模擬演習 第一話
それから約一週間後。
演習場の一角に止まった高機動車から降りたのは二宮だ。
山から吹き下ろされる冷たい風に頬を撫でられると身が引き締まる思いがする。
「ご苦労」
「本当にいいんですか?すぐ間近までお運びしますが?」
運転手を務める上等兵が不思議そうな顔で言った。
「いや。それには及ばない」
二宮は軍人らしい仏頂面で答えた。
「実騎演習で舞い上がるヒヨコ共を背後から襲ってみたいだけだ」
「ああ……成る程?」
上等兵がいかめしい顔を歪ませて笑う。
「そういうことでしたか」
「そういうことだ」
人の悪い笑みを浮かべ、二宮は歩き出した。
―――さて、どうしてやろうか。
そんなことを考えつつ林を抜けた二宮は、出くわした光景に軽い頭痛を覚えた。
「すっぉごい!」
「ね!?私の戦闘装備、似合ってる!?」
「うん!カッコいい!」
そんな黄色い声を張り上げるのは、二宮が指導を担当する候補生の面々だ。
まだ、自分に気づいていない。
緊張感が無いっ!
張り倒してやろうかっ!
沸き上がる怒気を持て余しながら、二宮はそっと一人一人を確かめ、そして、最後の所で視線を止めた。
そこに映るのは、ただぼんやりとメサイアを見つめる少女。
この模擬訓練に出発する直前に校長室に呼び出され、訓練内容の変更を告げられた時、二宮はまさか、呼び付けられた理由がこの少女に関するものだとは予想さえ出来なかった。
天儀祷子
彼女が本当に近衛に採用されれば、近衛史上でもトップクラスに入る適正値の持ち主であることは、教官なら誰でも知っていることではある。
超絶スペックの持ち主故に、スペック以上にぶっ飛んだ性格と行動が大目に見られている。ある意味、神に愛された幸せな少女だが―――。
パラッ
二宮は手にしたファイルを開く。
開かれたのは校長室で渡された命令書。
その最後に、こう書かれていた。
『実騎訓練に際しては、当該候補生のみ開発局が指示する騎を常に使用すること。なお、その訓練の過程における、人的・物的損害は全て不問とする』
「……」
二宮は訓練生のために用意されたメサイアを見上げた。
雛鎧
征龍を訓練生向けに改装したトレーナー騎。
普通より大きくとられたコクピット部とメサイアコントローラールームは、それぞれ副座式である証拠。
つまり、普通のメサイアは2人乗りなのに対して、この騎は4人乗りだ。
不慣れな訓練生がどんなバカをやらかしても破損しないよう、軟式追加装甲を取り付けられたその姿は、お世辞にもカッコイイとは言い難い。
かつて世界に鳴り響いた栄光あるかつての愛騎、征龍のなれの果てと思うと、二宮は何だか泣きたくなるものがあるが、問題は“これ”ではない。
「整列!」
ようやく、教官の存在に気づいたのだろう。
美奈代の号令に我に返った二宮は、緊張した面もちで自分に敬礼する生徒達に、バツの悪い思いで答礼した。
「ご苦労」
二宮は近づきながらもう一度全員の顔を見た。
子供が抜け切れていない無垢な顔立ちに緊張と期待の色が浮かんでいる。
これから何があるの?
どんなことするの?
教えて―――
教えて―――
その先にどんな言葉を当てはめる?
教官?
先生?
二宮は最初に浮かんだ言葉を否定して、心がちょっとほろ苦くなった。
でも―――
私は子供達と“そういう関係”になる歳ではない。
そう思うのだ。
絶対、思うのだ。
だけど―――。
「……はぁ」
つい、ため息が出てしまう。
もう、いい加減、“そういう関係”になる相手がいても良い歳なんだ。
実家からかかってくる電話が辛いのもそのせい。
わかってはいるんだけど、“そういう話”がキツいのも歳のせい。
何もかも、歳のせい。
……やめよう。
今は、仕事中だ。
二宮は、首を小さく左右に振って、意識から“問題”を追い出し、職務に意識を集中した。
二宮の任務。
それは、生徒達の実騎演習の総指揮を執ること。
何度も経験しただけに、その手際は見事なものだ。
「訓練騎はそれぞれ1騎ずつ割り当てられ、コントロールには教官が一人、実戦部隊から回してもらったコントローラーがつく」
騎体のそばに待機している一団を指さすと、生徒達がそちらに向き直り、
「敬礼っ!」
美奈代の合図に一糸乱れぬ敬礼が行われる。
よく育っている。
二宮はそう思ってわずかに口元を緩めた。
「搭乗する騎は、和泉、1号機―――」
手元の資料をよどみなく読み上げる。
「天儀10号機」
「教官!」
そう言ったのは美奈代だ。
「なぜ、祷子……じゃない、天儀候補生の騎だけ違うんですか?」
全員の視線が10号機に集まる。
そう。
確かにおかしいと思われて当然だと、二宮も思う。
二宮でさえ見たことのない、“奇妙な”メサイアがそこにいた。
汎用騎である“幻龍”の装甲を無理矢理くっつけたようなその外見は、そう語るのが精一杯だ。
しかも、10号機だけ、なぜか完全な単座騎。
教官が乗っていない騎を初めての乗騎訓練で用いるなんて聞いたことがない。
当然、その内部については、二宮も知らない。
ただ、生徒達の疑問に答えるという、教官の義務として、こう答えた。
