第十四話 The Killing Name
「有為転変。事態は私の手を離れてしまった」
『全知』は全てを知っている――筈だった。彼の中に『高慢』さが住み着いていることも、憎悪渦巻く『憤怒』が息を潜めていることも。
しかし状況はここまで悪化するのを、彼女は知らない。現在の出来事全てを知っていたとしても、数ある未来のうちでこのような結末があることを知っていたとしても、多くの未来の中からそれが選択されることを知らない。
全知でありながらも、不知を知らない身。知らないことを結果としてまざまざとして見せつけられて、初めて不知を知る。
「……いつになってもなれない。この感覚」
不知の知。眼前に広がる黒の戦場を目の当たりにした『全知』は、久方ぶりに感情を――この時は“恐怖”というものを抱いた。
「暗雲低迷。このままでは穂村正太郎によって強制終了されてしまう」
そしてこの場において世界の終わりを一番感じ取っていたのは『全知』だった。このまま彼に何の希望も与えることなくひたすらに絶望をくべ続けたとすれば、かつて神話上で世界を火の海に沈めたという伝説が目の前で再現されることになる。
――『大罪』を二つ背負うことの本当の意味を、『全知』は知らなかった。
「先手必勝。表面化した『憤怒』を引き剥がすことこそが、唯一の手立て。そしてそのための鍵――」
『全能』とは違う、空間をねじ曲げて別の空間と連結するワームホールを生成する形で『全知』はこことは違う別の場所へと移動を開始する。
「安穏無事。間に合って欲しい――」
――子乃坂ちとせの、身柄を確保する。
「地獄を……見せてやるよ……ッ!」
それは穂村正太郎としての言葉であろうか。はたまた怒り狂う本能の声なのか。いずれにしても『焔』の奥から聞こえる二重エフェクトがかかったかのようなドスの利いた声を耳にしたところで、今更市長の心にさらなる畏怖が塗り込まれることなどなかった。
「来るなら来い、『化け物』め」
市長の挑発に焔と化した化け物はピクッと一瞬だけ怯むように動きを止めたが、今度は以前にも増して憎悪が膨れ上がるがごとく燃えさかり始める。
ジッポライターのようにチキッ、チキッと不規則な火花とともに炎が膨れ上がり、今度こそ目障りな相手を消し飛ばすために一つの『焔』が地面に亀裂を走らせ、爆炎を吹き上がらせる。
「グォオオオオオオアアアアアアアアアアアアアアッッッ!!」
一歩――大地を踏み割り、先ほどよりも鋭く早く焔が全能の懐へと入り込み、先ほどと同じ打ち抜くような右ストレートを繰り出した。しかし今度は攻撃すら受けないと、『全能』は半身をそらして今度はお返しにと焔の顔面に手のひらを突き出し、そこに破壊の力のこもったエネルギー弾を生成してそのまま射出する。
「そんなものが効くかよォッ!!」
「っ……だろうな」
眼前で閃光が炸裂するも、今更この程度の攻撃が通用しないと焔は両手に拳を作り上げたラッシュを繰り出す。
一撃一撃が音速を超えた証拠として衝撃波を伴い、全能が避ければその背後の建物が爆発とともに燃え上がる。そのような状況を打破するように今度は全能の方が焔の目の前から瞬間的に姿を消し、距離をとって背後に姿を現す。
「次は地表もろとも消し飛ぶがよいわッ!!」
全能がなぎ払うかのように右腕を大きく振るえば、地表に沿って全てを薙ぎ倒す暴風が焔に向かって一直線に吹きすさぶ。
ビルすらも軽々と薙ぎ倒し、風に乗って瓦礫が一斉に襲いかかる。そして遂に、焔の姿を風が覆い隠していく。
「まだだッ! そのまますりつぶしてくれるッ!」
風は渦巻き竜と成す。巨大な竜巻と化した暴風は、地下に避難していた人がいようがいまいがお構いなしに、そのまま地面を削っていく。
「フハハハハハハッ!! そのまま朽ち果てるがいい!!」
宣言通り、既に焔がいた場所には巨大な螺旋が描かれようとしていた。しかしながらこれだけの攻撃が通用しているのか、果たして全能には僅かな疑問が残っていた。
「……おかしい。火災旋風程度の炎ならば巻き起こっても――ッ!?」
――それは鮮やかな蒼い炎の渦だった。ブルーワールとも呼ばれるそれは、一瞬にして巨大に燃え上がり、全能が作り出していた竜巻を我が物として生み出される。
「馬鹿なッ!? 蒼い炎など――」
青龍と化した炎は一瞬にして全能を飲み込み、そのまま天へと打ち上がる。
「くっ、この程度で我を倒せるとでも思うなァ!!」
空で轟音を上げて炎は打ち消され、そこに残っているのはまっすぐに拳を突き出す少年を象った焔の姿と、両手で必死にそれを受け止める全能の姿だった。
「クヒャハッ! そぉらよォ!!」
受け止められたのもつかの間、逆に両手首を両手で掴まれた全能は、そのまま渦巻く焔に巻き込まれて地面に叩きつけられる。
「これで終わんねぇよッ!!」
黒炎を纏った右腕をまっすぐに突き出すと、暴走する憤怒に駆られた少年はそれまでばらまいてきた黒炎を全て地面から引き剥がすように空へと収束させ始める。
そして――
「――双子の破壊神ッ!!」
空に浮かぶ巨大な暗黒の太陽と、それを付き従える一人の焔とが、力帝都市の空に顕現することとなった。
◆ ◆ ◆
「ここは……どこだ……まさか――」
「死後の世界なんて、間抜けたことをほざいてんじゃねぇだろうな」
後に目覚めたのは灰色の少年。そして先に目覚めたのは――黒い髪の少年、それまで穂村正太郎と名乗っていた少年だった。
「本当は薄々気がついているんだろ?」
真っ白な空間。壁もなく、ただ永遠と無が続いているだけ。
そしてそこに、白髪となった穂村正太郎は立っていた。
「あのときもそうだったよなぁ。イノとオウギの力の暴走に巻き込まれて気を失った“オレ様”と“テメェ”は……ここに飛ばされ、そして戦った」
「……何が言いてぇ」
いつもならばもっとぶっきらぼうな言葉を吐くアッシュではなく、そしていつもの区長ではない黒髪の穂村。それぞれ相対して、まるで腹の探り合いでもしているかのように互いに視線を合わせる。
「あのときも当然にオレ様が勝ったわけだが……そろそろオレ様もテメェを“演じる”のに飽きた。テメェもオレ様も、元に戻る時が来たんじゃねぇのかって言いてぇんだよ」
「何をほざいていやがる! アタマでもイッちまいやがったのかテメェ!? オレ様がアッシュ=ジ=エンバーで、テメェが――」
「逆だろうがカス。テメェが本来の穂村正太郎で、オレ様こそがアッシュ=ジ=エンバーだ」
「――ッ!」
衝撃の事実が、黒髪の穂村から発せられる。それは力帝都市で過ごしてきた二年間を否定し、これまで二人の幼い少女を救ってきたことを否定する一言。
黒髪の穂村は額に手を当てて前髪をくしゃりと握りしめると、そこから除き見える鋭い“赫”の瞳で灰色の穂村を睨つけてこう言った。
「……そろそろ返してもらおうか」
――『高慢』としてのオレ様の名を。




