序章 第一話 発した言葉の重み
――ぼくにはずっと、見えていた。最初からずっと、見えていた。
だけど、ぼくは決してその場所に行こうとは思わない。
何故なら――
「――おい、今日も外での仕事だ生ゴミ野郎」
独房、あるいは精神病院の個室の様な、隔離された部屋。唯一ある小さな小窓からは、力帝都市にそびえたつ巨大な塔を見ることができる。
「…………」
半袖のワイシャツに黒の学生ズボン。日本の標準的な高校生という服装であるが、その汚れ具合からして彼が普段からどのような扱いを受けているのかうかがい知ることができる。
手入れもされていないざんばら髪の隙間から覗き見える、物憂げな瞳。しかしそれもまた本人に起因するものであって、決して取り巻く人間の人間性の問題ではない。
「それともちゃんと『暴君の心』と言ってやった方がいいか? どっちにしろ、貴様に死んで欲しいが為の実験は腐るほど転がってるからな」
そこまで言われてようやく、部屋の主である少年は迎えに来た男と目を合わせる。男は少年と目を合わせるなり、まるで汚いものを見るかのような、蔑んだ表情へと顔を歪める。
「…………」
「くそが、じろじろ見てんじゃねぇ殺すぞ!!」
ありとあらゆるものから嫌悪され、嫌忌される存在。その姿を見れば思わず眉をひそめ、その声を耳にすれば不快さが全身を支配し、そしてその者を指す言葉を己が口で吐き出す時、あらゆる負の感情が入り混じったかのように口元が歪む。それが検体名『暴君の心』に関わってきた者全員の評価だった。
そしてこの時も例外なく、声をかけた男の方の眉間に、大きくしわがよっている。そして声にも明らかな苛立ちの感情が交えられている。
「……くそっ!! 金払いがいいからこの職についたってのに、なんでよりによってこいつの面倒を……おい、返事ぐらいしてみろ!!」
苛立つあまり鎮圧用に持たされていた電子銃の銃床で、少年のこめかみを叩く。しかし少年は一切反抗することも、怯える様子もなくただ言われた通りに反応を返す。
「っ! ……分かり、ました」
「ちっ、分かってんのならさっさとついてこい!!」
そうして少年は監視役の男の後を追って、部屋を後にする。額からはとめどなく血が流れているが、誰もそれを手当てする者はいなかった。
「――なんだ? あれを連れ出す変人がまた現れたのか?」
「どうせなら核ミサイルに括りつけて宇宙空間にでも飛ばして爆破してやればいいのに」
「馬鹿、やめろ! それが出来たら苦労しないからこうして飼い殺しにしてんだろうが!!」
廊下の壁、すりガラスの向こう側から聞こえる蔑みの声。誰が話しているのか分からないように、そして誰も彼を直接認識することがないように。
「いっそ餓死狙ってみるか? その後死体解剖でもすれば、少しはこの世の中の役に立つだろうよ」
「じゃあ貴方がやることね。私は死体ですら触りたくないわ」
方々から聞こえる、研究員の心無い声。しかしそれも少年にとってはいつもの雑音でしかなかった。
いつの間にか身に付いた、下を向いて歩く癖。誰とも目線を合わせぬよう、誰とも会話をしないように、一切の関わりを持たないために、少年はあえてそのような歩き方をこの日もしている。
「……いっそこの場で撃ち殺してみるか?」
「――っ!?」
それまで前方を歩いていた男の、ぽっと出の思いつきが少年の耳に届けられる。そうして少年が顔をあげた時には既に、銃口が眉間へと突きつけれている。
「……あっ――」
「ひっ、ヒヒッ! こっ、ここで俺がこいつを殺せば……!」
誰からも忌み嫌われる、魔王の様な存在。それを倒したとなれば、必然的に英雄視される。
男の頭の中はそのことでいっぱいだった。しかし少年の方はというと、またか、といった様子で諦めを交えた表情で口を開き、こう言った。
「……はぁ、もう“どっかいって”よ」
「っ!?」
その瞬間、男の意思に反して手からは力が抜け、そして踵を返してどこかへと歩き去っていく。
どこか遠くへ――そんな意図を込めて放った言葉は、男を廊下の奥へと追いやり、突き当たりの丁字路近くの窓へと駆り立てていく。
そして――
「――うわぁああああああああっ!」
身元を隠すすりガラスではなく、外の風景を映し出す窓。それも十階建てどころではない高所から見渡すことができる光景へと、男は窓を突き破って飛び出していく。
「っ! まずい! 『暴君の心』が言葉を発している!」
「第三級警報発令! 各研究室は急ぎシャッターで閉鎖を!」
赤色の警報ランプが回転し、ガラスの仕切りは即座に鋼鉄の仕切りへと切り替えられていく。
「あーあ、また怒られるんだろうなぁ」
金属同士が擦れ合う音が、遠くから聞こえてくる。そして同じように重々しい駆け足の音も。
一分もしない内に重装備の鎮圧部隊が現場に到着。前後と進退を抑えられたところで、少年は更に言葉を発する。
「君達も、“どこかへいってくれないか”?」
「…………」
しかし先程の男とは違って、鎮圧に向かってきた誰しもが彼の言葉に耳を傾けようとせず、その銃口を下げようとはしない。
「……聞く耳持たずって感じだよね」
元はといえば少年を隔離している施設、その対策は済んでいる――頭上にある監視カメラも、恐らくは今頃音声を切っているのだろう。しかしそれを見越した上で、少年はこう口を開く。
「だったら……“誰だって、何だっていいから、ぼくを助けてよ”」
「っ!? 今何か言ったぞ――」
――彼がカラスは白いといえば、カラスは白くなるだろう。彼に死ねと言われれば、誰もがその身を投げ出すだろう。
その内にどれだけの抵抗があったとしても、暴君の言葉はこの世界において絶対的なもの。そして当然その言葉は、無機物に対しても適応される。
「なっ、あっ!?」
「うわっと!?」
突然として彼の足元にぽっかりと穴が空く。それは彼を逃がす為に突然として現れた非常脱出口。そのまま彼を吸い込んだ後、素早く穴は閉じられる。
「くっ、第一級警報発令! 少年Aが下の階に脱走、建物外への脱走の可能性大!! 電子銃の発砲を許可する! 繰り返す! 第一級警報発令!!」
下の階に降りたところで、これまた少年にとって都合がいいように正面の扉が開けられる。
「ひ、ひいぃっ!」
扉の中には複数の研究員の姿があり、いずれもまるでおぞましいものを見てしまったかのような、忌避するべきものと対峙してしまったかのような恐怖の表情へと染められている。
「……渡りに船、かな。じゃあさっそく――」
――“ぼくの事を助けてよ”。




