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マーガレット・ワン

●大英帝国 ロンドン

「それで?」

 英国のヒース首相は、政務官に訊ねた。

「あの狂った宣言が出されてから、すでに24時間が経過した。現時点での各国の反応は?」

 その声は、まるで悪戯の結果を待つ子供のようだ。

「反応は極めて限定されています」

 政務官は答えた。

「かつてあの国が血眼になって確保していたアフリカの親中国家はすでになく、東南アジアは戦場です」

「インド、オセアニア方面は考えるまでもないな」

「はい。我々と新大陸軍を恐れるアラブ諸国に、どれ程、あの宣言を聞く相手がいるでしょう」

「あの連中、アフリカの支配権を譲り受けただと?」

 ヒースは肩を揺らせて笑った。

「成る程?そういう口実もあったか!」

「アフリカ大陸の鉱山、金属精錬施設を確保するために、中華帝国が人員を派遣するという報道が」

 笑みを浮かべながら、ヒースは言った。

「楽しいことになりそうだ」



●アメリカ合衆国 ワシントン ホワイトハウス

「チンクが魔族軍と手を結んだという報道は、かなりの破壊力がありました」

 政務官の言葉に、ベネット大統領は頷いた。

 その顔には余裕さえ感じられる。

「元から魔族との関係が疑われていたのだ。噂の追認に他なるまい」

「はい」

「それで?アフリカと南米に、あの国から人員が送られるというのかい?」

「正しくは」

 政務官は言った。

「我が国や旧大陸からです」

「ん?」

「在留中国人達が、船で渡ります」

「よく許可出来たな」

「国から中国人が消えるのです。先の国外追放議決を強化した程度で、実質、問題は何もありません。上院、下院共に決議はすんなりと」

「―――ふむ」

「アフリカに放棄された鉱山資源の確保を目指すものと思われます」

「資源を確保して」

 ベネットは訊ねた。

「どうやってあの国まで運ぶつもりなんだい?」

 ベネットの疑問はもっともだ。

 太平洋にインド洋―――中華帝国が交易に用いることの出来る海の制海権は既に連合国軍のものだ。

 海路を運ぶことは出来ない。

 それに、中華帝国相手に交易を行う物好きな国はない。

 よしんばアフリカや南米で資源の採掘が行えたとしても、それをどうやって本国へ運ぶつもりだ?

「魔族軍の物資輸送ルートを使うものと思われます。閣下」

「魔族軍の?」

「空間転移魔法の応用です」

「……どこまでも」

 ベネットは蔑んだ声で言った。

「魔族に魂を売り渡したらしいな」

「すでに国内では中国人達が、各企業に対し、資源の売りつけに動いているとの報告が」

「買うバカがいるのかい?中華帝国製品の輸入販売禁止は解除されていないだろうに」

「そのせいで跳ね上がった物価に、国民の批判が集中しています」

 政務官は言った。

「我が国の国民は、安価な中華帝国製品に慣れすぎているのです」


 ベネットも言われなくても判っている。


 中華帝国製品の締め出しを行った翌日以降―――


 スーパーマーケットから商品が消えた。


 冗談ではない。

 

 本当に消えたのだ。


 米国人の民族衣装とも言うべきジーパンにカウボーイハットでさえ、店先から消えた。


 何もないガランとした店先を目の当たりにした米国人は、いかに自分達が中国人に依存した消費生活を行っていたかを思い知らされた。


 だが、それは後の祭りだった。


 それから数ヶ月。


 暴騰した生活用品に悲鳴を上げる米国人が望むのは、最早、世界平和ではない。

 神の再臨でさえない。


 それまでの日常生活の復活。


 安価な大量生産品に囲まれた浪費生活に戻ること。

 

