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世界の王

 ポカン。


 もし、“死乃天使”のMCRメサイア・コントローラー・ルームのシートに座った感想をイリスに訊ねたら、そんな表現が一番お似合いだろう。

「大丈夫ですか?」

 全く動かないイリスの顔を、牧野中尉が心配そうにのぞき込む。

「えっ?」

 それで現実に引き戻されたのか。イリスはシートの上で小さく飛び跳ねた。

「す、すみません。あの……」

 イリスは赤面しながら、ポツリと言った。

「こんなスゴいインターフェース、初めてなので……」

 コントローラーシステムをそっとなでる指が、はれ物に触れるように震えている。

 スゴイ。

 それが、イリスの本音だった。

 ノイシアと比較すれば、あの子があまりに気の毒だ。

 デュミナスでも、この子を経験した後では物足りないにも程がある。

 インペリアル・ドラゴン・シリーズは、世界でも謎の多い騎とされるけど、これなら納得出来る。


 世界的技術大国、大日本帝国。


 その魔法科学技術の粋が一つに濃縮され、光り輝く場所。

 それが、このMCRメサイア・コントローラー・ルームなのだと、MCメサイア・コントローラーなら、イリスでなくても、誰でもそう実感出来るだろう。

 その実感たるや、皇帝の大聖堂。あの礼拝堂で神に祈るような荘厳ささえ感じてしまい、イリスは震えを抑えることが出来ない。

「基本は一緒です」

 牧野中尉は、微笑みながら言った。

「難しく考える必要はありませんよ?万一の場合は」

 牧野中尉は、自分の横で嬉しそうにイリスを眺めている“さくら”の襟首を掴んだ。

「“この子”もいます。ね?“さくら”?」

「……ママぁ」

 襟首を掴まれ、猫のように宙ぶらりんになった“さくら”は、不服そうに頬を膨らませた。

「どうして、私をつまみ上げるの?」

「この前、私と再会したら心底イヤそうにしていた罰です。私とタルバッハ少尉に対する態度の違いは何ですか?タルバッハ少尉が来た時は、飛び出して行くわ、抱きつくわ」

「だって」

「だって?」

「おっかないママと違って、お姉ちゃんは優しいもん」

 キョトン。とするイリスの前で、牧野中尉の笑みが凍り付いた。

「タルバッハ少尉」

「はい?」

「ちょっと―――お待ちくださいね?」

 牧野中尉は、“さくら”と共にMCRメサイア・コントローラー・ルームの外に消えた。

 その途端―――


 テメェ、言いやがったな!?

 バッチン!

 バッチン!

 ニ゛ャァァァァァッッッ!!


 MCRメサイア・コントローラー・ルームの外から、そんな音が響いた後、


「―――お待たせいたしました」

 “さくら”の細い首をわしづかみにした牧野中尉が、笑みを浮かべたままでMCRメサイア・コントローラー・ルームへ戻ってきた。

 小さな頭と同じくらいのでっかいタンコブを作った“さくら”は目を回していた。

「……あ、あの」

 つられるように、引きつった笑みを浮かべるイリスに、

「ああ、心配しないでください」

 牧野中尉は“さくら”を揺すりながら言った。

「精霊体は子供やケモノと一緒。しつけが肝心なんです」

「は……はぁ」

「私達、近衛のMCメサイア・コントローラーの一番大切な任務は、精霊体このバカどもに、世界共通の掟と仁義を叩き込むことです。それこそ、子宮と腸の奥の奥まで」

「は……はぁ」

 それ、どう考えても虐待じゃ……。

 その言葉は、喉の中でスポイルした。

 下手なとばっちりは、さすがのイリスでも御免被る。

「“死乃天使”は、他の騎と比べてもパワーが段違いな分、コントロールには細心の注意が必要です。特に、騎士が慣れていない場合、無意識にレッドゾーンまで平気で叩き込む恐れが」

 牧野中尉から受ける事前注意を、膝上のメモに書き込みながら、それでもイリスの神経は、どこか興奮していた。

 最新鋭騎を与えられて興奮するのは、騎士だけじゃない。

 私もMCメサイア・コントローラーだ。

 この子の限界を引き出してみたい。

 世界を破壊する、この子の力を目の当たりにしてみたい!

