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朴二等兵の戦争 第四話

 戦場は、日本軍対中韓合同軍の戦闘ではなく、日中両軍の戦闘へと変化していた。

 韓国軍が組織として全滅したからだ。

 「世宗大王セジョンデワン」を始め、艦艇は根こそぎ戦没。

 韓国海軍が水上兵力の大半を喪失する代償として上陸に成功した海兵隊、陸軍もまた、共に前方から日本軍、後方から日本軍と誤認した中華帝国軍に挟撃される形で全滅に追い込まれた。

 戦闘開始からまだ半日と経っていない。

 にもかかわらず、大韓帝国軍は九州の地から消えた。

 彼らの代わりに日本軍と対峙するのは、中華帝国軍だ。

 市街地の狭い路地を、韓国軍の死骸を踏みつぶしながら、彼らの戦車が前進する。

 88式戦車が3両。

 後続に歩兵達が続く。



 2号車の戦車長席に座るのは、武少尉だ。

 まだ戦車長を任されてから半年に満たない新米だ。

 気の知れた部下と一緒でなければ、この極限状態の下、拳銃自殺でもしかねないほど、気の弱い男だった。

 戦車長席のスコープからのぞく日本の景色は、灰色がかっていて、見るモノはすべて瓦礫ばかりで、美しくも楽しくもない。

 杭州の演習地の広大な景色が懐かしい。

 数ヶ月と離れていないはずなのに、もうそう思ってしまう。

 現在、彼の出来ることは、前方、一号車の戦車長、孔大尉がスピードを落としてゆっくりと進むのに付いていくだけだ。

 彼の所属する第3戦車大隊は、すでに戦力の大半を上陸時に失っている。

 上陸艇が海岸に乗り上げるまで、戦車の中に入ったまま、海に沈んでいった仲間達の助けを求める断末魔の声を、彼自身、何回聞いたかわからない。

 そうまでして上陸した日本だが、彼には死んでいった仲間の仇を討つといったご大層な意志も、国家や民族がどうのという理屈もない。


 彼にあるのは、たった一つだ。


 ―――死にたくない。


 それだけ。

 死にたくなければどうする?

 勝つだけだ。

 勝って、生き延びるしかない。

 狭い戦車の中。

 密閉された空間。

 兵士達の体臭まじりのよどんだ空気と、むっとする熱気が、武少尉の喉をカラカラに乾かせる。

 水が欲しい。

 そう思うが、スコープから目を離す勇気もない。

 前方では、一号車が交差点にさしかかろうとしていた。


 ズンッ!


「止まれっ!」

 武少尉は思わず戦車を停止させた。

 停止した一号車の腹の下あたりから盛んに煙が上がっている。

 地雷にひっかかったのだ。

「くそっ―――」

 武少尉は、一号車と通信を開こうとレシーバーに手を回した。

 一号車の隊長の安否を確認。

 三号車を後退させ、必要なら一号車を牽引する。

 彼が必要なこと、出来ることを頭で考え、一号車からの返答を待とうとしたその直後。

 ズズズンッッ!!

「何だ!?」

 背後から走る凄まじい爆発音に、首をすくめてしまった。

「三号車、後方の様子わかるか?」

「こちら三号車、後方で爆発有り。歩兵部隊との通信が途絶」

 この時点で武少尉達は知らなかったが、戦車達の後方で身構えていた兵士達めがけて、道路脇に仕掛けられていた爆発物―――地雷除去用の爆索を転用した即製品―――が爆発したのだ。

