第五章 Freedom
「――見つけたァ!!」
怪人が照準を合わせたのは、一人の少年だった。それはかの『暴君』とはまた違う、およそ凡百でありながら非凡の力を持つ存在である。
「消し飛べやァ!!」
怪人は完璧なタイミングで、完全に死角の位置から少年を焼き殺そうと不可視の熱線を放つ。
しかし少年は突然としてまるで何者かの攻撃から回避するかのように素早くその場を離れ、そして辺り一辺から灰燼が舞い始めて一つの人影を模って姿を現すその光景を見届ける。
「――キミだったか」
「オレ様を差し置いて随分と目立った真似してくれてんじゃねぇか、ナァ? ウツロォ!!」
二人は丸で旧知の中であるかのような、そんな会話を繰り広げる。
「面倒だなぁ、アッシュ=ジ=エンバー」
穂村正太郎のことを別の名で呼ぶと共に、ウツロと呼ばれた少年は静かにまた戦う姿勢を固めていく。
「キミは確か穂村正太郎に負けてどこか奥底に追いやられたはずじゃなかったっけ?」
「ハッ!! 今度はアイツが奥底に吹っ飛ばされちまったから、オレ様が全てを消し炭にしてやるのさ!!」
穂村の内に潜む悪意の籠った『衝動』に対し、同格の少年は苦笑しながら穂村の姿を借りた存在を否定する。
「そりゃ困る。ボク達はあくまで舞台装置なのに――」
――表だって暴れまくってたらこの物語が終わっちゃうよ?
「……キャーハハハハッ! オレ様を差し置いて目立ち過ぎた罰だ! ……死ねよマジで」
少年の戯言に対して狂ったように笑いながら、怪人は己の髪の色と同じ灰燼を、そして己の瞳の色と同じ火の粉を交えさせて舞わせて攻撃を仕掛ける体制へと移っていく。
「まったく、相手がキミだと干渉ができないから面倒なんだよねぇ」
「そりゃそうだろうよ!! オレ様がテメェの力をくらうとでも思ったか!!」
怪人の周囲を舞う灰燼までもが熱を帯びて紅く染まり始め、その場の熱気はもはや人がまともに立っているには熱すぎる温度へと上昇していく――
「鬼塵煉葬――」
――熱は不可視の刃を模り、怪人の一声で暴走を始める。
「――暴灼舞刃」
「ッ!」
見えない剣がその場周辺に幾つもの焼切ったような斬撃跡を残し始めた瞬間、少年は即座にその場から引き下がる様にバックステップを繰り返す。
「最初の一手がそれって、遊びのつもりかい!?」
「なぶり殺しにするつもりだ、バァーカ」
一歩一歩とウツロの後を追う怪人が中指をたてるサインを出すと同時に、熱刃による斬撃は更に苛烈に攻撃の手を強め、そして徐々に徐々にと攻撃範囲を広げていく。
「さぁて、どうするつもりだ? 一番最後にできた、『新米野郎』が――ッ!?」
減らず口を叩きすぎだといわんばかりに、怪人の首から上に一閃、青白いレーザーが文字通り顔に風穴を開ける。
振り向きざまに放たれた一撃。ウツロは今までのような派手な遊び技ではなく、確実に相手の首を獲る技を使って怪人を仕留めようとした。
「熱に頼らない冷却レーザー……これなら灰になってバラバラになることも――」
「ザァンネン。それはオレ様本体じゃないんだなコレが」
怪人もまた乱暴な口調で荒々しい攻撃を好んでいたが、狡猾さにおいても決して引けを取ることは無い。真正面からダミーに攻撃を仕込んでおいて、最後の最後に止めを刺すために自身は舞い散る灰燼に紛れていたのである。
「灰装脚ッ!」
空間に塵芥が集約し突然として現れ、そして地面に手をついてカポエラのように熱刃の付いた右足で回転蹴りを繰り出す。
ここで背後からの攻撃は予測できなかったウツロであるが、即座に前方の空間をこじ開け、そしてその場から姿を消してはまた空間を破って世界へと姿を現す。
「ケッ、白けるような回避してんじゃねぇよ」
「流石に今のは危なかったよ。ボクはキミと違って体が真っ二つになっても大丈夫じゃないからね」
そしてここまでが準備運動であったといわんばかりに、怪人は改めて相対しそして挑発とも取れる笑顔を作りだす。
