第十三章 三十二話 新たな一歩
――避難警報、解除。しかし日の光が照らす都市の姿は、至る所に大きな傷跡を残すものだった。
「…………」
気がつけば穂村正太郎は、一人その場に立っていた。
ボロボロになったその身でたった一人、初めから誰もいなかったかのように一人でその場に立ち尽くしている。
「…………」
右手をパーに開いたり、グッと閉じたりして確かめる。確かに自分の思うままに動く。
否、それまでも自分の意思で体を動かしてきたことには変わりない。しかしそこに茶々を入れてくるような、そのような存在を体の内側に感じることが一切できない。
「…………」
実感がようやく、湧いてくる。『傲慢』たる“アイツ”がいなくなっていることに。今度こそ自らを偽っていた『傲慢』な自分と決別ができたことに。
「……帰るか」
一週間の学校生活の始まりの曜日になるが、まず最初に向かうべきは学校とは真反対の方角。辺りは倒壊状態とはいえ、元の景色が思い出せない訳ではない。
そうして穂村が歩み始めたその時だった。
「穂村君」
「正太郎」
「……は?」
それまで視界の端にもいなかった筈の二人の少女が、目の前に立っている。
「気になって迎えに来ちゃった」
「ハァ、あんなバッカみたいな殴り合いをしているところに割り込もうとしたから、アタシは止めてたんだけどね」
「子乃坂……時田……なんでここに……?」
「だから子乃坂さんが今言ったでしょ? 迎えに来たって。アタシは別に――」
「時田さんも心配になって見に来てたっぽいよ。そこで私を見つけて、危ないからってそこから一緒に行動してたんだ」
たまたま居合わせたことを装おうとした時田であったが、子乃坂によってその魂胆が即座に瓦解してしまったことで恥ずかしさに顔を赤らめて目を逸らす。
「あぁー……とっ、とにかくアンタからも言ってやりなさいよ! いくらなんでも無能力者が首を突っ込んでいいものじゃないって!」
「……はぁあああ……」
それまでの緊張感がほぐされるというよりも、意気消沈といった方が正しいかもしれない。
「なんつーか、俺が今まで何と戦ってきたか分かってねぇっつーか――」
「分かってるよ」
「判ってるわよ」
穂村の言葉に対し、子乃坂と時田は言葉を重ねる。
「穂村君が戦っていたのは、自分自身だよね?」
「というかアレでしょ? あの『傲慢』野郎の」
どちらも合っているし、どちらも間違ってはいなかった。
「穂村君、ずっと自分を罰しているみたいだったから、そういうことだと思ったの」
「そうだったの? アタシに対しては『傲慢』とは違って素っ気ないだけというか、関わりたくないというか……」
「ううん、時田さんに対しても多分同じ」
そこから先は、穂村が言うまでもなかった。
「――あの時からだよね、穂村君?」
「……ああ」
言いたくなかったであろうこと、言わせたくなかったことを、彼女に言わせてしまった。その事がつっかえが取れたはずの穂村の心臓を強く締めつける。
「……穂村君――」
「俺から!」
「えっ……?」
「俺から、言わせてくれ!!」
それ以上は、子乃坂から言わせたくない。けじめをつけるべきなのは自分であって、傷つくべきなのは子乃坂ではない。
「……今更、言ってもしょうがねぇかもしれねぇけど!」
「……うん」
子乃坂はまだ、この時穂村が言おうとしてたことを百パーセント理解してはいなかった。しかし目の前の彼が自分の為に、必死で言葉を紡ぎ出そうとしていることは、じゅうぶんに分かっていた。
「本当は市長とかぶっ飛ばす前に、言うべきだったかもしれねぇけど!」
「うん……」
その一言を口にするのが怖い。この恐怖から比べれば、さっきまでの戦いなんてどれだけ気楽だったものかと思えるくらいに、怖い。
――その言葉を口にしたことで今の子乃坂との関係が崩れてしまうのが、穂村正太郎にとって何よりも怖かった。
「……っ、本当は……許されるようなもんじゃねぇかも、しれねぇけど……!」
許されるものではないかも、ではない。決して許されるはずがない。
しかしその一言を言わない限り、穂村正太郎はあの日から止まったまま。
「……子乃坂!」
「うん」
「あの日の、警察に捕まったあの日……俺はお前に酷いことをしちまった」
「えっ……? 酷い事って――」
