続・番外編・2
その日、ケイトリン・セイスルートは、朝から高熱を出していた。
「うぅ……。頭痛い。関節が痛い……。身体が熱いぃぃぃぃ」
珍しく意識が朦朧としている所為なのか、高熱の所為なのか、子どものようにボロボロと涙を流しグズる。こんなお嬢様っていつ以来だったかしら……? と彼女付きの侍女であるデボラは記憶を辿りながらも、熱さを訴えるケイトリンの頭に氷嚢を置く。ついでに濡れたタオルで汗を拭いてやれば、少し楽になったのか、グズっていたのが嘘のように黙って眠った。
「少し落ち着いたようで安心しましたが」
「デボラ。お嬢のこの熱って何なの? 風邪じゃないよね?」
デボラが安心して独り言を溢したところでガリアが眉間に皺を作りながら尋ねる。アレジとクルスは氷嚢にするための氷の買い出しや、心配しまくるドミトラルを追い出す……もとい、デスタニアの元へ送り返しに行っている。シオン帝国は魔術師が少ないとはいえ、やはり魔術師大国なので、他国より比較的安い値段で氷が売られているのは、当然魔法で氷が一年中作れるからだろう。
ドミトラルと久しぶりにデートをする予定だった本日だったが、どういうわけか昨日の夜に急に高熱を出したケイトリン。クルスもアレジもガリアも風邪でも無いのに何故? と首を捻っていた。
「あー……それは」
ガリアに尋ねられてデボラは言葉を濁す。その原因に確り心当たりは有る。というか、アレしか無いだろうな、とデボラは確信していた。
「それは?」
視線を彷徨わせたデボラを胡乱な目付きで見るガリア。さぁ、吐け、と言わんばかりの視線に一つ息を吐き出してから、観念したように口を開いた。
「新種の解毒薬なんです」
「解毒薬?」
「ふた月前の事ですが、シーシオ様から新種の毒薬が見つかった話を聞いたでしょう?」
「あー、うん。なんだっけ。物凄い遠くて小国との国交を向こうから結びたいって話でシオン帝国に献上された中に有った恋の妙薬とか言う、如何にも疑ってくれ、と言わんばかりの薬が有ったよね。アレ?」
「それです。毒薬って言うと、普通は死を連想させますが、人間の身体に毒を齎す物ならば全て毒薬というのが、私の考えです」
「まぁ解る。で?」
「アレは所謂性的興奮剤、でした」
「媚薬?」
「まぁ有り体に言えば。ただ、私が考えるに媚薬は存在し得ない物です」
「……どういうこと?」
「媚薬と言うのは、異性に対して発情する、まぁ性欲を発揮するための薬、と普通の人は思いますよね」
「まぁね」
「でも、そんな薬が有ったとして、何故、異性限定なんです?」
「……えっ」
デボラの疑問にガリアは固まって返事が出来ない。
「例えば、頭痛ならばそれを治す薬として頭痛薬が。腹痛ならばそれを治す薬として腹痛薬が有りますよね。そう言った限定薬は有ります。でも、流行の病だろうが頭痛だろうが、男性のみ、女性のみ、で罹患しないでしょう。男性特有の病や女性特有の病は有りますが、それならば男性全員、女性全員が対象になります。
もし、媚薬が有るとして、その男性特有の何か、女性特有の何か、を元に作られたのならば、飲ませる相手が男女どちらなのか確認する必要が有ります。また、頭痛や流行病のように男女を問わない媚薬ならば、異性限定ではなく同性にもその薬の効能が現れるべきです」
「つまり、一つの薬で、必ず異性を虜にする媚薬は存在しない?」
「私はそう考えます。男性対象なのか女性対象なのか解らないのにこの薬一つで異性を虜にする、なんて、そんな媚薬は存在し得ないでしょう」
「成る程ね、じゃあアレは媚薬ではないんだね」
「ええ。薬の成分を調べると、どちらかと言えば飲んだ者の性的興奮を高める物でした。そう言った意味では媚薬と言えなくもないでしょうが。で。その解毒薬を作れるか、シーシオ様から頼まれたじゃないですか」
「うん」
「でも、あの恋の妙薬とやらを飲んだ上に、解毒薬が効くかどうか、試さないと完成とは言えないですよね?」
「もしや、お嬢、自分を実験台にしろ、と?」
ようやく話が見えたガリアは、顔色を変えた。デボラが渋々と頷く。
「はぁ⁉︎ 何、お嬢で試してんの⁉︎ それは、俺たちにやらせる事だろ⁉︎」
「そう言ったんだけど。お嬢様、伯父様に頼まれたからには、早いに越した事は無いって言って」
「そんで、昨夜試したのか!」
「それが違うのよ」
「違う?」
「飲んだのは5日前」
「は⁉︎」
デボラの話によれば、ケイトリンが恋の妙薬とやらを飲んだのが5日前。その症状が出始めたのは、それから1時間後。症状を見てから、解毒薬がきちんと合っているのか確認して、大丈夫だと判断してデボラは完成した試作の解毒薬をケイトリンに投与した。
