第九話 発作する衝動
「まずはあったかいお茶でも飲んで、落ち着きましょう?」
「チッ、イノを取り戻すまで落ち着いてられっかよ!」
「アホんだら! お前『決して届かぬ高嶺の花』ゆうのを聞いたこと無いんか!? 下手すればBランク程度、一秒とかからずに消し飛ばされるぞ!」
「ふふ、その異名、少し恥ずかしいですよね」
そう言って守矢小晴は照れくさそうにツインテールを揺らし、ベランダの割れた窓のそばで寂れきったマンションを眺めながらコーヒーカップに口をつけている。
「……で、どんな話でしたっけ?」
「小晴姉さん、まだ何も言っていないです」
「でしたら和美。どうして、その人の足にナイフを突き刺しているんですか? 私はあまり争い事が好きではないのですが」
小晴の何気ない言葉を前に、和美は少しこわばった様子になって実の姉に対し畏れ多くもといった様子で現状の説明を開始する。
「じ、実はこの鷺倉十一という男がこの旧居住区に面倒事を持ち込んでしまって、それでこの地区の住民が迷惑しているとの通報があったので事情聴取を――」
「事情聴取なら、何もナイフを突き刺す必要はないんじゃないの? 私としては、もう少し平和なお話合いをしたいです」
優しい雰囲気に穏便な言葉であるが、妹である和美は唯ただひたすらに俯き、静かに頷く。
これが姉としての威厳であろうか。そしてこれこそが最上位であるSランクの威光なのであろうか。少なくともその場にいる鷺倉、和美、要はその場の空気の重みに耐えられずにいた。
「とにかく、だ。この旧居住区を荒らしているにしろ何にしろ、俺はイノとラシェルさえ取り戻せればいい。後は大人しく帰るからよ」
「イノさんに、ラシェルさん……? 聞いたことがないですね」
「そこにいる人さらい屋の今回のターゲットです。そこにいる穂村正太郎という男は、人さらい屋を追ってここまで来たようで」
「あらまあ、鷺倉さん。貴方はまだそんな野蛮なお仕事をしておられるのですか?」
「そんなこと言われても、俺はこの力でもって仕事しとるんやけん、他の仕事に今更つけんわ」
「あらあら、困りましたね……」
小晴は少々困り顔でほのかと同じボロのソファに腰かけると、今までのおっとりとした表情から少し凛とした姿勢を取って、穂村と鷺倉の二人を見つめる。
「穂村さんの目的は鷺倉さんに連れ去られた二人を取り戻すこと。鷺倉さんの目的は、恐らくその二人を依頼主に送り届けること。うーん、どうしましょう……穂村さんのやっていることは正しいですが、鷺倉さんには色々と普段から雑用をお願いしている手前、無下にも出来ませんし……」
小晴は困った風に右手を口元に当てて小首を傾げ、黙りこくり始める。その様子を穂村と鷺倉は神妙なまなざしで見つめ、この場をとりしきるSランクが次に言い放つ言葉をじっと待った。
それから一分程度たったであろうか。小晴はハッとあることを思いついたように目を見開いて、それから二人の方を見てこう言った。
「その様子ですと二人とも一歩も引けないのでしょう? でしたらこの区の一角だけをお貸ししますから、そこで存分に戦ってきてください。ただし、相手を殺したり、降参した相手に追撃をすることは禁止します。できる限り、怪我の無いように戦ってきてください」
「ハァ? 何だそりゃ」
「なんだ、それでいいわ。俺も仕事を続けられるし」
提案に疑問が生じる穂村と、すんなり受け入れてスーツの上着を脱いで戦闘態勢にはいる鷺倉。対照的な二人を見て唯々微笑むだけの小晴。
して戦いは、先ほど穂村達が暴れまわっていた、四方を崩れかけのマンションに囲まれたあの広場にて開始されることとなった。
◆◆◆
「――準備運動はいらんやろ?」
「チッ、こっちはいつでもお前なんざブチのめせるぞ」
「そうかいそうかい」
