作戦のために不眠不休の状態。しかも、それを他の軍や情報部に悟られることのないよう、厳重な情報管制下にて行ったものだから、過労で倒れる者が続出する騒ぎになっていた。
その苦難を味わう司令部スタッフが、自分達を無能呼ばわりする者がいると聞けば、喩えそれが艦隊副司令の嫁と知っていても、無事では済まさなかっただろう。
その苦難の結実を迎えたのが、まさにこの日だった。
「……ったく、人使いが荒いよなぁ」
ぼやきながら““征龍改AWACS仕様”1号騎を駆るのは都築だ。
「北米でさんざんコキ使った挙げ句が、問答無用でグアムまでフライト、こっちは時差ボケの寝不足だってのに、すぐに飛べだって?」
「文句言わないの」
2号騎を駆るさつきから言った。
さつきも生あくびをかみ殺している。
「せっかく、同期の晴れ舞台なんだよ?手伝ってあげなくちゃ」
「けっ。あいつらはご出世なさって、金鵄勲章持ちだぜ?そんな連中相手によくも言う」
「愚痴るなって……ところで」
さつきは言った。
「私達の任務って、日本として何の意味あるの?」
「それこそ愚痴だぜ?」
「HQより“タカメ1”」
「こちら“タカメ1”。感度良好。どうぞ」
都築が、司令部からの通信に答えた。
「お客のご来店だ。電波妨害装置《ECM》を展開のまま、高度を6万6千へあげろ」
「はっ?」
高度6万6千フィート。
メートル換算で約2万メートル。
飛行機が普通に飛ぶ高度ではない。
「ちょっと待て!そんな高度で飛ぶ……」
都築は、言いかけて言葉を間違っていることに気付いた。
「そんな高度で飛べるヤツがいるのか?」
「お客は高度7万5千―――少し高度を上げた。現在、7万5千で接近中だ」
7万5千フィート。即ち2万2860メートル。
「おいおい」
「急げ。カーテンコールに入ってからじゃクレームになる。さぁ、ファンファーレだ」
ファンファーレ。
ラグエル隊の作戦行動開始の暗号だ。
ラグエル隊―――つまり、神城三姉妹は都築達にとっても同期だ。
同期の仕事にケチをつけるようなマネはしたくない。
「ええいっ!」
舌打ち一つ、都築は高度を上げた。
「まだ、人工衛星なんて生きていたんだねぇ」
実はこの時点で、神城三姉妹の駆るFly ruler隊は、都築達のかなり上にいた。
その高度たるや、実に高度360キロメートル。
ほとんど人工衛星や宇宙船の高度。
この高度に達すること自体が、超高々度迎撃戦向けに開発されたFly rulerならではの能力としか言い様がないが、飛んでいる方はたまったものじゃない。
何しろ、防寒服どころか宇宙服さえ与えられていない。
騎体全体を対物防御バリアで護られているとはいえ、外は完全な死の世界だ。
初めてナマで見た宇宙空間の、そして地球の美しさなんて、もう感動さえない。
何故?
ギィンッ
バシュゥッ!
この音の原因―――対物バリアに接触して消滅する宇宙塵のせいだ。
ついさっき、グシャグシャに破壊された大型衛星の残骸とすれちがったばかり。
あんなのにぶつかったら―――そう考えると背筋がぞっとする。
ぶつからないように気を付けなくちゃ。
事前調査では、予定針路には大きなデブリはないというが、どうも信じられない。
「先の魔族軍による人工衛星狩りの影響は深刻ですからねぇ」
1号騎に配属されたMC、伊藤司少尉がポツリと言った。
「知ってます?10センチのデブリ一個で宇宙船だってオシャカですよ?」
「そんな中で頑張ってるのを壊すのは」
それを聞いた神城三姉妹の長女、一葉はポリポリと頬を掻いた。
「なんだか、もったいない気がするけどね」
「バリア搭載型攻撃衛星」
伊藤少尉は、クスリと笑った。
神城達からすれば、丁度一回り程年上の伊藤少尉からすれば、神城三姉妹は本当に子供のようなものだ。
本人としては意識しているつもりとはいえ、どうしても接し方が軍人のそれとは遠くなりがちになる。
「デブリにもびくともしない衛星が、東シナ海から太平洋方面にかけて3基配備されて、中華帝国周辺の空を監視しています。さて問題です」
「?」
「そんな衛星、誰が作ったんでしょう」
「……まさか」
「バリアの特性は人類のそれじゃありません」
「……それで私達が?」
「“信濃”の艦砲攻撃で仕留めることも検討されましたけど、日本軍からの攻撃は、中華帝国にどんな反撃の口実を与えるかわからない」
「だから、私達に命令が来た。しかも、それがデブリによる事故なのか。それとも故障なのか、少しでもいいから混乱させるような壊し方で」
「ご明察」
伊藤少尉は頷いた。
「相互防衛システム。つまり、3つの衛星の1つが破壊された場合、生き残った衛生から、衛星軌道上で攻撃を受けたと地上に司令が行きます。そうなれば、作戦は失敗。米軍の奇襲攻撃は、中華帝国軍の報復の口実となります」
「厄介な話ですね」
一葉は顔をしかめた。
「グアムから出て、都築っち達の支援を受けながら、大きく針路を迂回したのも、米軍の攻撃だと理解させないためですもんね」
「この針路なら」
伊藤少尉は戦況モニター上に映し出される米軍の予想針路を確認した。
「オセアニア方面からか、それともインドからか判断がつきません。とにかく、最悪でも米軍の攻撃だとは即断出来ないでしょう」
「……で」
一葉は、一番聞きたかったことを訊ねた。
「衛星に搭載されている弾頭は?」
「不明」
伊藤少尉は即答した。
「でも、私達が考える必要もないでしょう」
「双葉、光葉?」
「準備OKだよ?お姉」
「さっさと終わりにしよう?」
「そうね。少尉。攻撃タイミングは?」
「米軍と接触タイミングを同調します。米軍の準備が整い次第、あの衛星を狙撃・撃破します」
「ターゲット・ロックは」
「完了。向こうはまだ、こちらに気付いていません」
大気のブレがないだけ、光学補正が効きやすい。問題は、弾道が正確にまっすぐかだけだ。MCの腕と、MLの性能とに賭けるしかない。
「本当は……」
一葉はぼやいた。
「私、一発勝負って嫌いなんだけどなぁ……」
「見えた!」
高度を稼ぐだけ稼ごうと増設ブースターが悲鳴を上げる中、都築達は命じられた高度へと上がった。
「もう少し上に上がれば」
さつきがふと呟いた。
「川中島の時、思い出せたかもね」
「懐かしいな。今となっちゃ」
「……会いたいな。みんなに」
ダメッ!
