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逡巡


 騎体から降りたエレナは、そのままフォイルナー少佐の所へ向かって歩き出した。

 文句を言うためだ。

 地上に墜ちたサラマンダーを狙撃、撃破したことは、決して自慢になんてならない。

 狼が残飯に食らいつくなんて、許されることじゃない。

 エレナには、そうとしか思えない。

 我々は騎士。

 残飯の中に鼻を突っ込む豚ではない。

 なにより、黒狼とまで称えられるあなたならば―――

 それに憧れ続ける私ならば―――

 あれは―――許される事じゃない!


 フォイルナー少佐は、ブリュンヒルデ達と共に、サラマンダーの死骸の前に立っていた。

 左の翼が根本から切断され、右の翼が半ば断ち切られている。

 鱗に覆われた、メサイア並の巨体を醜くくねらせている。

 地面にくっきりと残るかきむしったような爪痕や尾の痕が、体に刻まれた狙撃砲命中時の苦悶をはっきりと伝えている。

「……し」

 フォイルナー少佐の後ろで立ち止まり、敬礼しようとして、エレナはとっさに口元を抑えた。

 喉から入り込んだ空気が、胃袋の中身を吐き出させようと体の中で暴れている。

 そんな錯覚さえ覚えた。

「……妖魔の死骸は初めてか?」

 よく見ると、声をかけてきたフォイルナー少佐達はしっかりとマスクをしていた。

 エレナはすぐに頷いたが、声が出てこなかった。

「死骸に接する時は、防毒マスク類は必須だと、規定に明記されているぞ」

 脇にいたイリスが、予備のマスクを貸してくれた。

「未知の病原菌を保有する種も存在する。死骸は早期に焼却するに限るが」

 ガンッ!

 フォイルナー少佐は、ブーツの爪先で軽くサラマンダーの死骸を蹴った。

 その音は、とても生身の肉体を蹴った音とは思えないほど、硬質だった。

「……私が攻撃命令を下さなかったことが、相当に不満な様子だな。中尉」

「えっ?」

 突然、そんな事を言われたエレナは、言葉に詰まった。

 文句を言いに来たのだが、逆にそれを指摘されると、どう答えていいのかわからない。

「あ……あの」

「いいか?」

 フォイルナー少佐は、妖魔の死骸から目を逸らさずに言った。

「我々は部隊で行動している。そのことを、絶対に忘れるな」



「―――意味がわかんない」

 サラマンダー達の死骸は、交戦規定に基づき火炎放射装置による焼却が始まった。

 地雷原突入前の地点まで戻り、立ち上るその黒煙を眺めながら、エレナは憮然とした顔でヘルガに言った。

「私は、一人で戦うなんて言ってない」

「言ってるのよ」

「いつ」

「狙撃させてくれって、その時点で」

「言ってない」

「言ったって、そうとられているの」

「勝手なコトするなってこと?それこそ言いがかりよ。私に命じてくれれば、日本軍にあんな派手なことさせなかった!」

「ほら」

 ヘルガは呆れた。という顔になった。

「私に。って言葉が出る辺りが驕ってる証拠よ」

「本当の話じゃない」

「なら聞くけど、MCメサイア・コントローラーの立場から言わせてもらうけど、あのトカゲの機動力は、並じゃない。戦闘移動中のメサイアを狙撃するのと同等以上のはずよ?そんなバケモノを、あんたが撃ち落とせるって判断した根拠は?」

「私の腕」

 エレナは、ポンッと自分の腕を叩いたが、

「……やっぱり」

 ヘルガは落胆した様子で、首を左右に振った。

「だから、あんな説教喰らったのよ。私の腕じゃダメなの。部隊の腕なのよ」

「……へ?」

 エレナのキョトン。とした顔がヘルガの神経に触れたらしい。

「何……それ」

「わかんない?」

 ヘルガが、信じられない。という顔になった。

 そのヘルガに、

「うん」

 エレナは生真面目に頷いた。

「ば、バッカじゃないの!?」

 突然、ヘルガは顔を真っ赤にして立ち上がった。

「わかんないなら教えてあげる!

 あの状況で、トカゲ一匹撃ち落としましたって報告する代償として、部隊全滅されたら割にあわないのよ!

 大体、私達、戦争してるのよ!?

 射撃競技してるんじゃない!

