魔界の世論
同じ頃。
「このままでは、補給線が保ちません」
ユギオに面と向かって言ったのは、神音だ。
「確保出来る補給線が、予想される部隊規模に対してあまりに細すぎる」
「わかっています」
ユギオは苦い顔で頷いた。
「それは言われなくても、わかっています」
「我が商会はあなた方、中世協会に、魔界から人間界への物資輸送を一括契約で承っています。ヴォルトモード卿復活近しという噂が―――どうせ、あなた達がばらまいたんでしょうけど、とにかく。魔界各地の倉庫は義捐物資で溢れかえっていますが、現状、大型輸送艦艇が通行できる門が一本では、開始時点から補給が破綻する恐れがあります」
「それで?」
ユギオは内心、うんざりとして神音に訊ねた。
「門建築云々は、我々の為すべきところではないはずでは?」
「それは存じています。ただ、大規模な門が必要であり、その建設にご協力いただきたいのです」
神音はテーブルに置かれた紅茶に手を伸ばした。
「三次元上に門を作る以上、避けて通れないモノがあるでしょう」
「土地ですか?」
「門建設は我が商会が請け負います」
「神音殿」
ユギオは言った。
「大型門は、そう簡単には作れませんよ?土地の空間属性やその他」
「調査済みです」
神音はあっさりと答えた。
「我が商会の物資輸送集積地であるカーンデザールから、最短ルートとしての門建設に適した場所は」
神音は控えていた部下をチラと見る。
部下―――つまり、かのんは無言でテーブル上に地図を広げた。
「ここです」
地図は日本地図。
神音が指さしたのは、その一角だ。
「新潟県?」
「そうです」
神音は頷いた。
「よいのですか?」
「引き受けた仕事は完璧に遂行するのが我が商会の主義です」
「ハブ門は?」
「長野、松本を予定」
「建設にどの程度かかるので?」
「門建設物資はすでに確保済み。ご承認いただければ着工から1か月の完成を保証いたします」
「規模に対しては早いですね」
「必要な資材を事前に組み上げ、現地では組み付けるだけですから」
「それで」
ユギオは、妙にくつろいだ顔で訊ねた。
「この特売―――裏は何です?」
「裏?」
神音の美しい眉が少しだけ動いた。
「裏―――とは?」
「貴女ほどの商人が」
ユギオは、テーブルに置かれたカップに手を伸ばした。
「こんな赤字を出すとは、すなわち余程のことだ」
「我が商会の先代は」
神音は答えた。
「ヴォルトモード卿との商売は、結果として店を傾けた程の大赤字だったと、事あるごとに嘆いていましたわ」
「ああ―――そうでしょうねぇ」
楽しげな忍び笑いが漏れた。
「混乱に乗じて、粗悪品を売り込みたいというのではありますまい?」
ユギオは静かな口調で言った。
「貴殿から仕入れた品で不良品が混じっていたとは一切報告がない。あれほどの規模で供給されるにしては信じられない」
「品質保証は当商会のモットーです」
神音は毅然として答えた。
「お客様の信頼こそが第一ですわ?」
「それで?」
そう応じた。
「その信頼第一の商会が、赤字覚悟で大型門を建設するとは?」
「……」
「その裏は何です?」
「……実際の所、私は」
神音はため息混じりに言った。
「この仕事を引き受けたことを心底、後悔してますの」
―――意味が分かるか?
神音の視線はそう語っていた。
「大凡」
ユギオは、動じることもなく答えた。
「先代の話を聞いて興味を持っていた。赤字続きだった商売―――自分なら黒字にしてやったのにと、事あるごとに思っていたことを現実にするチャンスだ」
その眼は、まるで孫娘を慈しむような優しい眼差しをたたえていた。
「いわば、先代への挑戦なのでは?」
「―――お人が悪いですわ」
神音はつまらなそうに頬をふくらませた。
その子供じみた仕草が、外見の幼さをさらに際だたせるが、どちらにしても、その態度が言葉を是認したことは確かだった。
「すぐに本当の所にたどり着いて」
「しかし、それだけでは無いでしょう?本当のところは?」
「……」
「ここには私達しかいませんよ?」
「……魔界、そして天界におけるヴォルトモード軍への支援の声は、日村の解放以降」
神音はしぶしぶながら口を開いた。
「日増しに高まるばかりです」
「……」
「アフリカでの批判を帳消しにしたい中世協会には、それでいいのですが……」
「……」
「あなた方は、世論の動きを甘く見すぎです」
「ん?」
ユギオは首を傾げた。
「どういう意味です?」
「わかりません?」
「わからないから訊ねています」
「……世論とは、波のうねりのようなものです。上手く起こせば恵みをもたらしますが、下手をすれば、全てを台無しにします―――特に、唐突に生じ、生じた波が大きく動いた時には」
「世論の動きが激しすぎると?」
「アフリカ侵攻初期と動きは同じです。あの失敗からすれば、旗色が悪くなれば、すぐに資金の遣り繰りに支障をもたらすでしょう。世論はただ、人類、そして神族に一矢報いることに浮かれているだけです」
