焼けぼっくい
第一分隊敗北。
後の近衛メサイア部隊を担うエリート幹部候補生と見込まれた者達により編成された第一分隊。
成績優秀をもって他分隊の追随を許さないはずの部隊が、最も成績が劣る第七分隊に敗北した。
それを誰も最初は信じようとはしなかった。
だが―――
候補生達でさえ間近に見ることがほとんどない憧憬の対象、その優美なデザインから、世界のメサイア使いから“貴婦人”の敬称さえ与えられている“幻龍”、そして自分達の母鳥たる“雛鎧”。
第一分隊の勝報を待ち構えていた候補生達の前。
飛行艦の中でも、メサイアの整備機能を持たない純粋な輸送艦が富士学校に入った。
空を飛ぶ大型コンテナ船から降ろされるメサイアの姿は、さすがに目立つ。
目立つだけに、見る者に否応もなく演習結果が突きつけられる。
第一分隊の勝利を信じて疑わない候補生の多くは、その有様に絶句するしかない。
「一体、こりゃぁ……?」
自力移動が出来ないメサイアを運搬するための自走式重量物運搬装置“ストレッチャー”に乗せられたメサイアが目の前を移動する。
ストレッチャーに横たわる無残な状態のメサイア。
その惨状が、どうしても信じられない。
ただの候補生同士の演習で、ここまでメサイアが破壊されたなんて話は、聞いたことがない。
“あの第一分隊が負けたのか?”
“冗談だろう?”
候補生達の口から漏れる声はそんなものだ。
ストレッチャーによる自力移動不能騎の積み卸しが終わり、頭部装甲を吹き飛ばされた“幻龍”を筆頭に、自力歩行可能な“雛鎧”と“幻龍”がMCのコントロールによって艦から降り始める。
無傷の騎を探す方が難しい有様だ。
その騒ぎの中。
気づく者は気づいていた。
訓練生の数に対し、降りてきた騎体の数が1騎、足りていないことを……。
●富士学校 第一整備ハンガー
「―――というわけだ。以後、気を付けろ!」
メサイアを整備するために建造された巨大なハンガーの中、破損したメサイア達の前で並んで正座させられているのは、第一分隊と第七分隊の候補生達だ。
説教のあまりの長さに、美奈代はすでに脚の感覚がない。
「これに懲りたらメサイア壊すな!わかったか!?」
官品だの国民の血税だの、いい加減にしろと喚きたくなるほどの“老整備班長殿の演説”がようやく終わった時、美奈代は自分の忍耐力に感動さえ覚えた。
「処罰を申し渡す」
さすがに聞くだけで疲れたのか、二宮はうんざりした声で美奈代達に言った。
「第七分隊は“雛鎧”整備完了まで、整備班の支援業務に就くこと」
げぇっ!
美奈代達は声こそ出さないが、表情で悲鳴を上げた。
「うるさいっ!」
二宮は怒鳴った。
「あんた達のおかげで、私まで始末書書かされるんだから、文句言うなぁっ!」
●富士学校 廃棄部品倉庫
「何が不満ってさぁ」
さつきが騎体から外されたパーツを運びながら美奈代にぼやいた。
メサイアの整備を手伝わされてからすでに数日が経過。
手や顔はオイルで汚れ、騎士辞めて整備に移ろうかなんて話が半ば本気で語られるようになっていた。
ハンガーの隣の建物に入ると、照明が落とされてやたら薄暗い。
足下に気を付けないと簡単に転びそうだ。
「第一分隊は、おとがめなしってことだよ」
「うん」
さつきと一緒に美奈代が運ぶのは“幻龍”から外された電子パーツ。
長くて重い。
何のパーツだったか、美奈代は思い出そうとしたが出来なかった。
「あいつら一体、何様のつもり?大体、私達はあいつらに襲われたんだよ?」
「言うな―――行くぞ?」
せーのっ!
ガシャンッ!
得体の知れない残骸の山にパーツを放り込む。
「まぁ、これ一個、いくらするか考えれば、整備や学校が怒るのも無理ないけどね」
「……早瀬」
「何?」
「すまないけど、先に行っていてくれ」
「トイレ?」
「……まぁ、そうだな」
さつきの後ろ姿を見送った美奈代は、壁に立てかけてあったパーツの影に向き直った。
「こんなところで、何の用です?」
「……よくわかったね」
パーツの影から出てきたのは、染谷だった。
染谷を見る美奈代の目は、決して友好的ではない。
「……第一分隊の隊長殿が、こんな所で何をなさっておいでで?」
「何と言われたい?」
「すぐに消える」
「―――ふん」
染谷は、鼻で笑うと、尊大な態度で近づいてくる。
今までの美奈代なら、“毅然とした”とか、“堂々とした”……そう、表現したろう。
それが、今では何だか虚しくさえ感じられる。
一度、幻滅した男に再び思慕を抱くのは、並大抵のことではない。
「……っ」
美奈代は、近づく染谷に背を見せないように気を配った。
「一言、言っておきたい」
「何をです?」
「……人に対して、もう少し態度を改めるべきだとは思わないか?」
「それは失礼いたしました」
美奈代はわざとらしく敬礼した。
「自分は軍隊育ちとして、男とのコミュニケーションは“これ”しか知りませんので」
美奈代は握り拳を染谷の前に突き出した。
「―――君は」
染谷は表情を変えることもなく、
「“マイ・フェア・レディ”を知っているかい?」
「型式は?」
「?」
「31ですか?32?」
「い、一体、何の話だい?」
怪訝そうな顔になった染谷に、美奈代は真顔で言った。
「自分は、候補生の愛車がフェアレディZであることなんて知りませんでした」
「……」
染谷は何故か、沈痛な面もちで天を仰ぎ見た。
「……君は、余程、文化というものに興味がなかったらしいな」
「はい?」
「オードリー・ヘップバーンを知らない……か」
「……」
美奈代がその名を知らないことは、その表情で明らかだ。
「……恥をかく前に誰かに聞いた方がいい―――いや」
染谷は思いついたように言った。
「たしか、あの劇場……そうだ、見に行くことにしよう」
「は?」
「士官たる者、一般教養にも詳しくないといけない」
「……はぁ」
何か、うまく言いくるめられつつあることに気づきはしても、美奈代は特に反論はしなかった。
戦術しか知らない“戦闘バカ”は出世出来ない。
それは、自分の父が大尉から少佐に昇進するのに10年近くを必要とした際、父自らがこぼした愚痴だ。
「わかりました」
士官としての心構えを説かれたとしか認識していない美奈代と、
「そ、そうか」
男として申し出た染谷の溝は、意外と大きかった。
「で、では、今度の外出の際に。会場は確認しておこう!」
「……はい。よくわかりませんが、頼みます」
「うん!」
そう頷く染谷。
その瞬間、普段、冷静沈着なはずの染谷の顔が、美奈代にはまるで子供のように輝いて見えた。
―――悪くないな。
美奈代はクスッ。と小さく笑うと、染谷の後を追うように歩き始めた。
美奈代の焼けぼっくいに火がついた瞬間だった。




