上田市強行偵察 第一話
人類が頭を悩ませるのは、何も魔族軍相手の戦いだけではない。
いずれ魔族軍に勝つとして、アフリカと南米両大陸の戦後処理をどうするか。
人類は、この時点で、すでにそんなことを議論していた。
かつての三十年戦争と同じ。
戦いの趨勢はお構いなしで、とにかく自分たちが勝つという理屈の上で、他国を自分たちの思い通りにしようというのだ。
戦争の結果、ヨーロッパがかつての植民地を復活させた。
これに対し、“民主主義と自由の執行者”を自負する米国が反発、三週間戦争前の国家の独立維持を求めた。
ヨーロッパはこれに冷笑をもって答えた。
「今、海外にいて生き残ったほとんどが、かつて国を捨てた移民達だ。
彼らはその国の国民ではない。
しかも、国によっては世界中からかき集めても国民が50人に満たない国もある。
50人に国を動かせるか?
その面倒をアメリカが見てくれるというのか?
わずか50人から選ばれた代表が率いる国を独立国として認めるのか?
―――アメリカと対等な独立国として」
それが彼らの理論であり、米国はその理論を覆せなかった。
独立支持国がその国に必要な費用すべてを負担するという議論までふっかけられた日には、米国は完全に沈黙した。
資源産出国を抱える南米は、彼らにとっても魅力的な土地であった。
欲しいか?と聞かれれば欲しい。
だからこそ、彼らは取引に応じた。
ヨーロッパによる宗主権承認と引き替えに、南米における利権を確保する方向へと米国が動いたのは、国際社会の中ではむしろ自然の流れである。
その流れを決定づけたのが、フィンランドの都市オウルにおいて行われた国際会議。
議題は魔族軍と中華帝国の侵略に対する国際社会の対応について。
会談の結果は声明文にまとめられた。
―――国際社会は魔族軍を地上より一掃することで団結しなければならない。
後に“オウル会談”と呼ばれる会談の成果をまとめた声明文は、その一文から始まっていた。
世界はこの声明文に驚愕した。
魔族軍に対する国際社会の団結を訴えるのはいい。
問題は、魔族軍“及び中華帝国”支配地域の戦後処遇が盛り込まれていたことだ。
「中華帝国及び魔族軍支配地域については、宗主権保有国に対して、優先的に復興とその後の領土支配に関する権利が認められる」
「宗主権を参戦したいずれの国家も保有しない場合、当該地域を占領した国家に同様の権利が与えられるものとする」
各国は目の色を変えた。
中華帝国か魔族軍、どちらかの打倒に貢献した国は、領土が与えられる。
多くの経済問題と失業者を抱える欧州国家はこぞってこれに賛同した。
アメリカもだ。
魔族と中華帝国と戦うために、兵力を派遣する。
それは地球上の全ての土地を人類の手に取り戻すため。
その建前と、
新たな領土を手に入れるため。
その本音。
人類が戦う理由は―――この程度の代物だ。
“この時点において、自然界の回復という魔族軍の戦闘目的を高尚と称える者はいても、人類の目的をそう呼んだ者はいない”
後に、ある魔界の歴史学者が語るとおりのことである。
●大日本帝国
とはいえ―――
世界が俗と利権にまみれていようが何だろうが、戦力が欲しいというのが、この頃の日本の本音であった。
現在、米国とフランスから派遣された部隊が展開する松本市。その隣の旧上田市は既に魔族軍の支配地域だ。
魔族軍の侵攻を受けるまで、長野県東部の中核都市として総人口約16万を誇った上田市は、わずか半日で魔族軍により地上より消滅させられたため、上田市が現在どういう状況にあるのか、実はほとんどわかっていなかった。
魔族出現地点付近である以上、魔族の本陣があるのは間違いない。
それだけに、情報が欲しい。
美奈代が懲罰任務として強行偵察に駆り出された理由は、まさにそこにある。
日村に門から近い上田市において、どれ程の戦力が展開しているか。
或いは、どれほどの陣地が形成されているかがわかれば、日村における大凡の戦力がわかる。
それがわかれば、一気に日村の門を制圧し、国内おける魔族軍の動きを止めることも不可能ではないのだ。
かといって、リスクは高い。
正規部隊のメサイアを危険にさらすことは避けたい。
そこで選ばれたのが、問題を起こした新米騎士―――即ち、美奈代だった。
●長野県真田町付近
「屍鬼狩りは最後でいいんです」
群馬県側から鳥居峠を越え、国道144号線にそって山の稜線をなぞるような飛行を続ける“征龍改”。
そのコクピットの美奈代に、牧野中尉が言った。
「どうせ、大した戦果にはなりませんし」
「そういうものなんですか?」
「上層部が期待するのは、上田市への侵攻が出来るか否かの判断材料となる情報です。屍鬼狩りを命じてきたのは、それとは別系統でしょうから」
「別系統?」
「情報は参謀本部。屍鬼狩りは―――どこかしらね?」
「ふぅん?……そういうものなんですか?」
連なる山を乗り越える際の微弱なGを感じながら、美奈代は牧野中尉の判断に、しきりに感心するだけだ。
「そういうものです―――真田、入ります」
山間の谷に沿った道がスクリーンに映し出された。
先日の攻撃が効いたのか、魔族の姿はない。
道に沿って数件の家々が立ち並ぶ、日本のどこにでもありそうな山村の光景が、そこには広がっていた。
「あーあ。ダボスは行きつけのスキー場だったのになぁ…
“またお越し下さい。真田町”
そんな看板を通り過ぎた辺りで、牧野中尉が残念そうな声をあげた。
「菅平でスノボやって、上田でお蕎麦食べて別所温泉で一泊ってのが、冬の定番だったのに……」
「奪い返せば―――それで」
「……そうですね」
牧野中尉は頷いた。
「―――さて、准尉」
「はい?」
「上田市市街地に侵入して、敵の反応を探ります」
「はい」
山間部を抜け、開けた土地がスクリーンに映し出される。
上田市だ。
「まだ敵は―――」
ピーッ
「“さくら”?」
「戦狼タイプ3―――5、7。8時方向から接近中」
「早速いらっしゃったわよ?准尉」
「―――了解。“さくら”、全ウェポンセーフティ解除」
「了解っ!」
ズンッ!
