バラバーク環礁にて 第一話
●バラバーク環礁
「現在、バラバーク環礁上空1500」
高木が言った。
紺碧の海に走る線―――環礁が見える。
美夜は一瞬、夫の実家の側にある天橋立を思い出した。
円周50kmのラグーンとその周囲約40の島から成立するバラバーク環礁。
ここ半世紀近く、ほぼ手つかずのままにされてきた美しい海が、美夜の前に広がっている。
魚一匹いない死の世界として。
「失礼」
「……」
美夜は、艦橋に入ってきた米国人科学者に何か言おうと思って止めた。
仕立ての良い背広に身を包み、白髪をオールバックにした小柄な老人。
トラックを出港した翌日、紅葉と共に乗り込んできた元・アメリカ魔法科学開発局の嘱託科学者。
というか、「大科学者」とでも呼ぶ方が正しいだろう。
この世界における魔法科学の第一人者。そして、魔法科学実検の結果として、この環礁を死の世界に変えた張本人。
世界最高の頭脳の持ち主。
一言で言えば、“天才”だ。
「バラバーク環礁に入ったと聞きましたので」
澱みのない帝国語は見事としか言い様がない。
「どうぞ」
美夜は手で外を示した。
「現在高度1500です」
「ほう」
老人は、外の景色をしばらく魅入った後、ポツリと言った。
「先の三週間戦争では、ホワイトハウスは使用を検討しましたよ」
その科学者―――エドワード・フェルミ博士の口元だけが笑っていた。
「無論、アフリカは大英帝国が」
何を使おうとしたかは聞かずともわかる。
「使わずにいてくれたことに感謝します」
美夜は、フェルミ博士の顔を見ずに答えた。
「この世界の上にいると、そう思います」
「―――科学者としては」
吸血鬼。
美夜はどうしてか、フェルミ博士を見るたびにそれを連想してしまう。
不健康そうな色白の肌のせいか。
冷たい義眼のような瞳のせいか。
美夜にはわからない。
ただ、生理的な嫌悪感に近い物を抱かずにはいられない。
それだけは確かだった。
「見てみたかった―――それが本音です」
「正気ですか?」
「無論」
フェルミ博士は頷いた。
「中佐は人道の観点からおっしゃっているのでしょう。しかし、私は人間性から離れたところにいる科学者です。兵器が有れば、その威力を試してみたいと思うのは悪いことですか?」
「学術的探求心、そう判断させていただきます」
「そうして下さい。幸い」
白衣の下、スーツのポケットからシガーケースを取り出す手を、フェルミ博士は止めた。
「失礼―――魔力反応爆弾は国際法で一切の開発、製造、配備が禁止されています。
ただ、あの時代、人類未曾有の危機。超法規的措置の一環として、あの爆弾を使用する決断を、大統領が―――いや、全ての国家元首の誰一人としてとれなかったことが、現状を産んだと思います」
「それほどの威力があると信じていらっしゃる」
「科学的データから、です」
フェルミ博士の言い分は、美夜にもわかる。
何しろ、それが使用された世界がどうなるか。
それを目の前の光景が証明している。
魔力反応弾―――別名をセルフギロチンという。
魔晶石が産み出す膨大なエネルギーを利用した爆弾だ。
爆発時の想像を絶する破壊力は、ウランやプルトニウムを利用した通常型反応弾《つまり、我々の言う原子爆弾》や水素反応弾を遙かに越える。
何より恐ろしいのは、爆発地点に与える魔法的後遺症。
爆発に巻き込まれた地点は、魔力異常により一切の生態系が死に絶え、草木一本生えることの出来ない死の世界へと変貌し、復活することがないとされる。
人類が把握出来ている限り、被爆した者の致死率は、爆心地から100キロの地点で100%。
数日以内に確実に体を構成する原子が崩壊して想像を絶する苦しみぬいた挙げ句、確実に死ぬ。
その後も、被爆地は魔法的な防御がないまま入り込んで1日といたら同様の死を避けることは出来ない死の世界となるのだ。
そんな兵器が実戦に使用されればどうなるか?