 それだけだ。


 その供給者が、“虐殺者”とか、“黄色い悪魔”と呼ぶ中国人でも、彼らにとってはもう関係ない。

 もし、彼らが自分達の欲求する製品を、より低価格で供給することが出来るなら、彼らが魔族だろうと喜んで受け入れ―――むしろ歓迎するだろうと、世論調査は語っていた。


「だからといって、あの国に従えと?」

 ベネットは、韓国系に資本を押さえられたワシントンポスト紙をゴミ箱に放り込んだ。

「対等に近い立場で講和条約を締結しろという意見はあります」

「バカな」

 ベネットは吐き捨てるような口調で言った。

「とどのつまり、得をするのは中国人ではないか」

「世論はすでに戦争に飽き始めています。何故、極東の島国やアフリカ、南米といった、アメリカと関係のない国のために、国民が戦費を負担し、戦場で死ななければならないのか」

「その意見を先導しているのは、ピース……なんだっけ?」

平和十字軍ピース・クルセイダーズです。閣下」

「平和団体だったな」

「中華系の信仰宗教団体を母体とする政治的団体です。アメリカ唯一主義を唱え、他国への武力干渉を否定するマーガレット・ワン代表の主張は、国民に受け入れられつつあります」

「アジアはアジア人に―――か」


 平和十字軍ピース・クルセイダーズ

 アメリカの世界的重要性を説きながらも、アメリカの戦争介入に強く反対する団体。

 特に、中華帝国との戦争には一貫して反対の立場を表明している。

 その根拠が、アジア人のためのアジア。アメリカ人のための世界というフレーズに込められている。


 彼女たちの意見はこうだ。


 アメリカは、世界を任されているのだ。

 アジアの“些細な問題”に莫大な費用と人員を投じる暇はない。

 アジアのことはアジア人に任せればよい。

 いかなる結末だろうとも、それはアジア人の意志の結果にすぎないのだ。

 アメリカ人は、それを受け入れるだけでよい。

 アメリカ人は、もっと広く、全人類を高いレベルに引き上げるために思索し、行動すべき存在なのだ。


 代表を務めるマーガレット・ワンは、中華系美人の典型的顔立ちと美しいトーンの声で聴衆を魅了し、この主張に従わせる。

 例え、不法入国者として、あるいは売春で数度に渡る逮捕歴が有ろうとも、整形前の顔がどうであろうとも、今の彼女は全米に支持者を広めつつ有名人であることを否定出来る者はいない。


 アメリカと中華帝国の講和締結。

 アジアからの米軍の撤退。

 中華帝国との貿易再開による消費生活の復活。


 これらを唱えるワンの主張は、単純明快だ。


 戦費は国民に負担を強いる。

 国民が他国のために死ぬ必要はない。

 安価な製品で国内の消費を拡大させよう。


 戦費負担を厭い、安価な製品に囲まれる消費生活を楽しみたい国民にとって、高邁な理論を掲げながらも、国民に強い負担を求めるベネットよりもワンの主張の方が耳に心地よいのだ。

 実際、彼女の支持者達は、戦争反対のデモや軍需工場への不法侵入を繰り返している。


「まぁ、いい」

 ベネットはワンの顔をその脳裏から追い払った。

「今、連中のことをどうこう考えても意味はない。それで?“死の星が落ちる”とは、どういう意味だ?」



 ●中華帝国 北京 紫禁城

 米国世論は和平に向けて動いている。

 それは中華帝国政府もわかっていた。

 だが、和平に同意しない存在を、どうしても避けて通れないのは、米国も中華帝国も同じだ。

 米国の場合、勝ちが見える中で戦いを主導する国防総省であり、敗北が続く中華帝国では世論であり、宮廷だった。


「よもや」

 紫禁城謁見の間で、摂政は言った。

 暗い御簾の向こう側。

 冷たい床に跪いて言葉を待つ周総書記には、顔を上げることさえ許されていない。


 卑しい農民の末裔に過ぎない男。


 それが国家を代表する男に対する宮廷の評価だと、周自身がわかっていた。

「このままで終わらせるつもりはあるまいな?周」

「―――はっ」

 周は答えながらも落胆した。

 何とかして、和平に対する好意的な意見を引き出したかった周だったが、これではどうしようもない。

「30万近い将兵を失ったこのいくさ、国家に与えた打撃は計り知れない」

「はっ」

 それでは。

 そう言いかけた周の言葉を、摂政が遮った。

「東南アジアでの失態を理由に、江を火あぶりにしたが、それでもなお、儂は納得していない」

「……」

 前任者が失政の責任をとらされ、皇帝の目の前で家族もろとも火あぶりにされて死んでいった光景は、彼も目の当たりにしている。

 泣き叫びながら炎の中に消えていったその姿を、今でも悪夢に見る。

 同じ立場に立ちたいか?

