ねぇ私、この世に……
『機動戦士ガンダム THE ORIGIN』は全四話あるが、そのうちの二話目、「哀しみのアルテイシア」には「星屑の砂時計」という主題歌がある。このテーマ曲は恐らくセイラの心を歌ったものなのだが、これがとてもすばらしい。歌詞の中にこんな一説がある、
――ねぇ私、この世に、生まれて良かったの?
こんな衝撃的なフレーズは、なかなか無いと思う。
セイラは、シャアの実の妹であり、二人は幼少期に、政治闘争・軍事衝突の中で両親を失い、逃亡生活を送ることになる。兄のシャア(この名を名乗るのは後のことだが)も、本当はキャスバル・レム・ダイクンという名があるが、命の危険があるため偽名を使っている。セイラも、本名はアルテイシアである。
へー、そうなんだ、と文字面だけで理解した気になる人はそれで終わりなのだが、しかしよく考えてみてほしい。幼少より命を狙われ、両親を失い、偽名を使わなければならないという、そういう中にある子供は、どういう気持ちだったろう。そしてセイラは、自分を逃がすためにたくさんの人が死に、そして兄も、自分のために命を張っているのを知っている。心優しいセイラは、だからこう思うのだ――「ねぇ私、この世に、生まれて良かったの?」と。
「時代が英雄を作る」という言葉があるが、まさにその通りだと思う。シャアも、平和な世なら、身分なら、青い目のキャスバルでいられたのだ。そしてセイラも。「星屑の砂時計」の歌詞にある「千億の星屑」というのは、「宿命」のことだろう。いや応なく自分に降りかかる宿命の前に、セイラは竦んでしまっていたのだ。
しかしセイラは最後、「千億の星屑よ、私もきらめこう…」と言っている。これはつまり、自分も宿命の一部になることを受け入れた、と言う事だと思う(もっといえば、「アルテイシア」から「セイラ」になることを決意した)。いつまでも、宙を見上げているだけの少女ではいられないのだ。しかし、そういう道も実はあった。いつまでも宿命を見上げて、自分の命だけが安全だという平和も。しかしセイラは、その道は選ばなかった。千億の星屑の一部になって、そして自分も、その宿命・星屑の砂時計の砂の一部になる覚悟を決めたのだ。
この歌詞では、「少女」と「大人」が対比されているが、実は根っからの「大人」なんていないのだろう。大人になることを強いられて、子供が大人の仮面をかぶるに過ぎない。どんな大人も心の中心に子供を抱え、その子供の気持ちが、自分の在り方を定めている。シャアがキャスバルとして育っていれば、赤い彗星になることはなかった。セイラもしかりだ。
戦いの中で、子供の気持ちは不利になる。だから大人の仮面をかぶって、自分の中に子供など、いないようにふるまう。その時間が長いと、自分は根っからの大人だと、思い込んでしまうこともあるだろう。だから、それをセイラも気づいているのだろう。「きらめこう」の後に「…」がある。宿命によってそうせざるを得ないけれど、「だけど本当は」という気持ちもまた、セイラは持ち続けるのだ。この葛藤が「セイラ」を「セイラ」にする。
翻って昨今の作品は、こういった宿命を背負っていない。趣味でヒーロー? 趣味で魔法集め? 甘っちょろいこと言ってんじゃないと思う。英雄になりたいとか、ヒーローになりたいとかもそうだが、根本的に、甘ちゃんなのだ。笑わせんな。
英雄は、そうせざるを得ない宿命に、ある意味翻弄されながら、それでも意地を通しながら生きた人間だ。その宿命の中で運よく死なず、そしてまた運よく、その状況を変えられるような才にも恵まれた者が、後に「英雄」と呼ばれる。よく、「努力」と「才能」は対比されるが、全くこれも、ナンセンスだ。
才能があるから、とか、努力がどうたら、とか、そういう選択の自由や余裕が無い中から、英雄は生まれてくる。生きるために、母を守るため、家族や国、民族を守るため、妹を守るために、ただ「戦った」のだ。そこに努力だの才能だのと、そんな文言は当てはまらない。生きるため、生かすために、行動したのだ。勇気といえば勇気だが、しかし彼らはもっと切羽詰まっている。
だから私は、ただ能力があるだけで何者かになったような気でいる作品群を軽蔑している。後付けで色々設定を足したり、映像作品なら演出で誤魔化しているが、それらがメッキであることは見え見えだ。甘ちゃんが甘ちゃんのまま、世界に甘やかされるだけ。目的も信念も宿命も何も背負わないから、やれることも終わらせ方も、「力のみの勝利」しかない。実に下らない。
もっとも、メッキをメッキと気づけなくなった人が多いのも事実なのだろう。傑作だの、何とか史にのこるだのと、言葉だけが大きく飾り立てられて、それを信仰している信者の何と多いことか。
英雄は、普通は出てこない。単なる努力とか、そんな言葉の範疇にある砥石では、英雄というほどに人物は磨かれないのだ。シャアとセイラの場合、その砥石は、母親だった。大抵どの場合でも、「母」の存在は大きい。引き離され、幽閉された母。その母に対する愛、そして母を虐げた者への恨みが、二人を作り上げた。きっと選べるのだったら二人は、英雄になんかなる道ではなく、母のもとで暮らせる日常を選んだことだろう。
そういうことがわかるから、「私もきらめこう…」にグっとくるのだ。セイラはこの後もずっと、心の中では、「ねぇ私、この世に、生まれて良かったの?」という疑問を持って、一人になって宙を見るたびに、星に訊いていたのだろう。




