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鬱陵島事件 第一話

●大韓帝国領 糖花島とうかじま周辺海域

 

 大韓帝国領 鬱陵島うつりょうとうから東南東へ約65キロに位置する島。

 現在の国際法上においては、大韓帝国領に属する。

 総面積約は約102平方キロ。面積は鬱陵島うつりょうとうより広い。

 糖花島とうかじまの由来となった糖花山とうかさんの山頂から海岸の下にまで達するなだらかな斜面があるだけの島。

 目立つのは、山頂付近から出る有毒ガスによって赤や黄色、そして白に彩られた糖花山とうかさんだけ。

 この色から、かつては朝鮮と日本を行き来した船舶の目印とされ、愛されてきたのと同時に、近づく者はいない死の島として恐れられてもきた。

 周辺の潮流は強く、さらに周辺は岩場が多い上に、糖花山からつながる斜面のせいで海岸は極めて水深が浅い。加えて、風の流れによっては、いつ有毒ガスに襲われるかわからぬ危険な島なのだ。


 今、その島を取り囲むように、大韓帝国海軍のコルベット艦隊が展開していた。


「愛国観測隊からの通信が途絶してからすでに25時間です」

 コルベット艦隊を率いる提督に、参謀が報告した。

「有毒ガスに襲われたとしても、異常です」

 無言の提督に、参謀は続けた。

「愛国観測隊は、熱烈な愛国者からなる糖花島とうかじま気象観測部隊であり」

「ああ。そうだろうな」

 提督は参謀の言葉を遮った。

「政治犯に愛国者のレッテル張って、あそこに送り込んでいるのをそう呼ぶならな」

「党の方針に逆らう気ですか?」

 提督は、この参謀が一体どんな仕事を兼務しているか思い出した。

「まさか」

 提督は口元を皮肉そうに歪め、肩をすくめた。

「給料をくれる限り、文句はつけんよ」

「……」

「通信、ヘリで向かった連中からの報告は?」

「いまだありません」

「……提督。やはり本国の言うとおり」

「それはありえんよ」

「しかし!」

「政治指導部が言う、あれだろう?日本の特殊部隊上陸?あり得るか」

「指導部の言うところは常に正論であり!」

 気色ばむ参謀に、提督は深くため息をついた。

「君―――ここは政治討論の場ではない。まして私は軍人として、政治に口は挟みたくないのだ。軍人として、目の前の職務。糖花島とうかじまにおいて発生した観測隊通信途絶の原因究明にのみ、専念させてくれないか?」



糖花島とうかじま観測隊兵舎付近

 ガスマスクをつけた兵士達が警戒しながら兵舎に近づく。

 濃い霧が立ちこめる中、濡れた足場に顔をしかめながらの前進。

 目の前に簡素な建物が見えてきたのは、本当に建物から数メートルとは離れていない距離に近づいてからだ。

 建築現場によくある古ぼけたユニットハウスというか、掘っ建て小屋という方が近い建物が3、4棟並んでいる。


 ―――毒ガスが立ちこめる島にこんな建物で生活出来るのか?

 部隊長はそう思って顔をしかめた。


 一番大きな建物の入り口には、ハングル語で「糖花島とうかじま観測隊」と書かれた看板が掲げられている。


「金、応答しろ、金」

 部隊長が斜め後ろの兵士に通信機越しに声をかけるが、何故か兵士はこちらに気づいていない。

 装備しているガスマスクのせいで、部隊内でも声が伝わりづらい。

 通信機はそのための必需品だ。

 だが、その通信機に応じようとしない。

 痺れを切らせた部隊長が兵士の胸ぐらをつかんだ。

「貴様、何故返事をしないっ!」

「えっ!?」

 胸ぐらをつかまれた兵士は驚いたように言った。

「た、隊長殿は自分を呼んだのですか!?」

「通信機を切っているのか!?」

「いえっ!」

 兵士は叫んだ。

「自分は通信機を切っていませんっ!」

「隊長っ!」

 大型通信装置を担いだ通信兵が部隊長に言った。

「通信機が使用不能。GPSも反応消失」

「何?」

「敵の強力な電波妨害下にある模様。警戒してください」

「……日本軍が上陸?」

「可能性は否定出来ませんが……他には」

 通信兵が小銃を持つ手に力を込めたのが、部隊長にもわかった。

 皆、実戦の経験はない。

「……各員」

 その中の一人である部隊長は命じた。

「日本軍上陸可能性が高まった。ただし、観測隊の反乱の可能性もまた捨てきれない。抵抗する者があれば速やかにこれを射殺しろ」


 ガンッ


「っ!!」

「!?」

 不意に、兵舎のドアが開き、誰かが出てきた。

 部隊の皆が、突然の出来事に数歩、後ずさった。

「お……おい?」

 意を決して部隊長が声をかけてみる。

 出てきたのは、本当に白い肌をした生気のない顔の男だった。

 まだ若い。多分、20代前半だろう背の高い男が、妙にふらついた足取りでこちらに近づいてくる。


 ―――毒ガスの影響か?


