降下強襲作戦
格納庫の壁に設置された時計の日付が変わろうとしていた。
時刻を告げるデジタル表示の下。
そこには作戦開始までのカウントが表示されている。
そう。
すでに作戦に向けて、すべてが動いている証拠だ。
だが、はっきり、無謀すぎる。
「奇襲は大軍をもって為すものとは限らない」
二宮はそう言う。
「少数をもって敵を襲うことにこそ、その意義はある」
その言葉を前に、美奈代達はただ、
「二宮教官が言うんだから間違いない」と自分を説得するのが精一杯だ。
自分達が何をしようとしているのか、まるで実感がわかない。
ふわふわとした、不思議な感覚だけが、少なくとも美奈代の感じる全てだ。
敵を倒し、戦場を駆け抜ける。
ただ、それだけなんだと、数時間前に自分を説得したばかりなのに。
船窓から覗く外は真っ暗だ。
弾道飛行の関係上、部隊が移動する先は、ミクロネシア。
この世界では南洋県と呼ぶ。
―――もう行きたくない。
さつきが冗談でぼやいた理由。ほんの数ヶ月前に体験した南太平洋での戦いが、遠い昔のことに思えてくる。
部隊の移動まであと少し。
ハァッ。
目を閉じて深いため息をついた途端、
「何辛気くさいため息ついてんのさ!」
パンッ!
誰かに後頭部をはたかれた。
振り返ると、さつきがいた。
「隊長さんが、そんな辛気くさいツラしてたら、部下がたまんないでしょ?」
「……代わりにやってくれ」
「い・や」
さつきは船窓の縁によりかかるようにして外の景色を眺めた。
「―――大丈夫?」
「えっ?」
さつきからの突然の問いかけに、美奈代はどう反応していいか迷った。
「さっき、通路で頭ガンガンやってたから」
「あ、ああ……だ、大丈夫だ」
「ふふっ。気合いいれてたんだ」
「まぁ……な」
「怖い?」
「怖い」
「私も」
さつきは笑いながら言った。
「死んでも別にいいけどさ。でも、怖い」
「……何故?何故、死んでもいいんだ?」
「ん?ほら……私、新潟の出だから」
「……」
「家族、みんな死んじゃったし、高校時代に好きだった人もね」
「妖魔にやられたのか?」
「ううん?死者の樹」
さつきは船窓にもたれかかるような姿勢で美奈代と向き直った。
「家族はあのオゾンにやられた。庭に生えていた樹の伐採やったんだ。業者雇うお金もったいないからって」
「……」
「ほら。あの樹って、中の樹液が爆薬みたいなもんなんでしょ?そんなの、みんな何も知らないから、オヤジが切り倒したあの樹にガソリンまいて火をつけて―――ドンッ」
さつきは握った手を開いてみせた。
「即死だったって……聞いた」
「……」
「お袋と妹は重傷負って病院送り。そこであのオゾンにやられた。……だから、死ねば死んだで、みんなに会える―――だから、怖くない」
「割り切りがいいんだな。早瀬は」
美奈代は、心底うらやましそうにさつきを見た。
「へへっ。ウジウジ考えるのがイヤなだけ。っていうか、ほら私、バカだから考えることが苦手だし」
「ふっ……あやかるとしよう」
「よしてよ」
「他の連中は?」
「宗像はオペレーターの子の部屋。山崎と美晴は空いてる倉庫。都築は整備のシゲさんに捕まって調整作業中」
「つまり、他は多忙ってことか」
「宗像や美晴はどうか思うけどね」
「二宮教官にバレたらしらんぞ?」
戦闘装備に身を固めた美奈代達が二宮達の前に整列したのは、それから1時間後のことだ。
「敵の砲撃は、平均して2100時から2400時にかけて実施されている」
白い布をかけられたテーブルの向こうで、美夜が訓辞を述べる。
修復中の“鈴谷”の作業を一時中断してまで美奈代達を送り届けようと言うのだ。
「敵の攻撃が始まり次第、我々は奇襲攻撃を敢行する」
白いテーブルの上に載せられた人数分の杯。
杯に満たされた液体がアルコールなはずはない。
「現在、人類は存亡の危機に立たされている」
美奈代達は直立不動のまま、その訓辞に聞き入る。
「これ以上の無関係の民を見殺しにすることは出来ない!」
美夜の目には尋常ではない光が宿っている。
「貴官達は、まさに人類を救う先鋒となったのだ。ただ、死ねとは言わん。だが、その任を全うすることだけを期待する―――成功を祈る」
美夜の敬礼に、全員が答礼を返す。
後は、全員が杯を手にするだけ。
一礼の後、美奈代は杯に口をつけた。
案の定、水だった。
