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中国の狙い


 近隣諸国への武力侵攻に及んだ中華帝国の真の狙いがどこにあるか?


 世界各国……否、中華帝国の国民の多くでさえ、それは「中華思想」に則った覇権主義的行動であり、当然ながら望む所は所詮はアジア、よくても太平洋のごく一部に限定されると考えていた。

 おかげでヨーロッパ諸国からは、開戦当初こそ地球の裏側にあるアジアが壊滅したところでヨーロッパには関係ないし、中華帝国が何をしようと勝手だという、いい加減な発言さえ公然とまかり通ったのは確かだ。


 肝心の中華帝国による開戦当初のプランでは、

 1.中東への想定外の侵攻をもって欧米の戦力を中東へ誘い出す(中東侵攻作戦)

 2.その間に電撃戦によって東南アジアを制圧する(東南アジア電撃作戦)

 3.東南アジアに親中華帝国の傀儡政府を樹立させ、中華帝国への国家レベルでの編入を“自発的に”行わせる。

 4.東南アジア編入を既成事実として欧米各国に認めさせる。


 大凡、この4段階で戦争は進められることになっていた。

 気づくかもしれないが、この全部のプランの中には、欧米との戦闘は想定されていない。

 何故か?

 中華帝国政府の奢り?

 そうかもしれない。

 欧米諸国は、中華帝国との経済的関係から、中華帝国の戦争行為に対して公然と武力を持って反抗することには消極的になるしかない。

 経済的制裁は逆に自分達の首を絞めてしまうことは、彼ら自身が一番にわかっているはずだ。

 故に、“何をしても”欧米諸国の動きは鈍いはずだ。

 その重い腰を上げる前に、全てを終わらせて既成事実として突きつければ、彼らはそれを鵜呑みにするしかあるまい。

 唯でさえ国家間の利害調整に難航するヨーロッパの連中は、突発的な出来事に対処することが苦手、戦争のような複雑な利害が絡めば尚更だ。

 彼らに時間を与えてはならない。

 時間が無ければ無いほど、彼らは意見の統一が出来ず、弱腰に終わる。

 中華帝国政府はわかっていた。

 この戦争における最大の敵。

 それは、欧米ではない。

 時間だ。

 ―――早期終戦。

 混乱する世界に一方的要求を突きつけ、全てを鵜呑みにさせる。

 それで―――勝利だ。


 ……。


 無論、この都合のいい机上の空論は水泡に帰したのは確かだ。

 アメリカの参戦はその中でも最悪の事態だったが、中華帝国政府はとにかく終戦工作を急いだ。

 未だに東南アジアで優位を維持しているうちに和平、終戦へと持ち込めば、東南アジアの覇権という基本的な目的だけでも果たすことが出来る。

 

 戦争の終結。


 その点では中華帝国と欧米諸国は利害が一致したと言って良いし、水面下ではその交渉が続いていた。

 何故?

 カネだ。

 戦争を起こすには莫大なカネが必要。

 それをどうやって賄う?

 中華帝国軍が近隣諸国を完全に制圧したとして、その国々を統治するのに必要な兵力は軽く見積もって10や20の師団では足りない。

 開戦以前の時点で、財政を司る国務院財政部に対して、軍からは計6個軍(中華帝国軍では、1個軍は4個師団・定員4万で編成される)、計24万の兵力を東南アジア方面へ派遣するプランが提示され、プランそのものが廃棄されそうになったことがある。

 国務院が国家レベルでその負担に耐えることは出来ないと正式に回答したからだ。

 地方政府の粉飾経営などで国民が公に知らされていない、政府の「闇の借金」は国家予算を食いつぶす手前まで膨らんでいる中、24万もの兵力を海外に動員するのに必要な費用をどう足掻いても捻出することは出来ないと国務院は承知していたからだ。

 海外から膨大な投資が流れ込んだ結果、世界の工場と呼ばれ、世界的にも大国の一つに数えられるようになった中華帝国であるが、その内実は極めて厳しい。

 人件費の高騰や労働争議、地方政府の財政悪化。汚職。治安悪化。環境汚染―――悪い材料には事欠かない上、国家成長は著しく鈍化している。

 財政上の赤字は隠しても隠しきれない。

 そんな国が戦争などというバクチに撃って出ればどうなるか?

 もしもバクチに負けたら?


 全てが終わる。

     

 だが、始めてしまった以上、破滅は避けねばならない。

 どうする?


 軍部はこれに答えを出した。


 アジアどころか世界を支配下に置く。


 資本家だろうが多国籍企業だろうが、全てを支配下に組み込めば財政問題なんて生じる余地はなくなる。


 そんな発想だ。

 

 カネが心配なら、世界を手に入れるだけでいい。

 それだけのことだと、本気で考えているのだ。


 “妄想”


 そう評価すべき所だが、どんな手段を使ってでも、勝つ。


 それがどれだけ非常識だろうと。


 ……当然と言えば当然な発想だ。


 なら、相手は?


