サラマンダー、出現 第二話
「……何ですって!?」
美奈代はヘッドギアのレシーバーを耳に押し当てた。
「何が来ているですって!?」
「だから!」
中華帝国軍とドイツ軍が戦場全体にECMをかけ始めているせいで通信にノイズがひどい。
TACの無線出力では通信がおぼつかない。
「……ったく!電波戦で中華やライミーに負けるなんて、恥にも程があるっ!」
紅葉は顔をしかめながら怒鳴った。
「そこを動くな!」
「だからっ!?」
「大尉っ!」
牧野中尉が声を挙げた。
「接近する飛行物体多数!」
「せ、戦闘機ですか?それとも爆撃機?」
「違います―――これは!」
マジックレーダーの反応を見た牧野中尉が悲鳴に近い声をあげた。
「―――これって」
牧野中尉は、胸ポケットからキーカードを引き抜くと、MCRの角、手の届くギリギリの、目立たないところにひっそりとおかれていたカードリーダーに突っ込んだ。
そして、カードリーダー上のテンキーを操作して、パスワードを入力した。
他のMCが見たら、首を傾げるだろう行為だ。
普通のMCRに、そんな設備は存在しない。
それを、牧野中尉はさも当然な顔で使用する。
「裏コード入力。ビハインド・データ、開放……」
MCRのメインモニターに、通常とは別の識別データが立ち上がった。
「まさか……まさか!」
神速のスピードでコントロールを操作して、データを閲覧する牧野中尉の指が止まった。
「……間違い、ない。そんな……神様」
その顔から血の気が引けた。
「……こいつが、出たというの?」
「D-SEED、水城です」
“モードXYZ 限定会話”。
アラームと同時に、そんな表示が出た。
MCRにこの会話は限定されているという表示。
美奈代も祷子も、二人の会話を聞く術はない。
「―――よろしいですか?」
彼女の目の前のモニターにも、牧野中尉と同じデータが表示されていた。
“MCR機能停止中”
“操縦権限保留中”
「ち、ちょっとぉ……」
突然、そんな表示が出て、操縦システムが動かなくなった。
“死乃天使”の操縦権限の全てが停止しているのは間違いない。
「戦場で何してんのよ。あのクソ中尉……悪魔って地下にいるんでしょう?どうして私だけ、頭の上にいるのよぉ……ん?」
ザァァァァッッ
木々を揺らして、何か巨大なモノが通り過ぎたのは、その時だった。
巨大な、本当に巨大な何か。
飛行物体なのに、エンジン音はしなかった。
風を切り、木々の枝を揺るがす音に、人工のそれは、一切無かった。
ジャンボジェット機並の巨大な体を、エンジン無しで、あのスピードで飛ばすことなんて出来るはずが……。
遠ざかっていくその姿を、美奈代は見送るしかない。
「今の……何?」
「赤兎隊、何をしているか!」
王少佐が真っ青になって怒鳴った。
通信モニターの向こうでは、唐少佐が怒り狂っていた。
「うるせぇっ!」
唐少佐が顔を真っ赤にして怒鳴り返した。
「友軍を問答無用で攻撃したのはそっちの部隊だ!データ取ってあるからな!あの状態で誤認もへったくれもあるもんか!俺のオヤジは軍法務局に顔が利く!銃殺台は覚悟しておけ!?」
「し、識別信号を発振しない場合―――」
「知ったことか!無人騎の常時監視、管理監督責任はそっちにあるはずだ!」
そんな口論に勝ったのは、当然ながら唐少佐の方。
飛鼠達は、後ずさりながら赤兎達から離れていく。
ドイツ軍はすでに後退を開始。
下手すれば、砲兵隊の砲撃がいつ始まってもおかしくない。
バリアシステムは、砲兵隊と一緒に撤退している。
もう、あの破滅の雨から身を隠すすべはない。
「……参ったな」
口論に勝とうが負けようが、身内を失ったことに代わりはない。
苦楽を共にしてきた仲間を、こうもあっさり失った自分が許せない。
「潘、曽……胡の騎体を引き揚げる準備に入れ。グレイファントムの被害は」
「……コクピットブロックは外れていたのですが」
MCは、悲しそうな顔になった。
「機関砲弾が……」
「……どこまで手抜きだ」
可能なら、一緒に引き上げてやりたい。
だが、赤兎1騎を引き上げるのが、部隊の限界だ。
ソミン達には済まないが、わかってもらうしかない。
「ソミン達は」
「いいものを見つけました」
「何だ?」
「さっきから目を付けていたんです。あそこに転がっているヤツ」
「……ん?」
目を凝らすと、林の角に一台のハマーが止まっていた。
「米軍の鹵獲品を、砲兵達が乗り回していたんです。使えるはずです」
「よくやった。お前っ!生きて帰ったらキスしてやろう!」
「勘弁してください!酒がいいんですけど」
「肝臓と胃袋が破裂する程飲ませてやる!ソミンっ!」
「は、はいっ!」
「脱出手段が見つかった!胡騎のシールドの上に集まれ!地雷原の外までは、俺達が運んでやる!」
「ほ、本当ですか!?」
「しくじったら、俺が人生、責任持ってやる!」
ガンッ!