水杯。
別れの杯。
今生で最後に口にする水。
死に水。
いろんな言葉が脳裏に浮かんでは消えていく。
美奈代は、全てを忘れるかの如く、杯を一気にあおった。
「各騎、発艦をしくじるな!?」
二宮からの激に小さくさつきがぼやいたのを美奈代は聞き逃さずにすんだ。
「MCがやってくれるじゃん」
「そういう問題じゃない」
「やば。聞こえてた?」
「ふん―――早瀬」
「何?」
「死に急ぐなよ?それじゃ、ダメだ」
「……」
「都築はかなり浮気性な男だ」
「ふふっ……ハッアハハハハハッ!」
通信機をさつきの笑い声が満たす。
「わかった。覚えておく」
「……ふ、複雑だな」
「美奈代」
「ん?」
「ありがと。あんた、本当に隊長とか、教官向きだよ」
「……よせ」
「発艦終了騎からすみやかに編隊を組め」
「和泉、了解―――牧野中尉」
「はい?」
「あと、頼みます」
「はい―――さくらと一緒に、がんばりますね?」
「了解。さくらも、頼んだぞ?」
「うんっ!」
美奈代は二宮騎の右後方につきながら、武装を確認した。
「十分。上等だ」
首を傾げるさくらの前で、美奈代は自分に活を入れた。
「さくら―――がんばろう」
「はいっ!」
「編隊各騎」
二宮から通信が入る。
「敵の攻撃は未だ確認されていない」
「国連軍の陽動攻撃は?」
「敵の攻撃開始と同時だ」
「巻き込まれはしませんよね?」
「祈れ」
「……了解」
結局、何が起きるかわからない。
そういうことだ。
後方から別部隊が接触したのは、このタイミングでだ。
白いメサイアで編成された部隊。
せの白い騎が角龍であることは、座学で知ってはいる。
装甲形状が違うから、角龍改というべきだろうか。
ぼんやりとそう考える美奈代の目の前で、白いメサイア達が見事な機動で、瞬時に編隊を構成する。
一騎たりとも無駄な動きをする者はいない。
これが、ベテランの動きか。
そう思うと、美奈代は畏怖に似た感情を抑えられない。
「こちら八八特務隊隊長、瀬音だ」
美奈代達に平行するように飛行する編隊から通信が入る。
「331小隊、二宮」
「久しぶりだな。真理」
「忘れてました」
「ヒデえ話だ」
隊長同士のやりとりの間、美奈代が気になって仕方なかったのは、八八特務隊の編隊に守られるように飛ぶ白いメサイアだ。
関係ないだろうが、角龍というだけに角張った無骨なまでの装甲形状とは異なり、曲線をもって構成される、むしろ女性的な優美ささえ感じさせる。
白い宝石。
そんなことばが脳裏をよぎる美しい騎だった。
部隊間の勝手な通信は厳禁されているため、問いかけることは出来ないが、おそらく、かなりの使い手が乗っているんだろうと、美奈代は見当をつけ、牧野中尉にこっそりと尋ねた。
「牧野中尉。あの白い騎の性能はわかりますか?」
「詳細不明。ただし」
ごくっ。
牧野は唾を飲み込んだ。
「パワー、トルク・バランス、共に“幻龍”の比ではありません。私の知る全ての騎を、遙かに凌駕しています」
「この子より?」
編隊を崩さぬよう注意しながら、美奈代は牧野に問いかける。
「比較になりません」
「……」
「編隊各騎」
二宮からの通信に我に返った美奈代だが、それまで自分が何を考えていたか、すぐに忘れた。
「敵の攻撃が開始された」
「!!」
「隊長、敵の狙いはどこですか!?」
「弾道からして再び東南アジアだ」
「阻止は?」
「我々の任務ではない。なんでもかんでもやろうとするな。各騎、データリンク開け―――敵陣地がようやくわかった」
MC達がデータリンクから伝わる情報の解析にとりかかる。
「攻撃目標は長野市川中島。―――各騎、高度3万まで上昇!続けっ!」
ブースト機能全開。
二宮騎の背面が光り輝く。
美奈代もそれに遅れないように、牧野に怒鳴った。
「牧野中尉っ!」
「対G最大、耐熱フィールド最大展開!―――行きますっ!」
グンッ!
一瞬、
潰されたんじゃないか。
このまま、挽肉にされるんじゃないか。
そう錯覚するほどのGに襲われ、美奈代は文字通りコクピットに押さえつけられた。
メサイアのシートは脊椎防護用のクッションしかない。
そこに押さえつけられ、息が詰まる。
とにかく、過ぎていく時間が長い。
人生でこれほど一秒が長く感じられる時はそうは無かったように思える。
とにかく、この時間が早く終わってほしい!
