ガストラフェテス
美奈代達が死に物狂いで戦っている地点から100キロと離れていない地点では、魔族軍が新たな動きを見せていた。
“ガストラフェテス”
天原商会より引き渡されたばかりの大型妖魔。
平均全長80メートルに達する巨大な蟻に近い形状をしている。
そんな外見をした巨大妖魔が、壊滅した長野県の市街地跡で蠢いていた。
ズリュ……ズリュ……ブリュ……。
聞くだけで生理的な嫌悪感さえ感じさせる気味の悪い音を立てながら、“ガストラフェテス”が腹部をふるわせる。
それを破壊されたビルの背後から見守るのは、彼らの飼い主である魔族達―――第702砲兵隊を構成する魔族達だ。
神経に取り付けられた装置により“ガストラフェテス”を管理する彼らの目の前で、その腹が青白い光を放つ。
腹部の構造が光によってわかるほど光り輝いたのを見た魔族達は、“ガストラフェテス”に一斉に攻撃目標を告げるべく、装置を動かす。
「撃てっ!」
「てっ!」
指揮官の号令を合図にしたかのように、“ガストラフェテス”の腹部が宙を向き、そして、巨大な光球が宙へ放たれた。
光球はそのまま、宙へと消えていく。
「第三斉射完了!」
「よし―――第四斉射急げ!」
彼らの標的にされたのは東南アジアの国々。
その中の一つ、木造のバラックじみた店が並ぶある湾岸の町。
店からこぼれる電球の光に照らされた道を、様々な商品を荷台に積んだ自転車や人々が行き交い、食事を提供する店先では、母親が子供を膝に乗せ、食事を与えている。
偶然、その真向かいに座った老夫婦がそんな母子に暖かいまなざしを向けている。
ここでは日常の、何の変哲もないありふれた光景。
ゴゴゴゴゴコッ―――!
空気をふるわせる不可思議な音が、町を襲った。
強い風が道を走り、道ばたに転がっていたゴミを巻き上げる。
道を行き交う人々が足を止め、店の主と客が同時に空を見上げた。
空は分厚い雲が覆い、何物も見えない。
人々が首を傾げた時
まさにその瞬間―――
町を
人々を
光が襲った。
“ガストラフェテス”
その腹が産み出すのは彼らの子供ではない。
魔法のオブラートに包まれた超高圧縮されたエネルギーの塊だ。
彼らの腹から撃ち出された塊は、有効射程約500キロ以上最大5万キロ。
最大速度は実にマッハ30。
日本国内のほとんどが近すぎるため射程に入らない。
その一撃が襲来したのだ。
衝撃波を伴いながら、超音速で襲いくるエネルギーの塊。
衝撃波が高い建物を吹き飛ばし、衝撃波が走った道に沿って光球が地上を目指す。
地上にめり込んだ途端、エネルギーの塊を覆っていた魔法のオブラートが破壊され、エネルギーが一気に解放される。
都市が、真っ白に染め上げられた。
翌日。
「観測の結果、昨晩の攻撃は合計200発に達した」
二宮の説明に、美奈代達は苦い顔で聞き入るだけだ。
わずかばかりの戦勝、その歓喜を吹き飛ばして十分すぎる話だ。
命がけで戦って帰ってきた美奈代達を出迎えたのは、そんな報道だった。
「覚えておけ。奴らの攻撃は、空間封印された魔法エネルギーを、目的地に撃ち込んで、着弾の瞬間に封印を解除、魔法エネルギーを解放する代物だ。
一発の破壊力は推定60から80メガトン。爆風による人員殺傷範囲は、爆心地から約10キロメートル以上。爆発に伴う致命的な火傷を負う熱線の効果範囲は20キロメートルにも及ぶ。
しかも、あまりに高速なため、防御のしようがない上に恐ろしく正確だ。間違いなく都市のど真ん中に命中させている」
二宮は読み上げた書類をテーブルに置いた。
美奈代達は沈黙するしかない。
