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鬼と女狼と 


「面白いじゃない」

 顔を真っ赤にした美奈代が、宗像騎のコクピットに潜り込んだ。

「二宮教官を売女呼ばわりするなんて」


「和泉」

 月城大尉が美奈代の肩を掴んだ。

「落ち着け。相手はお前を挑発しているんだ。わからないのか」


「―――わかっています」

 美奈代は作業を止めることなくふてくされた顔で言った。

「わかった上で、私はあいつをぶちのめしてやりたいんです」


「だが……」

 月城大尉もまた、二宮にとっては教え子だ。

 尊敬する“親”である二宮を侮辱されて黙っていられないのは同じだ。

 だが、相手は二宮と因縁の仲であることを知っているし、何より他国の軍人であり、世界的に知れた“英雄”であるブリュンヒルデ・クラッチマー中尉と、ここでもめ事を起こすことがどんな意味を持つか。月城は社会人の一人として考えたくさえない。


「ご心配なく」

 美奈代は言った。

「騎体はそんなに壊しませんから。ハッチ、閉めますよ?」


「えっ?」

 コクピットハッチが閉まる直前、美奈代にそう言われた月城大尉は、美奈代が勘違いしていることにようやく気付いた。

 自分は、ブリュンヒルデ・クラッチマー中尉とのケンカを止めたいだけだ。

 それなのに、美奈代は自分が騎体を壊されたくないから、止めに来たと思っている。

 これじゃ、美奈代が自分の言い分を聞くはずがない!

「お、おいっ!?」

 閉じられたコクピットを前にする月城大尉に、整備兵が怒鳴り声をあげて警告する。

「大尉っ!危険ですから離れてくださいっ!」

「……ちっ」

 舌打ち一つ、月城大尉は、騎体を蹴って“白雷改”から離れるしかない。

 それでも、どうにかしないと。

「大尉」

 安全区域に入るなり、その体を捕まえたのは宗像だ。

「大丈夫ですよ」

 宗像は、床まで月城大尉をエスコートしながら耳元で囁いた。

「クラッチマー中尉も、バカはやりませんよ」

「何故分かる?」

「他国軍の善意で乗せてもらった騎を破壊した。もしくは負傷者が出るような騒ぎを起こした。しかも、相手は大尉で、その騒ぎの理由は過去の痴情の縺れ?あなたがクラッチマー中尉の立場で、こんなこと公にされたいですか?」

「……うっ」

「今頃」

 クックックッ。

 宗像は楽しそうに笑った。

「コクピットで後悔しているのは、中尉の方かもしれませんよ?」



 はぁっ。


 コクピットに何度目か、吐いた本人が忘れた程のため息が漏れた。

「……ちょっと、大人げなかったか……な」

 そう思う。

 操縦システムの軽さに感心しながら、ブリュンヒルデはそっと手を握ってみた。

 あの時、この拳が捉えたあの女の頬の感触は、今でも忘れられない。

 左のフックがみぞおちに当たって、死にそうな位痛かったことも。

 ―――でも

 いくら娘と呼ばれても、その因果を他人にぶつけたのはまずかった。

 久しぶりに聞いた名の懐かしさが、そのまま、かつての怒りとなって出てしまった。

 素直に謝罪して、弁解しておけばよかった。

「……でも」

 ブリュンヒルデは強く首を左右に振った。

 否!

 違う!

 私はこれで良かったんだ!

 あの娘を通じて、あの女に頭を下げるなんて、冗談じゃないっ!

 あの女の秘蔵娘だか何だか知らないが、徹底的に叩きのめしてドイツ軍騎士の実力を味わわせてやればいいっ!

 それだけだ!