その後症状は2時間後に落ち着いて、これで完成した、とケイトリンも喜んだが、デボラも未知の毒薬だし、解毒薬も本当にこれで良いのか不明なので、暫く様子を見よう、という話になり。昨日の朝には、ここまで何の変調も無いから大丈夫だろう、とケイトリンとデボラで胸を撫で下ろした。
高熱は、その矢先の事であった。
「つまり、それって失敗という事じゃないか!」
ガリアは激昂した。人体実験なんて、主人であるケイトリンがやる事じゃない。それこそ、替えのきく自分達影がやる事だ! ケイトリンにもデボラにも、腹が立つ。
「確かに、軽率だった! だけど! お嬢様が私たち影を替えのきく駒だと思ってない事くらい、解ってるでしょう⁉︎」
デボラの悲痛な叫びにガリアは、ハッとした。そうだ。そういう人だから、自分はセイスルート家当主からケイトリン個人に忠誠を誓ったのだ。ガリアは、大きく深呼吸をしてから、「悪い」 と怒鳴った事を謝った。とにかく今はケイトリンの熱が下がる事が最優先で、説教はその後。
そうガリアが思考を切り替えた直後。
「うぅ……気持ち……悪い」
寝ていたはずのケイトリンが目を覚まし、口に手を当てる。慌ててトイレにケイトリンを連れて行こうとデボラとガリアがケイトリンに近寄った時だった。2人の見ている前で、ケイトリンの身体が見る間に縮んでいくのである。
「お嬢っ⁉︎」
「お嬢様⁉︎」
「い、痛い……。身体が痛いぃぃぃ!」
全身が引き裂かれそうな痛みで耐えられずに声を上げたケイトリンが、カッと目を見開いた時には、その手足は縮み切って、何処からどう見ても5歳頃のケイトリンだった。
「「「えええええっ!」」」
3人が叫んだ時には、アレジとクルスも帰って来た。途端に2人も目を丸くする。
尚、上学園の長期休暇中で寮を出て、クルス達影が住まうホテルの一室だったから、防音効果で叫び声が周囲に聞こえなかった事は、不幸中の幸いか。
「えっ、えっと……お嬢様?」
混乱したデボラが、疑問符付きで呼びかける。
「うん、わたし」
身体に合わせて声も幼子そのもの。顔は間違いなくケイトリンだし、なんだったら、この頃にはお嬢様付きだったデボラは、毎日見ていたので、間違いないのも確かだった。
「ど、どういうこと……?」
デボラが言葉を溢すが、それはこの場にいる全員が思った事だった。
なんとなく全員無言でデボラが無意識に全員分のお茶を淹れ、全員がそれを一口飲んだところで……全員がケイトリンを見た。ケイトリン自身も自分の手足を見た。ちょっと大きくて仕方なかったソファーも自然にデボラが座らせていた。全員、お茶を飲んで落ち着いてから、二度見どころか三度見をした。ケイトリンも手足を何度も見た。
「どう、見ても……幼児化してるね」
ケイトリンはポツリと溢した。
「ですね……。5歳頃のお嬢様みたいな姿です」
「そう。……ところでさ、急遽、服の袖を捲り上げたりブカブカな部分をピンで留めたりして、流石優秀な侍女だな、デボラって思ったんだけど」
「お褒め頂きまして、ありがとうございます、お嬢様。ただ、ご自身ではきちんと話しているおつもりでしょうが、若干舌が回っていないのか舌足らずで聞き取り難いです」
「……って、いやいやいや! お嬢もデボラも何を冷静に話し合ってんのさっ!」
ケイトリンとデボラの淡々とした会話にガリアが突っ込む。
「だって、仕方ないじゃない。何度見ても私の身体は幼児だし。お茶呑んでも元通りじゃないし」
「いや、普通のお茶呑んで元通りにもならないでしょうけど」
珍しくガリアがツッコミまくり。
「まぁそうだけど。混乱はしているよ。元の姿に戻らなかったらどうしよう? とも思うけど。なんていうか。まぁ最終、生きているからそれでいっか、と」
ケイトリンは達観したように言葉を溢した。そう。生きている。最終的にこれが大事。
「それはそうだけど」
「未知の薬飲む判断をしたのも、その解毒薬が効能有るのか確認したくて飲む判断をしたのも、わたしだからね。それでこうなったのなら仕方がない。数日したら戻るかもしれないし、戻らなかったらまた成長していくだけだよ。多分、ドミトラル様に話したら……それも楽しそうって楽しむだろうし。お父様は驚くだろうけど……まぁ、あのお父様だし、ねぇ。後はおいおい皆に話していく必要が有るだろうけど」
「ほんっとうに、お嬢、冷静過ぎ……。もうちょっと取り乱そうよ」
ケイトリンの話にガックリとガリアは項垂れる。
「うん? いや、1人だったらパニックでしょう。デボラもクルスもアレジもガリアも居るからね。皆が居れば何とかなりそうって思うし。そう思ったら、まぁ生きているだけ有り難いかなぁ、と。あと、記憶がきちんと有る事とか。生活に支障は出るけどさ。記憶が無かったら余計大変だっただろうし。取り敢えず。皆には迷惑をかけるよ」
