第三話 ゴミからの脱却
「――それで? 誰が今回私に挑んだのでしたっけ?」
「ぐっ…………」
「“騎西善人よ。今回は覚えておいてあげて”」
「どうして? あれだけ大口を叩いてこの様よ?」
戦闘結果――勝者、アクア=ローゼズ。戦闘時間、十三分二十二秒――
「まだ、終わっちゃいねぇよ……!」
機械と化した右腕は高水圧ポンプのような勢いを保った水でちぎられ、対捕村戦でだしていた機械の翼は水圧カッターでもぎ取られている。騎西善人の重傷は、誰の目から見ても明らかだった。
相手は最強格のSランク。その中でも水分を操ることを得意とする少女が今回の相手となっている。実態を保ったものであればまだ攻撃が届く可能性はあった。しかし今までのような機械類とは違う、固体では無く液体が今回の敵である。それも穂村のように中途半端に身体を炎に変えるどころか全身を水に変えることができ、なおかつ空気中の水分も触れたところから連鎖して操作が可能となれば、不可視の攻撃もできるだろう。戦いは一方的で、戦いと言うよりも蹂躙という言葉がその場に合っていた。
しかし唯一少年の眼は――機械化されて赤く輝くその眼には、一切の諦めの感情が宿っていない。一切心は、折れてはいない。完膚なき敗北など認めないと、ギラついた紅の眼差しでアクアを睨みつけている。
「降参とか、ひと言も言ってねぇだろうが!!」
諦めの悪さだけは一級品。どんな人間であろうとも、彼は必ず借りを返しにやってくる。それがDランクの男、騎西善人である。
そしてその諦めの悪さからはまるで縁の無い少女が、この少年を通して一つのことを学ぶことになる。
――時代に逆らう跳ねっ返り者の、執念というものを。
「一体何を言っているのかしら? その姿で、私に勝てるとでも――」
「ククク、ハハハハハハッ!!」
騎西善人は初めから完璧な勝利など望んでいない。ただどんな手を使ってでも、どんな力を使ってでも貪欲に勝てばいいだけである。
「勝てるかじゃねぇんだよ、俺は、負けねぇんだよ!!」
それまで取り込んできた機械類を再構築、もぎ取られた右腕を再精製。そこに新たな機能を加えることで、対『液』となる攻撃法を編み出そうとしている。
「……貴方、馬鹿なの!?」
「逆にこの面で俺が賢く見えるかァ!?」
彼が今回右腕にぶら下げるように精製したのは、地下室から地上までもろとも吹き飛ばせる程の威力を秘めた巨大な爆弾だった。
「なっ!? 本当にバカじゃないの!? そんなもの炸裂させたら貴方も無事じゃ住まないわよ!」
「そりゃそうだろ。俺がこのまま生身を、晒していたらなァ!!」
相手に爆発物を投げつけると同時に、自分の周りに即座に簡易的な核シェルターのような防爆カプセルを精製、そのまま自身を中へと閉じ込めて避難を開始する。
「くっ、あの騎西の言うとおりとするならば、文字通りこの部屋の水分なんて一瞬で蒸発しちゃうかもしれない……もう! こうするしかないじゃない!」
そうしてアクアが全身を水へと換え、この場所における唯一の避難場所へと文字通り身体を滑り込ませるとほぼ同時に――地下から地上へと突き抜ける程の火柱が、第十二区画に打ち立てられた――
「――それにしても、一体何をしていたのですか?」
第十二区画地上では、力帝都市の戦闘管理委員会の管轄外で行われたであろう戦闘行為の跡処理に追われる数藤の姿があった。頭痛に悩まされるかのように頭を抱えて大きくため息をつき、駆けつけてきた近郊警備隊へのもみ消しをどうしようかと思慮を巡らせている。
「本当に、馬鹿げているわ」
数藤が目の当たりにしているのは騎西という男を象徴しているかのような、最後の悪あがきでできた跡地だった。
「自爆上等で地下ごと爆破するなんて……ほんと、バカね」
ここで数藤が探していたのは騎西でもなければアクアでもなかった。一見何もかもが消し飛んでしまっていると思われかねない場所から数藤が欲したのは、二人がこの地下で戦っていたというデータだけである。
「念のために監視カメラを防爆仕様にしていたのは正解だと思いたいわね」
戦車砲の直撃でも壊れ無いと言われる製品を使用したつもりだったが、いざこうして惨状を前にするとそれすらも不安に思えてくる。
「少なくともアクアは大丈夫だと思いたいのだけど……騎西君の方は期待できないわね」
水分を飛ばす為に、強烈な爆風と熱で吹き飛ばすことを考えたことはひとまず攻略法として褒めるべき点であろう。しかしながら密室という戦いの場で更に自分の耐久値を考えず、その場で自爆技を放った点についてはやはり考えが浅はかだと言わざるを得ない。
「……あれは何かしら?」
機械を使って地面を掘削する中で、突如として地中から巨大なタイムカプセルのような巨大な金属の球体が姿を現す。
「一体何でしょうか?」
「……ちょっと貴方たち、下がってもらえるかしら」
数藤はそう言ってそれまで手伝ってくれていた近郊警備隊を全てその場から撤収させ始めようとした。しかし当然ながら隊員の面々は突然の作業中止に納得がいっておらず、依頼した数藤に理由を問いかける。
「お待ちください数藤博士! これは一体――」
「悪いけど、これは情報クリアランスが高いものだから、貴方たちに見せることはできないわ」
「しかし――」
「これは、『市長』の管轄でもあるのだけど」
「ッ! し、失礼しましたっ!」