余裕しゃくしゃくの鷺倉とは対照的に、穂村は既にアイドリング状態に入っているのか両手に炎をともしている。
穂村の前方に立つは人さらい屋。三方のマンションを背に、己の姿を見て笑う。穂村の姿を見て笑う。
この戦いには絶対に負けられない。負けるわけにはいかない。穂村正太郎はイノ取り返すために、負けるわけにはいかない。
「と、その前に」
自らの戦闘意識を高める穂村をなえさせるためか、鷺倉はわざとの様に穂村の目の前でイノとラシェルを開放する。
「うわっ!?」
「あっ、しょうたろー!」
「貴方がイノさんにラシェルさん? 取りあえず危ないですので、こちらに来て下さい」
「戦いの邪魔だ。こちらに来てもらう」
しりもちをついたラシェルはその場で土を払い、イノはというと穂村を見つけるなりすぐさま走り出す。しかし解放された二人は小晴の一声ですぐさま和美によってマンションへと誘導される。
「ッ、何の真似だ!」
「これから戦うのに重りつける馬鹿がおる訳無かろうもん」
鷺倉としてはこれで少しでも動揺を誘えればと思っていたが、それはむしろ穂村を逆上させる燃料としかなりえなかった。
「だったら、一瞬でカタをつけてやるよ――紅蓮拍動!」
「くっ、これやられたら近づけんやんけ!」
「お前の都合なんざ知るかよッ!」
炎を纏い、爆炎でもって突進する。それが穂村にとって一番シンプルであり、一番得意とする攻撃だった。
「火炎拳!!」
壁に立つ鷺倉を押しつぶさんと、炎を纏った左の拳が壁を抉る。
鷺倉はすんでの所で回避するも、既に爆炎を握りしめた右手の射程範囲内。そこから先、穂村の予告通り、戦いは一瞬だった。
「灼拳――」
拳の内に、光が集約される。もはや回避できないと察した今、鷺倉の最後の咆哮がマンション中に響き渡る。
「……流石はAランクの関門……だがなぁ、オレの雇い主はそんなもんで勝てる相手やないぞ!!」
「――爆砕ッ!!」
巨大な爆音。爆風。爆炎。それら全てが重なり合って、破壊の輪舞曲を奏でる。
――三方を塞ぐマンションの内、右手側のマンションが大きな音を立てて崩れ去った。
◆◆◆
「――おや? てっきり殺したものと思っていたが」
「俺はあくまでイノを連れ戻しに来ただけだ。それ以上面倒事を増やすつもりはねぇ」
穂村は不思議そうにする和美に向かってそう言いつつ、炎の拳を前に気絶した鷺倉を見下す。イノとオウギはとっくに穂村の足元へとしがみつき、もう二度と離さないといった雰囲気だ。
「あれ!? 私は!?」
「お前はオマケだ」
「ガーン! ショック……」
ラシェルは自分の扱いにがっくしとしているが、穂村はそれをスルーして小晴の方を向いている。
「……期待外れ、といった顔をしているよな」
「? 何故です? 私としては誰も怪我せずに済んでよかったと思っていますけど……」
「いいや、違うな。心のどこかで、どっちかが死んだら面白いとでも思っていただろ」
「っ、穂村正太郎! その辺にしておけ!! 口が過ぎるぞ!!」
「いいのいいの……和美」
「姉さん……?」
「少し、黙ってて?」
和美はその言葉の裏腹に潜む暗く深い負の感情を前に、その場で固まってしまう。そして穂村は小晴のその様子を見て、やはりと言いたげにニヤリと笑った。
「……あんたも、『アイツ』みたいなのがいるんだろ?」
「『アイツ』……? フフ、何のことかしら……?」
「残虐なのは嫌だ……でも『アイツ』はそれを望んでいる……そうだろ?」
「えっと……ちょっとあんた! もしかしてアイツって――」
「フフ……フフフフフフ……アーッハッハッハッ!!」
小晴は今までのおしとやかな雰囲気から一変、殺意と狂気をその身に纏って高笑いを始める。
「ちょっと穂村!? まさかこいつも――」
「ああ。俺と同じ、内側に衝動を飼っていやがるってことだ」