 そんなセリフが吐きたかったら、自分だけじゃなくて、部隊の狙撃の腕上げろって、そう言われたのよ、わかる!?小隊長!あんた一人で戦争してるわけじゃない!少しは連携ってもの考えなさいっ!」



「それにしても」

 “死天使”と“D-SEED”が着艦する光景をぼんやりと眺めながら、後藤は興味もないという顔で言った。

「中華帝国軍叩き潰しに行って、妖魔を撃破してくるとは」

「ヒョウタンから駒とは言いますけどね」

 美夜は苦笑しながら言った。

「妖魔の翼を叩き斬って地面に墜落させ、ドイツ軍の狙撃砲で仕留める……」

 美夜が、従兵の持ってきた紅茶を飲みながら小さく頷いた。

「撃破の手柄はドイツにくれてやるが、同時に、我が軍はドイツ軍にその実力を骨の髄まで味わわせることになる。話としては、悪くないことですね」

「俺ぁ、そこまで命じていないんですけどねぇ」

 後藤は、従兵から緑茶を受け取りながら、サンダル履きの足を痒そうに擦った。

「……で」

「で、とは?」

 美夜は、アームレストに乗せられたソーサーに、カップを戻した。

 見るからに高級そうなカップが、艦橋という殺風景な場所で奇妙に映える。

 雲間のような、独特な濃紺の模様を描くティーカップ。

 親類に子供が生まれた時のお祝いを買いに行ったデパートで同じものを見た覚えが後藤にはあった。

 あれ確か―――

 フランスのセーブルとかいうヤツだ。

 セットで買ったら、俺の給料吹っ飛ぶくらいの値段してたよなぁ。

 “梅寿司”と書かれた湯飲みを手に、そんなことをぼんやり考える後藤に、美夜は続けた。

「この先について、司令部からは?」

「列車砲の確保が最優先……そんなところですか」

「相変わらず、現実が見えてるんですかねぇ。時間ないのに」

「列車砲が手に入る……そこだけは、見えているようです」

「俺達、近衛で運用できるんですか?」

「やろうと思えば出来ますよ」

 美夜は答えた。

「安心して国鉄乗れなくなりますけど」

 美夜は苦笑したが、

「つまり、獲物は見えても、肝心の俺達は見えていない?」

「明日には日本へのフェリーに必要な人員と機材が届くことになっています。明日までは現状待機。その後は、後送の支援命令が下る可能性も」

「そんなヒマがありますかねぇ」

「ないですよ」美夜は答えた。

「本当なら、中華帝国軍の司令部のあるヒューストンまで進撃して、北米から連中を叩き出していなければならない。ところが現実は」

「侵攻をくい止めるのが精一杯。しかも、くい止めているというより、連中が自発的に退いてくれているという方が正しい」

「……然り」

「……どうなるんですかね。俺達ゃ」

「どこかで誰かが、この流れを変えてくれるような大きなこと、しでかしてくれるのを祈るだけですが、見たこともない人の起こす奇跡を求めるより、やれることをやりましょう」