ギャウォォォォォォォォッッ!!
腕にマウントされた35ミリ多銃身機動速射野砲が、最後の戦狼級中型妖魔を撃破したのは、菅平IC付近でのことだ。
戦狼がもんどり打って、国道沿いのコンビニに突っ込んで動かなくなった。
「ラスト1撃破」
戦狼の死体を一瞥すると、美奈代は騎体を上田市街へ向けて移動させた。
―――慣れてきたな。
美奈代はそう思った。
「騒ぎは辺り一帯に知られています」
牧野中尉は言った。
「なるべく早めに任務を達成しましょう」
「上田市市街地へ」
「そう。ですけど、ルートを変えます」
牧野中尉は手元の戦況モニターを切り替えた。
モニター上に上田市の詳細な地図が表示される。
「どうせ魔族が動くなら、先に屍鬼を始末しましょう」
「発見されたんですか?」
「市内踏入―――ここと、ここです」
「信州大学と―――ここですか?」
「そうです。このショッピングモールです―――まぁ、はっきり言っちゃえば、広域火焔掃射装置でこの一帯全部焼き払えば終わりなんです」
「し……しかし」
美奈代はさすがに躊躇した。
地図上には大学に高校、保育園まである。人々の生活の場なのだ。
広域火焔掃射装置の射程範囲は約500メートル。
一回の攻撃で一面火の海だ。
「この周辺に人は住んでいません」
その被害を考え、俯いて躊躇した美奈代に、牧野中尉は明るい声で言った。
「ブワァーって、一回トリガー引けば、後は全部、灼熱どころじゃない炎が全部焼き払ってくれます。ちなみに、“掃除”は命令ですよ?」
「……うっ」
「なんでしたら―――」
その声は背筋が凍りそうなほど冷たかった。
「私がやりますけど?」
「……いえ」
美奈代はきっと顔を上げ、
「騎士の務めですから」
そう言った。
「そういう生真面目な所」
それを聞いた牧野中尉は、悪戯っぽい顔で小さく笑った。
「嫌いじゃないです」
美奈代は“征龍改”を、信州大学の間近。常田3丁目交差点に通じる丘の上に停止させた。
「中尉―――広域火焔掃射装置を」
「了解」
“征龍改”の腕が、腰部にマウントされていたフレイムノズルを掴んだ。
ノズルの移動にあわせ、背部のリキッドタンクに引き込まれていたリキッドホースが延びる。
「ノズル伸展します」
牧野中尉の操作で、“征龍改”の手にしたフレイムノズルが面白いように延び、伸展完了時には、“征龍改”とほとんど倍近いサイズにまで延びた。
「伸展完了」
「使用しつつ移動します」
「了解。トリガー、任せます」
《使いたくないけど》
美奈代はどうしてもそう思ってしまう。
何しろ、目の前で伸展したノズルがここまで長い理由は、広域火焔掃射装置から発せられるプラズマ火炎は1万2千度を超える。
鉄の融点が1535 度と言えば、その温度がいかに非常識か分かるだろう。
それ故に、その発射時の高温で、使用した騎体そのものが溶けて破壊されてしまうのを防止するために、広域火焔掃射装置のフレイムノズルは恐ろしく延長せざるを得ないのだ。
眼下に広がるのは、人々の築き上げてきた町並み。
何の罪もない街だ。
人はいない。
あるのは、戦況モニター上に表示される無数の小型妖魔―――屍鬼の反応だけ。
―――私は火葬場の代わりだ。
美奈代は心の中で自分に言い聞かせた。
―――死んだのに死にきれなかった人を、楽にしてあげるんだ。
自分に罪はない!
