第十五話 勘違い
「悪いが今度こそ一人で行かせてもらうからな。誰もついてくるんじゃねぇぞ」
「ダーメ! 穂村君だけだとまた誰かとトラブったりする可能性があるんだから!」
まるで往年の夫婦のような喧嘩をする二人であるが、あくまで二人とも高校生であり、結婚などしていない。その様子をオウギはじっと見つめているが、妹のイノの方はというと子供向けのテレビ番組の方に夢中のようで、この一場面だけを切り抜けば本当にどこかの一家ではないかと思えるかもしれない。
「とにかく今日は俺一人で――って、どうしたオウギ」
「ん……」
穂村が足下を見やると、そこには銀髪を揺らしながらズボンを引っ張るオウギの姿がある。どうやら穂村と一緒に外に出たいとでも訴えているようだが、穂村の方はというとそれこそ断る案件である。
「悪ぃが今度にしてくれ。本当に今日はちょっと一人で出かけるだけだ」
「だから、穂村君はそのつもりでもこの街だと違うんでしょ!? 最近だけど私も分かってきたんだから!」
流石は元カノ(?)とでもいうべきか、力帝都市のルールにも適用しつつある同居人に穂村もタジタジになる。
「だっ、だから今回はバレないようにするから――」
「ダメ! どうしても今日外にでるっていうならオウギちゃんを連れて行って!」
そうして無理矢理オウギと手をつながされることになった穂村は、観念した様子で深くため息をつく。
「ハアァー……分かったよ。連れて行きゃ良いんだろ」
「そういうこと。これならオウギちゃんの為にも無茶はできないよね?」
「元々する気はねぇっての」
どれだけ心配性なんだと思いながらも、幼い少女一人くらい御しきれるだろうと高をくくる穂村。しかしそんな心の声を読んでいるかのごとく、ジト目になるオウギ。雰囲気だけでも既に怪しい空気が漂う中、抗議が通った子乃坂は得意になって玄関先まで二人を推して歩いて行く。
「そうと決まれば行ってらっしゃい! 気をつけてね! 今日は私もイノちゃんを連れて小晴さんと買い物に出かけてくるから!」
「お前いつの間に守矢に取り入ったんだよ……」
大方学級委員として培ってきたコミュニケーション力を存分に発揮したのだろう。穂村は子乃坂が昔の子乃坂に戻りつつあることに安堵感を覚えながらも、それを決して表に出すことはない。
「それじゃ、行ってらっしゃい!」
ドアの外に閉め出される様な形となった穂村とオウギは、子乃坂の素早い場の仕切りに呆然としていた。
「……おい」
「…………」
穂村が声をかけてみるが、オウギはその場から動こうとしない。
「……チッ!」
わざと目の前に見えるように手を差し出したところで、オウギはようやく穂村の手を取り、一緒に歩き始める。
「知ってんだよ。お前の目的は外に出たいワケじゃねぇ」
「…………」
オウギの目的はシンプルだった。ただ一つ、前の穂村正太郎に会いたい。それだけだった。あの時最初に自分を抱きしめてくれた、優しい穂村正太郎に会いたい。只それだけだった。
「……お前の知ってる穂村正太郎はもう表には出てこない」
「…………」
オウギは返事を返さない。代わりに抗議をするかのように、否定するかのように、あるいはまだ信じているかのように穂村の手を強く握り返すだけ。
「……どこに行きてぇ?」
「……?」
突然の質問に、オウギは不思議そうに穂村の顔を見上げる。そこには相変わらず不機嫌な少年の面構えがあるが、今の穂村なりにしようとしている気遣いというものが見えてくる。
「お前が着いてこなかったら適当にプラプラするつもりだったんだ、着いてくるんならそれなりに行きたいところぐらい言えよ」
「……ん」
オウギは思った。考えてみれば自分の知っている穂村正太郎と会いたいだけで、その手段までは全く考えていなかったことを。そして当然ながら、この先どこに行きたいのかも考えてはいない。