 世界最大の軍事大国にして経済大国―――アメリカ合衆国。


 そのアメリカは、石油利権に固執するがあまり、大量の軍事力を未だに中東へ配置したまま。

 国内の軍事力も、続々と東南アジアへと送り込んでいる。

 おかげでアメリカ本国に駐留する戦力は限られている。


 この状況を利用しない手はない。


 アメリカ人は、自分達の国が襲われることはないと断言し、疑うこともしない。


 ここに勝機がある。


 今、アメリカ本国が中華帝国に叩かれたらどうなる?


 最小限度の時間とコストでアメリカは白旗をあげることになる。


 それを成し遂げるためには、なるべく遠く離れた所に前線を作り、彼等の兵隊を一人でも多くそこに送り込ませればいい。


 その分、本国を護る手は薄くなる。 


 中国にとって東南アジア戦線は、その状況を作るためのただの撒き餌に過ぎない。


 中国の世界的覇権獲得のための奇策―――北米侵攻作戦。


 それが今、発動しようとしていた。 

  

  





●大西洋上 パナマ船籍タンカー「プリンセス・パシフィック」

 大西洋を単独で航行する、こんなオンボロタンカーに一々神経を使う物好きはいない。

 5分前にアメリカ沿岸警備隊所属の観測機が付近を通過したが、国籍と船会社、船名を告げただけで何のお咎めも無い。

 気楽なものだ。

 巨大な船体に不釣り合いなほど小さい艦橋。その露天部でタバコを吸っていた男は、晴れ渡った青空をぼんやりと眺めながら、そんなことを考えた。

 パナマ船籍のタンカー。

 目的地はイギリス。

 積荷は原油。

 船会社の都合でテレポートシステムを経由せず、大西洋航路を移動している。

 “シチュエーション”としてはそんなところだ。

 それでもおかしいと思って当然だ。

 原油を積んでいるはずなのに喫水線の下がはっきりと見えていることがありえるか?

 それに気づきもせずにさっさと帰ってしまうバカに税金を支払っているアメリカの物好きのアホぶりには頭が下がる。


「そろそろ時間です。それと」

 艦橋から顔を出した、この船の船長がタバコを灰皿に押し込んだ男相手に顔を顰めた。

「その格好で、外に出るのはやめてください」

「そう言わないでくれ」

 男は無精髭に覆われた顔をしわくちゃにして微笑んで見せた。

「俺にとっちゃ、これが一張羅だ」

 彼は中華帝国軍の潜水艦乗組員のジャケットを軽くつまんでみせた。

 胸ポケットの上には艦長を示す徽章がついている。

 彼が中華帝国の軍人だという証拠だ。

「沿岸警備隊に見つかったら、全部が水の泡です」

 対する船長は一般の船会社に所属する船員らしい格好だ。

「見えるもんか」

「奴らだって双眼鏡くらいはもっている」

 そんな船長の抗議はどこ吹く風。彼は船長の脇を通って船内に通じるタラップに足を掛けた。

「この作戦は、あなたの潜水艦をアメリカの東海岸の沿岸部に接近させることが出来るかに成否がかかっている」

「その通り」

 男はまるで他人事のようにラッタルを慣れた調子で降りていく。

 タンカーの船内。

 そこには当然、原油を収めるべきオイルタンクがあるはずなのだが、そこは巨大な空間として開けていた。

 船底には巨大なプールが作られており、そこにはクジラが浮かんでいた。


 クジラ―――中華帝国海軍原子力潜水艦“震80号”だ。


 大陸間弾道ミサイルを搭載する潜水艦の周りではタンカーと潜水艦双方の乗組員がせわしげに出港に向けた作業を繰り返している。


「ここから出て」

 不意に足を止めると、後ろに振り返って不意に指を船長に突きつけた。

 銃でも突きつけられたかのように、船長がビクッと身を固くした。

「―――ここに戻ってくる」

 男はニヤリと笑った。

「それだけだ」




●ワシントンDC

「だから、おたくとはもう取り引きしないと言っているだろう!?」

「海外部門はニューヨークだ!ウチにそんなこと言っても意味はない!」

 その日、アメリカを代表する鉄鋼メーカー、“ウィンストンスチール”社のワシントンのオフィスは、朝から鳴り響く電話のラッシュに襲われ続けていた。

 その相手は流ちょうなアメリカ英語から、かろうじて英語と分かる程度のものまで様々な、中国人からの電話だ。

 内容もアフリカ産の鉄鉱石の売りつけから、内容不明なものまで、最初こそ面白がっていた社員達も、今や神経が切れかかっていた。

 誰かが消し忘れたテレビからは、テロの可能性が高まったとして全米規模で航空機の離着陸が禁止されたニュースが繰り返し報道されている。

 無論、誰も構っている余裕はない。

 何しろ、ニューヨーク本社から、昨晩届いた重要命令の遂行に皆が追われる、忙しい中なのだ。

 重要データを全てデータ転送しろ。

 間に合わないものはすべて朝一番で送り込む業者にメディアを引き渡せ。

 とどのつまり、ワシントン支社に重要なデータを残すなというのだ。


 ついに倒産か!?


