それぞれの目覚め
鈴谷に戻った“死乃天使”が収容作業に入った。
整備兵が駆け寄り、所定の騎体冷却、固定作業が始まる。
床を蹴って“死乃天使”に近づく美奈代を後目に、後藤は楽しそうに笑った。
「さてさて」
フォイルナー少佐がコクピットから出て来ると、すぐにブリュンヒルデ達が近づいていく。
フォイルナー少佐の顔は、満足しているのか、それとも不満なのか遠目には全く分からない。
ブリュンヒルデに何事か語りかけられたフォイルナー少佐は、小さく頷くと、そのままコクピットを離れた。
「戦闘機動は」
後藤の横にいたフェルミ博士が細身の葉巻を弄びながら言った。
「―――さすがに耐えられたようだな」
「そうでなければ、英雄なんて看板さげてないでしょう?」
「それもそうか……殿下?」
「ん?」
紅葉から大福を渡されていた殿下が振り向いた。
「何です?」
「高血圧に糖尿病も抱えた身で、よくも甘味がとれる」
「―――何か?」
「どうするんだね?」
「あの様子からすれば」
フォイルナー少佐は、まっすぐに殿下達に向かってやってくる。
「絶対に、精霊体付きをくれと、そう言うに決まっています」
殿下は、少し困った。という顔になった。
「しかも、AI3タイプ搭載型をドイツ軍に寄こせと」
「無理か」
「現状では無理です。しかも、仮に供給できたとしても、精霊体をメンテナンス出来ないドイツ軍での運用は自殺行為です」
「……皇帝には、何と売り込んだのだ?」
「はい?」
「機を見るに敏な君のことだ。何かしらの手は打ったのだろう?」
「……」
お前のことはお見通しだ。
フェルミ博士の顔は、そう語っていた。
「本当に」
殿下は心底負けた。といわんばかりに、憮然とした顔でため息をついた。
「あなたには負けますよ。師匠」
「物心ついてから君を育てたのは私だぞ?殿下」
「母上がよく言っていますよ。あなたは、私にとって父親や祖父以上の身だと」
「それで?」
「皇帝を激怒させたことは認めます」
「何?」
「デュミナスの活躍に舞い上がった皇帝が、ドイツ駐留大使を呼び出して、まぁ、感謝を伝えてきたのですが、この馬鹿な大使が、あろうことか晩餐会でワインに酔っぱらって、陛下に面と向かって言い切ったのです。“あんなのは、ウチの国じゃ輸出用のモンキーモデルだ”と」
「……ほう?」
フェルミ博士はニヤリと笑った。
「あのプライドの高い皇帝のことだ。それは激怒しただろう」
「詐欺だなんだと、衛星通信経由で僕の方にまで文句が来ました。僕にとっては、ドイツ大使をどうぶっ殺してやろうかしか興味がないのですが」
「そこに、君は商機を見いだしたわけだ」
「―――その通り」
殿下は頷いた。
「モンキーモデルを売りつけてくるとは何事だというから、我が国のレギュラーモデルをドイツどころか、ヨーロッパで整備できる国なんてありはしない。文句があるなら、整備できる環境を用意していただこうか。と言いました」
「皇帝には、その意味がわからなかったろう?」
「メサイアの整備状況をどうのと、陸軍の偉いさんが青くなったり赤くなったり。必死にドイツ軍の技術を説明していましたがね」
「そこで、君は彼等の考えもしなかった精霊体搭載型を売り込んだ」
「しかり」
殿下は意地の悪い笑みを浮かべた。
「“求めよ。金払え。されば与えられん”でしたっけ?金を払えば技術供与はしよう。ただし、精霊体搭載型の安全な運用には、莫大な費用と、10年以上の歳月が必要だと釘もさしましたがね」
「―――結論は,この戦いにおける精霊体搭載型メサイアの供与と整備の一切をマラネリが引き受ける。ドイツは金と人を出せというところか?」
「ご明察。すでにいろいろと細工はしてありますが」
そこまで語り終えた殿下達の前に、フォイルナー少佐が硬い表情のまま、立った。
「……殿下」
フォイルナー少佐の顔は、軍人としてのそれよりも、教会で神に祈る一人の男の方が正しい何かを秘めていた。
「……心底、覚悟を決めたという顔だな」
殿下は、胸を反らせながら言った。
その言葉からあふれるのは、悪戯を楽しむ少年のそれではない。
少年王としての威厳そのものだった。
「“死乃天使”はどうだった」
クックックッ……。
喉からの笑い声にも、フォイルナー少佐は動じず、硬い表情を崩そうとしない。
「―――望んでも手に入らないものを、一瞬でも手にした感想は」
「こらっ!」
ぺんっ
不意に、そんな音が響いた。
殿下の後頭部をひっぱたいたのは、紅葉だ。
「何意地悪してんのよ。さっさと渡してあげればいいでしょう!?例えば、“ディアス”とか!」
「無茶言うな!」
殿下は後頭部をさすりながら抗議した。
「精霊体搭載のAI3エンジンは近衛が公開を許可してないだろう?」
「当たり前でしょう!?お師匠様はともかく、他国に属するからって、あんたにだって公開できないのよ?まだ開発段階だし、とにかく機密事項満載なんだから!」
「どうせ思いつきで作ったクセに!」
「言ったわねっ!?」
ガンッ!
ゴンッ!