 地雷を吹き飛ばすほどの爆発に、生身の兵士達が無事なはずはない。

 兵士達は瞬時に挽肉にされ、崩れた瓦礫の下敷きになった。

「三号車、下がれるか?」

「やってるが―――瓦礫が邪魔で動けない」

「一号車、井大尉、応答してください」

「こちら一号車―――エンジン停止。再起動しない。残念だが車両を放棄する」

「了解」

 答えつつ、武は内心で舌打ちした。


 せめてどけ。


 そう思ったからだ。


 戦車達は前後をふさがれた。


 一号車のハッチが開き、戦車兵達が煙に追い出されるように戦車から転がり出てくる。

 せめてみんな無事だったから―――

 スコープ越しに一号車の戦車兵達の無事を確認し、武少尉が小さくため息をついた途端―――。

 一号車のあちこちで何かが弾け、戦車兵達がのけぞって倒れた。

 ビルのあちこちに潜んでいた日本軍兵士達が、その戦車兵達めがけて小銃の引き金を引いたことは、何故かすぐにわかった。


「くそっ!三号車、下がれっ!」


 武は砲塔を操作して日本兵が潜んでいる位置を割り出そうとした。

 だが、肝心の日本兵はすぐ間近いにいた。

 日本兵達が、立ち往生した後続車めがけて駆け寄る。

 まず、三号車の死角から近づくなり、キャタピラに爆発物を仕掛けた。

 爆発でキャタピラが吹き飛ぶ。

「三号車っ!」

「やられたっ!キャタピラが両方だっ!」

「脱出出来るか!?」

「やってみるっ!」

「よし―――操舵っ!かまわんから前後両方にぶつかって道をあけろっ!」

「了解っ!」


 ガンッ!


 ギュイイイイッッ……


 ガンッ!


 急に動き出した二号車から辛くも逃れた日本兵の前で、二号車が後続と先頭の車両に滅茶苦茶にぶつかって道を開こうとする。

 装甲が歪み、各部パーツが脱落してもお構いなしだ。

 三号車に近づこうとした日本兵達でさえ、その勢いのすさまじさに近づくことを止めた。

 ガンッ……ズズッ……ギュィィィィィッッ……ズンッ!!

 一号車が二号車に押される形で交差点からかなりの位置に動いた。

 もう少しだ。

 もう少しでっ!!

 武少尉は握った拳に力を込めた。

 もう少しで逃げられるっ!


 だが……


 ズンッ!!


 突然、音が聞こえなくなった。

 全身を見えないバットで殴られたような衝撃が走り抜け、意識がもうろうとする。

 車内に真っ白な煙が充満し、息が苦しくなる。


 ―――被弾した。


 武が考えたことはそれだ。

 だが、どこへ?

 訓練で叩き込まれた手順通り、武は乗組員の安否を確認しようとした。

 声を限りに叫ぶが、耳に音が届かない。

 喉が痛むほど叫んでいるのに、音が届かない。

 武少尉は、いつの間にか、耳に当てていたレシーバーが外れていることに気づいた。

 そして、恐る恐る耳に手を当てた。

 音が聞こえなくなっている。

 武少尉は、自分の鼓膜がやられたことを思い知らされた。


 武少尉の戦車に何が起きたか?

 理由は一つだ。

 日本兵が、対戦車地雷をその腹下に放り込んだのだ。


 戦車は動かない。

 武少尉は指揮が出来ない。

 操舵手と装填手は衝撃にやられたのか、ぐったりして動こうとさえしない。

 その武少尉の真上で、ハッチが小さく開いたかと思うと、何かが車内に転がり込んできた。




「吹っ飛ぶぞ!」

 兵士の怒鳴り声の数秒後、二号車の各部ハッチが、内部から吹き飛んだ。

 爆風が、それまで中の乗組員だった肉片混じりの破片を車外に放り出す。

「よしっ!」

 擱座かくざした戦車がブロックを閉鎖する遮蔽物となったことを確認した吉岡少尉は、満足げに頷くと、兵士達に怒鳴った。

「これで市街地へ通じる全ての道を閉鎖できた!陣地構築急げっ!」

「少尉っ!」

 通信兵が怒鳴った。

「メサイアが掃討に動きますっ!耐熱、対閃光防御を!」

「あの役立たずっ!美味しいところだけいただく腹か!?」

 吉岡少尉は舌打ち一つ、部下に命じた。

「総員、遮蔽物に退避しろっ!黒こげにされるか閃光で目を潰されるぞ!」





 広域火焔掃射装置スイーパーズフレイムを装備した染谷隊が戦場に駆け戻ったのは、それから数分後のことだった。





 ズンッ!