さつきは強く頭を左右に振って、俄に沸いた感傷を脳裏から追い出した。
感傷に浸っていいタイミングじゃない!
美奈代達に会いたければ、ここで実績を作るしかない。
しかも、今は作戦中。
しくじれば―――二度と生きて会うことは出来なくなる!
さつきは強く言った。
「前方、距離4500。あれ?」
「……なんだ、ありゃ」
太陽の光を受けて黒く尖った機体が視界に入った。
「SR-71“ブラックバード”です」
水城中尉が言った。
「米軍の高々度偵察機」
「……違う」
さつきがその報告を否定した。
「機体の形状が若干違う。翼が張り出している」
「じゃあ?」
「B-71」
さつきははっきりと言った。
「SR-71の爆撃機バージョン。試作が1機だけ作られたって聞いてる」
「早瀬中尉は」
水城中尉が驚いた顔で言った。
「航空機に詳しいんですね」
「美晴……柏中尉が」
なぜかさつきは、苦笑いしながら言った。
「あの飛行機オタがそりゃ熱心に教えてくれましたから」
「まぁ♪」
「……ちょっと待てよ」
都築が会話に割って入った。
「そんな試作機が、こんな所で何してるんだ?俺達ゃあれだろ?コイツの飛ぶルートに沿って、電子妨害をかけながら飛行するって―――そういうワケだろ?」
「……」
「……」
「……どうなんだ?爆撃機がたった1機で進んでいく。
しかも、針路からすれば、向かっているのは中国大陸だ。
俺はどう考えても、楽しい予感はしないがね」
「……考える必要はないです」
しばしの沈黙の後、水城中尉は言った。
「私達は、飛べばよいのです。私達は、命じられたままに動くだけですから」
命令のままに動け。
水城中尉はそう言っている。
都築は、無言でそれに従った。
命令には従う。
それが、都築が偵察隊に回されて以降、身につけた処世術だ。
正義。
その言葉が、都築は自分から遠ざかっていくのを、この時、確かに感じていた。
自分の責任じゃない。
何があろうと、知ったことか!
心の中で、そう叫ぶ力が日増しに強くなっていく。
心の中で、それを歓迎する何かが蠢く。
マッハ3に近いんだ。
増設ブースターでもついていくのがやっとだ。
そんな中で、何が出来る?
そう。俺は何も出来ないんだ。
だから、仕方ないんだ。
都築は、そんな言い訳を受け入れるしかない自分に気付いていた。
「敵、衛星索敵圏内に入ります」
水城中尉が報告をあげたのは、それからすぐのことだ。
フィリピン諸島を左に見ながら、台湾の上空を突っ切るルートだ。
「Fly ruler隊、攻撃開始!」
「当たったんですか!?」
「―――当然」
そう答える水城中尉の返答には、ラグがあった。
とはいえ、ホウッ。と、無意識に安堵のため息が零れた。
「衛星の脅威は消えましたが……」
「勘弁してくれ。俺は寧々とHしたいだけなんだ」
都築が、そんなつぶやきを漏らした時。
すでにB-71は東シナ海で高度をさらに高く取った。
「高度が実用限界を超えています」
水城中尉が緊張しきった声で報告してくる。
「現在、高度3万を超えました」
「い、一体?」
都築は機体の位置を確認した。
もうすぐ上海に入る。
B-71はその間にも高度を上げ続けている。
「あいつの腹の中には……何が?」
「こちら“バード・アイ”」
帝国語で不意に通信が入ったのはその時だ。
重い、男の声だった。
「ここまでくれば任務は達成だ」
「ち、ちょっ!?」
「これで我々の勝ちだ。我々はこれより脱出する。貴軍の協力に感謝する」
「な。何を言って!?」
「衛星軌道上の部隊にもすぐに逃げるように伝えろ。これは私の」
相手は都築の声なんて聞いていない。
ただ、都築に伝えたいことだけを一方的に喋っている。
「一人の人間としての願いだ。30秒だ。無事の生還を祈る」
プッ
通信は、そこで途切れた。
「な、何が?」
「あの機の針路は!?」
「このままですと、もうすぐ徐州市街上空」
中国大陸、華北平原のど真ん中だ。
そこまで来たB-71の機体が、不意に若干、ぐらついた。
「B-71にて微弱な魔力反応―――マジック・エジェクトシステムを使った模様」
「脱出?」
「機体に対人反応なし。オートパイロットが作動している模様」
「―――まさか」
都築の顔から血の気が引けた。
「あいつら!」
都築はそれですべてがわかった。
「早瀬―――逃げろぉぉっ!」
都築騎が鋭いバンクを見せる。
「ち、ちょっと!?」
早瀬騎が、それにつられるようにして針路を変えた。
その途端―――
都築達は、白い世界に包まれた。




