閑話・1度目。ーー真にお仕えしようと決めた日。
デボラ視点です。
連れて来られて初めて会った家族の1人に私は打たれた。……父の妻だった。私は父が結婚する前に父と出会って恋人同士になった母から生まれた。
「あの女そっくりね!」
吐き捨てられた言葉に、ああ母と私は嫌われているのだ、と知った。今ならそれもそうだろう、と納得出来るけれど当時5歳の私には嫌われている、という事実以外理解出来なかった。
父は私を連れて来たくせに打たれた私を庇うことも慰めることもなく、何も無かったような態度で私を部屋に連れて行った。もちろん謝る言葉もかけてもらっていない。何故私はこんなところに連れて来られたのだろう。狭い部屋に押し込められてベッドに横になりながら、溜息をついた。
その理由は直ぐに知れた。
私は“娘”として引き取られたわけじゃない。“侍女”として引き取られたのだ。それも給金無しだから雇われているわけでもない。死別した母が私の行く末を案じて父に連絡を取らなければ、私は孤児院に入っていただろう。孤児院の方がマシだと思える程孤児院の事は知らない。だから、どっちもどっちだと思うしかない。
“侍女”として引き取られた私は、当然実父を含めてこの家の人達を主人として仕える必要がある。特に奥様には目の敵にされてよく手を上げられた。そんな夫妻には跡取りである男の子と女の子が2人存在した。私の半分だけ血の繋がった弟と妹達。だが当たり前だけど情など互いに湧く事など無い関係。
虐げられないように侍女仕事を必死で覚える私と、両親の愛情を注がれた子ども達が同じはずが無かった。
気が強い父の妻だが、子どもに愛情を注いでいるし、父の事も愛があるようだ。但し父は愛情を抱いていないようだが。子どもの私の目から見て、実父と私の母が恋人同士だったというのは嘘だろうな、と思う。父はそれくらい、感情が薄かった。これが母が亡くなったから……というなら、まだ母と恋人同士だったという話を信じられるが、私に侍女仕事を教えてくれる古参の侍女長曰く、実父は元々情の薄い人らしい。
……やっぱり母と恋人同士だったというのは、嘘だな。と結論が出た。
それからなんとか半人前ながらも一通りの仕事が出来るようになった頃、私はセイスルート辺境伯家へ侍女として入るように実父から告げられた。黙って話を聞くと、どうやらセイスルート辺境伯家の内情を教えろ、ということで、程の良い密偵役らしい。これが実父だと言うのだから、鼻で笑う。尤も父として慕っていないので別にどうでもいいが。
父からの紹介ということで、セイスルート辺境伯はあっさりと私を雇った。それくらい、父とセイスルート辺境伯は良い仲だった。ーー表向きは。セイスルート家は、居心地が良かった。家族仲も割と良好だし、使用人達も明るく働いている。あの家よりも遥かに働きやすかった。そして何より、セイスルート家で働いて初めてお給金をもらった。
支給品として侍女服や侍女として必要な物があるのに、その他に給金が出て休みもある。それが働く者の当たり前の権利だということも、ここで初めて知った。給金をもらったのは初めて、などと知られるわけにはいかないから先輩侍女達と同じように喜んだが、本当は初めて働いて手にしたお金に手が震えた。それから瞬く間に時は過ぎて、実父に時折情報を流しつつも、私はセイスルート家の次女・ケイトリン様の専属についた。
明るくて元気良くて良く笑う。それがケイトリンお嬢様だった。でも、実母と実姉の仲はあまり良くないので、どこか寂しそうだった。だから私が常に側にいることにしたら当然のように私に懐いた。これで更にセイスルート家での私の評価が上がった。それでもセイスルート家を裏切って実父に情報を流す事を何とも思っていなかった。
やがて様々なことが起こり、ケイトリンお嬢様が隣国に留学することになって、当然のように私も付き従うことになっても、私は変わらなかった。あの家で虐げられないように、喜びと楽しみだけは感情として見せていたから、常に笑顔で大袈裟に喜ぶ私の姿は演技だとは誰も思わなかっただろう。
でも。隣国でケイトリンお嬢様が学園に入学したその日。私の心は変わった。お嬢様のとんでもない秘密を知って、そんなバカな。と思った。作り話にしてはやけに生々しいが、有り得ない、と否定した。けれど、共に聞いたクルスとのやり取りで信じられないが、嘘が無さそうだと知った。……そんなバカな。1度死んでやり直しているなんて。
有り得ないと頭では思う。実父にこの話を流しても失笑されるのがオチだろう。そう、ケイトリンお嬢様だって、私とクルスが否定してバカにされる可能性に気付いていた。それでも話した。何故、私に? 不思議に思った私に、信じられる人に話したかった。そう言われて、唖然とした。
私を信じられる?
セイスルート家の内情を実父に教えている私を?
このお嬢様は、私が何をしているか知らないからそんな事が言えるのだ、と内心で嘲笑った。
嘲笑ったのに……一方でとても嬉しくて泣きたくなった。母が亡くなってから泣きたいことなんて、虐げられていた時だけだったのに。嬉しくて泣きたいなんて、自分が信じられなかった。
結局、ケイトリンお嬢様の話は実父には流さなかった。建前上は話しても信じられないだろうから。だけど多分、本心はお嬢様の信用を裏切りたくなかったから。
その本心に、私は今夜ようやく気付いた。隣国の王子達の筆頭婚約者候補者になって駒になる事を承諾したのに、その事実をすっかり忘れて、本国の第二王子の筆頭婚約者候補者になる事まで引き受けたお嬢様のすっとぼけ加減に、この人は私が居ないとダメだ、なんて烏滸がましくも思ってしまった。
「旦那様にお会いしてきます」
取り乱して共に笑い転げたお嬢様は、今は良く眠っている。私はクルスに後を頼むと、クルスが静かに言葉を発した。
「……いいのか? お嬢様に一生仕える、とご主人様に言えば、もうお前はあの家にセイスルート家の内情を流せないぞ」
私は息を呑んだ。……そうか。私は泳がされていたのか。
「いつから?」
「我等影を侮るな。ご主人様も侮るな。最初からだ」
最初から。最初から私は泳がされていたのか。なのに何故。
「どうして」
「ご主人様はお前の素性もどのように生きてきたかも、全てご存知だ。だからデボラ、お前のために見て見ぬフリをしていた」
全て知られていた。セイスルート辺境伯の掌で私は転がされていたのに、出し抜いている、と思い込んでいた。
「それなのに」
「ご主人様がお前が変わる事があれば、と待っていらした」
そして私は変わった。
「行ってこい。今のデボラならば、ご主人様は一生お嬢様に仕える事を心から許してくれる」
クルスの言葉に、涙が溢れた。
私はデボラ。姓は捨てた。
ただのデボラとして、ケイトリンお嬢様に一生を捧げて生きていく。
お読み頂きましてありがとうございました。明日はケイトリンに戻ります。




