朴二等兵の戦争 第三話
「お前、韓国軍か?」
敵に見つからないことだけを祈っていた朴は、突然の中国語に飛び跳ねて驚いた。
自分がどこにいるのかさえ、朴はわからない。
方角さえ、今の朴にはわからない。
あの兵士と別れて、上陸した海岸方面に引き返したはずなのに、海はどこにもない。
砲撃と爆撃の中、武器も弾薬も無くした朴に出来ることは、ただ、廃墟の中で震えているだけだった。
その朴に銃口を向けているのは、日本軍ではない。
中華帝国軍だ。
「そ、そうです」
大学で中国語を習った朴は震える舌でそう答えた。
中国語を身につけていて良かったと、この時ばかりは朴は本気で思った。
「大韓帝国軍、朴二等兵」
「部隊はどうした?」
「わかりません」
朴は答えた。
「ここにたどり着く前にちりぢりで……」
「よし」
少尉の階級章をつけた中華帝国軍士官が言った。
「後方に下がれ。ただし、下手に動くな?チョロチョロしていると、撃たれるぞ?」
そして、朴には聞き取れないほど早口の中国語で何事か命令すると、士官とその部隊は福岡方面に移動を開始した。
徴兵されて士官にはじめて優しい声をかけられた朴は、無意識にその部隊を追いかけようとした。
中華帝国軍が気に入ったのではない。
ただ、その士官なら、自分を人間として扱ってくれるんじゃないか。
そう思っただけだ。
朴が廃墟から出ようとしたその直後―――
信じられないほどの衝撃が、朴を襲った。
「砲撃が開始されています―――衝撃で窓ガラスが割れる恐れがあります。繰り返します。こちらは警察の広報車です」
パトカーから放送が流される中、軍事路線に停車した列車の周りで鉄道職員達がせわしなく動き回る。
国鉄鉄道砲撃隊。
国鉄総裁指揮下の軍人待遇職員達で編成される砲兵達だ。
普段は国鉄職員、有事の際は軍人となる彼らが動かしているのが普通の列車なはずはない。
国鉄ご自慢の列車砲だ。
日本で列車砲とは、元艦載砲を転用した代物であり、口径は46センチ砲と40センチ砲、そして28センチ砲が主流。今回の作戦では、すでに60門が国鉄総裁命令で集められ、陸軍砲兵隊と共に砲撃に参加している。
だが、この時、朴を襲った衝撃波を産み出したのは、彼らとは違う、別な存在だ。
射撃地点は九州でさえない。
撃ったのは広島県岩国に展開した国鉄鉄道砲撃隊の99式60センチリレ砲。
世界最大級60センチ砲が射撃可能なレールガンだ。
国内にも2門しかないため、魔族軍の砲撃陣地攻略のため本州に駆り出されていた所を、中韓軍九州侵攻の報を受けて引き返していた所で間に合わず、こんな遠距離からの射撃となったが、撃ち出される砲弾は誘導装置を組み込んでいるため、精度は恐ろしく高い。
下手をすれば、推進装置の制御が必要なミサイルよりも高いとされる。
その列車砲を操作する300人近い国鉄職員を率い、指揮をとるのが藤井車掌だ。
車両は20両編成。
電源車に牽引車、そして客車までと恐ろしく雑多な編成となっている。その最後方に連結された管制車両の中、藤井車掌は背筋が寒くなるような音を聞いた。
―――何度聞いても好きになれない。
藤井は沸き立つ周囲をよそに、一人平然とした顔つきだけは保った。
こんな所で射撃命令をくらった時はどうしようかと思ったが、それでも地元管区には感謝だな。
藤井はそんなことを思った。
周囲では、彼の部下がきびきびとした動きで任務に励んでいる。
「3発目、正常に発射」
「1発目の弾着を確認。目標地点ど真ん中!」
通信員からの報告に、車内がさらにわき上がる。
「よし―――弾種そのまま射撃を継続しろ」
「了解っ!」
「……」
脳しんとうを起こしているのかもしれない。
周りを見回しても、何が何だかわからない。
砕けて黒く焦げたアスファルトの上を、ふらつく脚で歩く。
自分がどこに向かっているのかさえ、今の朴にはわからない。
カンッ
朴の脚が何かにあたった。
「?」
黒くて何だか奇妙な、でも、どこかで見たような形をしていた。
「……」
朴は、かがみ込んでそれを手にした。
―――何だろう。
少し重くて握ると表面は柔らかいけど、中は少し固い。
裏返してみたり、何度か手の中で弄んでいるうちに、朴はそれが何だかようやくわかった。
人間の手だ。
「……」
胃液がこみ上げてきた。
朴の手が、“それ”を思わず落としてしまう。
そして、朴は自分がどこに立っているかわかった。
先程の中華帝国軍少尉達が倒れていた。
何か強力な攻撃を受けたんだろう。
兵士達が見るも無惨に引き裂かれてアスファルトの上に転がっていた。
「う……ううっ……」
小さいうめき声がした。
アスファルトの上に倒れた士官の体が弱く動いていた。
先程の少尉だ。
生きている!
