朴二等兵の戦争 第五話
「……まいったね」
染谷は心底困ったという顔で呟いた。
「こりゃ……陸軍に相当な恨みを買ったろうなぁ」
自分達がもっと早く出ることが出来れば、戦場の被害はもっと少なくて済んだろう。
だが、そうならなかった理由は簡単だ。
中華帝国軍の航空機からのミサイル攻撃。
あれの一部が、広域火焔掃射装置換装準備中の部隊を襲ったのだ。
広域火焔掃射装置そのものに被害は出なかったが、換装装置を動かす電源車がひっくり返され、各騎はメサイアの手動で装備の換装をやるハメになった。
ただでさえ動きを制約される大型装備のため、この被害はかなりの時間的ロスを産み出すことになった。
染谷達のせいではない。
だが、結局それはメサイア隊の遅れという意味で、陸軍の恨みを買うだろうことは、染谷には容易に想像がついた。
―――なるべくなら、作戦終了後の合同ミーティングに出たくない。
―――若い士官っていうだけで、何言われるかわかんないもんなぁ。
染谷は本気でそう思いながら、“幻龍改”を駆る。
戦車が擱座し、歩兵達が頑張っている丁度前に着陸させた。
「ここでいいかい?」
「ベストポジションです」
MCは答えた。
「ここから広域火焔掃射装置を発射しつつ前進。海岸に達すれば終わりです」
「―――了解」
染谷は部下に命じた。
「小隊全騎へ。これより前進する。片鱗の躊躇もいらない。人道という言葉を忘れろ」
「了解」
「小隊、広域火焔掃射装置ノズル展開―――構え」
長いノズルが展開され、各所に隠れているだろう中華帝国軍兵士達に向けられる。
「ノズル解放時間8秒に設定―――撃てっ!」
メサイアが戦場に立って以降、最も怖れられた装備は何か?
答えが、この火焔放射装置だ。
実際、世界初のメサイア“スターリン”が投入された際、メサイアは剣を装備していなかった。
目玉装備は火炎放射装置。
陣地に強行侵入し、すべてを焼き払う。
敵だろうと民間人だろうと、家だろうと車だろうと、何もかも容赦なく―――。
全てを焼き殺す巨人。
それが、殺されていく立場に立たされた者にとってのメサイア。
ロシア軍の繰り出すメサイアの存在を知らなかった米兵達が、メサイアのことを最初、「炎の巨人」と呼んだのは、そういう理由があるのだ。
メサイアにとって、最も古く、そして最も基本的な兵装―――火炎放射装置。
そして今、染谷達が装備するのが、近衛が開発した広域火焔掃射装置。
それは、世界各国のメサイアに装備される火炎放射装置の中でも最悪最強、……いや。最悪にして最狂の代物だ。
出力も破壊力も、すべてが従来の火炎放射装置とはワケもケタも違いすぎる。
八騎が一回発射しただけで、辺りは地獄の釜を開けたような炎に包まれた。
海岸から数キロ離れた場所だというのに、爆風に近い熱風が海岸まで達し、燃え残っていた木造家屋があちこちで炎上を開始した。
炎が届く範囲と、炎の温度は、他国が装備する火炎放射装置とは比較にならない。
まさに掃射装置の名にふさわしい破壊力だ。
一瞬で生まれた炎の海の中で藻掻く兵士達が断末魔の踊りを繰り広げる。
染谷達はその悲劇をまき散らしつつ前進。
海岸に達するまで存在した全てを灰燼にしてのけた。
中華帝国軍に、それを止める術は何も残されていなかった。
「……っ」
朴は顔に走った痛みに意識を取り戻した。
ぼんやりする意識の下、重い瞼を開けると、誰かが自分の顔を覗き込んでいた。
その軍服は、中華帝国軍でもない。ましてや大韓帝国軍でもない。
日本軍だった。
「……」
もう体が思うように動かない。
疲れ切っていた。
―――殺されるかな。
それが何かおかしくて、朴は小さく笑ってみた。
すると、日本兵が驚いた顔をして、大声で何かを叫んだ。
「軍曹!こいつ生きてますっ!」
そう言ったのだが、朴はその言葉がわからない。
―――日本語も、勉強しておけばよかったな。
朴の意識は再び遠のいた。
再び、朴が目覚めた所は、中華帝国軍と大韓帝国軍の兵士達―――日本軍にとっては捕虜が集められているところだった。
「ああ―――鼻の骨は無事だな」
軍医が朴の顔を診察しながら言った。
「鼻の中で内出血しているだけだ。すぐに治る」
―――信じられない。
朴は目の前で起きていること。
そして、自分達捕虜が治療を受けていることに驚いていた。
「―――あの」
朴は世界共通言語、帝国語で軍医に話しかけた。
「聞いて良いですか?」
「何だ?」
「どうして、我々捕虜に治療を?」
「ん?」
軍医は首を傾げた。
「私は医者で、君は患者だ。それでは不満か?」