「ドイツ軍と接触は?」

「負傷兵の保護最優先。医療部隊を出します」

 美夜の言葉を待つこともなく、側面に赤十字の描かれた一機のTACタクティカル・エア・カーゴが、鈴谷を発艦していった。



●鈴谷艦内

「また出るんですか!?」

「文句言わないの」

 美奈代に、牧野中尉が言った。

 二人の前で、整備兵達が“死天使”の補給作業にかかっている。

 各部のハッチが開放され、冷却装置が騎体関節部に接続される。

TACタクティカル・エア・カーゴが出たんです。ここを狙われたらアウトですよ」

「赤十字を狙うバカが」

 言いかけて、美奈代は首を左右に振った。

「私達の相手でしたね」

「その聡明さを」牧野中尉は嬉しそうに言った。

「もう少し、別な所で発揮出来れば、大尉は人生、もっと楽に生きられたでしょうね」

「過去形で言わないでください。それで?」

「簡単な哨戒任務です。ただ、次の発艦まで時間があります。少し休みましょう?」

「そうしましょう―――天儀?」

「はい?」

 美奈代は、“D-SEED”から降りてきた祷子の手を掴んで床に下りるのを手伝うと、ハンガーの隅にある、三方を幕に覆われただけの、休憩施設を指さした。

「待機ブースで何か飲もう」

「おごってくれますか?」

「自腹」

「ケチ」

「……そうだ。牧野中尉、宗像達は?」

「宗像中尉と月城大尉が帰還します。残りは山崎夫婦と寧々ちゃんだけですが―――周辺にメサイアの反応は皆無です。もう安心でしょう」

 ブースの一角に置かれた飲み物を入れたクーラーボックスを開きながら、美奈代は訊ねた。

「でも、妖魔は」

「出てきたら撤退が艦長の方針です」

 あら?アメリカ製仕入れたのね。と、牧野中尉がクーラーボックスからチューブ入りのドリンクを取る。

「賢明ですね」

「指揮官としては、あの人はマトモですよ」

「そう……ですね」

 美奈代は、2リットルのペットボトルをラッパ飲みし始めた祷子を後目に、チューブ入りのドリンクを取り出し、一つを水城中尉に手渡した。

 そして、三人で、ゴッキュンゴッキュン音を立てながら減っていくペットボトルの水を眺めた。

 無重力環境でペットボトルをラッパ飲みするのは至難の業のはずなのだが、祷子の喉がどれ程の吸引力を持っているのか、本気で不思議になる。

「次も頑張りますか」

「了解―――あれ?」

 美奈代がチューブから口を離した。

 その時、空になっているはずのハンガーベッドに固定された騎があるのに、初めて気付いたのだ。

 騎数は2騎。

 黒と灰色を基調とするカラーリングが施された騎体は、無骨でずんぐりとした、筋肉質というより、やや肥満体に近い。

 肩に描かれた国籍マークは、丸にパと書かれている。

 美奈代は、そんな国籍マークを見たことがなかった。

「……あれ、どこの国の?」

「マラネリですよ」

 牧野中尉が言った。

「マラネリ?」

「随伴している向こうのお国の艦から移ってきたのでしょう。多分、国王殿下のお出迎えに」

「成る程?」

 答えてから、美奈代は、もう一度、騎体を見た。

 外見が、何か、ひっかかるのだ。

「魔族軍のメースに似てませんか?」

 美奈代は、そのデザインに、かつて交戦したメース、“ツヴァイ”を連想した。

 ひっかかる正体は、まさにそれだった。

「似て……ますね」

 祷子も頷くからには、美奈代の思い違いではないらしい。

「装甲の厚さやスカート、足回りの形状なんか……それと」

 祷子の視線が向かったのは頭部。

単眼モノアイなんて珍しいですね」


「デザインなんて、そんなものよ」

 その声に、後ろを振り向くと、紅葉がいた。

「お帰り。無事でなにより」


「感謝します」美奈代達が一斉に敬礼した。


「やめなよ。無礼講でいい」

 紅葉は手を軽く左右に振った。

「外見はゴツいけど、性能はかなりよ」

「へえ?」

「整備性の高さや、いろんな面で世界第一線の騎。メサイアなら何でも売る、あのマラネリが国外輸出禁止している程の隠れた名騎よ」


「強いんですか?」


「騎士の腕にもよるけど、一応、これも精霊体搭載型だからね」

「へえ?」美奈代が感心したような声をあげた。

「精霊体搭載型なんて、採用している国が他にもあったんですね」

「整備の面からみれば、非効率だもん、嫌うのが普通よ。

 運用するにもかなりの技術がいるし……私でも、精霊体搭載型を運用できる国なんて、日本とマラネリの他なんて、すぐには思いつかないわ。

 何より……」

 紅葉の視線が、未だにハンガーベッドの最も奥に寝かされたままのメサイアに向かった。