 いつの間に潜んでいたのか、砲塔側面に対戦車ロケットの直撃を受けた90式戦車がついに沈黙した。

「くそっ!根性なしがっ!」

 ハッチから戦車兵達が脱出するのを見守りながら、歩兵小隊を率いる飯島軍曹は舌打ちした。

 敵の戦車は食い止めたが、こっちの戦車も次々と喰われては話にならない。

 この戦車がやられたら、もう戦車はない。

 対戦車装備はもうとっくの昔になくなっていた。

「中華帝国軍の歩兵携帯用対戦車装備が、こんなに破壊力があるとは聞いていないぞ!」

 飯島軍曹は誰になくそう喚くと、部下達に命じた。

「そっちだ!」

 飯島軍曹が指さしたのは、ロケットが飛んできた方角。

 崩れ落ちた民家の塀。

 中華帝国軍兵士が数名、そこに潜んでいるのがわかる。

「テメエ等、よくもっ!」

 軽機関銃を持つ工藤二等兵が即座に民家めがけて弾幕を張る。

 2、3人の中華帝国軍兵士がのけぞってその場に倒れた。

「村田と江藤、二人で調べてこいっ!弾と武器を奪えっ!」

「はいっ!」 

 中華帝国軍兵士達が潜んでいた民家の跡までは100メートル程。

 この距離まで敵に気づかなかったのは確かに自分達の失点だ。

 ―――戦車兵達にゃ、悪いことしたな。

 飯島軍曹は村田達を見守りながら、少しだけそう思った。

 その戦車兵達は、機銃2丁を戦車から降ろして飯島軍曹に近づいた。

「第二戦車大隊の原田大尉だ」

「第三歩兵大隊、飯島軍曹」

「すまんが白兵戦は未経験だ。何の役にも立たないと思ってくれ」

 原田大尉と名乗った40過ぎの戦車兵は、飯島軍曹達の後ろに腰を下ろした。

 背の低い、どことなく頼りない顔を煤で真っ黒にしていた。

 その背後では、彼の部下だろう戦車兵達が青い顔で体を縮ませている。

「戦車から降ろした弾薬と機銃がある。必要なら」

「何。大尉」

 飯島軍曹はニヤリと笑った。

「ここはね?実はついさっきまで、中華帝国軍の弾薬集積地だったんですよ」

 飯島があごでしゃくった先には、木箱がいくつも積んであった。

 開かれた木箱からは弾薬が転がり出ている。

「ここから各方面に弾薬を補給するつもりだったらしくて。おかげで助かってます」

 原田大尉がよく見ると、飯島軍曹が使っているのは日本軍の三八式自動小銃ではなく、中華帝国軍の81式7.62mmアサルトライフルだった。

「―――ま、弾は潤沢ですけどね。そっちも貸してくださいよ」

 飯島軍曹は這うようにして戦車兵達から機銃と弾薬を受け取った。

「白兵戦は歩兵の本領です」

 飯島軍曹は笑いながら言った。

「白兵戦なら、戦車兵さん達の出番はもう終わりですよ」

「そうか」

 原田大尉は小さく笑いかえした。

「なら、ここで高みの見物としゃれ込ませてくれ」



 そう、笑っていられたのは数分に過ぎなかった。

 ひっきりなしに銃声が響き渡り、弾薬の補給が追いつかない。

 銃身が真っ赤に染まっても、引き金を引く指を止めることが出来ない。

「中華製にしちゃ、よく持つじゃねぇか!」

 すでに日本軍としての弾薬は使い尽くした。

 中華帝国軍の戦死者の側に転がっていた銃と弾薬をかき集め、戦線を維持しているに過ぎない。

 ただ、前方に展開する敵の数はどう贔屓目に見ても、自分達の10倍はくだらない。

 必死に撃ち返すが、耳元といわず頭上と言わず、ビュンビュンと音を立てて飛んでくる弾丸が、文字通り雨の様にさえ感じられてしまう。

 負傷兵が出ていないのが不思議なくらいだ。


「こういう時に戦車があればっ!」

 その時、飯島軍曹は初めて、原田大尉達がいないことに気づいた。

 ―――逃げたか?