 ブリュンヒルデは強く頷くと、全てを振り切った顔で“白雷改”にハルバードを掴ませた。



 一方―――


「大人になりなさいと言いたいですけど」

 牧野中尉は楽しげに笑う。

「聞く耳持たないでしょう?」


「当然です」

 美奈代は顔をしかめた。

「私、絶対に許しませんから!」


「―――まぁ、それならそれで」

 牧野中尉は指をポキポキと鳴らした。

「狼狩りを楽しんでみましょうか」



 鈴谷を発艦した“白雷改”2騎は、それぞれに模擬戦用のエモノを持って、距離300を挟んで対峙する。

 美奈代騎が長刀。

 ブリュンヒルデがハルバード。

 それぞれが、それぞれの最も得意とする構えで相手の出方を見守る。

「こいつぁ面白い」

 ドイツ軍騎士達もまた、日本側の騎士や整備兵に混じって、モニターに映る光景を興味深そうに眺めている。

 日本側として、同じように様子を見守るのは、月城大尉と宗像、そして涼だ。

「どう見ますか?」

 その宗像の問いに、

「先に動くのはクラッチマー中尉だ」

 月城大尉は答えた。

「ハルバードを使っている以上、先に打って出る」

「リーチが短いお姉さまの方が、先ではなくて?」

 涼が首を傾げた。

「先に撃ち込んで、敵の焦りを誘う。無理にでも懐に飛び込ませようとな」

「……成る程?」



「おい嬢ちゃん」


 そんなやりとりが耳に入ったのか、ドイツ人騎士の一人が、そんな三人に親しげに声をかけてきた。

「どっちが勝つと思う?」

「―――さぁ?」

 宗像は肩をすくめた。

「“白狼”が、初めて搭乗した騎をどこまで扱いこなすか。問題はそこでしょうね」

「ハハッ。随分冷静だな」

 そのドイツ軍騎士は笑って言った。

「使いこなすに決まってるさ。現に」


 オオッ!

 動いたのはブリュンヒルデの方が先だった。


 一気に間合いを詰めたブリュンヒルデ騎のハルバード。

 その斧が斜めに振り下ろされ、美奈代騎をかすめた。



「―――ほう?」

 ブリュンヒルデの口からそんな言葉が漏れた。

 何故か?


 美奈代騎の動きだ。


 目の前で斧が振り下ろされたというのに、全く動じていない。

 慌てて飛び下がることもしなければ、誘いに乗って反撃に打って出もしない。

 まるで、目の前で何も起きなかったかのように、悠然と立っている。

 少なくとも、端から見れば、そう見えるのだが―――


 再び、間合いを開いたブリュンヒルデは、MCメサイア・コントローラーに訊ねた。

「下がった?」

「はい」

 アーデルハイトは頷いた。

「ハルバードがインパクトする直前、ほんの数メートルですが―――正直、見事です。まるでハルバードの生み出す風に押されたように見えました」

「へえ?」

 ブリュンヒルデの前で、美奈代騎に動きがあった。

 武装を変更したのだ。

 腰にマウントしていた小型の戦斧。

 対メサイア戦で装甲が割れるとも思えない小型の戦斧。

 その意味がわからない。

 ただ、先程の攻撃を回避してのけたことだけは、

「リーチが分かってるってことか」

 そう、素直に感心した。

「あんな子供がね……」

「どうなさいます?」

「子供でも」

 ブリュンヒルデは、再びハルバードを構えた。

「戦場で容赦はしない。それが礼儀のはずよ!?」

 美奈代騎に襲いかかった。


「来ますっ!」

 警告音が鳴り響くコクピットの中。

 美奈代はじっと迫り来る“白雷改”を睨んだ。

 身じろぎ一つせず、ただ、己に振り下ろされようとしている大降りの一撃を睨んでいる。

 美奈代は、疑似感覚として伝わってくる戦斧の柄の握り具合を何度も確かめながら、チャンスを待つ。

 狙いは―――

「そこっ!」

 騎体を狙ったハルバードの一撃をギリギリで回避した美奈代騎の持つ小型の戦斧が、ハルバードの柄に命中。

 ハルバードが奇妙な形でひん曲がった。

「判定っ!」

 ピーッ!