 そこにある白と青のツートンに塗り分けられた騎体の外見は、どこか美奈代達が見慣れたような、不思議な雰囲気を持つ。

「あれは?」

 その存在に気付いたのは水城中尉が一番早かった。

「ベースフレームは“征龍せいりゅう”に類似しているようですが?」

「マラネリの最新型国王専用騎」

 紅葉が答えた。

「RS-4“マデリーン”の名前が与えられている。

 ベースは“征龍せいりゅう”と共通だけど、まぁ、別進化したαタイプメサイアとも言えるから、似ていて当たり前」

「日本製なんですか?」

 牧野中尉が驚いた様子で目を見張ったが、

「マラネリと日本は、αタイプメサイアに関してだけは技術交流があるから、類似性があってもおかしくないのよ。殿下がようやく組み上げて、お師匠様の酷評受けてる」

「酷評って……」

 牧野中尉があきれ顔になったが、

「お師匠様は、褒め言葉さえ酷評にしか聞こえないの」

 紅葉は楽しそうに言った。

「でも、言われた通りにしておけば、間違いはない。後で殿下慰めるのが大変だけどね」

「成る程?」

「これから先、運用テスト兼ねて、こいつも出るかもしれないから。和泉大尉?仲良くしてあげてね」

「は?」



 出たから代わってくれ。


 美奈代は祷子に願い出たが、


 牛丼特盛一年分。卵とみそ汁、サラダ付き。


 その代価を支払うのを渋って結局断られた。


「祷子スペックで牛丼一年分なんて」

 発艦した後、別れていく“D-SEED”を見つめながらぼやいた。

「お店丸ごと買い取ったって足りませんよ」

「同感です」

 牧野中尉も頷くしかない。

「モノには限度というものが……」

「何だか、バカにされた気もしますが」

「もしかしたら、相手は本気だったかもしれませんよ?」

「あいつ、食べ物には妙にシビアなんですよね……それでも」

「何です?」

 牧野中尉に、美奈代は小声で言った。

「あいつ、私達同期の中で一番ウェスト細いんですよ?」

「本当に……」

 牧野中尉が真顔で頷いた。

「あの細い腰のどこに消えてるんでしょうね。あの大量の食べ物……」

「鈴谷七不思議ってのがあったら、真っ先に掲載してもらいたいです」

「というか……私は、あの細さを維持する方法が知りたいです」

「本気で同意します……こら」

 美奈代は、脇の辺りに潜り込んできた“さくら”に言った。

「何してるの?“さくら”」

「調べもの」

「こらっ!どこからメジャーなんて持ってきたの!やめなさいっ!」




●ドイツ軍陣地

「フォイルナー少佐」

 携帯用の通信機に、デュミナスから通信が入った。

「日本軍騎、哨戒任務のため、上空を通過します」

「……わかった」

 北米の青い空を、彼はまぶしそうに見上げた。


 グンッ!


 空気を切り裂く音だけを残して、白い騎体が大きく弧を描きながら遠ざかっていった。


「……」

 フォイルナー少佐は、それをただ、無言で見送るだけ。

「ヴォルフ?」

 横にいたブリュンヒルデが言った。

「別名あるまでは、本隊はここを動けないわ」

「補充があるまでは、大隊として機能出来ない。の間違いだ」

 表情を変えずに、フォイルナー少佐はぶっきらぼうに答えた。

「長年かかって増やした48騎だったが」

「これまでの戦いで、大隊戦力のほとんどを喪失したわ」

「グリックシュバインの名も地に墜ちたものだ……」

「無理もない―――本気でそう言わせて」

 ブリュンヒルデは片手に持ったPDAを操作しながら言った。

「調べてみたら、東海岸戦線で、“あれ”相手に米軍もかなりの損害を」

「結果が全てだ。一方的なまでに叩かれた挙げ句、騎体大破以上22騎。戦死24名。重傷9名は、言い訳にはならん」

「……」

「ただ、指揮官として……いや、一人の騎士として言わせてもらえば」

 フォイルナー少佐は、腰に手を当て、背筋をまっすぐ伸ばした。

「……“あの連中”、この先の戦いは、ノイシアでは勝てないということだ」

「それは、メサイアのこと?妖魔のこと?」

「両方だ」

「ですが」

 ブリュンヒルデも頷くしかない。

「デュミナスを駆った私達ですら、あの体たらく。それを勘定に入れた上での発言かしら?」

「……悔しいか?」

「……」

「私は悔しい」

「……ヴォルフ」

「この無念を晴らさない事には、死んでも死にきれん」

「とはいえ、どうするの?騎体はない。騎士はいない。ないない尽くしの状況で」

「部下の前で弱音を吐くな」

「現実よ。私が言っているのは泣き言じゃない。

 あなたと私はいつだって、こんな状況下で戦ってきた。

 その都度、生きる道を見いだして来た。

 今回はどうするの?