朴は慌てて少尉に近づき、肩をゆすった。
「大丈夫ですか!?」
「……ううっ」
どこを負傷しているのかわからない。
全身が真っ黒に煤け、赤黒い血で顔が染まっている。
全身負傷しているといえばそれまでだ。
喋ることさえ出来ない少尉を抱き起こし、朴は背中に背負った。
「い、医者はどこだ?軍医は?」
あたりを見回しても、目に入るのは廃墟だけ。
それでも彼は少尉を背負いながら、廃墟をさまよった。
砲撃は続く。
「が、頑張ってください……少尉」
爆風に吹き飛ばされそうになりながら、何とか踏みとどまった朴は廃墟の角を曲がった。
ヒュンッ!
何か鋭い風が通り抜け、頬に痛みが走った。
銃撃を受けたのだ。
角を曲がった先にあったのは、瓦礫をバリケードにした、中華帝国軍の陣地だった。
瓦礫のあちこちに潜んだ兵が、自分めがけて銃口が向けている。
「ま、待ってくれっ!」
朴は中国語で怒鳴った。
「負傷兵を連れてきた!僕は韓国兵だ!敵じゃない!」
しばしの沈黙の後、怒鳴り声がした。
「よしっ!そのままゆっくりこっちへ来い!」
ズンッ
ズン、ズンッ、スズスゥゥゥンッ……
背後では未だに砲撃の音が続いている。
いや、それまでとは比べ物にならないほど激しさを増している。
地震さながらの爆発音と振動があたりを支配し、バリゲードがわりの瓦礫がそのたびに少しずつ崩れていく。
40センチ列車速射砲が砲撃に参加したらしい。
これでは福岡方面への侵攻は無理だ。
朴はそんな兵士達の会話を聞きながら、目の前に横たわる少尉の遺体に手を合わせていた。
もう死んでいる。
軍医は少尉の脈を取った後、そう告げただけで何もしようとしなかった。
「せ、せめて治療を!」
縋り付いた朴に軍医は冷たく言った。
「死体に何をしろというんだ?朝鮮人」
せめてとばかり、少尉の顔を水を浸したハンカチで拭いた。
それが、朴に出来た唯一のことだ。
乾いた血は少尉の肌にしつこくこびりつき、落とし終わるのにかなりの時間を必要とした。
どす黒い血だまりが取り除かれた後を見ると、まだ二十歳ばかりのあどけなさを残した顔がそこにあった。
苦悶の表情はない。
むしろまるで眠っているような穏やかな顔をしていた。
「おい」
背後からの声に、朴が振り返ると、中華帝国軍兵士が数人、立っていた。
「死体を処理する。お前は原隊に戻れ」
「し、しかし……」
朴は迷った。
帰りたいとしても、その原隊がどこにいるかわからない。
「大韓帝国軍の部隊はどこにいますか?」
「俺が知るか」
兵士は答えた。
「前線は混乱している。お前の面倒なんて見ている余裕はない―――だから、さっさとここから消えろ」
兵士達はそう言うと、少尉の腕と脚を乱暴に掴んだ。
そして、引きずったあげくに近くの穴の淵に立った。
爆撃で開いた穴を広げたらしいその穴の中は、戦死者の死体で埋まっていた。
兵士達が、ちぎれた手足を乱雑に放り込んでいる。
穴の底では、まだうめき声が聞こえている。
生きている重傷兵を、死体として捨てているのは明らかだ。
朴は、地獄の釜さながらの光景を見て、兵士達が何をするのか察しを付けた。
