鬱陵島事件 第二話
●“天壇”内部
「防御力は、大したことないですね」
「ダユー……お前はとことん、遠慮というものがない」
「ですけどぉ」
“ダユー”と呼ばれた美女が、はにかむうに微笑んだ。
妙齢の美女が、それだけで初々しい少女にさえ見えてくるから不思議だ。
「コルヌアイユ家の娘ならもう少し慈悲を持て」
「ふふっ。あの連中を使う身の慈悲と言えば、さっさと殺してあげること―――違います?」
ダユーの細い指が指し示すのは先程のモニター。
男達は兵士達の骨にしゃぶりついていた。
「我が屍鬼の軍団―――久方ぶりの復活じゃわい」
「では、グラドロン様はヴォルトモード軍と再び?」
「あの男は、正直気に入っておる」
男―――グラドロンは言った。
「ヤツのためにもう一働きしてやろうと思う―――とはいえ、今はその下準備が必要じゃ。封印が解除されたばかりで、力が足りん」
「どうなさいます?」
「天壇の進路を島へ向けろ。上陸部隊は揚陸艇に移乗。“食料”を確保せよ。近づく敵はかまわん。全て殺せ」
「了解」
二人の背後に控えていた白いローブ姿の男が恭しく頭を下げた。
コランタンが部下に命じる号令を聞きながら、ダユーは思い出したように訊ねた。
「念のため、メース隊は出しておきますわよ?」
「―――好きにしろ」
「ふふっ。グラドロン様の“不死の軍団”と私の“不死鳥軍団”……未だに健在であることを、世界中にアピールしてみせましょう」
「―――思い出す者は、そう多くはあるまいがね」
●日本海上空
糖花島に異変があったらしい。
糖花島付近に展開していた第2艦隊と通信が途絶した。
政府は、日本軍の攻撃と断定した。
空軍が出撃するが、念のためだ、貴様等も行け。
後発で第2中隊が出る。
韓国軍第122メサイア小隊グレイファントムKA4騎を率いる李大尉の受けた命令はそんなものだった。
李大尉には、上官の命令の意図はわかっている。
日本軍が攻めてきたというのに、空軍にばかり大きな顔をされたくない。
要はそういうことだ。
「た、大尉」
困惑した部下の声通信機越しに聞こえてくる。
「あ……あれは一体?」
「金MC、あれは……まさか」
「全長3キロ、間違いなく、糖花島……です」
「……馬鹿な」
糖花島は、島だ。
海面に顔を出しているものだ。
それがどうして空に浮いている?
「まさか……日本軍が?」
「バカか。張」
部下のつぶやきを李大尉は即座に否定した。
「いくら何でも、糖花島を空に浮かせて、日本軍に何のメリットがある?」
「そ……それは」
「原因は不明だが、幸い、空軍の対艦ミサイルが命中したところからして、満足な対空兵器はないと見える。全騎、これより糖花島に接近する」
―――続け。
李大尉はそう言った。
確かに言った。
部下からの返答は―――
白い光だった。
ズズゥゥゥム……!!
「なっ!?」
突然、自らの騎を襲った衝撃の意味を、李大尉はとっさにはわからなかった。
ブースターのスロットルを開く姿勢のまま凍り付いたのが精一杯だ。
MLの攻撃?ミサイル?
何が起きた?
「ど、どうした!?」
「小隊全騎反応消失!」
MCが悲鳴を上げた。
ピーッ!
「攻撃、来ますっ!」
李大尉達を襲ったのは、魔族軍メース“ヴィーズ”を駆るアニエス達だ。
アニエスはコントロールユニット越しに伝わる剣の感触に、決して満足していなかった。
一通過でメースを真っ二つにしてのけたというのに、全く面白くない。
「何だいこの連中は!」
背後で粘っこい爆発音がするが、それさえアニエスの神経を逆なでする。
「全くもってホネのない!」
「122小隊、全滅っ!」
「絶対にあの島の侵攻を阻止しろ!」
グレイファントムKA28騎を率いるメサイア第2中隊長の宗中佐は、せっぱ詰まった声で部下に怒鳴った。
「方法は各自で考えろ!とにかく止めろ!」
冗談じゃない!
彼にはわかっていた。
これは日本軍じゃない!
違うっ!
日本軍であってたまるか!
日本軍は、「南米とアフリカに魔族とかいう得体の知れないバケモノが出た」と称して軍事予算の増額を計り、我が国への領土的野心を燃やしている。
政府はそう言っているし、世論もそう信じてはいる。
この光景を見たら、政府は狂ったように日本を批判し、国民はそのリズムに乗って踊るだろう。
だが―――違うんだ。
彼の中の、冷徹な軍人としての何かが叫ぶ。
―――これは違う!