「一矢報いることが悪いことですか?確かに、世論は人類を通して、神族に一矢報いたと思っている。
そして、現在の魔界の世論は、増えすぎた人類の滅亡。人間界の浄化を望んでいる」
「その通り。ですが、世論に後押しされる者は、得てして、両手放しに世論の言葉を受け入れるがあまり、自分で考えることをしなくなる。
人類を根絶やしにすることが良いことなのか、そして、その後をどうするか―――全く考えず、他人の放つ心地よい声ばかりに耳を動かし、踊らされる」
「……」
「そんな世論の動きから利益を生み出そうとする連中が加われば最悪です。いえ、現実に事態は混沌とし始めている」
神音はティーカップに紅茶を注ぎながら頷いた。
「世論は容易く人類絶滅を叫びますが、その後のこと。人類無き後の世界をどうするかとなれば、まるで思考が停止した状態です。おそらく、互いが互いに、人間界を自らの陣営が所有し、その都合のいいように作り替えられると本気で信じているようで」
「……それは収拾がつきませんね」
差し出されたティーカップから立ち上る芳香を楽しみながら、ユギオは頷いた。
「お祭り騒ぎをしているだけ……我々を、そう呼びたいのですか」
「そう―――特に魔界の小貴族達は、先手を打って人間界に領土を得ようと眼の色を変えて義勇軍に加わる始末です。噂では、シュロスベルク公国の名門、ヴァルホイザー家までが家名再興のために動いたとか」
「それで?」
「私が見る限り、この先、義勇軍はやりたい放題。
わがまま放題に行動するでしょう。
そんな連中を抱え込めばコントロールに失敗するのは明白です。
あなた達が魔界や天界で世論を煽るのは、支援の名の下に資金を引き出すためですしょう?
ですが、それ増大すればするほど、事態のコントロールが効かなくなることをわかっていない」
「あなたが言わんとしていることこそ、わからない」
ユギオは眉をひそめた。
「義勇軍ですよ?参加を希望する連中は、それこそ人類絶滅を希望するからこそ」
「中世協会の願うところは、かつて人類創製当時同様、自らの命令に従う奴隷としての人のありよう。絶滅ではないでしょう?」
神音は皮肉たっぷりにわらった。
「狙いは人間の数を減らして、家畜化しやすくすることであって、根本的な絶滅ではない。最初から私も、あなたから“絶滅”という言葉は聞かなかった―――つまり」
「……」
「人類絶滅を標榜するヴォルトモード卿と世論―――それとあなた方中世協会は、決定的な段階、最後の最後で折り合いがつかないようになっているのです。最初から」
「よくご存じだ」
「無責任です」
神音は憮然として言った。
「ヴォルトモード卿が復活さえすれば流れは変わるでしょう。どちらにせよ、私にとっての問題は」
神音は紅茶に一口、口を付けただけでソーサーへカップを戻した。
「あなた方が、状況によって私達をどう扱うか」
「下手な勘ぐりというか、杞憂ですよ?」
「そうでしょうか?」
「……」
「私の立場をご存じの上で、杞憂と申しますか?」
「……」
「私は、いずれはあなた達にとって邪魔者になるでしょう」
「本音を言って下さい」
ユギオは、腕組みをしながら神音に命じるような口調で言った。
「何を望むのです」
「戦争はバクチです。これほどのバクチにしくじれば、我が商会も潰されかねません。負けたら、それこそ投資の回収どころか、事態収拾さえ出来ません」
ユギオは、無言でじっと神音を睨むようにしてたが、やがて口を開いた。
「つまりは―――事態の落とし所を教えてもらいたいと?」
「そうです」神音は頷いた。
「全人類の滅亡となれば、言っては失礼ですが、ヴォルトモード卿の独断ではどうにもならない。あなた達、中世協会でも無理。天界と魔界、そして獄界をも巻き込んだ“最終決定”が必須」
ここまで言いかけて、神音はユギオの顔をのぞき込むようにして訊ねた。
「独断で、そこまでやれるとはお考えではないでしょう?」
「雇われているという、私の立場を考えて下さい」
「無論、理解しているつもりです。
私の希望する所を申し上げましょう。
人類を叩けるだけ叩いて数を減らしてもらう。
最低条件は、この極東で二度とこの弓状列島に盾突く国が無くなるほど、周辺国は徹底して滅してもらう。
これは最低ライン。落とし所以前の問題です」
「……この国の滅亡は望んでいないと?」
「親バカとお笑い下さい」
神音は、はにかんだ笑みを浮かべた。
「息子と孫がこの国にいるのです」
「……」
「あなた達に潰されてもらっては非常に困る。かといって、この戦い、人類には圧勝してもらっては困るし、事態が天界と魔界の領土問題に発展してもらってもさらに困る―――それだけに、落とし所が極めて難しい」
「どの辺りだと見ているのです?」
「世論が沈静化しだした頃。タイミングが難しいですわよ?」
「人類がどう動くかですが、その前に」
ユギオは空になったティーカップの縁を指で撫でた。
「肝心のヴォルトモード卿に復活していただかなくては」
「……お茶、もう一杯いかが?」