「時田さん、ちょっとその話は後でするね」
「あっ、うん。ごめんね」
気になる言葉につい疑問を浮かべてしまう時田だったが、子乃坂によってそれは遮られる。
しかしそうして時田が何気なく発したその一言こそが、穂村が長年言えなかった言葉。
「俺は、お前が欲しくて……お前を、俺のものにしたくて……」
「…………」
(……なんか、アタシ戦う前から負けてる感じかしら)
あの穂村にここまで言わせた子乃坂に対して、時田は静かに負けを認めようとした。かつて実家に一緒に帰った経験もあったが、必要としていたのは自分で彼ではない。好意の矢印が一方向であることを悟った時田は、そのまま能力を使って去ろうとしたが――
「――待って」
「え?」
「時田さんにも、聞いておいて欲しいの。私と穂村君の関係について」
「……それって、二人が付き合っているっていう――」
「そうじゃないの」
この時点で、子乃坂は穂村が何を言おうとしているのか分かっていた。そしてその言葉に対して、何を返すのかも。時田に残っていて欲しかったのは、その言葉を聞いた証人として、立ち会っていて欲しかったからだった。
「……力帝都市に来てからじゃない、本当の穂村君のことを知って欲しいの」
「……結局それって、子乃坂さんだけに向けるものって事じゃ――」
「違う、そうじゃないの」
そうして子乃坂は再び穂村の方を向きなおし、目と目を合わせ、全ての言葉を聞き届けようと耳を傾ける。
「……ごめん!!」
「…………」
頭を深々と下げ、地面を見る。相手の顔を見る度胸なんて、そんなものありはしない。
たった一言。しかしその一言を言うまでに、二年の月日が過ぎて行った。
「っ……!」
「…………」
子乃坂ちとせは、どう思っているのだろうか。何を今更、と怒っているのか。そんなことを言っても取り返しはつかない、と悲しんでいるのか。
これからどんな罵詈雑言を浴びせられようが、その覚悟はしている。そしてその覚悟の上で、これから先も子乃坂を守っていくつもりだった。
そうして時間にして数秒か、数十秒か、あるいは分単位で過ぎていったか。時間間隔もままならない程の緊張の中で、子乃坂の放つ一言が、穂村の耳に届けられる。
「……いいよ」
「えっ……」
「というより穂村君になら別に襲われても良かったかなー、なんて」
「……えっ!? ちょっ、ちょっと待って!?」
頬に赤みを帯びる子乃坂と、この状況からして一つの結果を思い浮かべてしまった時田が同じように顔を真っ赤にしていく。
「お、襲うって何かしら……? ま、まさかっ、中学生で、そんな関係――」
「んー、そこまでは行ってないけど……」
「い、いわゆる恋愛のA、B、Cでいうとどれくらい――」
「び、Bくらい……かな……? 正直、お互いに保険の授業でしか知らない程度のことだったし……」
てっきりいくとこまでいってしまって、そうした穂村との爛れた関係を聞かされることを覚悟していた時田であったが、思いのほか拍子抜けの事実に呆れ返ってしまう。
「お、俺は不良仲間から聞いて知ってたけどな!」
「でもそこまでやる度胸がアンタには無かったんでしょ?」
「うるっせぇ! クソッ! これでも子乃坂に無理矢理迫っちまったって、あれからずっと罪悪感があったんだ!」
「ハァ……なんか、てっきりそういう関係で一切アタシも入り込めないみたいなことかと思ってたんだけど……なんか、まさに中学生の恋愛ってカンジかしら?」
「えっ、中学生ってそこまでするの?」
「てことは、時田はそれ以上の事を――」
「してないわよ! ぶっ飛ばすわよアンタ達!!」
はた目に見れば、思ったよりも下らない話。しかし穂村にとってはそれこそが大きな重荷となっていた。
「あーあ、てっきりそういうことまでしたからだと思っていたのに」
「俺にとっては、それくらい悪いと思ってたことなんだよ!! それに……」
気恥ずかしさからか同じように顔を真っ赤にする穂村だったが、今度は時田に対して言いたいことを漏らし始める。
「……ここで謝っておかねぇと、時田とも付き合う資格がねぇって思ったんだよ」
「……へっ?」
「……えっと、穂村君? それはどういうことかな?」
ともすれば先程以上の問題行動となりかねない話が、穂村の方から飛び出してくる。
「いや、その、なんつーか……二人とちゃんと向き合う為にも俺は――」
