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間違いだらけの作品論  作者: ミン
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ようこそディストピアへ

『犯罪係数』という面白い考え方を提示して話題になった『サイコパス』。

作品の良い悪い、好き嫌いはともかくとして、あのような、機械に支配されたような管理社会は、ディストピアの一つの代表だ。B級映画のエースである『リベリオン』の社会もそうだった。たぶん、聖鬼魔Ⅱの楽曲『EL・DORADO』のPVに描かれている社会もそうだ。そして喜ぶべきことに、いよいよこの日本社会もそうなってきた。他ならぬ民主主義、多くの人々の正義と臆病と無関心によって。


コロナ禍は人災である、なんて言った人がいる。確か、あの津波や、大地震も、行政対応を見て、「あれは人災だった」と言っている人がいる。あれは、ああすべきだ、こうすべきだ。事件や事故だけではない。有名人の不倫、スポーツ選手のちょっと目立つ動向について、ああすべきだ、こうすべきだ、これはこうだと、立派な「人格者」「正義派」の大評論家の方々がこの社会の多数派になりつつある。なんて喜ばしいことだろう。彼らは本当にすばらしい。罪の意識もなく、「犯罪者」を罰することができる。自分たちの社会にいても、異分子と見れば、その人間を、一切のためらいもなく、彼らを死に追いやることができる。なんて完成された文明人、人類なのだろうか。


かつてローマでは、剣闘士競技という催しが行われていた。今イタリアに現存するコロシアム、世界史の授業でもしっかり取り上げられている。『ローマンホリディ』という慣用句の元にもなった。これの意味は「他人を犠牲にして得る娯楽・利益」。奴隷をライオンと闘わせたり、剣闘士同士で模擬戦争をさせたり、そういう娯楽だ。それを見て観客は、親指を下にして盛り上がったり、上にして盛り上がったりした。


翻って現代日本、小利口になった我々国民は、法に触れない方法で、しかも罪悪感を感じないまま、この「ローマンホリディ」を楽しむ方法を得た。今日も誰かが、うっかり足を滑らせる。坂道を転げて、池にはまる。そんな人々に石を投げつける楽しいお祭り。罪悪感もなく、やっていることの恐ろしさも知らないまま、口では「命を大事に」「いじめは良くない」とか言いながら、正義の名のもとに、今日も石を投げつける。


売れたいだけの「なろう作家」には良い時代かもしれない。この遊びの快楽を与えてやれば、皆食いついてくれるのだから。人道的なことや優しさや愛――そういった、この快楽と娯楽には相応しくない要素は、コメディタッチで誤魔化してしまえばいい。大衆に媚びれば、運が良ければ、いくらかの金銭も手に入る。ディストピアの住人から得た金銭。もうお金だって実体のなくなってきている世の中、それはただの数字で、重ささえない。


たぶん人間は、ウィルスや未知の生物や隕石によって滅亡するのではない。自ら機械になってゆき、そしてこの人間という種族は、滅んでいくのだろう。そして未来のサイボーグたちは、そのメモリーのデータベースの中にのみ発見するのだ。かつてこの世に存在した人間という、不完全で優しい種族の事を。


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