ひどいことになったことはわかるが、それがどの程度の被害がまったく想像出来る範囲を超えているのだ。
「損害は?」
宗像の問いかけに、二宮は答える。
「被害規模が大きすぎるせいで、集計すらとれていないが、億の単位に達することは免れまい―――攻撃を受けた都市は痕跡すら残さずに。きれいさっぱり吹き飛ばされたんだ。
東南アジアに展開していた中華帝国、米軍……無差別に……巻き込んでな」
「中華帝国の反応は?」
「今のところ、自国軍の被害把握で精一杯だろうな。米軍もだが」
「魔族も」
都築が投げやり気味に言った。
「どうせ攻撃するなら、北京にしてくれよ。世界中が感謝するぜ?少なくとも俺が」
「私も大いに賛同したい」
二宮は言った。
美奈代達もそれに異存はない。
「この攻撃が魔族軍支配地域から行われていること以外、一切のことがわかっていない。妨害と対空防衛網がキツすぎる」
「じゃあ、教官はこのまま殺られ続けろと?」
「違う」
さつきの言葉に、二宮は首を横に振った。
「我々人類は、黙って殺されるほど善人の集まりではない。国連軍は第一目標を、この砲撃兵器と設定―――つまり」
二宮は顔をしかめ、言葉を詰まらせた。
「攻撃……目標と、している」
「いい事じゃないですか」
都築は首を傾げた。
「米軍あたりが攻め込んで叩いてくれりゃ、俺達は楽が出来る」
「……その攻撃方法が」
教壇を降りようとした長野を、二宮が止めた。
「反応弾だとしてもか?」
都築は、その一言に言葉を詰まらせた。
「待ってください」
真っ青になった美晴が言った。
「国連軍は、反応弾は使わないって」
「覚えておけ。反対しているのは、日本海の水産資源が放射能汚染されることを嫌うロシア帝国だけだ。アメリカ、中華帝国、その他反応弾保有国は、帝国に対する反応断行撃に“基本的に”前向きだ」
「なっ!?」
「日本は極東の島国にすぎない。人口もたかが1億数千万。その程度の犠牲で人類が―――自分達が助かるなら、安いものだと」
「……」
「そうならないためにも、我々がやらねばならない」
二宮は黒板に向かい、チョークをとった。
さすがに教官だけに、その姿はよく似合う。
面倒見もいいし、美人だし、マジメだし……。
一般人に生まれていたら、きっといい先生になったろう。
美奈代はその背を見つめながら、ふと、そう思った。
何事か書き終えた二宮と視線が合い、美奈代はあわてて視線を逸らした。
黒板には、
回天作戦。
そう書かれていた。
「これは、帝国軍独自の名称であり、国連軍ではA作戦と呼称される」
「隊長」
意味がわかったのだろう。
山崎が立ち上がった。
「そいつらを―――攻撃するんですか?」
「そうだ」
二宮はうなずいた。
その目には、何か歓喜に近い光が潜んでいた。
「この砲撃陣地を叩く」
「あの……誰が?」
まぬけともとれる美奈代の問いに、二宮は平然と答えた。
「私達だ」
「よお。嬢ちゃん」
鈴谷の格納庫で、征龍改を整備していた坂城に近づいた美奈代の顔色を見た坂城は、ボルトを締める手を止めた。
「どうした?」
「えっ?」
美奈代は、きょとん。とした顔で坂城を見た。
「えっ?じゃねぇだろうが」
坂城は美奈代の腕をつかみ、整備用キャットウォークの上に降ろした。
「んなにボーッとしてちゃ、死んじまうぜ?」
「はぁ……」
「何だ?近々、大規模な作戦があるとは聞いたが。そのことか?」
「……」
蒼白な顔の美奈代が無言でうなずいた。
「そりゃ―――無茶だ」
美奈代の話を聞いた坂城は、額に手を置いた。
「んなこたぁ、自殺兵のやることだ」
「でも、その部隊は、我々と」
「天皇護衛隊がやるべきこった」
「征龍改の性能があれば」