―――あんな島を浮かせるなんて、人間の魔法技術では不可能だ。
なら何が?
分かり切ったことだ。
分かり切っているから―――彼はそれに恐怖した。
少なくとも、バケモノに降伏という手段が通じるとはとても思えない。
降伏出来なければ?
その時は……。
「アレの予想進路は?」
自分の駆る騎のMCに訊ねる声は、幸いにして震えていなかった。
それだけが、今の救いだ。
「このままでは1時間後に鬱陵島上空へ」
「鬱陵島に攻められたら終わりだぞ?島民の避難は?」
「島に動きなし。島に対する警報も出ていません」
「……」
●糖花島付近
光の矢が、まるで吸い込まれるように、濃紺色に塗装されたグレイファントムKAの胴体に風穴を開けた。
直後、騎体のあちこちからオレンジ色の炎が吹き出した。
「クソッ!やられた!コントロールが!」
騎体を操る騎士が混乱していることは、まだ生きているコントロールユニット越しの動き、つまり、グレイファントムKAそのもののパニック動作でわかる。
「キムっ!かまわんっ!脱出しろ!聞こえているな!?」
その騎の間近にいて、一部始終を目撃していたペ中尉が怒鳴る。
「わ、わかった!―――206号騎、脱出!」
バンッ!
グレイファントムKAの頭部と胸部で小さな爆発が起きた。
爆破ボルトとロケット推進装置が作動し、ハッチが吹き飛んだのだ。
頭部をほぼ完全に吹き飛ばし、MCLを構成するユニットが射出されたのを、ぺ中尉は確かに見た。
「よし。MCは大丈夫だ」
ほうっ。と、ペ中尉の口から思わず安堵のため息が漏れる。
「大丈夫でしょうか?」
MCLからイ少尉の心配そうな声が聞こえた。
「大丈夫さ―――グレイファントムは、脱出装置についてはロシア製の“スターリン”より信頼性が高いと聞く」
敵を警戒しつつ、ペ中尉はしゃべり続けた。
―――敵は近くにいない。多分、第3小隊の生き残りを狙っているんだ。
ペ中尉はしゃべり続けていたかった。
無言になった途端、死にそうな、そんな予感がしたからだ。
「だけどね?もっとスゴイのがあるのさ。アングラ雑誌で読んだけど、日本軍の“インペリアル・ドラゴン・シリーズ”は、MCLをユニット単位で安全区域にテレポートさせる“テレポート・エジェクト・システム”を導入たってさ」
「魔法で脱出?」
「ああ。だから、MCは騎体が吹き飛んでも怪我さえしないって。後はエンジンもだそうだ」
「騎士は?」
「責任とれってことかな―――っていうか!」
ぺ中尉は、そこでようやく横を飛行しているグレイファントムKAのコクピットから誰も脱出していないことに気づいた。
もう、騎体が完全に炎に包まれつつあった。
「キム、早くしろっ!MCはもう脱出した!」
「脱出出来ない!シートが、シートが動かない!騎体のフレームが歪んだんだ!ハッチが飛ばない!」
「キムっ!今そっちへ!」
「た、助けてくれっ!火が、火がぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっっ!」
ズンッ!
光が走り、キムの乗るグレイファントムKAを串刺しにした。
それはむしろ、救いだったのかもしれない。
これ以上、苦しまずに死ねる。
それは―――救いだ。
ペ中尉は、魔法攻撃の直撃を受け、グレイファントムKAが四散する光景を、ぼんやりと眺めながらそう思うしかなかった。
「中尉っ!」
MCの怒鳴り声がなければ、ペ中尉はいつまでもそうしていたろう。
だが、ペ中尉は軍人で、しかもここは戦場だ。
軍人として鍛えられ、世界に冠たるグレイファントムKAを預かる彼は、即座に我に返った。
「少尉!敵は!?」
「索敵レーダーに反応!後方2時、距離1250!」
とっさに騎体をひねり、騎体を反転させる。
そこにベ中尉が見たモノは、巨大な剣を振り下ろそうとする漆黒の騎体だった。
「い、いつの間に!?―――ええいっ!」
ギュィィィィィンッ!
ペ中尉は、胸部追加ブースターを全開に開き、敵との距離をとる。
ザンッ!
振り下ろされた剣が、グレイファントムのシールドを、まるでチーズの如く切り裂く衝撃が、コントロールユニット越しに伝わってきた。
「つ、追加ブースターが無ければ死んでいた!」
「まだ来ますっ!」
「くそっ!」
まるで龍の骸骨を連想させるような禍々しいデザインの敵が再び剣を構え、襲いかかってくる。