 部隊長が疑ったのはそれだ。

 こんな掘っ建て小屋で毒ガスが防げる訳がない。多分、逃げ遅れるか何かして、観測隊が毒ガスに襲われた。

 そう、思ったのだ。

「衛生兵っ!」

 部隊長は衛生兵の腕を掴むと、近づいてくる彼に近づくように命じた。

 衛生兵は、頷くと彼に向かって駆け寄っていく。

 その衛生兵を残し、部隊長は残りの部下に命じるべく、円陣を組ませ、その中で大声で怒鳴った。

「総員!観測隊はガスにやられたらしい!生存者を捜せ!」

「はいっ!」

 部隊長が、部下達に捜索範囲を命じようと、地図を開いた直後。


 ギャァァァァァァァッッ!!


 一度聞いたら一生忘れない。そうとしか言い様のない、凄まじい悲鳴が響き渡った。

「何だ!?」

 全員が悲鳴のした方角を見る。

 そして、絶句した。

 あってはならない立場で、あの男と衛生兵が、そこにいた。


 あってはならない立場?

 

 そう。

 あってはならない立場で、だ。


 本来なら、男が横たわり、衛生兵がその看護を行っているはず。


 それなのに、倒れているのは衛生兵だ。


「なっ!?」


 部隊長が、いや、その場に居合わせた全員が目を見開いたのも無理はない。


 その男の所行だ。


 その男は、倒れた衛生兵のボディアーマーを開き、何か赤黒いモノを引きずり出し、口に運んでいた。


 衛生兵の内臓だと理解出来たのは、かなりの時間が必要だった。


 血まみれの手で熱心に口に臓物を運ぶ男。


 その光景に、部隊長達は感覚が麻痺したように動けなくなった。


「な……ど……」


 ヴゲェッ!

 ゲェッ!

 何人かがガスマスクを開き、地面に吐いた。

 衛生兵の臓物が少しずつ男の口に運ばれるたびに、衛生兵の手足がわずかだがビクビクと動く。


「こ、このぉっ!」

 ズダダダダッ!

 部隊長の小銃が男を蜂の巣にする。

 男は、臓物を口に運ぶ姿勢のまま、小銃弾の嵐に頭を吹き飛ばされ、手足をもがれ、ようやく動きを止めた。

「こ……この……バケモノめがっ!」

 マガジンに装填した弾丸すべてを撃ち尽くした部隊長は、いまだ銃口から煙がのぼる小銃を手に、震える声で命じた。

「総員、一時ヘリへ戻る!ここは危険だ!」

「り、了解っ!」

 ヘリポートからここまで約300メートル。

 部隊長は部下に率先してヘリまで駆け出した。


 ヘリまでの数百メートル。


 濃い霧の中に、何がいるか知らずに―――




「あらあら。大したことのない」

 それを黙って見つめていた女が、楽しそうにほほえんだ。

「二千数百年の未来ですもの。人類ももう少し骨があるかと思えば」

「……そんなものだ」

「それでも……」

 女は不服そうに目の前の大型モニターに視線を戻した。

 モニターの向こうでは、彼女たちが見たことのないカーキ色の服を着た男達が、観測隊の服を着た男達の食事にされていた。

「たかが屍鬼グールですわよ?」

「飛び道具の技術は上がっていたろう?」

「ふふっ」

 広い室内は、モニターの他、様々な計器類に埋め尽くされていた。

 計器類に張り付くように軍服姿の兵士達が何事かの操作にかかりっきり。

 二人はその奥、数段高い場所に据えられた椅子に座っている。

 一人は髪の長い切れ長な目をした美女。背は高く、すらっとしたボディラインを体にぴったり張り付くような黒いドレスに潜めている。

 艶容という言葉そのものの女の声に何の感心も抱かぬのか、平然とした男がただモニターに視線をむける。

 黒いローブからのびる手足は骨張っていて、生気はまるで感じない。

 フードの闇に隠され、男の顔もわからない。

「所詮は……ロクでもない方へとばかり進歩したらしいな」

「それで?」

 女は訊ねた。

「どうするのです?」

「……間違った進歩なら、正すのみだ」

「そういうことですね」

「そのために、我々は眠りから目覚め、こうしてここにいる」



「では、そういうことで―――“天壇”、始動します」

「―――うむ」



 ズズズズズッ……


「なっ、何だ!?」

 突然、襲ってきた高波に翻弄される艦の中で羅針盤にしがみついて転倒を避けた提督達は、目の前で起きる事態に絶句した。

 霧に包まれながら浮かぶ糖花島とうかじまが震えていた。

 違う。

 糖花島とうかじまが、浮かび上がろうとしていた。


「ば……馬鹿な」

 そうとしか言い様がない。

「島が……浮いた?」


 まるで夢のようだ。

 海水を吐き出しながら、飛行船のように、巨大な島が空へと舞いあがろうとしていた。


「提督!」

 救いを求めるような部下の叫びに、提督はやっと、自らの果たすべき義務を思い出した。

「つ、通信!現状を本国へ通報しろ!糖花島とうかじまが浮上したと!」

「ば……馬鹿な」

「映像を党指導部へ送れ!」

 提督は参謀に怒鳴った。

「頭の固い連中が、これを見てどう思うか、はっきり聞いてみたいわ!」

「党に逆らうつもりですか!」

「現実だろうが!」

 バキッ!

 提督の拳が参謀の顔面を捉えた次の瞬間。



 提督と、その艦隊は―――消滅した。



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