「……?」
「ンだよ、何も考えきれねぇってか?」
――“そもそもテメェも考えきれてなかったから聞いたんだろうが”
「ハッ! 知ったことか」
「……っ!」
さりげない会話であったが、オウギは僅かに感じた以前の穂村正太郎の気配を見逃さなかった。
今も彼の中に、もう一人の穂村正太郎がいる。驚き目を丸くするオウギだったが、穂村はそれに気がつくことなく再び歩き始めようとしている。
「ったく、どこに行けばいいのか――」
「子どもを連れてどこに行くつもりだ、穂村正太郎」
「アァ!? ……なんだ、お前か」
何故道端に立ち並ぶ街灯の上なのかはさておき、穂村が顔を上げるとそこには守矢四姉妹の次女、和美が私服姿で立っている。
「何の用だ?」
「フン、小晴姉さんが貴様の同居人と買い物に行くというのでな、私も別途買い出しにでているだけだ」
「そうか。じゃ」
どう考えてもわざわざ穂村の前に現れる必要など無いはずなのにわざわざ現れた和美に対し、明らかに無関心な表情のまま穂村は手をひらひらと振ってはその場を立ち去ろうとしている。
「なっ!? 待て! 少しも話をする気も無いのか!?」
「話って……お前は買い出しに行くんだろ? 俺とは違って明確に目的あんならそっちに行けよ」
「~~っ! 待て!!」
顔を真っ赤にしてムキになっているのか、和美はわざわざ穂村の目の前に降りたって銃剣を引き抜き、切っ先を穂村の喉元へと向ける。
「っ、なんだよ? もしかして喧嘩売ってんのか?」
「ち、違う! むしろ喧嘩を売っているのは貴様の方だ!!」
「ハァ? いやどう考えても俺はスルーしようとしていただけ――」
「いや何も分かっていない!! 罰として私の買い出しに付き合え!」
「ハ、ハァアアアア?」
――“いや、流石にオレ様でもある程度は感づくぞ。まあ気がつかないフリをするだろうが……”
「何ぼやいてんだ?」
――“何でもねぇよ”
◆◆◆
「――で、結局何も買ってねぇじゃねぇか」
「う、うるさいっ! 私はこだわる方なんだ!」
傍目に見ればどう考えても穂村と一緒にいるための口実でしかないが、当の本人がそれに気がつくことはない。流石のオウギも和美の好意には気がついているのか、何も考えていない穂村に対してため息をついている。
結局のところ何も買わないまま、第三区画にある休憩のできる広場のベンチにて、三人は一息ついていた。
「……穂村」
「アァ?」
「結局のところ、今の貴様は一体何者なんだ?」
突然単刀直入に投げかけられた質問。それは言葉を発さないオウギにとっても重なる質問でもあった。
「姉さんと戦った時の貴様と、今の貴様。本物はどっちだ」
本物――そう訊かれた穂村は答えをすぐには返せなかった。両手を頭の後ろで組み、ベンチに寄りかかって空を見上げるばかりで、和美の問いはそこで止まっている。
そしてしばらくしたした後に、穂村は大きく舌打ちをしてこう言った。
「……チッ。多分俺から喋っても納得いかねぇだろうから、『アイツ』に聞け」
少年が静かに目を閉じるとともに、髪が灰をかぶったような色合いに変わり、そして再び目を開ければ内に秘めた炎を表すような紅の瞳がそこに宿っている。
「……オレ様が、以前まで穂村正太郎を演じていた方だ」
自分を指す言葉に高慢さがあれど、雰囲気は昔の穂村そのもの。刺々しい言葉もなく、物腰も柔らかく感じる。
「そして『大罪』と呼ばれる内の一つだ」
「……!」
自分の知っている穂村が表に出てきた。一瞬でそのことを理解したオウギはすぐさま穂村の前に立ち、その顔をまじまじと見つめている。
「貴様が以前までの穂村正太郎だというのは分かる。ただ……分からないんだ。姉さんも持っていると言われている『衝動』とは何なんだ?」
和美はここぞとばかりに疑問をぶつける。言葉としての情報はあれど、その本質はいまだに掴めていない。
