序章 第0話 終わりの始まり
「まさに、役得といったところだねぇ……クヒヒッ」
――力帝都市、第十五区画。そこは力帝都市内で唯一能力を使うことは禁じられており、それと共に力帝都市の条例ではなく外の法律が適用される唯一の場所であった。その理由は、この第十五区画だけが唯一、外界と連絡できる区画だからである。
「あぁー、たまんねぇー、その表情スッゲーそそるわー」
「均衡警備を呼びますよ!?」
「何言ってんの? 俺はその均衡警備隊とやらと捜査協力している刑事さんなワケ。だから俺様が捕まるはずないじゃん」
力帝都市――それは海上に浮かぶ巨大な人工島。公には日本国の東京の管轄下にあるとされているが、その実情は完全に独立した国家といっても過言ではない。故に外から出入りをするにしても幾つもの申請を通らなくてはいけない。
しかし一旦通ってしまえばこの力帝都市においては普通の市民よりも厳重な保護下に置かれ、身元も保証される。
――たとえその対象が、間違ったことを犯してしまったとしても。
「やめてください! 離して!!」
「だぁーれが止めるかよ……折角力帝都市に来たってぇのに原産品を堪能せずに帰るなんてどんな馬鹿な観光客だって話だ。……まっ、俺は捜査で来たんだけどな」
そして先ほどから一人の女子高生を捕まえては路地裏へと引きづり込もうとしているこの男、細身に似合うスーツを身に着け、そしてまるで獲物を見つけた爬虫類のようなぎらついた瞳で少女をじっととらえ、長い右手は少女の腕を掴んで離さない。
「むぐっ!?」
「ちょっと五月蠅くなってきたから、寝ててもらおうかなー」
そして男は左手でポケットからハンカチを取り出すと少女の口元を押さえ、そのまま獲物を飲み込むかのように少女を路地裏の暗闇へと引きづり込んでいく――
「――それじゃ、いただきまーす」
◆◆◆
――やめて、お願い――
――それ以上は――
――穂村君が、穂村君じゃなくなってしまう――
「――ハッ!?」
埃が積もったソファの上で、カラカラと隙間風でまわるシーリングファンが目覚める少年を見下ろしている。そして少年もまた、目覚めた先に映るその壊れかけのインテリアこそが現実世界を示唆していることを理解していた。
「……チッ、寝覚めの悪い夢だ」
少年は寝癖の付いた灰色の髪に爪を立てて掻き、そして普通の人間とは違う紅色の瞳を動かして改めて周囲を見回した。
「……ッ、ハァ……」
少年はその場で軽く背伸びをすると、ソファから立ち上がって近くにあるドアへと手をかける。未だ眠気が残る眼を擦りながら、少年は開けたドアから漏れ出すトーストの香りに引き寄せられるようにドアの向こうへと足を踏み入れる。
「あっ、正太郎さん今起きたんですね」
「んだよまだ朝飯もできてねぇのかよ」
「何を言っている。今はお昼だこのたわけが」
ドアの向こうには四人の少女――第十四区画を取り纏める四姉妹の姿がそこにはあった。
普段のツインテールを解く代わりに頭にはバンダナを巻き、一歩間違えれば若妻とでも言われかねないようなエプロンを着て昼食作りにいそしむは四姉妹の長女、守矢小晴。そのとなりで少年を睨みつけながら姉の手伝いを行うポニーテールの次女、守矢和美。その言動と眉間のしわの深さから少年のことを快く思っていないことは火を見るよりも明らかであろう。そして――
「ほら! 穂村も座らないとご飯が無いですぜ!」
「ごはーん!」
一見すれば生意気な中学生にしか見えない三女、守矢要と幼い幼女でありながら守矢四姉妹として立派な能力者である四女、守矢ほのかがひびの入ったちゃぶ台の周りに腰を降ろして昼食を待っていた。
「ケッ……」
そして先ほどから悪態をついてばかりの灰色の少年――この少年こそが穂村正太郎でありながら穂村正太郎ではない存在。穂村の内で燻ぶっていた衝動そのもの。
「だからオレ様は穂村正太郎じゃねぇっつってんだろ。焼くぞテメェ」
――アッシュ=ジ=エンバー。またの異名を『灰燼より出でし怪人』。それが今の穂村正太郎の肉体の支配者の名だった。
「貴様の分だ」
「んだこれ? まだ焼けてねぇんじゃねぇか?」
「文句があるなら自分で作ることだな」
和美によって目の前に置かれたトーストに対して文句を言う怪人であったが、和美はたった一言で文句を封殺する。
「チッ、仕方ねぇ」
怪人は右手でトーストを掴み上げると、灰燼を舞わせてトーストを焦がし始める。
「ちょっと黒こげになってますぜ」
「カリカリに焼き上げた方がいいんだよオレ様は。覚えておけ」
ほとんど炭になったパンをかじる怪人に対し、要はというと和美によって渡された少しばかり焦げたトースト苦みに顔をしかめている。
「うげっ、和美姉さんこれ焦げてますぜ」
「食べられないなら今日の昼は無しだ、要」
「ハッ! 小晴のカードがあれば何でも食えるだろうが……いや、それよりいい方法があったか」
そこで怪人は口元をあくどい笑みに歪めると、同じ建造物の下の階に住んでいるであろう第十四区画のダストのことを引き合いに出してこう言った。
「下の塵共をパシるとするか」
「なっ!? 何を言ってるんですか!? うちはそこまでして――」
「いいんだよ別に。オレ様もお使いを頼みたいモンがあるからよ」
そう言って怪人はドアを開け、階段下へと姿を消していく。そしてその後ろ姿が完全に消え去った跡に、和美は姉である小晴を半分睨みつけるかのようにして振り返る。
「……小晴姉さん」
「どうしたの? 和美」
「私には理解できません」
エプロン姿でありながらも不満と共に垂れ流す殺意は他の誰にでもなくこの場にいない怪人に向けられたものであった。和美は手に持っていたバナーナイフを持って今すぐにでも刺し殺しに行かんばかりの憤りを携えていたが、小晴はそれでもなお、かの怪人の内にいるであろう一人の少年のことを信じている。
「大丈夫よ。私も貴方も、きっと信じている筈よ」
――穂村正太郎が、戻ってくることを。
ということで、この編では穂村正太郎が過去と向き合うという僕が個人的に書きたかった話の一つになります。頑張って書いていきたいと思います。