「ちっ―――この程度か」
兵士達が、朴の目の前で少尉のポケットから財布を抜き取り、中身を抜き取ると、財布を穴の中へ放り込む。
「金歯もないぜ」
一人が乱暴に少尉の口を開け、中を覗き込む。
「さっさと捨てちまえ―――いくぜ?」
「おう」
唖然とする朴の目の前で、案の定、少尉の死体が、その中に投げ込まれた。
「い、いくらなんでも!」
朴は怒鳴った。
「同じ同国人でしょう?それをこんな穴に放り込むなんてあんまりだ!」
中華帝国軍兵士の返事は、言葉ではなく拳だった。
血の臭いが鼻腔を満たす。
吹き飛ばされた朴は指一本動かすことが出来ない。
青い空を見ることだけが、精一杯だ。
「おい、どうするコイツ?」
「どうせ朝鮮人だ。この穴の中に放り込んでおけ」
朴は、そんな声を聞いた気がした。
体が激しく揺すられる中、朴の意識はとぎれた。
最後続の中華帝国軍の兵士が海岸に上陸した。
よく生きて上陸出来た。
多くの兵士は心底そう思いながら、辺りを見回した。
海を見れば、兵士達を運んできた輸送艦ばかりだ。
輸送艦の武装は、歩兵携帯兵器を撃つ程度に過ぎない。
対艦ミサイルでも撃ち込まれたら対抗する手段はない。
実際、中華帝国軍主力部隊の上陸開始の直前になって日本軍の砲撃がぱたりと止まなければ、すべてはどうなっていたかわかったものではない。
「前進っ!」
兵士の属する部隊が号令の元、海岸から廃墟と化した市街地へと進む。
兵士は視線を前方に戻すと、部隊と共に海岸を歩き出した。
ズンッ!
斜め前方を歩く兵士が、突然吹き飛ばされたのは、その時だ。
その兵士の左足が吹き飛び、兵士が宙を舞った。
兵士は爆発音にとっさに伏せた。
海岸に埋められた対人地雷が未だに生きていたのだろうか。
あるいは、韓国軍を挽肉に変えたクラスター爆弾の不発弾を踏んだのかもしれない。
原因は分からないが、とにかく、脚を吹き飛ばされた兵士が、ぞっとするような悲鳴をあげ、切断された脚の根本を押さえてのたうち回る。
助からないことは本能的にわかる。
「畜生!ドジりやがって!」
「衛生兵っ、衛生兵は!」
「しっかりしろっ!―――おいっ!そこに転がっている脚もってこいっ!」
仲間の兵士が彼のサスペンダーを掴んで後ろに下がる。
真っ赤な血の跡が砂浜に残る。
その赤い線をまたぎ、兵士達は前進する。
瓦礫の山と化した市街地の入り口では激しい戦闘が繰り広げられたらしい。
得体の知れない肉塊や、弱々しく動く重傷兵が置き去りにされたままだ。
負傷した兵士の腹からはみ出た臓物に黒々と蠅が集るが、兵士にはそれを払いのける力さえもう残っていない。
―――殺せぇぇぇっっ
―――殺してくれぇぇっ
―――銃を、銃を貸せぇっ
あちこちでそんな声が聞こえる。
―――衛生兵、衛生兵を
そんな声はまだマシだ。
―――お願いです。助けてください。
前方を進む小隊指揮官の脚を、負傷兵が掴んだ。
顔を焼かれ、歳も性別さえわからない見るも無惨な姿をしていた。
目が見えなくなっているのを藻掻いて、ようやく小隊指揮官に縋り付くことが出来たのだ。
―――お願いです。軍医の所へ
ガンッ!