「穂村君? まさか時田さんにも手をだすために謝ったって事じゃ――」
「そ、そういうつもりじゃねぇ! 誤解だ!」
「……ハァ、何というか、アンタ本当にバカね。バカ正直すぎ。そういうのってアタシと二人きりの時に言うとかいくらでも方法あるじゃん」
これならまだ『傲慢』によってうまく取り繕えるようになった方がマシなのだろうが、それはあくまで格好つけた穂村正太郎でしかなく、素の彼自身のものではない。
「……まっ、もしこれで子乃坂さんに愛想を尽かされたとしてもアタシが貰ってあげるから安心しなさい」
「むっ……別に穂村君を捨てるつもりはありませんし、あげるつもりもありませんけど?」
「へー、どうかしら? 正太郎って乱暴者だしバカだし、アタシみたいにある程度張り合えるくらいの力は持っていないと危ないわよ?」
「別に大丈夫です。口喧嘩で穂村君には負けたことないので」
穂村正太郎の個人的な清算は一つ終わったが、まだまだ決着をつけるべきことは残っている様子。
「ねぇ、穂村君」
「正太郎」
「な、なんだよ……」
嫌な予感がするが、逃げることは許されない。
「他に目移りしてる子とかいないよね? 守矢さんのとことか」
「アタシが知ってる分だとAランクの魔導師に一人心当たりがあるけど……それ以上はいないわよね? ねー正太郎?」
それまでの女性関係を洗われながら、穂村正太郎は二人に詰め寄られる。
そして――
「――あっ、いたいた! よかった、決着つけられたみたいで!」
「今の声は……?」
「まさか……やべっ!?」
一足先に気が付いた穂村はその場を逃げようとしたが、逃げる為の力が残っていない。
そして相手はというと穂村と同等レベルの力を秘めた能力者の少女。
「心配したのよ! もし勝てそうになかったら、私も参戦しようと思っていたんだから!」
一陣の暴風に乗って、顔に飛びつくようにその少女は穂村へと抱き着く。
「なっ……!?」
「誰よアンタ!? 知らないんだけど!?」
「おまっ、ふざけんうぷっ!?」
そのまま体重を預けて穂村を押し倒すも、なおも少女は離れない。
銀色の髪に金色の瞳。穂村よりも年上に見える風貌をしているが、その行動はまるで甘える子供のよう。
「ほーむーらーくーん?」
「取り合えず、言い訳だけでも聞かせて貰おうかしらー?」
Sランクも裸足で逃げ出しかねないような、強大な殺気が浴びせられる。穂村もまたそれを察知してかありとあらゆる言い訳を考えるが、銀髪の少女が離れる様子はない。
「っ、てめっ、何のつもりだ!?」
「何って、『傲慢』と無事に決別できたことで、ようやく私も自分の事を明かせるようになったんだから嬉しいに決まってるじゃない」
まるで昔からの関係のような、そのような人懐っこさを目の当たりにした穂村だが、自分にとっては正真正銘、身に覚えのない話。
「っつーか、マジで何なんだよてめぇ! いきなり俺の技パクッて勝負仕掛けて来たかと思えば、抱きついてきやがったり――」
「抱きつくって、別に当たり前の事じゃない。だって私達――」
――親子なんだもの。
「……は?」
「えっ……?」
つい先程、穂村と子乃坂はそういう関係には至っていないと説明を受けたばかりだったことを思い出しながら、ではこの女性は穂村の母にあたるのかと時田が考えに至ろうとした時だった。
少女は真っ直ぐと穂村と目を合わせ、そしてにこやかにたった二文字で関係を露わにした。
「ねっ? パパ?」
「ぱっ……」
「ぱっ……」
――パパぁ!?
はい、という事で衝撃の引きでこの編は終了となります(´・ω・`)。ここまで色々と引っ張ってきた『衝動』周りの話ですが、一旦はこうして決着という形で締めさせていただきました。もしかしたら二度と出てこないかもしれないし、何かの形でひょっこりと出てくる可能性もあるかもしれませんが、それもこれからの穂村正太郎の歩み方次第となるかもしれません……。
ここまで読んでいただきありがとうございました。引き続き楽しい物語を書いていければと思います。もし面白く読んでいただけましたら、評価などしていただければ幸いです(`・ω・´)。
次回更新は一ヶ月後の年明け1月10日を予定しております。それまで暫くの間、楽しみに待っていただければ幸いです。