 警告音が鳴り響く中、アーデルハイトは叫ぶ。

「武器破損っ!使用不能っ!」

 それに答えるよりも早く、ブリュンヒルデ騎はハルバードを放棄。腰に吊していた太刀を引き抜くなり、居合いの一撃を美奈代騎に放った。

「くっ!」

 とっさにシールドを構え、シールドの曲線でその一撃をそらせた美奈代は、間合いを開きつつ、太刀を抜いた。


 斬艦刀よりも小型で破壊力は落ちるが、その長さ故に使い回しのよさが取り柄の最新鋭兵器―――“太刀”。


 ブリュンヒルデが性能を知っていたとは思えないが、奇しくもその模擬刀が両騎によって構えられた。


「おおっ!」

 ドイツ人騎士の間から歓声が上がった。

「スゴイぞあいつ!」

「中尉の動きに完全についてきてやがるっ!」

「おい嬢ちゃん」

 興奮した男性騎士が、ポンポンと親しげに涼の頭を何度も撫でた。

「嬢ちゃんのお仲間は、大した腕だな!」

「当たり前ですっ!」

 涼はそれに噛み付いた。

「相手を誰だと思ってるんですか!」


 ドイツ軍の基本武装はハルバードなどの、斧系武器だ。

 それだけに、ブリュンヒルデが太刀に慣れていないことは、その攻撃からはっきりわかる。

 数回、太刀が虚しく空を斬る間に、美奈代騎が間合いをとる。

 大きく振り下ろされた太刀を、騎体をスピンさせて回避した美奈代を、ブリュンヒルデが追う。

 体勢を立て直した美奈代騎とブリュンヒルデ騎の太刀同士が激しくぶつかり合ったのは、次の瞬間だ。

 ギインッ!

 ガィィンッ!

 鈍い音を立て、太刀同士が二回にわたって交わった。

 そして、

「グウッ!?」

「クッ!」

 互いに息をのむつばぜり合いになった。

「さすがに……」

 ギギギギッ……ッ!

 騎体の関節が悲鳴をあげる嫌な音がレシーバーに入ってくる。

「パワーはスゴイ……わね。でも」

 デュミナスでも難しい。ノイシアなら力に負けている。

 それが不思議なくらい、はっきりとわかるブリュンヒルデは、歯を食いしばると、STRシステムに渾身の力をこめた。

「この程度で!」


 ブリュンヒルデ騎が力押しに入った。

 美奈代騎は、ゆっくりと後退する。

 一歩。

 また一歩。

 力押しに負けないように、しかし、着実に下がる。

 ブリュンヒルデ騎が太刀に力を込めながら、その動きに誘われるように、まるで太刀同士が吸い付いているかの如く、ゆっくりと歩みを合わせる。

 一体、どこまで下がるのか?