その途端、唐少佐の騎体が激しく揺れた。
装甲部に対する警報が鳴り響く。
「なっ!?」
「長中尉っ!?」
横にいた長中尉騎が、狙撃砲の銃尻でぶん殴った衝撃だ。
「どさくさ紛れに、わけわかんないこと言ってないで、さっさと動いてくださいっ!」
「嫉妬するならもう少し可愛く―――よしわかった。中尉、これまでは事故だ。いいな?」
「この距離で外しはしません」
「唐少佐」
MCが報告する。
「飛来する物体4……5?」
「何だ?」
戦況モニター上では、飛鼠達がゆっくりと後退を開始している。
ドイツ軍は地雷原の向こう側。
砲兵部隊の後退支援には十分な時間をここで費やした。
俺達はここから下がっても、誰からも文句はこないはずだ。
飛鼠達を迂回して、地雷原を飛び越えて……。
戦況モニターを見つめながら、唐はそんなことを考える。
ただ―――
ちらりとモニターに映るソミンの顔に、どうしても意識がいってしまう。
コクピットから這いだした韓国人達が、シールドの上に集まった。
ソミンは、その中にいた。
涙に濡れた長く美しい睫。
うなじに張り付いた長く黒い髪。
これからの未来に緊張と期待を混ぜ合わせた感情を浮かべ、紅潮する頬。
この子と離れるのは……ちょっと寂しいな。
本当に、そんなことを思ってしまう。
「……飛行物体、速度、あげました」
「こんな所を?友軍か?」
「識別無し……何だ?こいつら」
「どうでもいい。俺達はここからずらかるんだ。もう知ったことか。潘、曽。騎体回収は終わっているか?」
「曽です。完了しました」
「長、あそこの車両を回収しろ。壊すな」
「自分でおやりになればどうです?」
「命令だ。見苦しいぞ。おい、こいつは?」
「……っ」
長騎が塹壕から出た、その時だ。
バンッ!
