嵐の前
●東京都内某所 天原骨董品店
「私、忙しいのよ」
窓際に立ち、魔法合成された庭の映像を眺める神音は開口一番、そう言った。
「何よりです」
ソファーに座り、苛立った声の神音の前で小さくなるのは、40代前半の男。
背が高く、すらりとした体格に知的な中にその年頃特有の苦みが走る顔立ちは、女性を魅了させる何かを放っている。
「何なら、帰りましょうか?」
「親に呼び出されて、手みやげも無しとは……どこで育て方間違ったのかしら」
「普通……それはないと思うのですが」
「戻ってくる時、お金持ってこい。って、お父さんに言われた……少し前、悠理がそう言って私の所に相談に来たわよ?」
「……遥香に告げ口したクセに」
「折角、修行から戻ってきた息子に“金持ってこい”とは何事ですか!」
「それを、あなたが言いますか!?」
「私は貴男の母親ですよ!?」
「無茶苦茶だ!」
「……ったく、この後、“あの連中”が来ます」
「斬っていいですか?」
男は、脇に置いていた日本刀に手を伸ばした。
「ばぁか」
神音は踵を返すと、彼の真向かいの席に座った。
端から見ると、父親と娘のようにも見えるが、立場はその真逆だ。
神音は、息子である水瀬由忠に言った。
「あいつらはトカゲの尻尾。しかも、ユギオは有能そうに見えて、意外なところで抜けている。下手に始末して、あいつより有能なヤツが来たらどうするの?」
「……ご依頼のシロモノは」
由忠は、ブリーフケースから一冊のファイルを取りだした。
「コイツです」
「タダね」
ファイルを受け取るなり、神音は勝手に値付けした。
「左翼大隊の隠密衆にとって、お頭は未だにお袋ですからね。僕も上司に報告を求められた―――その程度と認識しています」
「私の代行でしょう?束ねなさい。それでも水瀬家の当主ですか」
「努力はしていますよ。あのバケモノと変態集団の中で」
「結果を伴わない努力は無駄です……へえ?」
ファイルの中身を速読し始めた神音は、パラパラとファイルをめくる手を止めることなく、感心したような顔になった。
「近衛でこんな人体実験じみた計画があったんだ」
「……ええ」
由忠は、目の前に置かれた空のティーカップに舌打ちした。
そして、ソファーから立ち上がると、サイドボードのドアを開けた。
「その理論は、親父が生きていた頃に魔導兵団の方から上がったものです。丁度、β級メサイアの開発がスタートした頃ですね」
「懐かしいわね……水龍だっけ」
「そうです。今でも現役ですよ?」
由忠は、中にあったブランデーの瓶を満足げに眺めると、それを手にソファーに戻った。
「元来、水龍は天皇専用騎。その潜在能力を騎体にフィードバックする方法の一つ、といった所でしょう」
「採用はされなかったのね」
「当然です」
ブランデーをカップに流し込みながら由忠は答えた。
「天皇を人体実験に使えと?」
「……まさかと思うけど」
「彼女の出自は、その報告書の内容とは無関係です」
「子供なんて、そう簡単にポロポロ作れるシロモノでもないでしょうに」
「オヤジがいた頃の魔導兵団の内実はご存じでしょう?」
「……思い出しただけで背筋が寒くなるわ」
「全ての糸は、彼女へとつながっています」
「……成る程?他の子供達で、彼女と同程度の子はいるの?」
「まさか」
由忠は首を横に振った。
「類似した能力を生み出すことが出来なかったからこそ計画は潰れたのです」
「被験者は―――375人」
「現在、生存が確認されているのは、ほんの数名です」
「能力者からのDNA提供による出生……か」
「こうなれば、実験の性格が全く異なりますからね。“あの力”を持つ、消耗の効く“天皇の影”を量産して、左翼大隊の中枢を担わせたいなんて、指揮する僕からしたら御免被りたいしろものですよ」
