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死者の樹

 魔族軍は、ついに長野県と新潟県境まで達した。

 その背後、長野県東信地域から北信地域に至る一帯は、すでに魔族軍によって蹂躙が始まっている。

 しかし、何故か県境に達した所で、魔族軍は動きを止めた。



 ●長野県上田市 旧JA信州うえだ塩田支所 現魔族軍第一軍司令部


 魔族軍司令部が置かれた日村に飛龍が荒々しく着地した。

 担当兵が飛龍に駆け寄って、暴れる飛龍のその轡を慌てて抑えにかかる。


「どういうことだ!」

 司令部に顔を真っ赤にして怒鳴り込んできたのは、ヴォルトモード卿の親衛隊長ムシュラ卿だ。

「あともう少しで閣下の元にいけるんだぞ!?」

「落ち着け。ムシュラよ」

 司令部と言っても、その内実はかなり貧相だ。

 3階建ての古ぼけた農協のビルが司令部だと言えば、それでわかるだろう。

 「JA信州うえだ塩田支所」と書かれた看板が壁に貼り付けられたままだ。

 使われている家具類は、その辺の民家の方がまだ高級だ。

 すぐ横のAコープ(JA関連のスーパー)や塩田中学校、中塩田小学校跡地は魔族軍部隊のそれぞれの司令部施設となっている。

 住宅地はすべて兵士達の宿泊施設になっている。

 そこから数キロの日村跡地では、すでにヴォルトモード卿のための居城の建設にむけた工兵隊の測量が開始されつつあった。


「進軍停止命令とは何事だ!」

 壁に貼り付けられた簡易照明の灯りを頼りに、最上階に据えられたガムロの執務室に怒鳴り込んできたムシュラ卿が声を荒げた。

「ガムロ!貴様にそんな権限が―――!」

「ある」

 ガムロは会議用の折り畳みテーブルの上で腕組みをして頷いた。

「忘れているのか?ムシュラ。ヴォルトモード卿不在の際の総軍指揮権は、第一軍司令官たる私にあるのだ」

「―――っ!」

「共同戦線をとる中世協会から新潟方面への進軍停止要請が出ている。知っているはずだ」

「……通達は受けていた」

 ムシュラ卿は、しぶしぶという顔で頷いた。

「しかし!その情報でさえ、連中からのものだ!それに、目の前に閣下が!」

「いるという確証はない」

 ガムロは遮るように言った。

「可能性があるという仮定での話だ」

「貴様は閣下がいないことを良いことに、また何かよからぬことをたくらんでいるんではないのか!?」

「……もう一度言う。落ち着け。ムシュラ」

 その言葉の威厳は、頭に血が上ったムシュラでさえ黙らせるのに十分だった。

「くっ!」

「現状、解放された部隊全部に補給が行き渡らない。下手に補給線をのばされると、それだけで無駄な消耗を強いられるのだ」

「閣下の救出が無駄とは何事だ!」

「短絡的に言葉尻をとるな。閣下を救出申し上げた時点で、補給線が切れているとなれば、閣下をむしろ危険にさらすことが何故わからん」

「……っ」

「まぁ座れ」

 折り畳み会議机の前に置かれたパイプ椅子をガムロは顎で示した。

 パイプ椅子は、ムシュラの体重と甲冑の重さに悲鳴を上げた。

 ムシュラの前に、ガムロの副官であるマリーネがお盆に乗せた茶碗を置いた。

「人間界の茶も久しぶりだろう?悪くないぞ」

「……いただこう」

 深く息を吸い込んだ後、ムシュラは茶碗に手を伸ばした。

「中世協会が」

 ガムロがおもむろに言った。

「新潟方面に“種”を蒔く」

「種?」

 緑茶を舌の上で転がし、苦みを楽しむムシュラは、その言葉に動きを止めた。

「何の種だ?」

「カオルーンの種」

「……あんなモノを蒔いて、何の意味がある」

 ムシュラは首を傾げた。

「妖魔共のえさ場でも作るつもりか?」

「カオルーンのはき出すガスは、人間界の生命体にとっては危険な程の浄化作用があることは知っているだろう」

「……かつて」

 ムシュラは言った。

「私の荘園でも、食害避けに植えていたのを思い出した」