 ペンを走らせながらも、はやる心を抑えるのが精一杯だ。

 


 同じ頃。

「……何よ。これ」

 背丈が一緒だから、調整が楽。

 そういう理由で涼騎のコクピットに入ったエレナは、あきれ顔で操縦システムを眺めるしかなかった。

 エレナが驚くのも無理はない。

 信じられないほど軽いのだ。

 訓練生の頃、初めて操縦したノイシアの操縦システム。

 その重さは今でも体が覚えている。

 翌日から腕が動かない程の筋肉痛に襲われた身であり、そしてその重さと格闘する日々を送る身からすれば、この軽さは嘘のようだ。

 あれと比較したら、何も着けていないのと同じ。

 本当に、そんな感じだ。

「体のちょっとした動きでも、この軽さなら……」

「結構、敏感だから注意してくださいね?」

 コクピットの入り口から顔をのぞかせる涼が言った。

「他国のシステムと違って恐ろしく軽い分、ちょっとした動きでも、ダイレクトに反映されますから」

「……了解」

 エレナは、緊張気味に頷いた。

「砲は、さっきレクチャー受けた通りね?」

「はい。万一に備えて、かおるが立ち会いますので。何かあったら彼女に聞いて下さい」

「わかった。起動するから離れて」

「はい」

 涼がコクピットから顔を引っ込めたのを確かめたエレナは、コクピットハッチを閉めた。

 機動シークエンスそのものはノイシアとほとんど変わらない。

 ロジックモードを帝国語に切り替えてもらっているし、感覚で機動は出来る。

 それにしても―――

「……」

 チラリとMCRメサイア・コントローラー・ルームの様子を見る。

 カンメシをTACタクティカル・エア・カーゴに運び込んでいる所を、エレナに捕まえられた挙げ句、問答無用で叩き込まれたヘルガもまた、興奮した様子でMCRメサイア・コントローラー・ルームの中を眺めている。