それは人類が味わったことだった。
1968年8月6日。
イスラエル軍のヨルダン首都アンマンへの魔力反応爆弾使用。
ほぼヨルダン川以東が魔力異常地帯化。
犠牲者は120万人。
その膨大な犠牲者は、“ユダヤ人国家の虐殺行為”として国際的非難を引き起こし、3日後の8月9日、アラブ連合軍のエルサレムへの報復攻撃としての魔力反応弾使用を黙認させるに十分だった。
イスラエルはそれに対し、さらに数発の魔力反応爆弾を使用して報復の連鎖につなげた。
結果として、ヨルダンもイスラエルも国家滅亡に追い込まれ、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教共通の聖地たる地エルサレムを含むヨルダン川一帯は、人が立ち入ることさえ困難な死の世界へと変貌を遂げた。
この故に、魔力反応爆弾は“禁忌の兵器”として、国際法上、使用どころか開発も配備も一切を認められていない。
国連加盟国が原則義務づけられる国際法の最後には、罰則が書かれている。
―――この条約を破った国は、国際社会、全国家、全民族、全人類に対し、宣戦を布告したものと見做す。
国際法がセルフギロチンと呼ばれる由縁であり、どれほど国際社会から忌み嫌われているかわかるだろう。
美夜達は、その魔力反応弾が世界で初めて使用された実検の跡地を飛んでいた。
「1958年11月1日午前11時丁度、このラグーン上空に投下された魔法反応爆弾“ベルダ”は、目標とされた島を蒸発させる程の効果を示した。“ラグナロク作戦”……ご存じのはずだ」
美夜は無言で頷いた後、
「衝撃波は地球を4周、太平洋沿岸各地に対し、10万人近い死傷者、行方不明者を出した大津波による被害をもたらした挙げ句、この環礁を生態系の住めない魔力異常地帯へと変えてのけた」
ちらりと見たフェルミ博士の顔には何も感情らしきものは浮かんでいない。
「これはすべて、米軍が予想さえしていなかった世界的大惨事ですよね?」
「……左様」
フェルミ博士は頷いた。
「劇薬に副産物はつきもの。ただし、その劇薬を開戦当初に使用していれば、犠牲はアフリカと南米の半分で済んだというのが私の持論です」
「……」
殴ってやろうか。
美夜は本気でそう思った。
「まぁ、もっとも。繰り返すようですが、私は科学者です。興味があるのはその破壊力のみ。兵器の使用に関する政治的事情云々は、人道と同様、とんと興味がありません。それより」
フェルミ博士は海ではなく、訓練を繰り返すメサイアを見ながら言った。
「……さすがにインペリアル・ガーズのメサイアはよく出来ている」
「―――恐縮です」
頷きつつ、美夜は高木に命じた。
「警戒怠るな?どうも何か気になる」
そして―――
美夜のカンは外れていなかった。
環礁の最も深い場所。
かつての爆心地のクレーターの中に潜む魔族軍巡航艦“シナベール”から発進した魔族軍水陸両用型メース“カプラーヌ”のコクピットでその情報を聞いたのは、シュナー少佐だった。
「人類側のフネだと?」
「はい」
彼等の母艦“シナベール”の管制官がモニターの向こうで頷いた。
「先程上空を通過したメースの母艦と思われます」
「ただ通過するだけか?」
「コースを変針しました。環礁上空を旋回する模様」
「変針?」
―――しまった。
シュナー少佐は、内心で共に出撃した部下の人選を後悔した。
シュナー少佐騎の後ろを移動するカプラーヌを操縦するのは、部隊で最も経験の浅いルサカ軍曹だ。
―――戻そうか?
シュナー少佐が躊躇したが、今更どうしようもない。
下手に戻せばそれだけで敵にこの場に潜んでいることを察知されかねない。
何しろ、相手は上空を旋回している。
妙な動きをするだけで、ここに潜んでいることが分かってしまう。
「ルサカ」
「はっ、はいっ!」
緊張しきった上擦った声が通信機に入る。
モニターがシナベールの管制官から、若い青年士官に切り替わる。
北方部族の出身だろう、浅黒い肌をしたあどけない顔が、突然上官に声をかけられておびえていた。
「な、何でしょうか!?」
「間違ってトリガーを引かなかったことは褒めてやる」
シュナー少佐は噛んで含めるような口調で言った。
「ルサカ。現在、我々がここに潜んでいる理由を言って見ろ」
「は、はいっ!」
ルサカは答えた。
「南米方面から弓状列島へと進む場合の中継基地として環礁を使用する下準備。そ、それと、弓状列島に送り込んだ特別部隊が任務を終了するまでの待機」
「まぁいいだろう」
シュナー少佐は頷いた。
レシーバーに入った、ルサカの安堵のため息は聞かなかったことにした。
「どちらにしろ、我々はここで目立つワケにはいかん。この環礁は魔力バランスを著しく欠いているため、人類が近づかない好条件の場所であり、そのために我々の待機場所にも指定された場所だ。いいか?訓練中に人類の艦と接触して沈めたあの失態を、ここで繰り返すことは許さん」