 そう聞かれれば、絶対に否だ。

 それは、自分の生殺与奪権が目の前の摂政にあることと同じくらい、はっきりしている。 

「何故、反応弾を用いない。我が国に何発存在すると思っている?」

「お、恐れながら」

 周は震える声で答えた。

「米軍の報復使用を許しかねません」

「この神国たる中華の国に反応弾を用いるだと!?」

 皇帝が御簾の中で立ち上がったのを、気配で周は感じた。

「許せんっ!」

「……」

「何としても、我が国に刃向かいし愚か者に一矢報いるのだ!」

 いきり立つ皇帝を前に、周は愕然とした。

 一体、この人は世界が見えているのだろうか。

 周は頭痛を通り越してめまいがした。


 そもそも、周が総書記に就任した理由は一つだ。


 終戦工作。


 そう。

 この戦いの落としどころを上手く掴み、より有利な立場で講話に持ち込む。

 周に科せられた最大の仕事は、そういうことだった。

 だが、肝心の皇帝は、それがわかっていない。

 叱責や不興を恐れる宮廷雀共が、都合のいい情報のみを伝えているせいだろう。


 この人は、我が国が負けていることを知らない。


「一度は攻め落とした東南アジアを、外交上の失敗で譲るしかなかったとはいえ!」


 ほらやっぱり。


「周よ!策はあるのだろうな!?」




 ●北京 王政党本部

 党本部に戻った周の顔色は冴えなかった。

 周自身、倒れないのが不思議なくらいだ。

 紫禁城に呼び出された後は、幹部達に皇帝からの命令を伝えるのがいつもの習わしだ。

 集まってきた党幹部達もまた、その慣例に習って周の言葉を待っている。

「皇帝陛下のご命令である」

 周の言葉に、形だけでも幹部達が背筋を伸ばした。

「憎き敵、米国を平らげ、その領土を皇帝に差し出せ」


 ぽかん。


 幹部達が周の言葉を前に、唖然としているのが、周にもわかる。

 恐らく、自分が何を言われたのかさえ、分かりかねているのだろう。

 幹部達は怪訝そうに周の顔に視線を送っている。


「……」

 周は、口を開きかけて言葉を詰まらせた。


 小日本。


 そうバカにしていたあの小国、日本でさえ制するどころか、都市一つ確保出来ずに終わったというのに。あの広大な合衆国を征服しろ?