ケイトリンは、サラリと自分に忠誠を誓った配下達を無意識のうちに褒めて持ち上げて、さくっと面倒ごとを押し付ける。
幼児化したケイトリンの生活やらそれに付随する面倒ごとを一切、一任された事に、デボラ達は気付いた。が。どのみち、諸々の事情を鑑みれば彼等が頑張るしか無かった。
取り敢えず、あれだけケイトリンを苦しめていた高熱は嘘のように下がりきり、気持ち悪さも関節痛も綺麗さっぱり無くなった。ケイトリンの予想としては、高熱も関節痛も気持ち悪さも、幼児化する際の身体の抵抗か何かだろう、と予測を付ける。今は服の問題や家具の大きさが問題だが……多分一番問題視しなくてはならないのは。
いつ、元通りになるか。
元通りにならないのか。
なのだろうが、ケイトリンからすれば、起きちゃった事はどうしようも無いし、元通りになるかならないか、考えても仕方ない、と思う。考えて元通りになるのなら、とうに元通りのはずだ。ならば、考えても仕方ない。今後の対応を考えるだけだ。記憶も有るが思考力も通常のケイトリンと変わらない。ただ、身体が縮んだだけ。
「取り敢えず、お嬢様の体調を見ながら、薬の成分や量などを細かく見る事にしますね」
デボラがお茶を呑み終えると同時に動き出す。毒薬の方なのか解毒薬の方なのか、こんなに日が経っても副作用が出てきたのか、色々と考えて考察もしなくてはならない。扱う薬も慎重にならざるを得ない。さっさと取り掛かるべき、とデボラは判断した。クルス・アレジ・ガリアに夕食の準備や急遽の幼児用の衣服の調達などを頼みながら。
「ごめん、デボラ。なんか凄い眠いから寝るね」
「かしこまりました。お休みなさいませ」
ケイトリンは散々高熱で苦しんでいたベッドを抜け出して漸くお茶を呑んだのに、猛烈な眠気に誘われて再びベッドへ戻った。デボラとしても、あれだけの高熱に関節痛に苦しめられていたケイトリンを見ていたので、熱は下がり関節痛も無くなった事で、真面に睡眠が取れるのだろう、と思えば反対する理由も無く。
そしてーー
5歳児の身体ではよじ登らないとベッドには上がれない。
とばかりに、ケイトリンはよいこらっしょ、という掛け声と共にベッドへ。デボラは、うっかりそんなケイトリンの努力する姿を見て、真にケイトリンが5歳だった頃を思い出し、つい、その頃に想いを馳せて微笑ましく見守っていて手を貸す事を忘れていた。
その為ベッドに身を横たえた時点でケイトリンは、かなり疲労困憊し、あっという間に眠りの世界へと旅立った。
ーーのだが。
目を閉じて心地よく眠りに引き込まれて間もなく。
「い、痛い痛い痛い痛い痛いぃぃぃぃぃ!」
ーーまたもやとてつもない痛みに苛まれた。
「お、お嬢様⁉︎」
再び聞くお嬢様の断末魔のような、あまりの悲痛な叫び声に、デボラは焦りケイトリンを呼びかける。ケイトリンは痛みにデボラを気にかける余裕も無く……そうして
次に痛みが治まり意識に余裕が出て来たところで……こちらを見ているデボラに気付いて手を伸ばしたところで……
「アレ?」
痛みに叫び声を枯らしながらもデボラを気にかけて伸ばした手は、大きくなっていた。
「お嬢様っ!」
さすがのデボラも、動揺し、続け様に起きたとんでもない事態にケイトリンをギュウギュウと抱きしめ……あまりの強さの抱擁に危うくケイトリンは三度若い身空であの世に旅立つところで……デボラに夕食の準備を頼まれていたクルスによって助け出され。
「お、お嬢様っ⁉︎」
やっぱり滅多に動揺する事の無いクルスが動揺して、こちらもあまりの出来事に取り乱したクルスが、彼方此方とケイトリンの身体をペタペタペタペタ触りまくって……デボラに頭を叩かれて漸く我に返ってケイトリンから物理的な距離を取ったところで。
「「「元通りになった……」」」
3人は知らず安堵の溜め息を同時に吐き出した。その後、アレジとガリアも元に戻ったケイトリンを5度見して、クルスと同じようにペタペタと触りまくって、やっぱりデボラに頭を叩かれて我に返って。全員で安堵の溜め息を再び吐き出した。
この後、3日間、ケイトリンはこの部屋から出る事はなく、経過観察を経て、クルス経由でシーシオに全てが報告され。魔術師の視点から毒薬と解毒薬の分析を行って解明されて改良された解毒薬が完成した。尚、この一連の騒動後、ケイトリンが再び幼児化する事もなく。ケイトリンとシーシオの判断で、この一件は外部に秘匿となって一連の騒動は収束した。
余談だが、この時、アレジとガリアが買い出しに行った幼児化ケイトリンの衣服は、その後、ドミトラルと結婚し、女児を産んだケイトリンが、娘に着せていたので、アレジとガリアの買い出しは無駄にはならなかった。
(了)
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