難民収容所にて
●長野県第6難民収容所
帝国国民を襲うのは、何も魔族だけではない。
中華帝国からの食料供給停止。
原油の高騰。
産業の停滞。
海外に術を依存し、発展してきた日本経済は、国内戦という未曾有の出来事により、海外との交易が停止した時点で完全に破綻。生活に必要な全ての物資の供給停止が、国民を襲う。
国内のスーパーでは満足な食料品さえ並んでいない。
国民一人当たりの栄養摂取量が過去100年間で最も低くなったのは、この年だ。
国民の批判は、食料安全保障を軽んじ、国民に満足な食料を供給できない政府と、何より、そんな状況下で利益を追求する大企業に向けられた。
物資の買い占め。
供給制限による価格の暴騰。
そこから生まれる暴利。
同国人に餓死者が続出する中、ある外資系商社の会長は、食料買い占め疑惑否定の記者会見の席上で「企業は利益追求集団ですから」とだけ答えた。
その翌日、この商社の倉庫から、発表された在庫にはない小麦や米が数万トンの規模で発見された。
この商社は、これを通常の数十倍の価格で売り出し、莫大な利益を上げた。
その言い分が、「こうでもしないと国際競争力が確保出来ない」。
なお、同日に発表された政府確認の餓死者数の累計は、この企業の全従業員数の二倍に達している。
失業者達は生活の糧を求め、難民は食料を求めて、各地で暴動を引き起こし、大企業の工場やビルを破壊する。
同じ頃―――
避難民向け仮設住宅が立ち並ぶ難民収容所。
着の身着のままで逃げ出してきた人々が、そこでわずかな食料で命をつなぐ。
どこで暴動が起きようが、略奪が生じようが、ここにいる人々には関係ない。
犯罪が横行し、誰もが他人に猜疑心をむける。
盗んで盗まれ、騙して騙され、殺して殺され―――生きていく。
今、この瞬間を生きるだけで精一杯な世界。
それが、この収容所
いや……違う。
―――日本だ。
「お嬢ちゃん、一人かい?」
避難民達を強制的に収容する難民収容所。
食糧配給所の長い列を経て、ようやくありついた薄いスープをすする少女に、年老いた女性が声をかけた。
こくん。
少女は、無言で頷いた。
「そうかいそうかい」
女性は、少女の真向かいに座り、スープをすする。
「私もだよ。逃げてる最中に、娘夫婦と生き別れさ……どうしようもない」
「……」
「ここにいる連中、みんなそうさ。魔族に襲われて、命からがら逃げ出したら、今度は政府に襲われる。……嬢ちゃん、お金はあるかい?」
こくん。
少女は、無言で頷く。
「そうかい……大事にしなよ?政府の連中、仮設住宅に住むのに家賃をとるっていうのさ。着の身着のまま放り出された私達にゃ、服以外、何もないっていうのにねぇ。
……ひどい話さ。
昨日だけで何人、この寒さで死んだかわかんないのにねぇ」
女性は、ふと気づいたように、少女にわびた。
「悪かったねぇ。お嬢ちゃんに言っても、何の意味もないのに」
ふるふる。
少女は、近くのゴミ捨て場にスープの容器を投げ捨てると、立ち上がった。
少女が立ち去る間際、女性はスープの中に何かが落ちたのを知った。
「?」
一万円札が数枚、スープに浮いていた。
驚いて、再び、少女の姿を探すが、避難所の雑踏の中、少女の姿は消えていた。
少女は、避難所を抜けて、目的に向かうべく歩き始める。
滝川村に戻る前に受けた、新たな指示。
それを実行すべく。
避難所を囲うフェンスは、あちこちで穴があいている。
少女は、そこから避難所の外に出ようとしたのだが―――
「ちっ」
小さく舌打ちすると、フェンスにそって、素知らぬ振りで歩くことを余儀なくされた。
フェンスの外側に、銃を持った兵士達が立っているのが見えたからだ。
避難所のあちこちから悲鳴や怒鳴り声が聞こえてくる。
「?」
避難所に戻った少女の目の前で、何人かがもみ合いになっていた。
警視庁騎士警備部の制服を着込んだ男達が、まだ20にもなっていないだろう男を取り押さえていた。
避難民達は、それを遠巻きに、恐れの眼差しで見つめるだけ。
中には、手を合わせる者までいた。
「おとなしくしろっ!」
警棒で何度も殴られ、男がうずくまった。
「手間かけさせやがって!」
動かなくなってもなお、数発、警棒で殴り続ける警官達。
「よし―――ここのノルマはあと5人だ」
避難所には場違いの、仕立てのいいスーツ姿の男が、顎で鉄格子のついたトラックを指した。
「お、お願いですっ!」
その男にすがりついたのは、包帯だらけの女性。
かなりの怪我を負っている。
「む、息子なんです!たった一人の!」
男は、心底汚らわしいという顔で言い放った。
「―――そんなの、あなたの勝手でしょう?連れて行け」
「そ、そんな!」
「我々は帝国政府のために働いているのです。あなたのためではない」
「あ、あの子がいなくなったら、私は!」
「死亡時までの年金、他の税金は、しっかり納めてくださいね?義務なんですから」
手錠をかけられ、トラックに押し込められた男が、逃げだそうと暴れ出す。
「おとなしくしろっ!」
再び、警官ともみ合いになるが―――
バンッ!