 社員達は戦々恐々として、重要指定を受けている会計データや顧客データを会社のオンライン専用線に送り込み、或いは段ボール箱に詰めて業者に引き渡し、ようやく支社が通常営業を開始した直後に、この電話攻勢だ。

 支社長や幹部達はニューヨークへ緊急集合がかけられて不在。

「一体全体、どうなってやがるんだ?」

 受話器を乱暴に切ったウィルキンソンは、ポケットからタバコを取り出そうとして、空になったタバコの箱を握りつぶした。

 窓の外は抜けるような青空が広がっている。

 明日は息子のトニーと一緒にサイクリングだったな。

 やれやれ。

 徹夜明けの上に筋肉痛が心配だなんて最悪だ。


 ウィルキンソンがそんなことを考えている間に、新たな電話が鳴り響いた。




●大西洋 中華帝国海軍原子力潜水艦“震80号”

 ロシア帝国の技術援助で完成した“夏”級原子力潜水艦の発展型。


 それが“震”級原子力潜水艦である。


 本級に関しては、“夏”級の運用結果から求められた改良を、ほぼ自力で成し遂げたと公式に発表しているが、各国から合法非合法を問わずかき集めてきた技術情報をフィードバックしたことは事情に詳しい者にとっては公然の秘密だ。


 それでも中華帝国は“震”級を、“世界最高の原子力潜水艦”だとか、“潜水艦史上、最も静粛性と重武装を持つ沈黙の要塞”だとか褒めそやしている。


 ところが、防音タイルも満足に貼りつけていない上に、スクリューからは莫大なスクリューノイズが発生するなど、とにかく静粛性に欠ける一点だけで潜水艦としては致命的なのだが、それに加えて艦内の酸素発生装置の取り付け位置に問題があるために長時間の潜水が出来ないなど、さすがに中国製というべきか、宣伝とは裏腹に性能面では問題が多い。


 その艦を預かるのが艦長の金大佐だ。


 中華帝国海軍では潜水艦畑一筋に生きてきたベテラン。

 本人としてはディーゼルの臭いがしない潜水艦は物足りなくて満足しないらしいが、軍はそんな彼の嗜好を考慮するつもりはない。

 すでにタンカーを離れてまる1日。

 4日間は潜水したままで大丈夫な艦の中で彼は噛みタバコを噛みながら時間を待っていた。

 

 本国からインド洋まで派遣された所で今回の戦争への動員が決定した。

 そこでタンカー型の擬装工作船の中に艦ごと押し込められて訳もわからず大西洋まで連れてこられた。

 その意味がようやくわかったにしても……。

 彼は胸ポケットに押し込まれていたネックレスを引き出した。

 鎖の先についているのは鍵だ。

 

 勘弁してくれ。


 銀色に鈍い光を放つそれを気味悪そうに眺めながら、彼は考えた。


 政府は、“これ”を本当に使うつもりかよ。


「艦長」

 副長が敬礼しながら報告した。

「時間です」

 

「……」

 彼は全てを諦めたかのようにため息をつくと、鍵を握りしめたまま発令所の一角へ向けて歩き出した。

 艦内にむけて様々な命令を下す発令所の一番端。

 普段から訓練の時でさえほとんど使われることのない機器類の前に座る乗組員の背後に立った彼は、モニターの情報を確認しつつ訊ねた。

「入力は完了しているか?」

「はい」

 若い乗組員は緊張した顔で答えた。

「完了していますが……」

 何かを訴えたい。そんな眼をした部下の視線を無視した彼は、モニターから眼を離すと、副長に声をかけた。

「鍵を」

「はい」

 副長は首から提げていた、彼の持つ鍵と同じものを手に掴み、コンソールの中にある分厚いカバーを開くと、そこに鍵を差し込んだ。

「いくぞ……3……2……1」

 ガチッ!

 鍵が回り、モニター上に様々な情報が表示されると同時に、発射ボタンにかかっていた厳重なセキュリティが全て解除された。

 警告表示の中に浮かぶ赤い色のボタン。

 これを訓練以外で見たくなかった。

 それが彼どころか、ほとんどの乗組員の本音だろう。

 例外とすれば……。

「準備は完了した」

 振り返った所に立つのは、この艦に配属された政治将校だ。

 冷たく、官僚然とした態度は、艦内の誰からも嫌われている。

「俺が撃つのか?」

「それが仕事でしょう?」

 くそっ。

 愛想もねぇ返事しやがって!

 彼は内心で毒づきながら本気で思った。

 ミサイルのかわりに、こいつを俺の艦から撃ち出してやりてぇ!

「サイロ、ハッチ開け!―――やるぞっ!」







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