「退屈しのぎにはなりそうじゃねぇか」
「おっと、もっともてなしてほしいならそう言えばいいのに――と、その前に」
「アァン?」
準備運動は完了した、後は戦うだけ――といったところで突然の制止に眉間にしわを寄せる怪人。目の前の少年はそれを見て更に話にこう付け加える。
「いやいやこのままボク等が正面からぶつかったらこの世界終わっちゃうよ?」
「……ハッ! じゃれ合い程度で終わる世界なんぞに、何の価値がある!?」
あくまで傲慢であり、高慢。それがアッシュ=ジ=エンバーであり、穂村の内に潜む大罪――衝動の名であった。アッシュのいう己がいる世界すら価値をつける権利が自らにあるかのような口ぶりに、ウツロはため息をついて両手の中にシャボン玉のような薄い膜上の球体を生成する。
「――虚数界」
薄い膜上の球体は一瞬にして広がり、ウツロは元よりアッシュですらその膜の内側の世界へと引きずり込まれる。
――そこはそれまであった光景と全く同じ光景。しかしどこか違和感を覚えさせるようでもあった。
「……ケッ、平行世界ならぶっ壊しても平気ってか?」
「ちょっと違うかな」
ウツロは怪人の考えを一蹴すると、たった今発動した技の解説を行い始める。
「ボク達が元いた世界を実数だとすると、この世界は本来ならば感知できない、実在しない虚数の世界だということさ」
『衝動』が元いた『世界』とは違う、別の『世界』。そこにウツロは戦う場所を移したということである。
「クヒャッ、ヒャッヒャッ、ヒャーハハハハハッ!!」
「うん? 何が可笑しいんだい?」
突然として狂ったかのように笑いだす怪人を前に、ウツロは怪訝そうな表情を浮かべる。
「ヒャハハハハァ……いやー、なんつーか……チョーありがてぇなって思っちゃってよ」
「何がありがたいんだい?」
アッシュは決してウツロの疑問に言葉で答えず。しかし周囲のビルに異変が起き始めることで、一種の答えを導き出し始める。
「――ここだったら、好きなだけ灰に還してよさそうだからなぁ!!」
「ッ!?」
怪人の叫びと同時に、それまで道路の両脇に立っていた廃ビルが、文字通り灰の山へと還り始め、そしてまるで意思を持った集合体のように、灰燼は怪人の周囲を回り始める。
「ビルを一瞬で灰にした……!?」
「このオレ様に焼きつくせないものなんざねぇ……オレ様が燃え尽きろって言ったら、燃え尽きるんだよぉおおおおおおおおおおおお!!」
灰は渦を巻き、いくつもの竜巻となってウツロへと襲い掛かる。
「流塵灰狼!!」
「くっ……!」
襲い掛かる竜巻一つ一つを冷却レーザーで撃ち落としていくが、攻撃は更に苛烈さを増していく。
「オラオラオラオラァ!! ヒャーハハハハハハハハァッ!!」
地面に拳を打ち付ければ、不可視の熱波が塵を巻き上げてウツロの方へと突き進んでいく。
「ちょっと、暴れ過ぎじゃないかなぁ!」
そしてウツロも負けじとその場に存在しえない物質――思うがままに模る超合金を超えた防御力を持つ黒い物質を生成して、前をさえぎる巨大な盾をその場に生み出す。
「アァン!? オレ様の許可無しに好き勝手やってんじゃねぇよ!」
「同じ『大罪』同士、なんであんたのいうことを聞かなくちゃいけないのかな!」
灰の嵐を防ぐと同時に盾は形と性質を変え、幾つもの針となって怪人の元へと飛んでいく。
「ハッ! 物理系がオレ様に効くとでも――」
「おっと、それはボクが想像した物質だということをお忘れなく!」
「ッ! チィッ!」
現に怪人の体へといくつも突き刺さると同時に、強烈な閃光を携えて爆発し始める。
「いくら灰燼だからって、灰を燃やし尽くすほどの熱を前に自分が焼きつくされるでしょうよ!」
ウツロは攻撃の手を緩める事無く、未だ連続して爆発が起こっているところに更に立体型の魔法陣を描き始めるとともに、眩い輝きで周囲一帯を明るく照らしていく。
「――消し飛べ」