 目を輝かせると、ヘルガは本当にまだ少女を失っていないなと、そう思う。

 恐ろしく解像度の高いスクリーンを眺め、外部通信装置がオフになっているのを確かめたエレナは、

 ハアッ。

 深いため息一つをつくと、愕然とした顔で周囲を見回した。

 その顔は、興奮で真っ赤だ。

「スゴいよこれっ!」



「―――あ、動いた。涼?」

 さすがに慣れないのだろうか。

 恐ろしくぎこちない動きをする涼騎を見守りながら、かおるが涼に訊ねた。

「何よ」

 少し離れた場所で、ヘッドレシーバーを付けた涼が応じた。

 その周囲では、ドイツ騎士達が面白そうに見物している。

 通信モニター上のエレナとヘルガは、共にやや緊張気味だ。

「どうしたの?」

「……騎体、他人に任せて心配じゃないかなぁって」

「そりゃね」

 涼は複雑そうな顔で頷いた。

「でも、後藤隊長の命令だし、点検にでも出したと思うことにする」

「現実主義的だねぇ」

「つーかさ。アンタが特Sサイズなんだから、お鉢が私に回ってきただけじゃない」

「……それは言わないでよ」

 口を尖らせるかおるの前で涼騎がハンガーの外へ出る。

 あまりに小さくて、普通のコクピットに入れないかおる用のコクピットユニットは、2メートル近い山崎の特Xサイズの正反対。

 共通するのは共に特注規格だということだ。

「こちら川崎」

 かおる騎のMCメサイア・コントローラー、川崎美由紀中尉が通信モニターに割り込んできた。

「小清水騎は安全のためカタパルト使用禁止。甲板から自律発艦します。本騎もその後に続きます。機動開始を宣言」

「了解。ハンガーデッキ・コントロール。こちら平野騎。ハンガーロック解除を申請―――あら?」

 美由紀の視界の端で、“死乃天使”が動き始めた。



 ううっ。

 頭に氷嚢を乗せながら、一連の眺めを見守るのは美奈代だ。

 あんまりだ。

 美奈代は動き出した愛騎を眺めながら、涙を堪えるのがやっとだ。

 あれは―――私のだ。

「心配しなさんな」

 後藤がポンッと肩に手を置いた。

「相手は黒狼と言われた英雄。二宮さんと肩を並べた相手だ」

「それでも」

「何が不満なのよ。あんだけ毎日消臭剤ぶちまけておきながら」

「男性には分かりません」

「あ?もしかして、今」

「セクハラです」

「ああ言えばこう言うんだから……やれやれ。反抗期の娘を持った父親は辛いよ」

 美奈代が何か言い返そうとした時だ。

「失礼」

 二人に近づいてきたのは、ブリュンヒルデだった。

「……あの」

「はい?」

「何騎か、お借りできますか?」

「……ああ」

 後藤はポリポリと頭を掻くと、しげしげとブリュンヒルデを頭のてっぺんから、爪先ので舐めるように眺めると、

「オヤジさん」

 近くで月城大尉と話こんでいた坂城に声をかけた。

「月城大尉の騎体、貸してあげてください。お相手は」

 そろ~っ。

 何故か逃げだそうとした美奈代の襟首を後藤の手ががっちりと掴んだ。

「こらこら」

「あとは宗像騎だけです!」

「十六夜ちゃんとブリュンヒルデ中尉の相性はよさげだったし、体格もほとんど変わらない。それなら調整も早いでしょ?」

「私と宗像じゃ―――ムガッ!?」

 ブチュゥゥゥッ!

 そんな効果音が入りそうな勢いで、宗像が美奈代の唇を塞いだ。

 無論―――自らの唇で。

「……まぁ」

 後藤が“やっちゃったよ、おい”と呟いたのは、唖然とするブリュンヒルデの耳にも届いた。


「自分を卑下するな。私はいつだってお前の味方。お口の、いや、三つの穴の恋人と表現してもいい」

「人の人格、ここまで破壊するようなマネしておいて、よくもそんな事言えるな!」

「なんだ―――これ以上は公開プレイだぞ?私でもさすがに恥ずかしい」

「清々しく言わないでくれ……グスッ……涼っ!散弾銃をコクピットに戻せっ!」


「……随分と」

 ブリュンヒルデは、本気で言葉を詰まらせた後、やっとのことで言った。

「フリーダムな部隊なのですね」


「まぁ、奇人と変人と病人で編成されるのが近衛の騎士部隊ですから」

 後藤はため息まじりに目の前で繰り広げられる部下達のやりとりを眺めながらぼやく。

「親としちゃ、たまったもんじゃありませんよ」


「―――心中、お察しいたします」


「どうも……ほらほら。やめないと、給料下がるよ?とにかく、お前がやるのが礼儀だ」

 後藤は言った。

「ブリュンヒルデ・クラッチマー中尉といえば、アレキサンドリアの七英雄の一人。お前ね。こうやって面と向かって出会えるだけで名誉なのよ?それを何。同僚とキスはするわ、痴情の縺れのあげく、凶状の一歩手前を演じるわ」