鈍い音がハンガーデッキに響き渡った。
「……全く」
フェルミ博士が拳をさすりながら立っているその足下で、殿下と紅葉が頭を抑えて悶絶している。
「―――失礼、少佐。教え子達が迷惑をかけた」
「いえ。それで……」
「君の望みを聞こうか?」
「……」
フォイルナー少佐は、数回、息を整える。
その横ではブリュンヒルデ達が心配そうに上官の行動を見守っている。
フォイルナー少佐は、言った。
「我が国への精霊体搭載型メサイアの供与を」
「現段階では無理だ」
「―――っ!」
「理由は、政治的なものではないぞ?」
頭を何度か振った殿下が、涙目になりながら起きあがった。
「精霊体搭載型メサイアの整備技術は、非搭載型のそれとはかなり異なる。万全な整備が出来なければ、戦う前に死ぬぞ」
「……その技術を、ドイツは持っていないと」
「精霊体搭載型運用実績を、ドイツは持っているのか?」
「……いえ」
「そういうことだ。現状では、出したくても出すことは出来ない」
「……ですが」
「ですが?」
「このままでは―――」
「非搭載型でもかなりの所までやれるよう、武装開発と供与は続ける。ノイシアを使い続けるなら、それで我慢してもらうしかない。無駄死にが出るだけだ」
「……」
「それでも」
フェルミ博士は言った。
「少佐が、それでもなお精霊体搭載型に拘るなら。政府を経由してもらうしかあるまい」
「……ま、そうですね」
殿下は頷いた。
「一介の軍人の希望だけで、物事が進むことはない」
「……」
フォイルナー少佐の顔には、怒りとも失望ともつかない色が浮かんでいた。
「少佐?」
「……はっ」
「そう怒るな。結果が出るのは早いと思うぞ?」
「意味がわかりません」
「皇帝はプライドは高いが、聡明だ。黒狼と白狼率いる部隊を大敗北させた理由が、己の与えたメサイアの性能故だと悟れば、自ずから見えてくるものもあるだろう」
「……まさか」
「もう時間だ。お遊戯の時間から、君が何を学んだかは知らんが、生き残ろうとするなら、それなりに有効に使ったはずだ」
「……っ」
「殿下?何かあるかね?」
「皇帝には伝えてありますから」
殿下は言った。
「―――またしばらくしたら会おう。少佐」
鈴谷から離れていくTACの中。
ぼんやりとした顔をしているのは、ヘルガとエレナ、そしてイリスだった。
魂がどこかに消え去ったかのように、ただぽーっとしている。
特にその傾向が顕著なのがエレナだ。
「ちょっと」
周囲から肩を揺すられても、反応さえしない。
ただ、時折、不意に右手を握ったり離したりすると、楽しげな笑みを浮かべる。
はっきり、マトモじゃない。
クックック……と、突然笑い出した時には、あまりの異常さから、「日本軍のメサイアは、精神に影響でも及ぼすのか?」と、周りがドン引きしたほどだ。
「ヴォルフ」
ブリュンヒルデが、横に座るフォイルナー少佐にそっと訊ねた。
「そんなにスゴかったの?」
「……ああ」
フォイルナー少佐は頷いた。
「このまま、世界の果てまで逃げてみようとさえ思った」
「……それで」
「あれが量産化出来れば、少なくとも、あの半分程度の騎でもいい。量産配備出来れば」
ギュッ
フォイルナー少佐の拳が握りしめられた。
「―――昨晩の戦いで、何人かは死なずに済んだはずだ」
「……ヴォルフ」
ブリュンヒルデは、そっと握られたフォイルナー少佐の拳に手を乗せた。
「何を信じていいのかわからないけど、でも、私達は、与えられたものを使いこなすだけ」
「そうだ」
フォイルナー少佐は頷くと、そっとブリュンヒルデの手を握った。
「だが、満足のいかないものを使えと部下に命じるのは、心が痛む。そうだろう?」
「……そうね」
●鈴谷艦橋
「小清水少尉達が出る?」
「はい」
高木副長が頷いた。
「ドイツ軍の騎士によるHMCの試射がいい刺激になったようです。二人とも眼の色変えて出撃を要請しています」
「和泉大尉は」
「彼女も同じ―――と言いたいのですが」
「違うのか?」
「操縦システムに、ヘンなクセを付けられていないかが心配らしくて、独自の偵察任務を希望しています」
「……真面目なのか不真面目なのか判断に困るな」
美夜はため息一つ、頷いた。
「許可する。ところで、日本からの部隊は?」
「ヒドい連中です」
高木は憮然として言った。
「本艦には挨拶もなしです」
「特務隊配備の大型TACだとか?」
「高速強襲型です。眼の色変えて飛んできた。そんな所でしょう。すでに飛行艇に接触。月城隊は並行して運んできた“幻龍”3騎に任務を引き継ぎ、撤退を完了しています」
「あの飛鼠相手に“幻龍”で何が出来る?中国軍に奪還の動きがまだ見えないのか?」
「それが―――謎なのです」
高木も首を傾げるしかない。
「一切、動きがありません。本戦線において、中華帝国軍はむしろ撤退の動きを強めています」
「……解せないな」
「しかも、中華帝国軍の一方的な戦線縮小は、ここだけはありません」
「米軍は」
「損害に補充が追いつかないのが本音でしょう。千載一遇のチャンスと言いたいのですが、動きは極めて鈍いです。むしろ、深追いして損害を増やしたくないという戦略的な警戒感も見え隠れしています」
「その気になれば、いつでもつぶせる相手―――か」
「米軍にとってですか?」
「中華帝国軍にとってだ。もし、それが驕慢さの産物だというなら」
美夜は、従兵を呼ぶとミルクティーを頼んだ。
「―――仇となるな」
「そこまで、連中も単純ではないでしょう」
「それで?」
「はい?」
「世界で一番単純な、ウチの司令部はどうしろと?」
「一言で言えば静観。そんなところですか」
「……無能が」