 ブリュンヒルデがそう思った途端、

「くっ!?」

 美奈代騎は一気に騎体を斜め後ろに下げると、太刀をひねった。

 太刀同士が離れ、力のやり場を失ったブリュンヒルデ騎が思わず体勢を崩す。

 体勢を崩したブリュンヒルデ騎の頭部めがけて、美奈代騎の一撃が袈裟斬に襲いかかる。

 ブリュンヒルデは、騎体をとっさに沈めることで一撃を回避。

 美奈代は、かわされた太刀を動かして唐竹割として再びブリュンヒルデ騎に振り下ろした。

 運動エネルギーをそのまま太刀の破壊力として利用する技だが、ブリュンヒルデは、それを太刀でまっすぐに受け止めた。

 ブリュンヒルデは、太刀をゆっくりと円運動させ、上から押さえつけているのが美奈代の太刀だった状況を逆転させた。

 ブリュンヒルデの太刀が、美奈代の太刀を押さえつける。

 すぐに美奈代騎が離れ、横薙ぎの一撃がブリュンヒルデ騎に襲いかかってきた。

 ブリュンヒルデ騎は後退しつつ上段からの一撃で反撃に転じた。



「……」

 それまで歓声を上げていた騎士達は、ただ黙って推移を見守っている。

 激しくぶつかり合いながらも、互いの技量を駆使して一撃も攻撃を浴びることがない。

 ハイレベル過ぎる戦いを前に、騎士達はただ、黙ってしまうしかないのだ。

「……おい」

 涼の頭を撫でた騎士が訊ねた。

「ありゃ一体……何者だ?」

「お姉さまは」

 涼が何て言ってやろうかと迷った瞬間。


 勝負は、意外なほどあっさりとついた。



「―――ま、これがベストでしょうね」

「時間もなかったですから」

 牧野中尉に美奈代は答えたが、

「相打ちってのは、なかなか出来る事じゃありませんよ」

 牧野中尉はご満悦な顔で頷いた。


 そう。


 判定は相打ち。


 互いに振り下ろした太刀が、互いの肩部ギリギリで止まった。

 実戦なら双方共に真っ二つにされていたろう。

 どっちが先に命中させたかは関係ない。

 共に死ぬ。

 だから、相打ちだ。

 そうなった。


 模擬戦の終了を迎え、ブリュンヒルデ騎が近づいてくる。

 太刀は鞘に収められてている。


「わざとでしょう?」

「まさか」

 美奈代は答えた。

「さすがですよ……まぁ」

「まぁ?」

「戦場で、一騎相手にあんなに太刀振ったの初めてですし。引き際がわかんなかったのは確かでした」

「実戦なら」

 牧野中尉は自信満々に言った。

「あなたが勝っていました。それは保証します」

「嘘です」

「本当ですよ?普段のあなたなら仕留めていたな。そういう時が何度あったか」

「……」

「ほら。そっぽ向いてもダメですよ?メサイア搭乗中のあなたのことを世界で一番分かっているのは私なんです。メサイア乗ってる限り、妻は私ですからね」

「……知りません」

「まぁ、相手が相手ですから、迷いがあったようですが」

 牧野中尉は美奈代にそっと訊ねた。

「実戦で殺す自信はあるのでしょう?」

「肩書き相手に」

 美奈代は言った。

「死んであげる義理はありませんから」

「よく出来ました♪」


 不意に、ブリュンヒルデ騎が美奈代騎のほぼ正面で止まった。

 通信モニターに映るブリュンヒルデは固い表情のままだ。

「……」

 美奈代は無意識に、太刀を鞘ごと腰のマウントラックから外し、左手に持った。

「あの?」

 牧野中尉には、その理由がわからない。

「……」

「……」

 ブリュンヒルデと美奈代が、じっと互いの顔を見つめ合う。

 まるで時間が止まっているかのように、互いを見つめ合った二人だったが……。

 動いたのはブリュンヒルデの方だった。

 不意に太刀に手をかけたかと思うと、一気に引き抜こうとした。

 居合いの一撃を、美奈代騎にお見舞いしようとしたのは明白だ。

「なっ!?」

 唖然とする牧野中尉の前で、その一撃は結果として放たれることはなかった。

 抜刀する瞬間に間合いを詰めた美奈代騎の装甲に、太刀の柄頭がぶつかって太刀が抜けなかったのだ。

 しかし、美奈代騎が引き抜いた太刀の刃だけは、確実にブリュンヒルデ騎の首筋に突きつけられていた。

「……」

「この間合いで」

 顔を強ばらせるブリュンヒルデに、美奈代は言った。

「刀そんな風に抜いたらダメですよ」

「……そうね」

 ブリュンヒルデがため息と共に、そんな返事を出せたのは、少しの時間が必要だった。

「ワザと相打ちを譲ってくれたみたいだったから、腹がたったけど、これで納得できたわ」

 そう言って、ブリュンヒルデは小さく笑って見せた。

「……そうですか」

「でもね?」

「?」

「あの女に関しては、絶対に頭を下げることはない。いい?これは軍人としてどうこうじゃない」

「……」

「一人の女として、アイツは絶対に許せないの」

「……どうして」

「あの女に聞きなさい」

 ブリュンヒルデは、太刀を戻しながら言った。

「聞いた後、どう判断するかはあなたの勝手。どう思われようと、私は絶対にあいつを許さない。それだけよ――少尉?鈴谷に帰投するわ」

「了解」

 浮かび上がったブリュンヒルデ騎の背中を、美奈代は複雑な顔で見送るしかなかった。






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