「それって、わ、私のせいですか!?」


「部隊の不祥事は、前線指揮官のお前の責任」


「……あ、あんまり」


「泣きたいのは俺の方だよ。とにかく、お前は部隊の中で、一番にお相手するのが礼儀の立場だろうが」


「グスッ……意味がわかりません」

 美奈代は滝のような涙を流しながら文句を言うのが精一杯だ。


「世界最高スコアの持ち主とか、そういう意味じゃない」

 後藤は諭すように言った。

「お前が長女だろうが」


「は?」


「中尉?」

 後藤はブリュンヒルデに言った。

「こいつはね?“あの人”の秘蔵娘。自慢の娘とも言いますな」


「……?」

 ブリュンヒルデは端正な眉をひそめた。

「失礼。私は日本人に知り合いは」


「いるでしょう?」

 後藤はニヤリと笑った。

「“黒狼”誕生前から“白狼”の名を恣にしていたクラッチマー“少佐”殿に、決闘なんて前近代的なマネをさせた、とんでもないのが」



「えっ?」

 ブリュンヒルデの眼が見開かれた。

 驚愕。

 まさに今のブリュンヒルデに浮かぶ表情は、それで表現できる。


「―――失礼」

 コホン。

 ブリュンヒルデは、数回、深呼吸して呼吸を整えてから、真顔で後藤に訊ねた。

「“あの女”は、一体、いくつで出産を?」


「―――ああ」

 後藤は笑って首を左右に振った。

「失礼?教え子って意味ですよ。彼女は確か、同い年でしょう?」


「私の方が1つ年上です」


「単なる教え子。それは肩書きのこと。“彼女”にとって、こいつは可愛い娘ですよ」

 後藤は自信満々に言った。

「特に和泉は、世界最高スコアの持ち主にまでなった娘ですからね」


「……」

 ブリュンヒルデの顔が、真顔というか、何だか恐い色を持ち始めたことを、美奈代は強く察知した。


「和泉?」


「は、はい?」

 逃げよう。

 そう思った美奈代の腰。正確にはベルトを後藤は後ろから離そうとしない。


「母親のメンツ潰すな」

 後藤はその耳元で言った。

「二宮さんの長女として、しっかりお相手なさいな。模擬戦のお相手は、和泉でいいですね?中尉」


「ええ」

 ブリュンヒルデは真剣な顔に、怒りさえ浮かべて頷いた。

「あの女の娘なら、申し分ありません」


「―――失礼ですが」

 あの女。

 二宮をそう呼ばれた美奈代は、カチンと来た。

「自分は二宮教官と貴官の過去を知りません。ですが、他国の騎士に対して、もう少し表現というものが」


「―――まぁ、失礼」

 ブリュンヒルデは、優雅に微笑むと、軽く敬礼の仕草を見せた。

「私、これでも精一杯の敬意を表してるんですのよ?あの売女に対して」




 ブリュンヒルデと美奈代が凶状の一歩手前を演じるかの瀬戸際の頃。

 カタパルトから発艦した“死乃天使”のコクピットで、フォイルナー少佐は不思議な感覚を覚えていた。

 何だ?

 その問いかけに、自分自身が答えられない。

 体を熱い何かが駆けめぐっている。

 体が震えている。

 歓喜以上の何かが、体からわき上がっている。

「……これは」

MCRメサイア・コントローラー・ルームよりフォイルナー少佐」

 イリスから、遠慮がちな通信が入った。

「大丈夫ですか?」

「ん?」

「バイタルが高い興奮値を示していますが」

「……」

「お加減が優れませんか?」

「……いや」

 イリスがびっくりしたほど、その声は澄みきっていた。

 そして―――

 クックックッ

「?」

 通信装置に入った、奇妙な音の後、通信装置一杯に響いたのは、

「し、少佐?」

 イリスも驚いたほどの、フォイルナー少佐自身の笑い声だった。

「成る程―――そういうことか!」

 通信モニターの向こう。

 イリスの目の前のフォイルナー少佐は、楽しげに、本当に嬉しそうに何度も頷くと―――

「きゃっ!?」

 あまりのことに驚くイリスを後目に、“死乃天使”を急激な戦闘機動に移した。



 そうだ。



 “死乃天使”をコントロールするフォイルナー少佐は、どこまでも広がる大地に、抜けるような蒼天の大空に―――世界の全てに感激の雄叫びをあげたかった。


 少佐に何が起きたか?

 簡単だ。

 昔を、思い出したのだ。

 生まれて初めてメサイアを操縦し、そして、その強さに直に接することが出来た昔を。


 メサイアのパワーを己のものとし、思うように空を舞い、大地を蹴る。

 その興奮は、味わったものでなければ想像さえ難しい。

 だが、味わえばすぐにわかる。

 世界を手に掴んだような感覚。

 それがメサイア使いの醍醐味だ。


「俺は世界の王だ!」


 それに初めて触れた時、興奮のあまり、通信装置一杯に叫んで、後で指導教官にしこたま殴られたが、あの頃は、その痛みさえ興奮が忘れさせてくれた―――。


 メサイアに乗れば、全てが許された。

 自分にも、そんな頃があったのだ。

 あれから―――何年だ?

 ちょっと、ほろ苦ささえ覚えさせてくれた思いに、フォイルナー少佐の口元がゆるむ。


 “死乃天使”は、直進しながらロールをかけるエルロン・ロールから、45度バンクし、そのまま斜めに上方宙返りし速度を高度に変えるシャンデルへ、縦横無尽に空を舞う。


 大地に強行着陸し、斬艦刀を抜刀。

 その辺にあった大木を、一瞬でなぎ払った。

 その機動のキレの鋭さは、黒狼の異名を持つ者として相応しい。

「申し分ないが……イリス?」

「はい」

「データは」

「完全にロックされています」

 イリスは、はっきりと答えた。

「日本軍も、ただでこんな最新鋭のデータは与えてくれません」

「―――そうか」




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