アーコットの恨み 第一話
●“鈴谷”整備ハンガー
「困りますっ!」
「少しくらいいいじゃないか。減るモンじゃなし」
ハンガーに入った美奈代は、そんなやりとりを聞いた。
声のした方角は、D-SEEDのコクピット辺りだ。
背の高い若い士官がコクピットをのぞき込んで、整備兵に止められていた。
D-SEEDの隣に立つ自騎ではなく、そんな二人めがけて何故、床を蹴ったのか、美奈代にも説明が出来ない。
「新型だろ?興味あるんだよ」
「機密騎なんですよ!」
「尚更興味あるねぇ―――パワースペックどれくらい?」
「ですからぁ」
整備兵は、坂城班長の一番弟子を自称するシゲさんだ。
相手は知らない。
映画俳優のような甘いマスクと、細い割に鍛えられた体つき。
軽妙な喋り方。
すべてが、異性を引きつける目に見えないフェロモンを放つ蝶のようだ。
それが、女としての美奈代を捉えていること自体、美奈代は気づいていない。
「βクラスだろ?おや?操縦、STRじゃねぇな……何?このシステム」
「部外秘ですっ!」
「頭部保護のヘッドギア……違うな……何だ?これ」
「ああもうっ!この騎、常時監視対象なんですよ!?後で艦長に何て説明するつもりなんですか!?少佐!」
「え?決まってるだろう?」
“少佐”と呼ばれた士官は、振り向き様、不敵に笑った。
「―――平野艦長!艦長の気を引きたくてわざとやったことです!」
「二宮中佐、この艦にいるんですよ!」
「うわぁ……じゃあ、訂正だ。二人の気を引きたくてわざとやったことです」
「……最低」
つい、ポツリと出た言葉だが、
「ん?おやお嬢ちゃん」
二人の耳には届いてしまったらしい。
士官は、親しげな口調で声をかけてくる。
「“これ”、君の騎?」
「いえ……となりの騎です」
「ああ……和泉少尉だったね」
「和泉准尉です―――よくご存じですね」
「そりゃもう」
士官は胸を張って言った。
「一度出会った女の顔と前は絶対に忘れないさ―――例え、部隊名簿でもね」
「……」
「あ、忘れてた。俺、瀬音少佐。君たちの部隊配属だから、よろしくね」
ポイッ。
瀬音が美奈代に何かを放り投げた。
「これ、コクピットに忘れていったこと、真理には黙っていてあげるよ」
教本だった。
●“鈴谷”ブリーフィングルーム
「“白雷”受領を受けて」
後藤が壇上で言った。
「我々は本日2100時、鈴谷に移乗。同2230時、鈴谷は葉月を離れる」
「作戦ですか?」
美奈代の質問に、後藤は頷いた。
「そう―――今度はちょっと、国外だけどね」
ざわっ。
美奈代達に動揺が広がった。
「派遣期間は1週間」
「そんなに短く?」
「Fly rulerで編成されるラグエル隊の消耗が激しくて、国内に戻ってD整備が必要だ。その間の穴埋め」
「それで我々が?」
美奈代は納得できない。
「我々はβタイプを」
「だからさ」
後藤は身を乗り出して言った。
「だから、やるんだ」
「?」
「これは極秘。口外しちゃダメだよ?」
「……」
「数日前、東南アジア戦線のアメリカ軍メサイア部隊が2個小隊、全滅した。
相手はどうも、中華帝国の“赤兎”じゃない。それどころか、中華帝国軍の情報だと、“赤兎”もかなりの数、やられているんだわ。戦場に、どうも厄介なヤツが混じってるらしくてね」
「?」
「奇跡的に撤退に成功したメサイアが収拾したデータ。これがさ?魔族軍のメースにそっくりなんだわ」
「なっ!?」
皆が驚く顔を見た後藤は、満足そうに口元を歪めた。
「これでわかったろう?俺達がどうして派遣されるか」
●“鈴谷”艦橋
「長野から?」
鈴谷艦長平野美夜中佐がその報告を聞いたのは、南大東島付近にさしかかった頃のことだ。
「はい」
副長の高野少佐が報告書を片手に頷く。