 そう訊ねているだけ。それは間違っているの?」

 ブリュンヒルデには、まっすぐに空を見つめる幼なじみが、何を考えているのかさえ、はっきりとはわからなかった。

 何か、今までにないような、不安さえ感じてしまう。


 今までとは違う。


 それが、骨身に染みてわかってしまうのだ。


 幼なじみと自分が、“狼”とまで呼ばれたかつてのアフリカ戦線。

 そこでは、それでもノイシアで相手になる敵がいたのだ。

 ところが―――今度の戦場はどうだ?

 この差は何だ?

 彼等が進化したのか?

 それとも―――


 その答えを、ブリュンヒルデは知らされるのを恐れた。


 ブリュンヒルデの言葉の中には、現実に対する恐れが含まれていた。

 自分を、ノイシアを否定されるようで―――恐いのだ。


 だからこそ、目の前の男に言って欲しい。


 大丈夫だ。


 その一言が欲しい。

 昔のような、自信に満ちあふれた笑顔で、


 心配するな。


 そう、言ってくれさえすればいい。


 ブリュンヒルデという“白狼”が求めるのは、伴侶たる“黒狼”によってのみもたらされる安堵なのだ。


 ブリュンヒルデは、祈るように言葉を待った。


「……必要なら」

 彼の口から、言葉が出てきたのが、恐ろしく長い時間を必要とした。

 ブリュンヒルデには、そんな気がした。

「必要な力を、手に入れるだけだ」

「どうやって!?」

 ブリュンヒルデが目を丸くしたのも無理はない。

 騎士にとって、メサイアは国家から与えられるものであり、騎士が造るものではない。

 ドイツ帝国軍でノイシア以外に配備しているのは、デュミナスだけだ。

「魔法の鍋でも手に入れたの?ヴォルフ?」

「―――イリス」

 フォイルナー少佐は、通信機でデュミナスに通信を開いた。

TACタクティカル・エア・カーゴの発進準備を進めろ。後の指揮は―――よし。ヤツにやらせろ」

「あなた、一体?」

「日本軍の所に行く」

「はっ!?」

「マネリラの国王殿下が、あそこにいるんだ」

「それで……」

 歩き始めた幼なじみの背に書かれた思考を、ブリュンヒルデは読みとる事が出来た。

「まさか、あなた!」

「力をくれと、頼み込んでみる」

 口元に浮かんだ、その決意を、ブリュンヒルデは見逃さなかった。

 “黒狼”の小さな、しかし、何者にも屈しない強い意志のあふれた笑み。

 ブリュンヒルデは、それを見ただけで、口元がゆるむのを抑えられない。

「―――私も行くわ。あなた一人で行ったら、ハリボー一つもらえないで帰ることになるわ」

「よくも言う。昔はよく、小遣い握りしめて買いに行ったものだ。覚えているか?駅の隣の店」

「ヴォルフが悪さして、おばさんに店から叩き出されたのならね」

「……忘れていいぞ?」

「い・や」





●鈴谷艦橋

「今日は大入り満員ね」

 “死天使”の着艦を見守りながら、美夜は苦く笑うしかない。

 マネリラのメサイアが来たかと思えば、今度はドイツ軍だ。

「表敬訪問……だ、そうですが」

 高木副長に軽く頷くと、艦長席のシートにもたれかかった。

 ついさっき、艦橋へ乗り込んできたのは、フォイルナー少佐達。

 理由は、医療部隊派遣に対する謝意となっているが、美夜はその本心を見抜いていた。

 別に、断る理由もない。

 津島中佐もダメとも行っていないし、何より、メサイア開発の世界的権威が集まった艦内だ。

 今更、ドイツだけを拒む理由はない。

 ただ、美夜個人としては……。


「フォイルナー少佐にクラッチマー中尉……懐かしい名前だわ」

「艦長は確か」

「アレキサンドリア防衛戦の時は、今は無き“鞍馬”のCIC長だった」

「……あれは名艦でしたな」

「オンボロで泣かされたわよ」

「自分が乗艦訓練に回された時、すでにベテランでしたからねぇ。懐かしい」

「あの二人と縁が深い真理達がここにいないことを、私は感謝すべきね」

「噂では聞いていますが……」

「ええ」

 美夜は頷いた。

「“あの事件”は本当に起きたこと……気の毒に」

「二宮大佐が、ですか?」

「相手が、よ」






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