「それを新潟全域にまき散らす。そうすれば」

「どの程度、待つことになる?」

「14日」 

「……待とう」




「まぁ―――ヘンな一日だったな。トム」

 ステラ達の後方で野営につく米陸軍機甲部隊所属の兵士、スノウは、横にいた戦友のトムにそう語りかけた。

「メサイアは確かにやられた。だけど、俺達はこうして生きている」

 暖をとるために焚かれた木の枝がパチンと弾けた。

「それでいい」

「まぁ、そうしておこうか」

 トムは、火の前で手をこすった。

「戦車から何から、全部が故障。俺達の個人装備も電子装備がオシャカにになったのまで、いいと言うならな」

 トムはため息混じりに、それまでいじっていた無線機を後ろに放り投げた。

 彼にとっては、散々な一日だった。

 安全だと聞かされた場所で布陣中だったのに、戦車があちこちで立ち往生して、砲兵はレーダーが動かないと大騒ぎ。

 聞いた限りだと、電子機器が全部故障したという。

 結局、トム達歩兵は数百人がかりでワイヤーを戦車につなげ、一台一台引っ張って移動させるなんて信じがたい事態に陥った。

 砲兵の布陣に回された連中はもっと悲惨だ。

 砲撃支援の必要があるとかで、砲兵があちこちで勝手に撃ち始め、歩兵は逃げ場を求めて右往左往。

 終いには砲撃をやめさせるために砲兵めがけて発砲する始末だ。

 同じ軍隊で撃ち合いになるなんて、考えもしなかった。

「やれやれ―――」

 空には満天の星空。夜の冷気が体を冷やす。

「ん?」

 トムは一瞬、星空が暗くなった気がした。

「どうした?」

「ん?―――いや」

 トムは、目をしばたかせながら、もう一度空を見上げた。

 街の灯りのない空は、いつだって暗い。

「何か、通らなかったか?」

「何かって、何が?」

 トムにつられてスノウも空を見上げた。

 本国とは違う星空が広がる世界は、スラム育ちのスノウにとって新鮮だった。

「綺麗な星空じゃねぇか。何だか歌いたくなってくる」

「歌うって……何を」

「えっと……ほらっ!ジャーンジャーンッって!」

「わかんねぇよ」

 ほとほと呆れた。という顔で、トムはもう一度、空を見上げた。

(間違いなく)

 トムは思い浮かべた。

(あれは飛行機だ)

 三角形の平べったい独特な機体。

(B2爆撃機か?)

(違う)

 トムは否定した。

 飛行機に付き物の騒音が何もない。

 いくら何でも、上空を飛行機が飛べば、この隣のバカでも気づく。

 それが―――

「スノウ」

 トムは立ち上がった。

「万一のことがある。司令部に報告するぞ」



 米軍陣地上空を通過したのは、魔族の飛行部隊。

 狩野粒子の影響で機能しないレーダーにおかまいなしに、永い眠りから目覚めた彼らの機は、数千年前同様に快調な飛行を続けていた。

 パイロット達は、懐かしい風の感覚が、まるで自分を出迎えてくれているかのように感じていた。

 マンタそっくりな機体に乗る魔族は、知らずに顔がほころぶのを止められない。

 数千年ぶりの飛行だというのに、命じられた飛行時間は短いし、任務の内容が内容だから面白くはないが、それでも飛べることは大歓迎だ。

 そう思いながら、魔族は一緒に飛んでいる隊長機が機体を右にバンクさせたのに続いた。

 遠くに人間の街が昼間のような明るさを放っている。

 一瞬、自分が産まれ育った魔界の街を思い出し、懐かしさすら感じた。

 その街の上空にさしかかった時、魔族は機体に吊したラックの中身を空中にまき散らした。



 翌日。


 午前6時。

 糸魚川市から新潟市にかけての住民は、町中にまかれた奇妙な種に戸惑っていた。

 ひまわりの種のようにも見える得体の知れない種が、街のあちこちに散乱していた。

 連日の魔族絡みの事件と関係があるか?

 人々はそれを疑ったものの、多くの人々はそれを珍事として斬り捨て、日常の生活に戻っていくのが常だった。

 