「飛行艦艇1、朝鮮半島経由で中華帝国領内を移動中」
「正確な位置はわかるか?」
「不明です。ただ、日本海上空で確認された際のデータを元にすると、現在は杭州付近を航行中と」
「中華帝国の艦艇か?」
「足が速すぎます。寧波級ならまだ山東あたりです」
「魔族か」
「司令部はそう見ています。先週、同様のルートをたどった艦が1隻存在するそうですし」
「……ふむ?」
艦長席に座る美夜は顎に手をやって考えた。
「中華帝国と本格的に魔族が提携した?……馬鹿な。それにしては規模が少なすぎる」
気になるのはその数。
たった一隻。
そこだ。
「予測コースは?」
「先週のコースでは、このままベトナム上空を通過、インドネシア方面へ」
「そうか」
美夜は艦長席に座り直した。
「情報を得るには距離がありすぎる。司令部は監視しろとは言ってないんだろう?」
「さすがにこの艦でそこまでは要求しないでしょう」
「ふん。元は輸送艦だからな」
鈴谷は、メサイア輸送・整備を目的として建造された純粋な輸送艦だ。
軍用飛行艦艇としては大型の部類に入るが、その内実はかなりさみしい。
整備用設備は、かなり充実してはいるが、カタパルトやMLを含む対空武装などは、すべてが他の艦やメサイアから降ろされたあり合わせなのだ。
戦域を単艦で行動すること自体が想定されておらず、索敵能力も限られている。
戦闘艦としてはないないづくしの存在でしかない。
従来なら、そう言えば大目に見てもらえたろう。
だが、今は違う。
“鈴谷”
全長460メートル。
基準排水量6万トン
機関 大型艦艇用魔晶石4連エンジンシステム×2
予備エンジンシステム×1
武装 280ミリ相当ML三連装砲×4
155ミリ相当ML連装砲×4
20ミリ相当ML砲×12
40ミリ対空連装実弾砲×20
搭載 メサイア12《内、ベルゲ2》
TAC4
……
……
はっきり言う。
この時点で、“鈴谷”の火力は巡航艦のそれを遙かに越え、戦艦のレベルに達していた。
装甲以外でこの艦を越えられるのは、近衛飛行艦隊旗艦“信濃”だけだ。
では、どうしてそんなことが可能になったか?
理由は―――美夜だ。
彼女が、美奈代達用の備品として回されていた武装を、すべて書類上、部隊母艦たる“鈴谷”にて管理しているとして、実際に“鈴谷”そのものに据え付けてしまったのだ。
他にも美夜のやったことは、艦長の権限からすれば、実はほぼ全てが合法か黙認可能すれすれの範囲というか―――普通なら左遷は当然という代物だ。
例えば、対空ML砲、センサー類は、すべて白州防衛線で大破した美奈代達のメサイアに組み込まれていたものだし、280ミリ相当ML砲も、白州で日の目を見なかったあの砲に他ならない。
美夜はそれを全て再生可能にもかかわらず、“艦長判断”で廃棄や在庫として処分とした。
……そう。
ちょろまかしたのだ。
それを、整備部隊が改造して砲台化した挙げ句、開発センターから試験用に提供されたとして、増設エンジンまで取り付けた結果として、今の“鈴谷”がある。
増設エンジンについては、紅葉が絡んでいるらしいが、そのことを追求されると、紅葉は泣いて嫌がり、ヒステリー状態に陥るというから、美夜がどういう手段をとったかは聞く必要もないだろう。
……どちらにせよ、28センチ砲と155ミリ砲をここまで搭載したのだから、代償は無論ある。
それまで使用されていた飛行甲板はすべて砲を配置した関係で廃止。
建造当時、強襲揚陸艦としての活躍も視野に入れて建造された“鈴谷”自身がもっていたハンガーデッキの予備カタパルトをもって穴埋めした。
廃品リサイクルにすぎないというのが美夜の言い分だが、ドックを出た途端、最前線送り、しかも再び単艦というのは、少し複雑なモノを感じてしまう。