「訓練騎はそう多くない。ベースとなる征龍は、いまだ一線で活躍中の騎であることを忘れるな」
騎体不足。
それで生徒達が納得したかはわからない。
恐らく、ないだろう。
「教官が同乗できないのは、天儀候補生にとっては大変な負担だろうと思う。だが、シミュレーターの結果で判断する限り、貴様等の多くは、単座での演習参加は不可能ではないと判断されている」
「天儀候補生に対する厚遇、そういうことですか?」
美奈代は冷たくそう訊ねる。
何だか、面白くない。
そんなのズルい。
顔がそう語っている。
自分ではポーカーフェースのつもりらしいが、とにかく、コイツは顔に全てが出るからわかりやすい。
二宮は、子供に言い聞かせるような口調で言った。
「近衛は軍隊だ。そして貴様等は軍人のタマゴである。命令に従えばいいし、武器は与えられたものしか使えない。何より、戦場では、末端の兵士達の疑問に一々答えてくれる者なぞいない」
「……」
「……」
「搭乗は30分後。それまでに用を足しておけ。いいか?コクピットで漏らすんじゃないぞ?」
関係者との短い打ち合わせの後、二宮は生徒達の様子を見た。
和泉はマニュアルを熱心に読み直している。
手にするマニュアルのボロボロぶりから、普段からかなり読み込んでいるのは間違いない。
他の連中は一塊りになって緊張をほぐすおまじないに熱中している。
オトコ達はそんな女達から離れ、メサイアの回りを行ったり来たりしている。
そして―――
「ん?」
二宮の目に止まったのは、祷子だ。
跪く格好で待機中のメサイア10号騎の前で、祷子はじっとメサイアを見つめていた。
いや、メサイアに微笑んでいた。
メサイアから聞こえるメカニカルノイズに一々答えているように頷いてすらいる。
「?」
巨人と会話する妖精のようにすら映る祷子に近づいた二宮が訊ねる。
「候補生。何をしている?」
「あっ、は、はい」
慌てて敬礼する祷子に、二宮は言った。
「敬礼しろといったのではない。何をしている?と聞いたんだ」
「あ、この子とお話を」
「この子?」
「はい。この子……10号騎です」
メサイアコントローラーや騎士の中には、メサイアを子供や娘、あるいは息子として位置づけ、「この子」と呼ぶ者が結構な数、存在するのは事実だ。
二宮もその中の一人。
見習いじみた格好付けのウソではないことは、祷子の眼を見れば二宮にはすぐわかった。
だから、訊ねた。
「何と言っていた?」
「はい。名前は“弥生”ちゃん。お母さんが水城恵美子中尉だと」
「……」
二宮はポカンとした顔でもう一度、相手を見た。
空想癖でもあるのか?
本気でそう思ったからだ。
人間がメサイアと会話出来るはずがない。
出来るとしたら、それはメサイアコントローラーだけだ。
この子にその素質があるとは聞いていない。
「あの?」
祷子が不思議そうな顔を向けてきた。
我に返った二宮は、慌てて話を合わせるように、
「そうか。訓練で苦楽を共にするパートナーだ。仲良くしておけ」
そう言って踵を返す。
「はいっ」
明るい祷子の声は、背中で受けた。
わからない。
二宮は首を傾げながらCPに入った。
何かがおかしい。
二宮はもう一度、資料を読み返した。
そして、見つけた。
「開発局の要請により採用?」
縁故採用はありえない。
あくまで実際の能力がモノを言うのが騎士の世界だ。
しかも、近衛関係者に知人がいる場合、関係者としてこの書類に載っているはず。
それが、一人として存在していない。
縁故の線は、ない。
つまり―――開発局は、何を?
まとまらない考えを抱える二宮に、
「中佐」
背後から声をかけたのは、整備隊長だ。
「起動準備完了。メサイアコントローラー、配置に付きました」
「ご苦労―――あ、待て」
「はい?」
「整備隊長、10号騎については、何か知っているか?」
「10号?ああ。あの、開発局から回ってきた?」
「開発局から?」
「ええ。最新型のワンオフ騎ですよ。訓練用に回してくれたとか。それが?」
「いや、いい。で?10号機の精霊体の名前は?」
「えっ?そういや、なんだったっけ?」
整備隊長は書類を引っかき回した。
「ああ。さっきのメールにあったな……」
「我々にも報告がないが?」
「そうなんですか?俺は整備上、必要かと思って、開発局の仲間に頼んで教えてもらったんですよ……これだ。えっと?」
二宮はその名を聞いた途端、凍り付いた。
何も知らないはずの天儀候補生が語った名。
まさにその名が、整備隊長から聞こえたから。
「“弥生”ですね。メインコントローラーとして登録されているのが、水城恵美子中尉。―――でも、この騎って、何の開発に使われたんだ?」
フィーッ
フィーッ
「搭乗開始、5分前!各員備え!」
サイレンと共に周辺に響き渡るオペレーターの張りのある声。
それがなかったら何時間凍り付いていたか、二宮にも答えはわからない。
10号機
天儀祷子
すべては、これから知ることになるだろう。
そう思いつつ、二宮は訓練開始に備え、指揮を開始した。