 正午。

 街の片隅に転がっていた種が芽吹いているのを見つけたのは、偶然通りかかった主婦だった。

 テレビでは、昼の番組で新潟市内に謎の種の雨が降ったと報じている。

 主婦は、アスファルトの上で芽吹いた種に、生命の強さを感じ、不思議な感慨を抱いた。

 保健所は市民からの問い合わせに苦慮していた。


 午後6時

 道行く人々は、街のあちこちに季節外れの雑草が生えていることに気づき始めた。

 雑草なんて普段は目もくれない人々だが、雪を割って現れた緑に、早い春さえ感じていた。


 4日目

 魔族が長野県境付近に集結している報道を前に、人々はあちこちで雑草刈りに精を出していた。

 前日までヨモギに似た植物だと思っていたが、夜半からの雨を受けたせいか、よく見ると幼木になっていた。

「珍しい草だ」

「もしかしたら木かもしれない」

 人々はそう思いながらも、自宅の庭や職場の駐車場に生えた名も知れぬ雑草を引っこ抜き、鎌で刈り取った。


 5日目

 人々は夜明けと同時に青くなった。

 何がどうしたかわからない。

 誰も刈り取らずに放置された雑草が、今や木となってあちこちに生えている。

 刈り取った雑草が生えていた所からも、新しい芽が生え始めている。

 行政や土建屋が木を切り倒しにかかるが、上越市市街地だけで数百本にのぼる木々は関係者を苦慮させるだけだった。

 何より、切り倒した木を焼こうとした多くの市民が、弾丸並みのスピードではじけ飛んできた種を浴びて死亡。焼却を止めるように緊急の広報を流すに至っては、増え続ける木の処理に行政として対応の困難が予想された。

 そして、消防に体調不良を訴える119番通報が、保健所にはあちこちで松や杉の木が枯れ始めているという通報が寄せられ始めたのも、この日である。


 6日目

 早朝から謎の木々の周辺に住む人々が死んでいると警察に通報がひっきりなしに寄せられ、現場に駆けつけた警察官や消防隊員の多くが犠牲者となった。

 この事態を受け、警察と消防は木の側に近づかないように広報車を走らせようとしたが、アスファルトの下で成長していた木によって交通網は各所で寸断され、市街の交通はパニック状態。

 せめてもと思い、外出を控えるように広報を流すが、焼け石に水だった。

 市内に毒ガスが流されたという流言が飛び交い、市内は無政府状態に近い状態に陥った。


 7日目

 謎の大量死の死因が判明した。

 ―――オゾンの大量吸入による死亡。

 市内に設置されたオゾン監視装置は、木々が大量のオゾンを放ち続け、最大濃度が100ppmを越えていることを告げた。

 新潟県はオゾン濃度の高い地域、木に近い地域からの避難を市民に呼びかけ、多くの市民が住み慣れた街を離れ始めた。

 その間にも木は成長を続け、木に近い種類と思われる草もこの日、確認された。


 8日目

 新潟県は木による被害から県民を守るべく多くの市町村を立ち入り禁止区域に指定。


 9日目

 退路を断たれることを恐れた米軍が退却を開始。

 市民の保護に当たっていた第十三師団が退却支援に合流。


10日目

 軍によるナパーム、火焔放射器による掃討作戦が開始。だが、木は引火すると同時に爆発、内部の種を数百メートルにわたって飛び散らせることが再確認された。

 被害地域を拡大するだけと判断され、焼却作戦は即日停止する。


12日目

 木の勢力範囲は拡大する一方。

 長野県境に近い妙高市、上越市、糸魚川市の主要な市街地が緑に埋め尽くされたことが確認された。



●新潟・富山県境

 そして悪夢の14日目。

「―――魔族軍、動きました」

 富山県境にまで後退した第十三師団司令部の幕僚が、重々しい声で吉村師団長に告げた。

 すでに政府は、新潟県全域の放棄を決定している。

 新潟県境は新潟県から脱出する県民であふれかえっている。

 第十三師団はその支援に連日従事している。

 魔族軍なんて見たことがない。

 県民の脱出を阻むものがあれば、それがすなわち彼等の敵だ。

「14日……」

 種が蒔かれて以来、×印が付けられたカレンダーと、その横に貼り付けられた戦況を示す地図を前に、吉村はじっと考え込んだ。

「敵は、何を考えている?」

 敵の狙いがわからない。

 何故、新潟県へ、日本海側へ動く?

 日本を制圧するつもりなら、何故、関東方面へ、太平洋側へ動かない?

「関東管区からの連絡は?」

「何の連絡もありません」

「敵は、オゾンで我々を皆殺しにするつもりだったのでは?」

「そうともとれるが……」

 敵は2700年前、人類と神族の連合軍によって長野県倉木の地に封印されていた魔族の軍勢である。

 政府はそう告げている。

 それを鵜呑みにして考えても、どうしても辻褄があわない。

 もし、我々が2700年前の人々だったとしよう。

 だとしたら、一々オゾンなんて使わなくてもそれこそ虫けらのように殺せる相手のはず。

 それなのに、何故、オゾンなんて面倒くさい手段を使う?