「アリアだって耐えられるか保証できない」
「それでも、やるそうです」
「そうか……」
征龍改を見た坂城は言った。
「整備は万全にしてやる―――それだけは心配するな」
「ありがとうございます」
通路の手すりにもたれかかりながら、美奈代はぼんやりと自分の愛騎が整備を受ける光景を眺めていた。
頭の中で繰り返させるのは、二宮から聞いた一言。
「高度3万メートルからの降下強襲作戦!?」
「そうだ」
二宮は、何でもない。という顔で言った。
「文字通りの斬込だ」
「そんな作戦、誰が立案――」
「私だ」
二宮の言葉に、全員が言葉を失った。
「文句があるか?」
「ありすぎて言葉になりません」
宗像の言葉に反論する者はいない。
「世辞と受け取っておく―――国連軍が長野市に向け陽動作戦を実施。包囲網を混乱させ、その隙に砲撃陣地を叩く」
「砲撃陣地はどのようにして割り出すんですか?」
「作戦の開始は、敵の砲撃が合図になる」
「……どこか、犠牲が出るんですよ!?」
「他に方法はない」
二宮はにべもなく言った。
「国連の情報収集能力をフル活用して、射撃地点を割り出す。そのために、最上他の情報収集担当艦がこれを担当。割り出された情報を元に、我々が斬り込む」
「……」
「他に方法があるなら聞くが?」
「……」
「作戦決行は明日夜。鈴谷は本日中に八八特務隊が搭乗する笠置他、作戦参加部隊艦艇と合流する」
「八八って」
その部隊番号に心当たりがあったのは美晴だ。
「……あの、ボンクラちゃんも参加するんですか?」
「ああ―――ただし、敬礼を忘れるな?向こうは昨日の戦功により少尉へ昇進している」
祷子と再会できるのがうれしくないといえば嘘になる。
だが、
高度3万メートルからの降下強襲作戦。
それが、どうしても気になる。
メサイアが耐えられるギリギリの上昇高度。
突入時に予測される最高速度はマッハ40。
突入開始から1分とたたずにブースト全開の逆噴射。
その際、騎体制御を100万分の1失敗しただけで騎体が粉砕する。
生還可能性2%
―――ただ、単に突入するだけでこれだ。
敵からの攻撃だって十分に考えられる。
何しろ、敵は砲弾でさえ撃ち落とすんだ。
「……」
美奈代は、そっと手を見た。
今度こそ、死ぬかもしれない。
その恐怖心が形になったんだろう。
その手は震えていた。
情けないと思う心さえ、その震えの前には出てこない。
手すりに突っ伏し、ふるえを抑えようとするが、体中の震えに、立っていることさえ出来ず、思わずその場にしゃがみ込んでしまう。
死にたくない。
死にたくない。
口から出てくる言葉。
普段なら、怯懦と罵り、軽蔑する言葉。
それこそが、美奈代の正直な気持ちだ。
だが―――
「くそっ!」
美奈代は手すりに頭を叩き付けた。
激しい痛みが脳みそを揺るがす。
考えてみろ!
心の中で、美奈代は自分に怒鳴った。
一億もの人々は、抵抗の術さえ与えられずに死んでいったんだぞ!?
殺されたんだぞ!?
美奈代、貴様はどうだ!?
世界最強の皇室近衛騎士団のメサイアを与えられている!
戦う術が与えられている!
それでも尚、死ぬのか!?
戦わずに死んでいった人々と同じように、無抵抗なまま!?
違う!
美奈代は、もう一度、手すりに頭を叩き付けた。
「……私は」
痛み。
生きているからこその感触。
それを味わいながら、美奈代は言った。
「私は……戦える……戦って、生き延びることが出来るんだ」
美奈代は立ち上がり、整備を受ける愛騎を再び見た。
「やってやる」
そう。
やるしかない。
「死んでいった人々の無念……必ず、晴らしてやるんだ」