 本気でそう思った。

 機銃と弾薬を置き土産にして、逃げた?

 辺りを見回すが、大尉達の気配はどこにもない。

 気になるのは、すぐ近くで放棄された八式対空戦車だけだ。

 30ミリガドリング砲を車体に搭載した化け物だが、先程の戦闘で、対戦車狙撃ライフルの集中砲火で車内を滅茶苦茶に破壊され、戦車兵達が挽肉になっていたのは、飯島軍曹自身が確認していた。

 対戦車ライフルは、M82。

 日本軍から奪ったモノだったことは、狙撃手を撃ち殺した飯島軍曹達にはわかっている。

 かたきは討ったモノの、肝心の戦車が動かない。

 中は何しろ血と肉のゴミ捨て場さながらで、何がどう壊れているのか。どうすれば動くのか全く知識がない飯島軍曹達の手に負える代物ではない。

 結局、「使えればなぁ」としきりに残念がったまま放置した代物だ。

 ―――まさかな。

 いくらなんでも、原田大尉達、あの対空戦車を?

 ありえない。

 ―――大尉が30ミリガドリング砲の弾幕張ってくれれば、キスくらいしてやらぁ。

 そう毒づくしかない。

 あり得ないから、腹立たしさと不安が同時に飯島軍曹の腹の中を駆け回った。

 チュインッ!

 チュインッ!

 飯島軍曹は、自分の周りで生じる跳弾の音に現実に引き戻された。

「通信、貸せっ!」

 今、他の部隊を心配している余裕はどこにもない。

 飯島軍曹は通信機をもぎ取るように掴むと、司令部を呼び出した。

「こちら第三小隊、敵の大規模攻撃を受けている!支援はどうした!?」

「砲撃支援は出来ない。駆逐戦車隊から2両、そっちへ移動中だ」

「砲撃支援を先にくれっ!」

「貴様等も巻き添えになるぞ?メサイアの掃討がすぐに開始される。それまで耐えろ」

「もう弾薬が―――」

 バンバンッ!

 村田一等兵が飯島軍曹の腕を叩いたのはその時だ。

 彼が「向こう向こう!」と言いながら、必死に指さす先にあるのは、あの放棄された対空戦車だ。

 その対空戦車のエンジン部から白い煙が上がっていた。

 炎上?

 違う。

 飯島軍曹は、対空戦車に何が起きているか、ようやくわかった。

 エンジンが動いているのだ。

「だ、誰が動かしている!?」

 驚く飯島軍曹達の前で、対空戦車がゆっくりと動き出す。

 スウェーデン陸軍制式戦車Strv.103の上にGAU-8IJ、30ミリガドリング砲を搭載した分類不能に近い兵器だ。

 中華帝国軍も気づいたらしい。

 歩兵達が対空戦車めがけて必死に弾幕を展開するが、小銃弾は装甲にすべて弾かれてしまう。

 ギュイイイイイ―――ッッ!!

 奇妙な音を立て、ガドリング砲が回転を開始する。

 そして―――


 Vooooooooo!!


 バケモノの咆哮さながらの音を伴いながら、必殺の30ミリ機関砲をばらまいた。


 中華帝国軍側は一瞬で目も当てられない程の惨状を呈した。

 元来が、対中小型妖魔掃討用に開発された対空戦車だ。

 妖魔を殺すための装備が生身の人間を相手に使われたのだから、かすっただけで無事では済むはずがない。

 それまで圧倒的優位に立っていたはずの中華帝国軍兵士達の銃声は、一瞬で途絶えてしまった。


「……」

 あまりの圧倒的戦果に、飯島軍曹は言葉を失って思わずその場にへたり込んでしまった。

 その飯島軍曹の側に近づいた対空戦車の戦車長席のハッチが開き、顔を出したのは原田大尉だった。

「役に立ったか?軍曹」

「……」

 飯島軍曹は、強ばった顔で何度も頷くと、立ち上がって敬礼した。



 メサイア達がその上空を通過し、彼らの前に立ちはだかったのは、その時だった。




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