「は……はい」
「アミラント」
シュナー少佐はもう一騎を駆るアミラント中尉と通信をつないだ。
「ルサカを見張っていろ」
「了解―――ルサカ。いいか?火器の全安全装置をかけておけ」
「し、しかしっ!」
「少佐に殺されたいのか?」
「は……はい」
ルサカはコクピットのコンソール脇にある火器管制装置の安全装置をかけながら、内心で泣きたいほど悔しがった。
シュナー少佐が言う訓練中の失態―――あれはルサカに言わせれば、まさかあんな所に、水の中を進む人類側のフネがあるなんて予想も出来なかっただけだ。
フネと接触し、即座に撃沈したのはむしろ褒めて欲しい。
なのに、報告した途端、一晩腫れが引かなかったほど殴られた。
あんまりだ。
ルサカは内心で思った。
絶対、ここで良いところを見せて、少佐達を見返してやろうと。
「上空警戒態勢のまま、潜望カメラ深度50まで上がる」
カプラーヌの頭部から有線カメラが音もなく射出され、その一部が海面から出た。
コクピットスクリーンに上空の様子が映し出される。
「……あれか」
モニターにはっきりと映し出されているのは、まさに上空を飛び去ろうとしている飛行艦の姿だ。
その甲板上には、メース達の姿も確認出来る。
「……連中、こんな所で何を?」
シュナー少佐にはそれがわからない。
人類の同士で殺し合っていることは想像出来なかった。
スクリーン一杯に腹を見せた飛行艦が遠ざかっていく。
「……よし」
海中に潜むカプラーヌの中、シュナー少佐は安堵した。
このまま通り過ぎてくれればそれで良い。
この環礁から出ていってくれ。
それだけでいいんだ。
だが―――
「―――ちっ!」
シュナー少佐の目の前で、飛行艦が針路を変えた。
まだここに居座るつもりだ。
「少佐」
ルサカが言った。
「どうするんですか?」
「何もするな」
シュナー少佐は言った。
「こっちが何もしなければ、連中も危害を加えることはない」
「……し、しかし」
「耐えられなければ操縦を切って海底に沈んでいろ。後で引き上げてやる」
「訓練監視用のMSF《魔力飛行偵察ポッド》が被弾した?」
「はい」
オペレーターが頷いた。
「二宮騎が接触しました」
「……あのバカ」
美夜は思わず頭を抱えた。
「あのポッド1基いくらすると思って」
「飛行は可能です」
「データを転送してポッドは破棄しろ」
「転送が不可能です。それに、ポッドの回収は絶対命令です」
「……わかった。ポッドを下げろ。待機中の予備ポッドを出せ」
「はい」
ポッド。
その球形の飛行物体は、人類から見れば一目で偵察用ポッドであることがわかる。
だが、魔族はそうではなかった。
飛行艦から突然、出現した得体の知れない、球形の物体―――
「飛行砲台だっ!」
気の遠くなるような長い時間、海中に潜んで、攻撃を禁じられたいらだたしさと、いつ敵に攻撃されるかの恐怖感に板挟みにされていたルサカはとっさにそう叫ぶと、メースのコントロールユニットを握りしめた。
途端―――
バンッ!!
右腕のクローに仕込まれていたMLが火を噴いた。
「馬鹿野郎っ!」
自分が何をしたか?
その判断をルサカが理解するより先に、シュナー少佐の罵声がルサカの耳を打った。
「何をしている!」
「ルサカっ!安全装置はどうした!」
「えっ?」
ようやく、自分が何をしたのか理解が及んだルサカは慌てて火器安全装置を見た。
安全装置はレバー式になっており、すべて安全装置作動中を示す緑に―――
違う。
ルサカは青くなった。
一つだけ、レバーが中途半端な位置で止まっていた。
つまり、かかっていなかった。
「なっ!」
「アミラント!」
シュナー少佐は怒鳴った。
「ここであのフネを仕留める!シナベール、聞こえるか!?」
「こちらシナベール」
「人類側の通信を止めろ!ここで仕留めて情報を隠滅するっ!」
「了解」
「い、いまの何ですか!?」
美奈代は艦の左舷を抜けていったオレンジ色の光を見て、誰と言わずにそう訊ねてしまった。
「海中からの攻撃っ!」
牧野中尉が答えた途端、“鈴谷”の甲板が震え、“鈴谷”が急速に高度を上げた。
「どこっ!?」
美奈代は甲板ぎりぎりまで“征龍改”を移動させ、海面をのぞき込んだ。
MLが突き抜けた海域が、小さく白く泡立っているのがわかる程度だ。
美奈代はとっさに30ミリ機動速射野砲を海面にむけた。
「無駄です」
牧野中尉はそう言って美奈代を止めた。
「こんなもの、海中に撃っても効果は期待出来ません」
「じゃあ、“鈴谷”が?」
「メサイア母艦の“鈴谷”には元から対空用MLしかありません」
牧野中尉は冷たく言った。
「対艦装備もないのに、対潜装備があるわけないじゃないですか」
「……で、ですけど」
「すぐに武装変更命令が出ます」
牧野中尉が言った途端、
「二宮より各騎」
二宮から通信が入った。
「武装変更―――ビームランチャーを装備し、海面を狙え!」