質問することはできる。しかし回答を得られるかどうかはその本人のランクとクリアランス、そして力帝都市市長が一枚噛んでいるか噛んでいないかで大きく変わってくる。この場合退かなくてはならないのは、他の誰でもなく知る権利の無い者側となる。
「……さて、誰も居なくなったから出てきて頂戴」
それはまるで、クレーターに埋まっていた金属の球体の中に誰かがいることを知っているような口ぶりであった。もっと言えば、球体の中にいる人物のことを知っているかのような、驚き半分と呆れ半分が入り交じったような声色でもって、数藤は中にいる人物二出てくるように呼びかける。
「いるんでしょ? “二人”とも」
ギクッ、という擬音でも聞こえてくるかのような、一瞬の球体の揺らぎ。そしてしばらくした後に、プシューという空気が漏れるような音とともに球体が開かれ始める。
「……貴方たち、何をしているのかしら」
「う、うるせぇ!! ギリギリになってこの女が入り込んで来やがったのが悪いんだよ!!」
「貴方こそ、レディの身体に密着して鼻の下を伸ばしていた癖に!」
球体の中には恥ずかしさに顔を赤らめる騎西善人と、身体を半分液状化させて少しでも体積を効率よくしようとした結果、結局密着する羽目となったアクア=ローゼズの二人とがぎゅうぎゅう詰めとなっていた。
「さっさと離れろよ!」
「言われずとも離れるわよ……全く、とんでもないこと考えつくわ」
「とんでもないのはお互い様と思うのは私だけかしら……」
勝利、というわけでも無いが敗北でもない。Sランクを相手にこのような判定を出した少年は、防爆仕様のシェルターを体内へとしまい込むと、既に終わった雰囲気を醸し出しているアクアを相手にまだ戦おうという姿勢を見せている。
「さて、決着つけようじゃねぇか!」
「ハァ? 貴方本当に馬鹿ね」
あまりに貪欲に勝利を求める騎西とは対照的に、アクアの方はこの状況においてとうに戦う意思など失せており、騎西に呆れた視線を送っている。
「こんな状況で戦えるわけないでしょ? 勝敗なんてつける必要ないじゃない」
常勝たるSランクにとって、勝利の価値など薄れている。たった一つの勝利を天秤で量る時に、勝利というものが軽々しくなってしまっている。
対するDランクの少年にとって――勝利というものは、何ものにも差し置いて手に入れるべき値千金の輝きを放っている。
「……何を、ほざいていやがる……! 俺とてめぇの勝負だろうがッ! 勝負だろうがァッ!!」
怒りのあまりその場に数藤がいることを忘れ、騎西はアクアへと襲いかかったが――
「――無駄よ。夏場は湿気が多いもの」
「がぼぉっ!?」
突然騎西の全身が巨大な水玉に包まれて、行動不能と陥ってしまった。
――あまりにも一方的で、あまりにも一瞬過ぎる出来事だった。
「数藤、この人に酸素呼吸に関する機械は吸収させていないわよね?」
「そうだけど……そのままだと死んじゃうわよ?」
「分かっているわ。そろそろ解放するから」
「ゲホォッ! ガハッ! て、てめぇ……」
「分かったかしら? このまま続けるのなら、貴方一瞬で死ぬわよ?」
それは遠回しの勝利宣言に近かった。先ほどまでの戦いは、あくまで室内の限られた湿気しか使うことができないという、大きなハンデを背負わせていた戦い。状況は変わって今現在騎西の目の前に立っているのは、それら全ての枷を外した真のSランクの実力者。
「……クソッ!!」
「少しは頭が冷えたかしら?」
ようやく勝てる、そう思っていた。しかもよりによってSランク、大金星を得られるはずだった。
しかし現実に突きつけられているのは、埋めることが出来ない程の実力の差だった。
「……ねえ、数藤」
「何かしら?」
地面に左の拳を叩きつけて悔しさに震わせる騎西をよそに、アクアは数藤の方へと話しかける。
そこで出てきたのは、意外とも言える言葉だった。
「一時的とはいえ、この騎西とかいう男、私を追い詰めることができていたわ」
「自爆前提という荒技だけどね」
「少なくともSランクを一時的に追い込んだ戦闘センスは評価できるんじゃない?」
「あら、貴方が他人を正当に評価するなんて珍しいわ」
それまで誰も、彼を認めてはくれなかった――騎西はこの日初めて、真っ当な賞賛を受けることになる。
「……っ!」
「それじゃあ例の件について手伝いは認めてくれるのね」
「まだまだ、裏家業じゃ通用しないわよこんな甘い考え」
二人の会話の内容の詳細は理解できない。それは今までDランクでしかなかった少年の前で話すべき情報クリアランスではなかったからだ。
しかし今、騎西善人は初めてDランクよりも上のステージへと立とうとしている。
「でもこの時期に新規ランク申請しても即日発行は難しいんじゃないかしら?」
「あら、それなら大丈夫よ」
数藤はそう言って騎西の前でしゃがむと、この力帝都市で唯一ランクカードを発行できる団体、戦闘管理委員会から預かっていた真っ白なカードを騎西へと引き渡す。
「……なんだ、これ?」
「あら? 白いカードなんてあったかしら?」
「安心して。それは申請途中で仮発行のカードだから」
「……ってことは、俺の持っているこのカードは――」
騎西はそれまで財布に大事にしまっていた黄色いカードを取り出すと、まじまじとたった今受け取ったカードと見比べている。
「勿論後で回収されるわ。少なくともDランクは卒業できるってこと」
「俺が……俺が……! っしゃぁああああ!!」
――騎西善人はこの日になって初めて、ダストから脱却することに成功した。