小隊指揮官は、情け容赦なく、その負傷兵の顔めがけて銃尻を何度も振り下ろした。
……顔色一つ変えることなく。
グシャッ!
血混じりの脳漿が飛び出し、小隊指揮官の顔に飛び散った。
「これも情けってもんだ―――なぁ?」
小隊指揮官は楽しげに微笑むと、部下達を一瞥した。
「死ぬ時はさっさと死ね。祖国に迷惑をかけるな―――わかったか!?」
「はっ、はいっ!!」
兵士達は青くなって頷くだけだ。
「よし。進むぞ」
死体を踏みつけ、小隊指揮官を先頭にむかった前方。
対戦車ミサイルの直撃を受けたらしい、擱座した戦車が数両、止まっていた。
撃破された時、戦車の内部で生じた火災から逃れられなかった戦車兵の焼死体が、戦車のハッチから半ばはい出した格好のままくすぶっている。
無事に脱出したとしても、戦車兵がどうなったか。
それを、戦車の横に転がっている死体達が語ってくれた。
「狙撃兵に注意しろ」
戦車兵の死体を一瞥した副小隊指揮官の軍曹が言った。
「一発で仕留められている。こいつは狙撃兵の仕業だ」
軍曹は兵士達に命じた。
「遮蔽物を活かして行くぞ!俺のケツについてこいっ!」
前方からは凄まじい銃撃戦の音が続く。
すでに先に進んだ部隊が激しい戦闘を繰り広げているのだ。
兵士は軍曹の命令通りに動き出した。
中華帝国軍兵士達が不思議に思ったこと。
その第一が、自軍の航空支援のなさだ。
対地攻撃機を盛んに繰り出してくる日本軍に対して、中華帝国軍は戦闘機すら出さなかった。
その理由を兵士達は知らない。
ただ、先程まで聞こえていた列車砲の攻撃が突然止んだことだけは確かだった。
その理由を思い知らされたのは、実は敵である日本軍だった。
警報が鳴り響き、壁のモニターがいくつもブラックアウトしたままだ。
「予備電源、作動します」
「第9レーダーサイト沈黙っ!」
血まみれになったオペレーターが時折、咳き込みながら報告する。
施設内の照明はすべて落ち、非常電源が弱々しい光を灯すだけだ。
「列車砲部隊は!」
自分の上に覆い被さっていたテーブルを何とか払いのけ、立ち上がった将校が怒鳴る。
「列車砲部隊の砲撃はどうなっているか!」
「現在停止!」
オペレーターが答えた。
「空爆で送電線が破壊されました!」
福岡上陸作戦において、中華帝国軍航空部隊は、ある意味で適切な行動をとったとされる。
福岡に上陸する部隊に関する航空支援ではなく、日本軍の後方部隊の攻撃に徹したのだ。
日本軍の目が福岡に注がれる間に、彼らは洋上より九州のどこに日本軍が配置されているかを分析。
その結果を元に、射程200キロを誇る長距離対地ミサイルで日本軍の施設を次々と攻撃した。
戦果はかなりのものとなった。
九州の発電所、送電施設は、根こそぎ空爆の被害を受け、送電が各所でストップ。
このため、国鉄砲撃部隊は電力の供給が受けられず、装弾装置が停止。
レーダーサイトを始め、後方支援のかなりの部隊がミサイルの餌食となった。
「復旧急げっ!」
ここ、熊本城にある陸軍第六軍管区司令部は、その中でも最も被害が大きい施設の一つに数えられる。
九州全域の陸軍を統括指揮する施設だから当然だが、ミサイル数発の直撃を受けた今、施設のあちこちで火災警報と衛生兵を呼ぶ声が響き渡る。
「九州防衛を任務とする第六軍管区司令部が狙われるのは当然ですが」
参謀長の中村中佐が、管区司令官曽我少将に言った。
「防空部隊、ミサイルの撃墜に失敗しましたな」
「GPS誘導だろうな」
曽我は不機嫌そうに言った。
「衛星撃墜ミサイルの開発予算を議会が認めなかったオチがこれだ!来年を見ていろよ!?」
「とにかく」
中村は言った。
「近衛から通信が入っています。“掃除にかかる”と」




