ヴォルトモード軍、目覚める
●長野県上田市跡
ズドドドッ!
滝のような音が辺りに響き渡る。
兵士達の軍靴の音だ。
漆黒の闇の中から、続々と兵士達が姿を現してくる。
「止まるなっ!」
士官か指揮官らしき兵士が、大声で怒鳴る。
「門からすぐに出ろっ!」
「いつまでも開いてるわけじゃないんだぞ!」
その号令に従うように、地響きを鳴らせながら兵士達の長い列が移動を開始する。
皆、信じられないという顔で周囲を見回しながら移動し、時に後ろから小突かれる。
その光景を、少し高い丘陵状の場所から見つめているのは、漆黒の甲冑に身を包んだ一団。
その後ろには、巨大な軍旗が翻っている。
あのヴォルトモード卿封印の際も翻っていた、魔族軍軍団旗だ。
その中。
最も目立つのは背の高い、髪をオールバックにした、恐ろしく冷酷な顔立ちの人物だ。
名をガムロという。
その甲冑につけられた階級章は、将のそれ。
その胸飾りが、彼が一個の軍団を指揮する司令官であることを示していた。
それが、まるで彼の皮膚のように当然として輝いている。
将という立場が、恐ろしいほど似合う人物であった。
「大凡の規模はわかったか?」
その声は、低くて冷たいが、よく通り、そして有無を言わさぬ迫力がある。
「―――はっ」
控えていた副官らしき甲冑の男が小さく頭を下げた。
「今のところ、各門共に、封印されていた兵力に減少は確認されていません。問題は」
「……武装か」
ガムロは、自らの腰を見た。
そこには何もなかった。
彼自身が、丸腰だという証拠だ。
「猫平の門が解放された際、親衛軍と接触した組織からの武装供給がなければ、我々も果たして……」
「……うむ」
ガムロは頷いた。
彼の目の前で列を作る、彼の部下達も武装している者は誰もいない。
皆、封印された際の丸腰のままだ。
ここを叩かれたらもう終わりだ。
せっかく、封印を解かれたというのに、ここで殺されては身も蓋もない。
「この時代でも我々に協力してくれる組織が、我々の封印を解除したのだろう?」
「はい」
副官は頷いた。
「我々の封印されていた門に混ぜて、この周辺に建造していた門から、魔界より物資を搬入、先に封印を解かれたムシュラ卿率いる親衛軍に武装を引き渡し済み」
「連中の狙いはなんだ?」
「様々です」
副官は言った。
「詳細は、彼等との面談の際にでも」
「……そうだな」
ガムロは頷いた。
「して?ムシュラやズルドはどうした」
「伝令によると、中世協会の部隊と連携して、まずヴォルトモード卿の封印解除に動いています。ズルド閣下率いる部隊は、南東方面からの人類に備えて布陣しつつ、武装中」
「……忠義者だな」
クックックッ。
ガムロは喉で笑った。
その彼の目の前に、飛行艦の船団が雲をぬって現れた。
彼が見慣れたタイプの船ではなかった。
「中世協会……か」
剣や槍が入った木箱が山積みにされ、その前に兵士達が列を作っている。
「武装を受け取った者からさっさと前線につけっ!」
いかなる喧噪にも勝る怒声で、矢継ぎ早に命令を発するのは、身の丈2メートルを超える巨漢だ。
顔に走る傷の数が、彼の人生がどれほど苛烈だったかを教えてくれる。
第三軍司令官。
名をズルドという。
「弓兵隊はあの丘の背後へ展開しろっ!私についてこいっ!」
「長槍隊は丘に陣地を構築する!」
その部下たる指揮官達も、大声を張り上げて自分の果たすべき任務につく。
数千年ぶりに解放されたことを喜ぶ間もなく、兵士達は武器を手に駆け回る。
先の戦争において、勇将と畏怖されたズルドの下に、弱兵はいない。
兵士達は手にしたスコップで大地を掘り、陣地構築に必死だ。
土煙がもうもうと立ち上る中、兵士達の駆け回る姿が、恐ろしいほど勇壮に見えてくる。
「マーリン」
ズルドは脇に待機していた副官に尋ねた。
「ヴォルトモード卿の安否は」
「未だ不明」
マーリンは答えた。
「ムシュラ卿率いる部隊が、封印されているという場所にむけて移動を開始」
「早いな……補給がつながるか?」
「中世協会の部隊の支援がありますが……」
マーリンの顔は厳しい。
「封印の解除と、ヴォルトモード卿の御身柄の確保だけなら―――なんとか」
「……」
ハァッ。
ズルドの口から深いため息が出た。
「第一軍のズルド大将の安否を確認してくれ。兄貴の指示を仰ぎたい」
「了解です」
●同じ頃 東京都内天原骨董品店
「悲しいかな」
午後の穏やかな日差しが絹のカーテン越しに室内を照らし出す。