 どうしても、吉村には敵の狙いがわからない。


「参謀長」

 吉村は側に控えていた中村参謀長に声をかけた。

「はっ」

「近衛は―――何か言ってきたか?」

 ロクな命令も送ってこない軍司令部はあてにならないと判断した吉村は、越権行為に該当することを覚悟で、正式な要請として近衛に状況分析と情報の提供を求めた。

 近衛から渡される情報は、近衛自体が把握している情報と比較すればかなり制限されたものだろうが、軍司令部より送られてくる情報よりは圧倒的に有益な情報が含まれていた。

「それですが」

 参謀長は一冊のファイルを取り上げた。

「近衛も慌てています」

「そりゃそうだろう」

 吉村は思わず吹き出した。

「こんなことがあって慌てない方がどうかしている」

「それが」

 参謀長は表情を変えずに言った。

「敵の狙いは、正しくは新潟県の制圧ではありません」

「―――ん?」

 吉村は笑いを止めた。

 それはそうだ。

 連中が海へ出る必要もないだろう。

 海には連合艦隊が集結し、最悪の事態に備えてはいるが……。


 なら―――何が目的だ?


「近衛の見る、連中の目的は」

 師団司令部の全員が注目する中、参謀長は告げた。

「柏崎です」

「柏崎?」

 吉村はイヤな予感がした。

「既に海軍には伝達され、“最上”以下で成る近衛飛行艦隊と、戦艦大和以下でなる連合艦隊による砲撃作戦が準備中です」

「……敵の目的は」

 吉村がそう言えたのは、かなりの時間というより、覚悟が必要だった。

 目の前が真っ暗になるのを押さえながら、吉村は軍人としての根性だけで持ちこたえた。

「原発」

「……」

 司令部に重々しい空気が漂う。

 原発を押さえられれば最悪の事態が襲う。

 放射能汚染は本土の何割に達する?

 陸戦兵力はオゾン被害で動かせないんだぞ?

「つまり」

 釜沢参謀が立ち上がって発言した。

「魔族が原発を狙うと?」

「正しくは、その地下だ」

 参謀長はちょっとだけ参謀を見て、ファイルに視線を落とした。

「原発の地下に……“ゲート”が眠っている」

「“ゲート”?」

 聞き慣れない言葉に、参謀は訝しげな表情を浮かべた。

「魔族が眠っている空間といっていいそうだ」

「仲間を呼び覚ますつもりか!」

 吉村はそれで合点がいった。

 敵は仲間を、戦力を増やすつもりだ。

 恐らく、オゾンを散布したのも、その方が活動しやすいからに違いない。

「原発設置の際、原発で蓋をするつもりだったというのが近衛の発想で」

「バカか!」

 司令部の誰かが悲鳴に近い声を上げたが、非難する者は1人としていなかった。

「ぶっそうなモノをさらにぶっそうなモノでフタをするバカがあるかっ!」

「原発はすでに運転とすべての機能を停止。それに原子炉の防御は要塞以上です」

 参謀長はファイルを閉じた。

「日本海に展開中の近衛と海軍は、艦砲をもって柏崎原発を襲うと予想される敵を、米軍と協力して迎撃します」

「―――待て」

 吉村は参謀長の最後の言葉に引っかかった。

「米軍と協力して?」

「そうです」参謀長はただ頷いた。

「米軍のメサイアを陸戦兵力として展開させ、阻止に加わらせると」

「米軍を見殺しにする気か?」

 一瞬、クラリス中佐の顔が吉村の脳裏をよぎった。

「米軍に一矢報いる機会を与えてやる―――失敗するか否かは米軍次第と」

「反応弾でも撃ち込まれたらどうなるっ!」

 参謀長の報告を聞いた吉村は、米軍がとりそうな手段の中で、水爆の次あたりに厄介そうな事態を想像した。

「あのバカ共ならやりかねんぞ!」

「その点については軍司令部より」

 釜沢参謀が書類を広げた。

「先日、米国議会は周辺国との外交問題となることを避ける意味で、戦域における反応兵器の使用を認めないと議決しました。反応兵器を撃ち込まれたくない政府と、放射能汚染が自国に及ぶことを恐れたロシア帝国からの圧力がありました」

 撤退戦の指揮に追われ、新聞を読むことを忘れていた吉村の前に、その記事の切り抜きが置かれた。

「―――これを信じろというのか」

「一介の軍人には」

 参謀長はため息まじりに言った。

「こういう時、信じるか祈る位しか、方法はありませんよ」

「後は……」

 吉村は天を仰いだ。

「海軍任せか」



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