長騎の真横を火線が走った。
「ひ、飛鼠隊が発砲っ!」
「やりやがったな!?」
「……考えてみれば」
王は楽しげに喉の奥で笑った。
「あいつらを始末すれば、それで終わるんじゃないか」
「し、しかし」
オペレーターの一人が、不安そうに言った。
「友軍ですよ?」
「軍法会議に立ちたいか?飛鼠の監視任務はオペレーターの責任だと、そうなるぞ」
「……っ」
「君にも家族はいたな?確か、生まれたばかりの子供も」
「……はい」
「父親として、次に出会うのは軍刑務所の格子戸を挟んで?そんなことを望むのか」
「御免被ります……絶対に」
「なら、協力しろ。他の者もだ―――何」
王は嬉しそうに言った。
「騎士に名誉ある最後を与えてやる。それだけさ」
「後退するっ!長!大丈夫か!?」
「は、はいっ!」
「車は!?」
「回収しますっ!」
「全騎、牽制射撃っ!脱出の時間を稼ぐっ!潘、曽。射撃と同時に動けっ!胡が命と引き替えに護ろうとした連中を、無事に送り届けろっ!」
「「はいっ!」」
「いい返事だっ!」
満足げに頷いた唐は、狙撃砲を構えた。
「人間様の恐ろしさ、たっぷり教えてやるぜっ!このポンコツ野郎ぉっ!」
「……間違いなく?」
「……ワイバーンタイプ。翼の形状に、“サラマンダー”と呼ばれる“炎息”攻撃種の特徴が見て取れます」
「これが……どこから?」
「他の人達は知らないでしょうけど……“機関”の情報に間違いはなかったにしても、ここに来る理由が」
「風に流されてきたのではないでしょうか?今、上空は強い風が流れていますから」
「……成る程?“機関”のお告げ通り、全ては動いている。そのまたとない証拠……それが、あれなのね?」
「恐らく、そうなるでしょう。“サラマンダー”動きました」
「……ああっ!」
ポンッと、牧野中尉は手を叩いた。
「そういうこと!」
「牧野中尉?」
「……データ収集に協力して頂戴」
「はい?」
「あいつの狙いは―――」
牧野中尉は、忙しそうにコンソールを叩きながら言った。
「……えっ?」
その言葉が、水城中尉には俄には信じられない。
でも―――
「何故、そうするか。その原因を探る……面白そうですね」
彼女もまた、コンソールを叩き始めた。
「微力ながら、協力いたします」
「3騎、脱出ルートに乗りました!」
「よっしゃ!」
「後方から飛鼠本隊、残存部隊接近中っ!」
「王の野郎っ!本気で俺達を潰すつもりか!」
「俺達も引きましょう!飛鼠のブースターなら、赤兎の推力にゃ勝てないっ!」
「全騎、最大推力で戦線を離脱許可!死ぬなよ!」
「りょう……し、少佐ぁっ!?」
歴戦のメサイア乗りが悲鳴を上げても無理はない。
その場に居合わせた誰しもが、そう思う。
それは―――信じられない光景だった。
一列に並び、立ちはだかる飛鼠達。
彼等の持つハルバードが黄色い光が、むしろ幻想的な力で辺りを照らし出す。
その背後に広がる漆黒の闇の中から、彼等はやって来た。
ガジィィィッッ!
漆黒の闇の中から突如現れた牙が、居並ぶ飛鼠達の一騎に食らいついた。
自重、数十トンを遙かに超える飛鼠が、軽々と空中に持ち上げられた。
飛鼠に牙をめり込ませる長い首が、イヤイヤとするが如く激しく上下左右に動き、牙に食いつかれた飛鼠は、それにあわせて激しく揺すられた。
バギィィィッッ!
ついに、牙が飛鼠をかみ砕き、哀れな飛鼠は、胴体を真っ二つに食いちぎられ、その騎体の残骸をそこら中に撒き散らした。
雨霰と降り注ぐ飛鼠の残骸を浴びながら、彼らが眼にした光景。
それは―――
突然、目の前に現れた、巨大な翼を持つバケモノ達の存在だった。
トカゲのような体に、コウモリのような翼を取り付けたような、異形の存在。
ハルバードの灯りに照らし出された、数十メートルに達するだろう巨大な翼を広げた光景は、嫌悪感よりむしろ、荘厳ささえ浮かべている。
「……龍だ」
誰かのつぶやきが耳に入った。
もしかしたら、自分かもしれない。
でも、そんなことはどうでもいい。
龍。
しかも、西洋人が想像するトカゲとコウモリの掛け合わせのような、醜悪な方だ。
唐も、そんな想像図を、子供の頃、絵本で見たことがあった。
どっちにしても、空想の産物に過ぎないはずの存在。
そのはずなのに―――。
今、その空想の存在が、現実となって、現実の恐怖となって、彼等の前に存在している。
「少佐ぁっ!」
部下が悲鳴を上げた。
「な、何ですか!?あれは!」
「―――っ」
どうすればいいか?
唐はこんな時、一つしか方法を知らなかった。
「全騎っ!」
彼は部下に命じた。
「―――逃げるぞっ!」
「ど、どこへっ!?」
「知るか!適当に逃げればいいんだよ!」
「ならついていきます!」
「勝手にしろっ!」
そんな彼等の目の前で、龍達の口から出た炎が、新たな敵に対処できないのだろうか。
立ちつくす飛鼠達を包み込んだ。