ソファーに座る神音の前には、かのんが座っている。
互いに顔は見ず、ただ、手にした古ぼけた革張りの本に視線を落とすだけ。
神音の口から、まるで子供に読み聞かせるかのような、ゆっくりとした言葉が紡ぎ出された。
「わたしは夏のくだものを集める者のように、
ぶどうの収穫の残り摘む者のようになった。
もはや食らうべきぶどうはなく、
わが好む初なりのいちじくもない」
そこで区切られた言葉の続きを、かのんがつなぐ。
「主の慈しみに生くる者、この国より滅び、
人のうちに正しき者はなし。
皆、密やかに命を狙い、
おのおの投網をもってその兄弟を捕える」
「彼等の手は悪事を努めてやまない。
役人も裁判官も報酬を求め、
大いなる人は、その心の悪しき欲望を言いあらわし、
しかもその悪を包み隠す」
「彼らの最善の者もいばらのごとくあり、
正しき者とて、茨の垣にも劣る。
彼らの見張が告げる日、
すなわち彼らの刑罰の日が来る。
いまや彼らの混乱が近い」
「隣人を信じてはならない。
親しき者を頼みとするな。
汝の懐に休らう女にも、
汝、口の戸を守れ」
「むすこは父を賤しめ、
娘はその母にそむき、
嫁は姑にそむく。
人の敵はその家の者」
「しかし、わたしは主を仰ぎ見、
その救いを待つ。
主はわたしの願いを聞かれる」
「我が敵よ、我について喜ぶべからず。
たとい我が倒れるとも起きあがる。
たとい我が暗やみの中に座するとも、
主は我が光となられる」
聖書の朗読。
それは、神音の趣味のようなものだと、かのんは理解している。
人生の参考書。
神音は聖書をそう評価している。
何かあると、こうやって、互いに一節ごとに語り合うことを、神音はかのんが作られて以来、何度と無くやっている。
おかげで、かのんのメモリーは、聖書のほとんどを暗唱出来る程、覚えている。
だが―――
「ご主人様?」
「何?」
聖書を閉じた神音の顔は、どこか冴えない。
「どうしたのじゃ?ミカ書は嫌いだとおっしゃっていたではないか」
「気分よ」
かのん?お茶。
神音はそう言うと、ソファーにもたれかかった。
「主は多くの民の争いを裁き、
遙かなる遠方まで、強き国々を戒められる。
そこで彼らは剣を打ちかえて鍬とし、
その槍を打ちかえて鎌とする。
国は国にむかってつるぎをあげず、
再び戦いのことを学ばない」
かのんは、メモリーの中にあった一節を読み上げた。
「当時の社会批判ばっかり、罵倒のオンパレードでイヤとかこき下ろすが、本当にご主人様が一番嫌いなのはここじゃったな」
「武器商人がこれを口にしたら偽善でしょ?」
「そうじゃな。妾は好きなんじゃが」
「そうなの?変な自我つけちゃったかしら?」
「創造物でも、物事の分別や善し悪しは分かるものじゃ」
かのんは紅茶を神音の前に置いた。
「聞け。
ヤコブのかしらたちよ、
イスラエルの家のつかさたちよ。
正義を知ることが、汝等の努めのはず。
善を憎み、悪を愛し
我が民の身から皮をはぎ、
その骨から肉をそぎ、
またわが民の肉を食らい、
その皮をはぎ、その骨を砕き、
これを切りきざんで、釜の中の肉のようにする」
「どこの政治屋のこと?それとも役人共?」
「魔界も天界も、人界も同じじゃ。そうおっしゃったのはご主人様じゃ」
「死の商人が批判できない?」
「違う」
かのんは首を横に振った。
「なんだかんだと言っても、ご主人様は取引相手を熟慮されておいでじゃ。
第三章にある。
聞け。
ヤコブの家のかしらたち、イスラエルの家のつかさたちよ、
すなわち正義を憎み、すべての正しい事を曲げる、流血をもってをシオンを建て、不義をもってエルサレムを建てる者達よ。
その頭達は、賄賂をとって裁き、
その祭司達は代価をとって教え、
その預言者達は金をとって占う。
しかもなお彼らは主を頼りにして言う。
「主は我々の中におられるではないか、だから災はわれわれに臨むことがない」と。
その通りじゃ」
「御偉方にとって」
神音は紅茶に手をのばした。
「それが正義なのよ。その一節はこう読み替えてご覧なさい。
狭隘な都合を正義とし、道理をねじ曲げる。
万民の血は、己が都合如何で流されることが許される存在。
故に、我が都合が求めれば、万機公論は即ち我が決めることなれば、いかなる不義もそれは言いがかりというべき代物。
賄賂は対価。
全ては金。
神の救いでさえ金次第。
しかも、金を持ってくるのはお前達の方。
私じゃない。
何故か?