 絵空事もいい加減にしろ。


 周自身がそう言いたい。


「皇帝陛下は」

 周は言った。

「アメリカ大陸をお望みだ」

 そう言った後、周は目をつむった。

「―――魔族とコンタクトをとってくれ。我々は皇帝陛下の御為に、全人類を敵に回してでも、あの土地を手に入れるのだ」 

 自分の口から出た言葉なのに、それが、どこか遠い世界の言葉のように、周には聞こえてならなかった。



 ●ワシントンDC 世界貿易センター

 閉じられたドアの向こうから、割れんばかりの拍手と、聴衆達の歓声が未だに響いてくる。

 スタッフ達も、顔を赤くして、ある者は目に涙を浮かべている。

「すばらしい演説でした、マム」

「ありがとう」

 黄色い肌をした女がニコリともせず、差し出されたトレイからカクテルグラスを受け取ると、中身を一息で飲み干した。

「ヨン、お客様は?」

 そう問いかける脚は止まらない。

 ヨンと呼ばれた男は、空のグラスの乗ったトレイを近くのスタッフに押しつけると、女性の後を追った。

「最上階のスイートに」

「そう」

 女は振り返りもしなかった。

「しばらく部屋に誰も近づけないようにして」

「はい。マム」


 世界貿易センタービル最上階。

 世界経済を牛耳るほどの財力のある者のみが利用を許される、いかなる歴史上の王侯の想像さえ及ばない豪奢な貴賓室。

 音もなく開いたドアの向こうで、男がソファーに座ったまま、女を出迎えた。

「見事なものだな」

 男は開口一番、テレビモニターを軽く指さしたまま言った。

「観衆がお前の演説に引き寄せられていたぞ?」

 威圧的な態度と尊大な口調。

 中華帝国の偉在米大使だ。

「政治指導部の原稿を読み上げているだけですわ」

 しなだれるようにしてソファーの手すりに座った女が微笑んだ。

「私はただ、原稿を読んでいるだけ」

「ふん」

 スーツをなぞるように動く女の指を一別した偉は続けた。

 肥満体の体が、ぶよぶよとスーツの下で醜く動く。

「女優崩れの本領発揮か?シュン

「あらひどい」

 喉の奥から、ぞっとするような忍び笑いが漏れる。

「その名は捨てましたし、今の私は」

 女は偉の首にしがみつくようにしなだれかかった。

 高い背と細く柔軟な体は、なぜか蛇を連想させる。

「マーガレット・ワン。ハリウッドどころか、この国を支配する女よ?」

「おいおい」

 偉は言った。

「言い過ぎだろう」

「くすっ。そうね」

 マーガレットは、その端正な唇を偉の頬に軽く触れさせた。

「私とあなたの―――よね?」

「この国が、わが国の特別自治府となるのはもう目前だ。俺が自治府総督となれば、お前はその夫人。富は思うがままだ」

「そういえば」

 マーガレットは訊ねた。

「本国からの放送は聞いたわ?何、あの“星がふる”って」

「知りたいか?」

「ええ。それと」

 腰に回される卑猥な手の動きに反応しながら、マーガレットは思い出した様に言った。

「しばらく、どこかに連れて行っていただけると聞きましたけど?」

「次の演説は西海岸だろう?」

「ええ。ラスベガスでも連れて行っていただける?」

「そうだな」

 偉は言った。

「事態を知った、あの着飾った白豚共がカジノで青くなるのを見物するのも悪くない」

 グッフッフッ。

 偉は、とても人間の声とは思えない気味の悪い笑いをこぼした。

「どういうこと?」

「作戦がついに実行される」

「作戦って」

 視線を泳がせ、ようやく記憶にたどり着いたマーガレットは、その意味を悟った。

 そして、驚愕のあまり、偉の膝の上から飛び跳ねた。

「まさか!」

「そう。そのまさかだ」

 偉は満面の笑みを浮かべた。

「東南アジアで、我が国に苦渋を舐めさせているこの国だが、よもや」

「―――そうね」

 マーガレットは笑って言った。

「さすがだけど、私は巻き込まれるのは御免だわ」

「私だってそうだ。シュン

「マーガレットよ。私は明後日からサンフランシスコの集会に出るから、夜にはワシントンを発つけど、まさか今夜ってことはないでしょうね」

「そこまでのことはせん」

 偉は首を横に振った。

 動きにあわせて、首周りの肉が醜く歪む。

「軍事力で勝っていられるのも、ここまでだ」

 偉は、マーガレットの腕を強引にひっぱると、その体を抱きしめた。



●世界貿易センタービル 地下駐車場

「ぞっとしない内容だ」

 駐車場に止められた車の中で、ヘッドホンをかけた男が顔をしかめた。

 黒塗りの大型バンの中は、通信機材とそれを扱う男達で埋まっていた。

「やれやれ」

 ヘッドホンから耳を話した男が首を左右に振った。

「お楽しみだぜ」

「へっ。すげえ乱れ方だ。男のテクなのか、女がよっぽどの淫売なのか……演説の背後で、あのあえぎ声流してやりたいもんだぜ」

「記録はとっておけ?この手の映像は使い勝手が良い」

「中華帝国駐米大使殿と、アメリカ愛国者団体、平和十字軍代表殿の濡れ場か」

 その一角で、男は通信機に言った。

「ソープ。無駄話をやめろ。こっちにつつぬけだ。ショート、本部へ報告」

 どうしていいのか。

 その声は困惑を含んでいた。

「信じられないことが起きるとな」


 




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