「……あの」
あまりと言えばあまりに当然な返答に、すっかり面食らった朴は、思い切って友軍の死体どころか負傷兵まで穴に捨てていた中華帝国軍や、負傷兵を海に捨てた大韓帝国軍の振る舞いを語った。
「それに比べれば―――その」
「まぁ、いろいろあるのさ」
だまってその話を聞き終えた軍医は、治療の手を止めずに言った。
「その韓国軍の中にも、エライ手柄立てたのもいたそうだよ?」
「?」
「国際指名手配を受けていた中華帝国軍の将校達を我が軍に引き渡したんだ。連中に一服盛って、ボートで送り届けたらしい。」
「……」
あの劉中将達のことだ。
「世宗大王」から離れ、北九州市沖合を警戒中のヘリによって発見されたゾディアック2隻は、急行した帝国沿岸警備隊によって拿捕された。
沿岸警備隊のパトロール艇に引き上げられたのは、中華帝国軍の軍服を着た女性達十数名と、将校達計20名程、そして大韓帝国海軍の水兵4名。
沿岸警備隊の隊員達が目を見張ったのは、全員が手錠に猿ぐつわを締められ、ゾディアックの床に転がされた将校達だ。
水兵達は言った。
これは中華帝国軍の劉中将達だ。
「世宗大王」艦長命令により、こいつらとこいつらの女奴隷を引き渡す。我々は投降する。国際法に基づいた処遇を要求する。
朴は、その話を移送されるトラックの荷台で聞いた。
両手を縛られてはいるが、何か気楽だった。
殺される心配が無くなっただけで、こうも気持ちが違うかと思うだけで不思議な気分になってくる。
―――これ以降は、国際条約に基づいた処遇がなされるだろう。君達の安全は保証される。
トラックに乗せられる前、捕虜となった朴達を前に、日本軍の士官はそう言った。
日本軍に捕まったら殺されるぞ。
日本兵は捕虜の生き肝を食べるらしい。
わずかに生き残った大韓帝国軍兵士達は、口々にそう言った。
もうだめだ。
俺達は殺されるんだ。
絶望の淵にいた捕虜達は、その言葉に正直驚いた。
―――君達の安全は保証される。
士官はもう一度、そう言った。
―――君達が祖国へ戻れる日もそう遠くはあるまい。それまでの辛抱だ。
―――我が国は現在、魔族との戦闘に追われている。それだけに、君達を羨ましく思いつつ、次の言葉を贈ろう。
―――君達の戦争は終わった。
―――おめでとう。
そう。
朴は頷いた。
僕の戦争は終わったんだ。
焼け野原となった市街地も、血まみれの海岸も、もう見ることはないだろう。
もう、僕は武器を持たなくていいんだ。
きっとそれが、僕がこんなに気楽な理由なんだ。
ククッ。
朴は喉で笑い出し、隣に座っていた兵士からヘンな目で見られた。
戦争は終わった。
その言葉が、とても嬉しい。
朴達を乗せたトラックは、市街地を抜け、田舎道にさしかかった。
どこに行くかわからないが、戦争が終わった朴にとって、どうでもいい問題だった。
緑が目に眩しい。
故郷によく似た景色を見るだけで郷愁に誘われる。
―――故郷に帰ったら、何をしようか。
朴がそんなことを考え出した時だ。
「おいっ!」
朴は、沿道で自分達を見守る日本人達の中から声をかけられた。
笑顔で手を振る若い男。
一瞬、それが誰かわからなかった。
ちょっと派手な服に身を包んだその顔。
どこで会った顔だ?
朴は立ち上がろうとして監視兵から止められた。
首だけ回して見るが、いつの間にかその男は消えていた。
「……あっ!」
朴が目を見開いたのは、それからしばらくのことだ。
あの、呉と名乗った男だった。
―――知り合いが日本にいるんだ。この福岡さ。
―――俺はこんな軍隊、おさらばして日本で暮らす。
―――カネを貯めたらアメリカに行くんだ!
そう、言っていたあの呉だ。
脱走に成功したらしい。
―――上手くやったな。
朴は心底そう思った。
上手く逃げて、念願のアメリカに行けるんだろうか。
さしあたって、朴は黙っていることにした。
自分が騒げば呉は逮捕されるかもしれない。
下手すれば射殺されるだろう。
ただ、朴はそこまでしたくなかった。
同国人として、戦友として、あの地獄を味わった者同士、生きて欲しいと思ったのだ。
―――頑張れよ。
朴は、本当に素直な気持ちで、呉にエールを送った。
その朴が、呉を殺さなかったことを死ぬほど後悔したのは、それから数ヶ月語のこと。
自称、呉。
本名 文机明。
ある事件を引き起こし、後に祖国を滅亡へと導いたとして、歴史に名を刻む男であることを、この時点では誰も知らない。
その彼が今、祖国の軍隊から脱走し、日本の闇に溶け込もうとしていた。