「どうなさいますか?」
副長の問いかけの意味はわかる。
やろうと思えばやれないことない。
それを知っている美夜は、鼻で笑った後、副長である高野少佐に命じた。
「向こうから攻撃してでもこない限り、無視しておけ。インドネシアを出た“利根”とのランデブーまであと何時間だ?」
●魔族軍巡航艦「エルキーザ」艦橋
「おう」
魔族側戦闘艦「エルギーサ」の艦橋に立つムー艦長が、艦橋にあがってきたアーコットに気づいた。
「サライマの整備は順調です」
アーコットがムーのすぐ横に立ってそう報告する。
「お前の体は?」
「問題ありません―――あの失態のツケは必ず」
「……そうか」
「それにしても」
アーコットは艦橋から見える夜景に目を向けた。
人間達が産み出す地上の星達。
その美しさはアーコットにとって心地よい物では決してない。
夜は闇こそが似合う。
光は空にあればよい。
それがアーコットの考えだ。
「……人間界の市街地上空、よく平然と通過できますね」
「ふん。外交努力ってヤツさ」
「外交?」
「ああ。所詮、人間だ。金の輝きに弱い」
「成る程?―――それで」
「エッジ隊の仕上がりは順調だ。残されたヤクト・エッジの追加武装の性能調査が終われば、エッジ隊があそこに残る意味はない」
「その後、連中は?かなりの戦果をあげたと聞きましたが?」
「あそこは今、デミ・メースがかなり展開している。「チャイナ・タイプ」と呼んでいる出来損ないのデミ・メースが中心だが」
「チャイナ?」
「今、俺達が通過している国のことさ」
ムーは艦橋の床をコツコツと足の裏で軽く叩いた。
「つまり、我々に味方している?」
「そうだ。そのおかげで、この国は世界中から敵扱いされている」
「当然ですね」
アーコットはそう思う。
もし、魔界が天界に攻め込まれた時、いかなる理由があっても、天界に味方する部族があれば容赦するつもりはない。
そういうことだ。
「裏切り者は死ぬべきです」
「ま……その裏切りのおかげで、今、俺達はこうしてのうのうと空を飛んでいられるわけだ」
ムーが口元を歪めてそう言った。
「……ヤクトエッジ、戦果は、かなりあったんですよね?」
「ん?」
ムーはアーコットの表情が硬いことに気づいた。
「カヤノの件か?」
「はい」
「そりゃ、あのカヤノがあれほどの使い手だなんて、誰も想像しなかったさ」
ムーはちらとアーコットを見た。
「お前もだろ?」
「……はい」
アーコットは素直にそれを認めた。
全滅した部隊の生き残り。
射撃能力が高い。
その程度の存在。
足手まといにならない程度の存在。
それが、アーコットの見るカヤノだ。
しかし、あの戦いで死にかけた自分を助けたのがカヤノだと、そう知らされた以来、アーコットの内心は複雑なままだ。
命の恩人にして、最新鋭騎を預かったカヤノ。
戦線に立つたびにスコアは確実に増え続け、その名声は高まる一方だ。
対する自分は、部隊を壊滅させ、病床に横たわってカヤノの活躍を聞くだけだった。
納得できることではない。
「焦るなよ?」
アーコットよりかなり年上のムーは、諭すように言った。
「焦ったってどうしようない」
「わかっています」
「フン。本当か?」
アーコットが抗議しようと口を開いた途端、ムーは言った。
「ヤクト・エッジは順調な仕上がりだそうだ。魔界正規軍開発部も別便ですでに現地入りしている」
「人間界で魔界の最新鋭騎のテストなんてそうそう出来ないですからね」
「そういうことだ」
「現地到着は?」
「明日の夜明けと同時。海岸線お前等を送り出した後は海中に潜んで、夜陰に紛れて撤退する」
「ふふっ。闇と水に紛れての移動……ご苦労様です」
「ハァ……まったくだよ」