神も正義も、全ては法が決めること。
法を作る我らが決めること。
創造主が被造物に刃向かわれることは」
神音は、そこまで言ってから口を閉じた。
「……口が滑ったわね」
「……御主人様」
かのんは、そっと神音の手を握った。
「妾は、ずっとお側にお仕えしてきた。
だから、御主人様が人間界でどんな目にあったかは知っている。
人間を深く愛したことを知っている。
つまり……だから、その」
かのんは、まっすぐに神音を見つめながら、もどかしそうに言った。
「つまり、妾が言いたいのは、こういうことじゃ。
御主人様が、人間界に絶望して、その建て直しをはかりたい。
本来ある、よき人間達の世界を再建したいと願っていることは知っている。
ユギオ達の言うこと。
人間の数を減らし、進歩を止める。
それは、人が進化でもしない限り、御主人様が望むそんな世界を作る唯一に近い方法だと、妾も思う」
「そのために、何人の罪もない人が死ぬのかしら?」
「それこそ、武器商人の言葉じゃない。
普段の御主人様なら、五分の魂って言葉があるでしょ?虫けら殺すのに躊躇しないクセに、同じサイズの魂持つ人間様殺すのに、なんで躊躇うのよ!位はいうべきじゃ」
「まるで人をろくでなしみたいに……」
「ユギオの接触が無くても、御主人様はどこかで、一人でやろうとしていた。だから、たった一代で商会をここまで拡大したはずじゃ。
人を信じ、人に裏切られて死んだ武興様のご無念をお晴らしするために。
どこかで不退転の決意をお持ちになっていたからこそ、ここまでやってきたのじゃろう!?」
「……私は」
神音は冷たい、感情を殻に閉じたような声で言った。
「そこまで悲壮な女じゃないわよ」
「そう。悲壮じゃない。悪女でもないが、善女でもない。御主人様は中途半端な御方じゃ」
「……ぐーで殴るわよ?」
「言い過ぎたつもりもない。妾をこういう風に作ったのは御主人様じゃ」
「……由忠といい、あなたといい」
神音は、ふっ。と笑みを漏らした。
「私は人を育てるのがとことん下手だったみたいね」
「……嘆くならそうしてよい」
かのんは笑みを一瞬だけ浮かべ、すぐに真顔に戻った。
「今、ユギオが来たぞ」
「……通しなさい」
数時間後
「……大凡のことは理解しています」
マホガニー製の執務机越しに、神音は目の前に立つ背広姿の男を睨んだ。
ユギオだ。
「随分、派手にやってくださった模様で」
「恐れ入ります」
ユギオは小さく笑った。
「戦域は上田市を中心に、北は坂城千曲市境界、南方面は小諸佐久境界まで」
言いかけて、男はおや。という顔で言った。
「滝川村は無事のはずです。私達の対策は完璧ですから」
「……どうも」
神音は苦虫をかみつぶしたような顔になった。
「戦果は、ざっと人間20万匹というところですか」
「……肝心のヴォルトモード卿の居場所はおわかり?」
「ええ!」
ユギオは笑顔で頷いた。
「解析に成功したとの報告を受けています。データはとれました」
「……どこかは」
神音は白けた顔でほおづえを付いた。
「教えてくださらないのね」
「まだ確証がありませんから」
「……」
「お約束通り、滝川への攻撃は避けています。利益の供与も行います。故に、物資の供給は是非とも怠りないように」
「心得ています」
神音は強ばった声でそう、答えた。
「―――では」
ユギオは、満足そうに頷くと、神音の執務室を後にした。
パタン
分厚い古代オーク製のドアが静かに閉じられた。
バンッ!!
執務室にそんな音が響いた。
神音が手近に置いてあったファイルをドアに叩き付けた音だ。
無論、神音が叩き付けたかったのはドアではない。
ユギオだ。
ドアに張り付いたファイルが、ゆっくりと絨毯に落ちていく。
「20万人殺して―――データがとれた?」
神音の顔は真っ赤になっていた。
「我が夫の一族が、代々治めてきた地を灰にして……領民の末裔を20万殺して……データがとれた?」
握りしめた拳から血が滲んでもなお、神音は拳に力を込めることをやめない。
「いくら……」
神音は、今まで誰にも見せたことのない程の凄まじい形相に、涙を浮かべ、男が出ていったドアを睨み付けた。
「夫の仇というべき……連中でも……」
次の瞬間―――
「―――っっ!!」
執務室の中から罵声とも怒鳴り声ともつかない叫びが響き渡った。