しかし和美の視線の先にいる灰色の少年は何を当たり前のことを、とでもいわんばかりに苦笑を浮かべて答えを返す。
「……普段からいじめられているような気弱なガキに、拳銃と数発分の弾丸を与えてみたらどうなると思う?」
「それと私の質問にどんな関係が――」
「いいから答えろ」
「…………」
さて、どうなるのか。いくら何でも殺しはいけないと躊躇するのか、あるいは――
「――復讐のために拳銃を使うか」
「そうだ。そこで普通なら終わる。終わるはずだ」
だがどうだろうか。その気になれば相手を簡単に殺せる道具を、力を手にしてしまった少年は次に何をするか。
「……気に入らねぇ奴を片っ端から殺しに回るよな? 力の無い時の自分なら我慢できたレベルの下らねぇ煽りですら、それに乗っかかって殺しにかかるよな? 『衝動』っつうのはソイツが隠し持ってる『本能』や『別人格』に近いヤツだ」
「……っ!」
つまり守谷小晴もまた、本来の温厚な性格の裏に破壊衝動を持っていることの証明になる。
「では何故私には『衝動』がない?」
「そこまでは知らねぇよ。あれだろ、能力に応じた自制心ってヤツがあるかどうか、あるいは元から力を持っているから慣れているかだろうよっ、と」
寄りかかっていた身体を起こすと、穂村は目の前のオウギの頭を自然と撫でている。これこそが今の穂村には中々できないことであり、これまでの穂村が自然のこなしてきた所作でもあった。
「しっかし熱いよな。後でアイスでも買うか?」
「……! ん!」
「一応オレ様の裏でアイツも聞いてるだろうし、そっちが買ってくれるだろうよ」
大きく頷くオウギの反応は、現在主として表に出てきている穂村には引き出せないもの。やはり表に出るべきはそれまでの虚構だったのであろうか。
「…………」
和美は黙ったままだった。確かに今目の前で少女の頭を撫でている少年が、自分の知っている穂村正太郎である。しかし今改めて相対すれば理解できるその違和感。やはりどこか作られた虚像、まるで決して何事にもくじけない、誰にでも好かれるような主人公を演じているようにも感じることができる。
「……やはり、嘘はどこまでいっても嘘か」
「なんだよ? 何を勝手に納得してんだ?」
「いや、何でも無い」
守矢和美はこの時、ようやく気持ちの整理がついた。
確かに以前の穂村正太郎の方が性格は良かった。もっと言えば、好意を持っていたかもしれない。
しかしやはりそれは作られている。
困った人間に手を差し伸べ、自分の周り全ての人間を守るために戦う少年など、穂村正太郎らしくない。
普通の人間以上に暴力的でありながら、一人の少女を不器用にも守ろうとする人間臭さを持つ少年の方が、穂村正太郎らしい。
彼女の中でそう結論が着いた時には、既に目の前の少年は別のものへと映って見えていた。
「……『衝動』については理解できた。しかし昔は『大罪』と呼ばれていたのだろう? これはほぼ同じ意味なのか?」
「――ッ!」
それまで大人しくオウギの頭を撫でていた少年の手が、突然として止まる。和美は何か悪いことでも口に出してしまったのかと戸惑ったが、事態はそれ以上に悪い方向に動いてしまっていることに、気がついていないようだ。
「……オレ様が何故『大罪』の説明をしなかったのか、その意味を理解できてねぇようだな」
――その瞬間だけは穂村正太郎の暴力性に匹敵、あるいは超える程の殺意に満ちていた。
「……!」
オウギもこれに気がついたのか、それまで大人しく撫でられていた頭を外し、和美の側に駆け寄っている。
「何度も言うが、オレ様は穂村正太郎でありながら穂村正太郎じゃねぇ。それだけ理解できてりゃ、今後も殺されることはねぇからよ……クヒッ、ヒャハッ、ヒャハハハハハハッ!!」
この時穂村が発した笑い声。それだけは穂村正太郎らしくもない、不気味で忌避的な笑い声だった。