ウツロにとって詠唱など必要ない。ただ思ったことが実現される。魔法陣を貫く光の柱が炸裂することでそれを物語っている。
「……本当は、ここまでする気は無かったんだけど」
光の柱が消え去ると同時に、地面に巨大な孔が空き、それまで戦場を飛んでいた灰燼は姿を消している。
「……はぁ、これで終わり「――な訳ねぇだろバァーカ!!」」
灰燼は消え去ったわけでは無い。一ヶ所へと集まっていた。
――天高く全てを見下し、傲慢に嘲り笑う。それはかの怪人がまだ生きていることの何よりの証拠であった。
「ギャーハハハハッ!! ……オレ様をここまでコケにしやがったその傲慢さ……ただブチ殺されるだけじゃすまねぇぞゴラァ!!」
怪人、アッシュ=ジ=エンバーは生きていた。欠損した部位を周囲からの灰塵で補い、そして改めて穂村正太郎の肉体として再生成していく。
「もう同じ手は効かねぇぞ。このオレ様が“許可”してねぇからな」
「……だろうね」
ウツロも怪人の『力』を知っているが故に、同じ攻撃は二度と通用しないことを知っていた。
「つぅことで、ここから先は一方的な虐殺ショーってワケだ虫ケラ野郎!!」
怪人は更に周囲の物質を灰燼へと還してゆき、塵芥は一ヶ所へと集約されある形を模ってその場に顕現を始める。そして――
「……それってちょっとズルくない?」
「ヒャハ、キャハハハ、ギャーハハハハハハハハァ!!」
周囲のビルの高さすら超すほどの巨大な灰の魔人が、その場に姿を現した。そして巨大な左の手を握りしめて拳を作り上げ、熱で真っ赤に染め上げ始める。
「ヒャハハハッ!」
「くっ……!」
ウツロはそれまでにない規模で魔法陣を目の前に描いて目の前に迫る拳を解析、即座に対消滅する物質をその場に同程度の質量でもって生成し始める。
「ナァニちゃっかり防ごうとしてんだよボケがぁ!!」
しかしそれに対抗するかのように、灰拳は更に規模を大きくしていく。
そして遂に両者の『力』と『力』が、真正面からぶつかり合う。
「灰拳――爆砕ッ!!」
次の瞬間、元の世界すら揺るがしかねない程の力の波動が虚数界にあるもの全てをなぎ倒していく――
◆◆◆
――同時刻。本来の世界での力帝都市では突然の異常事態に警報が発令されていた。
「落ち着いてください! 第一区画に隣接している区画住民は直ちに避難を!」
それまで実況していたアナウンスですら、緊急速報代わりに避難指示を出している。
「謎の衝撃により絶対障壁が破壊されてしまいました! 市民は均衡警備隊の指示に従って避難を!!」
突然の破壊。その原因は実世界にいる者ではない。
――絶対障壁は実世界及び虚数界にまでまたがっていた。それは今回のような事態に備えて、というよりも今回のような事態を予測して二つの世界に共有させていた。
そして映像は突然として打ち切られ、画面に映るのは市長の一人の姿となる。
「諸君。焦ることは無い。力帝都市はこれより本来の在るべき姿に戻るだけだ」
市長による宣言。それ即ちこの力帝都市における絶対的な宣言。
「これまで力帝都市は、あるルールの中で力の優劣を決めてきた。だがそれでは温い、生温いのだ、市民よ」
今回の障壁が破壊されたことによって、力ある犯罪者が野に放たれる。市長はそれについても言及しながら、これから適用される真の力帝都市のルールを決定づけていく。
「強者はいついかなる時も強くなければならない。繰り返す、強者はいついかなる時でも強くなければならない!! ならばどうだ! ルール無用、犯罪など知った事ではない! どんな世界であろうとも強くある者が真の強者だ!!」
それは事実上の秩序の放棄、崩壊を意味づける言葉となる。
「さあ強者よ、争え!! そして我をも超える力をもって、我に挑んでくるがいい!!」
この日を境に、力帝都市は問答無用の最強を決める場所へと変わっていくこととなるだろう。
――そして穂村の内に潜む、『衝動』が、『暴走』へ、本来の『大罪』と変わっていくのもまた、時間の問題となるのだろう。