体中の骨がきしみをあげるのを確かに聞きながら、美奈代はめまぐるしく動く高度とブースト出力のメーターを、そして確かに見た。
青白い光球が地上から打ち上げられたその光景を―――
一発で何万、何十万という人が殺される一撃が、光と共に天へと駆け上がって行く。
「―――くっ」
美奈代は止めたかった。
なんとしても、あの一撃を、止めたかった。
だが、照準を合わせることも、トリガーを引くことも出来ない。
Gに押さえつけられ、指一本動かせないのだ。
目の前に敵がいるのに、指一本動かすことが出来ない。
その無念さが、美奈代を襲う。
「こ……これでも……」
やっと喋ることが出来る舌で、美奈代は自分を呪った。
「これでも……騎士か……」
ピーッ
予定高度に達したことを知らせる警告と共に、美奈代は一時的にGから解放された。
暗黒の世界と水の世界の境界線が、そこには広がっていた。
「……綺麗」
本やテレビでしか見たことのない、一生縁のないと思った言葉に表せない世界が、美奈代の目の前に広がっている。
暗黒の世界にぼんやりと光り輝く美しき世界。
だが、美奈代達は、その光景にそれ以上見とれていることを許されなかった。
「!!」
真っ暗な地上に光のドームが誕生した瞬間を、美奈代達は目の当たりにした。
その下で何が起きているかはわかる。
だが、それはあまりに美しすぎた。
グンッ。
ぽかんと開けた顎が急激なGに押さえつけられ、危うく舌を噛み切るところだった。
美しき景色は灼熱の地獄へと変貌した。
「やめてやるっ!」
コクピットでそうわめいたのは、さつきだ。
「これ、生きて帰ったら、絶対、絶対、除隊申請出してやるんだからぁっ!」
騎体が軋むほどのGと灼熱の摩擦熱。
ちょっとしたミスがそのまま騎体の分解、即死へとつながる世界。
騎体の軋みがコントロールユニット越しに伝わってくる。
そのちょっとした振動でさえ、騎体の分解が始まったのではないかと錯覚してしまう。さつきはもう半泣きだ。
「ううっ……こんな世界に行きたがる宇宙飛行士って、絶対、マゾだっ!」
灼熱の地獄が終わった。
弾道飛行も終盤だ。
後は―――
メサイアのブーストが逆噴射を開始。
圧倒的推進力を誇るメサイアのブーストだが、それでも速度は落ちない。
「こ、これで!」
自分の騎体の落下速度を知ったさつきが再び悲鳴を上げた。
「これで、降りられるの!?」
地上の灯りがどんどん近づいてくる。
近づくなんてもんじゃない。
まるで地上を撮影するカメラを急速にズームしたような、そんな錯覚すら覚えるほどの速さでだ。
どこかの飛行士は、「翼よあれが」何とか言ったらしいが、さつきには、そんな余裕はない。
翼よ止まれっ!もう少しゆっくり!
さつきにもう少し余裕があれば、そう言ってのけたろう。
引きつる顔で地上を見守るさつきは、コントロールユニットに思わず力を込める。
コントロールをMCに取り上げられている今、そんなことをしても意味はないのだが、それでも力がこもってしまう。
ついに、雲を抜けた。
それまで見ていた町の灯りは何もない。
せいぜい、篝火らしい小さい光がちらほら見える程度の闇の世界。
ついに、さつき達はここまで来たのだ。
「編隊各騎!ショータイムだ!」
「早瀬准尉、コントロールをお返ししますっ!」
「り、了解っ!」
暗視装置を組み込んだメサイアの目が、落下地点を昼間のように画像変換してくれる。
そこに蠢くのは、サイズをどこかに置き忘れたような蟻達だった。
「あんたらのせいでぇぇぇっ!」
さつきは腰にマウントした127ミリ砲を構えた。
「私がこんなに怖い思いしたんだからねぇっ!?」
照準もそこそこにさつきは砲を乱射した。
「責任とれぇっ!」
地上では127ミリ砲の連続した爆発が続く。
ドンッ!
さつき達は、その爆発のまっただ中へと着地。
即座にMC管理による30連サーモバリック弾頭ロケット弾発射筒が火を噴いた。
一種の気化爆弾であるサーモバリックを弾頭に搭載したロケット弾は、突然の敵に狼狽する敵の頭上で爆発。辺りを一瞬のうちに灼熱の地獄へと変える。
「私たちは、こんな思いしてここまで来たんだからねっ!」
127ミリ砲の残弾を、未だに蠢く巨大な蟻の頭部めがけてゼロ距離で撃ち込む。
砲弾の破片と共に、蟻の残骸が吹き飛んでくる。
予備マガジンを装填。
「このおっ!」
辺りめがけて撃ちまくる。
横では美晴騎が散弾砲を乱射している。
撃つしかないのだ。
「各騎!」
二宮から命令が来る。
「ショータイムは終わりだ!砲台は潰した!引くぞっ!」
「引くって!?」
さつきは127ミリ砲を構えながら叫ぶ。
「どうやって!?」
四方全周囲に無数の妖魔の反応。
測定限界値は突入の時点で超えていた。
突入した時こそともかく、すでに敵は包囲を完成させている。
「上だ!」
「狙い撃ちにされるっ!」
「やって見なければわからん!」
「二宮中佐!上空に敵飛行部隊!」
「―――ちぃっ!」
「隊長っ!」