私がするのは、人殺しじゃないっ!
美奈代は、自分に強くそう言い聞かせると、トリガーを引いた。
ギュワァァァァァァッッッ!!
背筋の寒くなるような、まるでバケモノの断末魔のような音を立て、広域火焔掃射装置から激しい光が放たれた。
プラズマ火炎だ。
有効射程500メートル。
一回の使用で、街の景色が一変した。
炎が到達した場所だけが面白いように破壊され、周辺が類焼。一面が火の海と化した。
―――ごめんなさい。
美奈代は心からそう呟くと、炎上する市街地へと“征龍改”を前進させた。
妖魔の反応が左側に強く現れたのは、県道79号線に沿って上田東高等学校横まで来た時だ。
広域火焔掃射装置で校舎を半分近く消滅させられ、激しく炎上を始めた高校の校舎を一瞥した美奈代は、“征龍改”を止めた。
反応は左側―――信州大学のキャンパスだ。
サーチ結果とキャンパスの地図を照合させると、校舎と反応の集中が合致する。
校舎の中にびっしりと屍鬼達が潜んでいる証拠だ。
東高校の校舎に潜んでいる数に比べれば大したことはない。
―――ごめんなさい。
―――でも、こうしないと!!
フェンスを踏みつけ、すでに広域火焔掃射装置で原型がわからないほど破壊されたスーパー横のテニスコートに移動した美奈代は、内心でそう詫びながら、再びトリガーを引いた。
トリガーを引く間、美奈代はゆっくりと“征龍改”を一回転させた。
周辺全てを焼き払うためだ。
ギュワァァァァァァッッッ!!
それが、広域火焔掃射装置の発射音なのか、それとも地獄の炎に焼き殺される屍鬼の断末魔なのか、もしかしたら、殺されていく街の叫びなのか、それは美奈代にはわからない。
恐怖より虚しさばかりが先走る音だと美奈代は思った。
トリガーから指を離した時には、すでに信州大学の広大なキャンパスは―――いや、街は原型を止めない一面の焼け野原の中になっていた。
美奈代は溶けてねじ曲がった建物の礎石が、灼熱地獄に転がる墓石にさえ思えた。
「……」
「感傷に浸っている時間はありませんよ?准尉」
「……慣れてるんですね」
「おかげさまで―――次はショッピングセンターとその近隣を焼き払ってください。終わり次第、そのまま上田駅経由上田市役所、上田城から一気に塩田方面へ」
「……了解」
「准尉」
「はい?」
「あなたはいいことをしているんです―――ウソでもそう自分に言い聞かせなさい。これは近衛軍中尉としての命令です」
「……ありがとうございます」
『前方に8騎―――“デミ・メース”だ!』
千曲川方面から、民家を踏みつぶして移動するのは、魔族軍第189哨戒隊。
騎数は6。
前方を進む隊長騎からの突然の通信に、二番騎を操るカヤノは、外の景色に見とれるのをやめ、規定通りの操作にとりかかった。
―――デミ・メース。
メースの紛い物。
カヤノ達魔族がつけた敵兵器の蔑称だ。
『久々のエモノだ!』
『前の戦では、バムロの隊にしてやられたが、今度はそうはいかねえぞ!?』
舌なめずりさえ聞こえてくる品のない通信。
背筋に悪寒が走ったのをこらえつつ、カヤノは訊ねた。
「隊長、本陣へ連絡は?」
『首を上げてからでいい』
カヤノの問いかけに、隊長であるガバラはそっけなく答えた。
『見習いは見習いらしく、小さくなってろ!余計なことすんな!』
「は、はい」
『初陣なんだ。力みすぎるなよ?』とギーン。
「あ……ありがとうございます」
ガバラの粗暴さをフォローするようなギーンの言葉がありがたい。
『ヤバければ逃げろ。無理してメースを壊してくれるなよ?』
『ギーン、袋だたきにしてやろう。やれるな?』
『腕はなまっていません。ご安心を』
ガバラ隊長は、自分達だけで敵を撃破するつもりだ。
カヤノはそう思った。
その理由は―――
『カヤノ、お前は足手まといだ。下がっていろ―――何もすんじゃねえぞ?』
そういうことだ。
「り、了解……」
戦闘経験がない新入りのカヤノに、隊長という肩書きを持つ相手に逆らうことは許されない。
先の戦争でも、最後のメース補給と共に配属され、結局、見習いのまま戦争を終えたカヤノは何千年経ったとしても、見習いのまま。
例え、メースから降りれば降りたで自分を女として蔑むガバラであっても、その嫌悪感を反抗という形で示すことは許されないのだ。
カヤノは騎の移動速度を落とし、残り5騎のかなり離れた位置についた。