「……そうね」
「ところで」
「何?」
「こんな情報、何に使うのですか?」
「仕事よ。それより」
「はい?」
「滝川の籠城計画はどうなってるの?報告がないけど?」
「遥香に報告させていますよ。電話口でペチャクチャやってるから忘れたんでしょう?」
「当主の貴男から報告なさい」
「食料、水、その他、生活必需品、燃料、医薬品の備蓄は、全村民が一年暮らせるだけの備えがあります。また、小型艦艇通行可能な門の敷設も完了」
「……よろしい。不足品は、門経由で補給しましょう」
「……あの?」
「何?」
「何が起きるんですか?」
「さぁ?」
「……悠理が面白い情報を持ってきましたよ」
由忠は、カップをあけた。
「天界軍が、人間界への監視強化に動いていると」
「情報ソースは?」
「イツミさんですよ。僕にまでワザと伝わるようにしたんでしょう。あいつ、どっかのどなたかの影響らしくて、最近、いろいろ聞く度に金をせびるようになっていますが、それだけはタダで教えてくれました」
「よく育ってるわね」
「“情報”=“金”と勘違いしているところが」
「何が勘違いですか」
神音は憮然として言った。
「それは正しい考えです」
「親子ですよ?」
「ビジネスに親子も何も関係ないでしょう?」
「……滝川村の過去については、遥香から聞きましたよ」
「……そう」
「お袋が、何をしでかそうとしているか。そんなことは僕は知りません」
由忠は言った。
「敵なら敵。味方なら味方、そうはっきり切り分けることも出来ない。曖昧な存在に徹するからこそ、お袋は、ここまで企業を大きく成長させてきた。その手腕を否定はしない」
「……よく言う」
神音は小さく、しかし、楽しげに笑った。
「それが気に入らないからこそ、あなたは子供時代にあんなになったクセに」
「現地の土地買収が上手くいくとは思っていません」
由忠は、話題を変えるかのように早口で言った。
「ただ、やれることはやっておきます」
「そういうことね」
●東京都葉月市 葉月軍港
首都周辺において、神奈川県横須賀軍港と肩を並べる軍港が葉月軍港である。
横須賀軍港が海軍主体の軍港であるのに対して、葉月軍港は近衛軍主体で運用されている。
日本においては、光菱重工と肩を並べる軍需系企業狩野重工の本拠地である葉月市は、近衛軍の主要な兵器生産拠点でもある関係上、軍港といっても、元来、艦艇の数が少ない近衛軍のこと、出入りする船のほとんどは民間船。
“鈴谷”は、巨大タンカーや鉱物運搬船の間を縫うようにして指定された海域にて投錨した。
●東京都内某所 天原骨董品店
「暗号は全て解析が終了しました」
ユギオは自信満々で紅茶に手を伸ばした。
「やはり―――扉は弓状列島でしたよ」
「そう……ですか」
「ご心配なく。滝川村はお約束通り、被害が出ないように“細工”はさせていただきます」
「他の地への被害は」
「契約外です」
「……」
「明日から細工にかかります。一週間程で全ての準備を整えてご覧に入れますよ。それで」
ユギオは分厚いファイルを神音の前に置いた。
「予想される必要物資のリストです。5日で手配していただきたい」
「急な話ですわね」
神音はファイルをペラペラとめくりながら言った。
「ビジネスはビジネスで対応する。それがどうやら、私達の不文律のようですね」
「互いにビジネスに関わる身。当然のことでしょう」
「―――ですね」
パンッ
神音はファイルを閉じた。
「納品場所は?」
「こちらで門を用意します」
「生鮮食料品は納期が遅れると全額買い取りいただきますよ?」
「心得ておきますよ。それよりあなたこそ」
「この情報は」
神音はティーカップに手を伸ばした。
「―――非売品扱いです。たとえ親子でも」
「感謝します」