もみ合いの中、鈍い音が響き渡った。
もみ合いのが解かれたその地面。
頭から血を流す、男の死体があった。
女性の喉から意味不明の叫びが響き渡る。
「―――困るじゃないか」
拳銃を持つ警官に、男は言った。
「ノルマが減る」
「も、申し訳……」
「始末書モノだ。……はぁっ。ここで私の経歴にドロを塗ってもらっては困るのだ」
「は、はっ」
「やむをえず“処理”したと報告しておきたまえ。代わりの者を捕まえてこい」
「はい!」
「私達、厚生省は、騎士を本来あるべき場所、戦場へと送り込み、帝国の勝利に貢献する義務がある。そして、私には、日々、騎士を割り当てられた数、送り込むノルマがあるのだ」
「は、はい」
「―――それがね?私の出世のためには必要なのだ。私の栄達を、そんな安い鉄砲玉と、騎士の命で邪魔されてはね?困るんだよ」
死体と、それにすがりつく母の前で、男は眼鏡を直した。
「公安騎士たる君にも、その点は、しっかり理解して欲しいものだ」
男は、そこで思い出したように、やや大きい声で言った。
「厚生省への言論以上の抗議、反抗的態度があった場合、数日間、食糧の供給が停止することを、改めてここの連中に教えておけ」
「はっ!」
警官は、敬礼すると、部下に号令をかけ、部下達が再び、警棒を手に駆けだしていく。
「所長―――死体を処理しておけ。自殺だ」
「はっ」
太った男が、死体を前に平身低頭で頭を下げた。
この男の死が、
女性の希望が失われたことが、
少女にはわかった。
「……さて」
男は、懐から懐中時計のようなものを取り出した。
―――騎士探索装置
人間には、指紋同様、各個人に独特の霊的波長がある。
その波長を分析すれば、相手が一般人か、騎士か、それとも魔法騎士かがわかる。
少女は、話には聞いていたが、それがそうだとは思いもよらなかった。
男が、少し驚いた表情で、少女を見ると、そばに控えていた別な警官達に、何かを指示したのを、少女はただ、眺めているだけ。
警官達がすぐに少女を取り囲む。
「お嬢ちゃん」
「……」
男の冷たい言葉に、少女は無言で応じる。
「いくつだ?」
「……14」
「ほう!」
男は無遠慮に少女の肩に手を置いた。
「戦時騎士動員法、知っているな?」
無言で少女は首を横に振った。
「なら、教えてやろう」
男の手に力がこもった。
「13歳以上の騎士は全て戦力として動員する。我々はその徴用役だ。魔法騎士1人確保で、騎士10人分のノルマが達成できる。臨時賞与は私のものだ」
男は心底うれしいという声になった。
少女は、その目の奥底で光る嫌らしいまでの光に、生理的な嫌悪感を感じずにはいられない。
「局長賞も夢ではない―――厚生大臣の夢も、捨てたものではない……いや!私こそふさわしいのだ!」
「……」
狂ってる。
少女はそう思った。
戦場で人が死ぬのも、
こうして今、生死の境をさまよう人々を前にしても、
人を殺しても、
痛痒さえ感じない。
あくまで己の保身、出世のみに固執する。
人外の獣が、目の前にいる。
少女は、そう思って、考えを改めた。
父は言っていた。
人間界で出世したければ、人間を捨てろ。
人間でいる限り、出世はない。
目の前の男は、人を捨てたんだ。
人ではなく、官僚になったのだ。
だから―――仕方ない。
「騎士収容所に送る。騎士ランクによっては、そのまま前線という、君達のいるべき場所に住むことが出来る―――素晴らしいことだろう?え?」
「……」
「トラックに押し込め。厳重に注意しろ?魔法騎士だからな」
他にも何人か、騎士が捕まったらしい。
血まみれの男達。
中には、まだ小学生かと思う子供までが手錠をかけられ、トラックに放り込まれる。
「さあ、乗りたまえ」
男に促され、少女はトラックに乗った。
バンッ
その前でドアが閉められ、施錠される。
「よしよし―――今日のノルマはこれで達成だ。こんな汚らしいところまで来た甲斐があった」
男は大きく頷いた。
トラックが走り出す。
避難民達が、ぞろぞろと道に出てきて、手を合わせてくる。
トラックの中の騎士達は、格子にしがみついて泣き叫ぶ。
少女は、避難民達の中に、さっきの女性がいたことに気づいた。
女性は、跪いて手を合わせていた。
「……」
「こちらは厚生省です。みなさまには平静をお願いします。投石行為等、一切の厚生省への敵対行為は、みなさまに多大な被害を及ぼします。投石などがあった地域へは、食糧の供給が遅れます―――」
そんなテープが、少女の乗るトラックを送る。
「さて」
トラックの運転席からスピーカー越しの声がした。
「名前、騎士ランクを申告しろ。意識のない者はたたき起こせ。早くしろ」
騎士達がおそるおそる申告する。
「何?まだ12だと?」
自分は12歳だと名乗った少年に、スピーカー越しの男は冷たく言い放った。
「仕方ない。今からお前は14だ。何。書類上のミスはある」
「そ、そんなっ!」
「下手なこと考えるな?このトラックの荷台には、床に散弾が仕掛けてある。暴れたら、ここにあるボタン一つでお前等は挽肉だ」
「……」
「次、―――何?65?よかったな。棺桶は国家が用意してくれる。次―――魔法騎士のガキ。お前、名前と騎士ランクは?」
「……」
「早くしろ!挽肉になりてえか!?」
「……です」
「聞こえん!」
少女は名乗った。
「水瀬、悠理です―――騎士ランク、AA」




